オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

永遠のゼロ

2011-07-01 | 読書



日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットがいた…。人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。祖父の話は特攻で死んだこと以外何も残されていなかった。元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は健太郎たちの予想もしないものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生に執着する戦闘機乗り―それが祖父だった。「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻を志願したのか?健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく。はるかなる時を超えて結実した過酷にして清冽なる愛の物語。

特攻隊の話は悲しい美談として語られることが多く、積極的に読みたいとは思わない。今回、友達や児玉清さんの推薦もあり、読んで見ようという気になった。読み始めると一気に読んでしまった。
若い世代が特攻で戦死した祖父のルーツを探る話だが、若い世代との考え方の対比が笑いを誘う場面もある。
「あいつは臆病者で戦場から逃げ回っていた。」「それって素晴らしい考えだと思います。みんなが逃げ回っていれば戦争なんか起きないと思います。」逃げ回っていることが可能なら、素晴らしい考え方だわね。そんなことしていたら味方から殺されたでしょう。大体、特攻のシステムを考え出した男が憎い。自国の若い未熟な青年を煽って無駄死にさせたのだから八つ裂きにしても足りない。
9.11のテロリストと同一視されるのも迷惑な話だ。行為は似ているが、モチベーションは全く違う。少なくても特攻は宗教は絡んでいない。
「特攻隊員は英雄でも狂人でもない。逃れられない死を受け入れ、その短い生を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間だ。散華のヒロイズムに酔った人間はいなかった。仮に死を受け入れるために死のヒロイズムに身をさらしたからと言って誰が非難できるのだ。」

宮部は臆病でありながら、飛行技術は素晴らしいものだった。敵機を深追いして自分がやられることを避けたが、それは命をつないで次の機会に勝つためだった。勇敢に命を落とすのでは熟練した搭乗員と貴重な戦闘機をともに失うことになる。パラシュートで降下中の敵のパイロットも機銃掃射で殺した。非難を浴びたが、「彼は優秀なパイロットだった。生かしておけば、何人の日本人が殺されるかわからない。これは戦争なんだ。」
日本兵は熟練パイロットから死んでいった。戦闘機を無駄にしないために、まず熟練パイロットから過酷な任務に就いたからだ。ガダルカナルの戦いは素人が見ても最初から負ける戦だった。奢った精神主義だけで勝てると思っていた大本営の無能が露呈した戦いであった。兵站の計画もなしに戦闘員を送り込み、殆どは餓死で死んでいった。狂気の沙汰だ。
犠牲は大きかったが、この戦争は負けてよかったと本当に思う。軍部がこのままのしていたら、日本はとんでもない国になっていただろう。

「俺はゼロ戦を作った奴を恨む。8時間も滑空できるのは凄い戦闘機だ。しかし、乗っている人間のことは考えられていない。ゼロ戦故にパイロットには過酷な作戦が計画実行された。」
戦闘能力は抜群だったが、防御や無線機能は使い物にならなかったと言う。他方、アメリカのグラマンは数発の被弾ではびくともしなかったらしい。

そして15000人の餓死者を出し、熟達した搭乗員2362人と戦闘機839機、艦艇24隻を失って撤収したガダルカナル後、戦争は二年も続く。このとき降伏していれば、原爆も落とされずに済んだのに・・・・悔やまれてならない。

軍人の幹部を「高級官僚で自分の点数を上げることに汲々として詰めが甘く、決して責任を取らされることがない。」と評しているのも現代的な見方で小気味よい。真珠湾奇襲も前の晩、パーティで飲みすぎて日曜出勤が遅くなり、宣戦布告が遅れ、「日本人は卑怯者」のレッテルを貼られることになった。こんなチョンボにも誰も責任を取っていないのだから驚く。責任取らされるのはいつも下っ端だから、かえってかわいそうかもしれないが・・・

特攻は志願兵と思っていたが、当時志願拒否はできない雰囲気にあったのも頷ける。「宮部さんは特攻拒否の態度を貫いた。本当に勇気のある人だ。」こんな認識がこの本を読んだ人に伝わるのは嬉しい。
「大西中将は終戦の翌日に切腹して責任を取ったと受け取るものも少なくない。多くの前途ある若者の命を奪っておいて老人一人の自殺で責任が取れるのか?死ぬ勇気があるなら何故特攻に反対するといって腹を切らなかったのだ。」
「宇垣司令官は終戦を知った後、17名の部下を連れて特攻した。死ぬなら一人で死ねばいい。」
「美濃部少佐は特攻に真っ向から反対した。自分の隊から特攻を出さなかった。ジャーナリズムの怠慢でこのことはあまり知られていない。美濃部のように断固拒否した士官もいたが、その数はあまりにも少なかった。」


「桜花」というグライダーよりお粗末な特攻機を製作したと言う話も驚きだ。懸吊で現場にもっていき、急降下して打撃を与えるだけ!!!実戦では目標のはるか手前で捕捉され、母機もろとも撃墜され戦死者は150人。着陸のための車輪も付いていないという。よくもそんな非人間的なものを設計したものだ。現場では使い物にならないことはわかっており、実際にはポンコツ戦闘機や練習機が使われるのが主流だった。終戦前日まで桜花に続く特攻専用機を開発中だったという。これに関わった人間は戦犯として裁かれたのだろうか?多分答えはノーだ。自国の若者に死を強いるのも戦争犯罪だと思うのだが・・・・しかし、人間の命が安い時代だったのですねえ・・・・・・ガンジーの7つの社会的罪----人間性なき科学者の罪だ。
設計者は当初「技術者としてこんなものは承服できない、恥です」と強硬に反対していたそうだが、軍部の圧力に負けてしまったのだろう。桜花の設計主務者の一人、三木忠直は最初の新幹線0系の設計者で、桜花設計に関ったことが鉄道技術者に転身するきっかけになったこと等がプロジェクトXで放映されたと言う。
「とにかくもう、戦争はこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ。」


茨城に桜花公園があって桜花のレプリカが展示してあるらしい。「わが日本国民として忘れてはならない、祖国の存立を護った尊い大和魂の故郷である。」こんな風に美談にするから腹が立つ。スミソニアンにも桜花は展示されている。付けられていた名前は「バカボム」。馬鹿爆弾。強烈な揶揄だ。こんな恥ずべきものを日本で展示しているなんて・・・・どういうつもりなんだろう。
調べてみると、・・・埼玉県入間市にある航空自衛隊入間基地内の修武台記念館にも一機保存されている。この記念館は2005年12月に閉館したが、2010年度にリニューアルを行って再開館する予定であり、リニューアル時も桜花は展示されるという。また、靖国神社で実物大模型を見る事が可能であるらしい。本当ですか?
修武台記念館の桜花 
靖国神社の桜花

この本は知らなかった多くのことを教えてくれた。できるだけ多くの人がこれを読んで、たった一人でもノーといえる人間が増えることを切実に願う。

そして、最後のどんでん返し。涙が溢れるのを禁じえなかった。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿