オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

春眠暁を覚えず

2016-01-03 | 日記
 
春眠暁を覚えず
処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花おつることを知る多少
 
春は心地よく、夜明けにも気づかないで、寝坊してしまうと解釈されるのが一般的だが・・・・・
作者、孟浩然の境遇を考えると、それほどのんびりと、春を惜しんだ詩ではないようである。宇野直人氏が『漢詩をよむ』(宇野直人)の中で,『春暁』を解説している。
 
  作者孟浩然の不如意の人生行路や他の作品の雰囲気を考え合わせると、この詩の内容はそれほどのんびりしたものとは思えない。前半二句は,自分が官職についていないことの表明として受け取ることができる。しかし、後半に入ると、意味の二重性が色濃く感じられてくる。第三句の「風雨」は困難な境遇のたとえとして使われるし、第四句の「花落」は悲しみや落胆のたとえとなる。この詩には作者の苦々しい自己認識、「自分は官職についていない。意に反する環境のため、自分の志も夢も無残に散り果てたのだ。」と言う訴えが暗にこめられている。
 
孟浩然(689-740)は湖北省襄陽の人で豪族であった。何回か科挙に応じたが、及第しなかった。諸国を放浪した末、襄陽の郊外にある鹿門山に隠棲した。40歳のとき都へ出て張九齢や王維等の詩会に参加して、その文才を認められ、王維のとりなしで、玄宗にまみえる機会をつかんだが、彼がたてまつった詩の中に天子の気のいらなかった句があったために宮仕えのチャンスを失ったというエピソードが伝えられている。後、張九齢が左遷されたとき、部下に加えられて優遇されたことがある。しかし、まもなくこれを辞退し、あちこち旅行したのち郷里に帰って再び隠棲生活に入ったところ、背中にできた腫れ物が悪化して不遇な一生を閉じたという。
 
確かに、春になると夜明けが早くなるから、冬の習慣で目覚めると、既に明るく、周りの生活の音が聞こえてくるのももっともなことなのだ。隠棲の身であれば、冬、まだ暗いうちから起きる必要もなく、夜明けとともに起きていたのであろう。それが、春になると、1時間は夜明けが早くなるから、すっかり明るくなってから目覚めることになる。 そう考えると、働くことのできなかった、若くして隠遁生活を送る不本意な人生を嘆いているようにも解釈できる。

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