タワマンの部屋の一隅に水槽があった。
息子は小さいときから虫や生き物が好きで、東京西部の田舎にいたときは、暗くなるまで外で遊んでいた。成人しても結婚しても、その癖はとれないらしい。
女3人に囲まれ、魚ちゃんを眺めているときが一番心が落ち着くそうだ。
この海水も、三浦半島まで行って汲んできたのだという。ポリバケツ2個をカートに載せて運ぶのだけど、最近は腰が痛いと。「葛西の海なら近いじゃない」と言えば、「あそこは汚いから駄目だ」らしい。
この辺りは、誉れ高い漁師町だった。10年前は少し歩くと瓦屋根の佃煮屋があったり、向かい側には八百屋と銭湯があった。たまには銭湯もと入りにいったら、熱いのなんのって、足首一つ入れられかった。江戸っ子気質というものらしい。
(写真はイメージ)
先日行ったら、銭湯も八百屋もなく、タワマンばかり。そして通りは
このごちゃごちゃ。
新しい街のはずなのに、上を向けば電線。
それでも町の人たちの絆感は強く、春秋の芋煮会など私も誘われて行ったりしていた。
花火のあるときは
・下駄ばきで茶髪に浴衣丈高き男子(おのこ)歩めり月島の路地 (byつゆ)だった。
古きよき昔がなくなってきている、とお嫁ちゃんは言っていた。
なぜか土建屋だけは景気よく、あちこち工事をしたり、ブロ友さんの「緑には東京しかない」に見られるように、どんどん建替えられる大きなオフィスビル。少子化の時代だというのに、30年後には空き部屋や空きオフイスばかりになるのではと、よそ事ながら心配になる。
横浜のタワマン28階に住む知人は、計画停電のとき、エレベーターも停まる。一度地上へ降りたら上がるのが大変で、ずっと閉じこもっていたと言っていた。
では、なぜ、そんなところに入るのか、と非都会に住む人は思うだろう。
同じ値段で一戸建てなど買えないのだ。わが家も、夫は北、私は中部で地方の人間、親からの家も財産もない。借家を出て、西洋長屋を買ったとき「こんなところを買って!」と両方の親から言われた。
また女性も仕事するなら、交通の便のよい所がよい。大震災のときも、嫁ちゃんは歩いて通える所に行っていたので、すぐ子どもたちを迎えに行くことができた。今は資格を生かして事務所を開いている。
40年以上も昔、私もほそぼそと始めた内職仕事も、地の利があってこそ広がったと思っている。