(長春(旧新京)からハルビンへ行く途中の景色)
60年安保世代よりも、70年安保世代は行動も過激であったが、考え方も硬直したところがある。戦後、満洲という言葉すら使えない時期があったらしい。郷愁を感じるようでは、まだ判っていない、と非難した人のように。
戦前の辛い記録を見ながら、確かに私たちは、
・繙(ひもと)けば史実厳然マイナスを重ねし昭和知りて傷つく
しかし……
広島大学から名誉博士号を贈られたヘルムート・シュミット元西ドイツ首相が、記念講演で話したという言葉がある。
「若い皆さんは、自国の歴史を理解しなければいけません。誇らしいこと、悲しむべき悪いことも見つけるでしょう。しかし、あなたたちには、過去に対する責任はありません。明日と、それに続く日々に責任を負うことになるのです」 朝日新聞”天声人語”より
郷愁を感じたとしても、親の世代がしたことに責任をもつ必要はない。簡単に行けないから、よけい切なかったのかもしれないし。
いまコロナ禍で簡単に帰郷できない人たちと同じである。
おまけ、元ハルビン学院。
満洲国時代は特務機関員を養成していたとか。
なぜかこの角度からしか見られなかったのは、今は中国の大学だか大学院として機能しているからだろう。