あすかパパの色んな話

日々の暮らしの中で思ったことを書き込んでいきます。
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路線変更では有りません

2008年10月18日 08時58分01秒 | その他の話題
昨日、今日と色んな人達のヒューマンドキュメント的な
お話を紹介させて頂いてますが、別にブログの路線変更では
ありません
ブログネタの幅を広げるという事でカテゴリーを増やしました。
今後ともあすかパパの色んな話よろしくお願いします

69人の球児の夏~星稜高校・山下監督の“育てる野球”~

2008年10月18日 08時33分59秒 | コラム
今回のお話は、ドキュメント・スポーツ大陸から抜粋したものです。





69人の球児の夏
~星稜高校・山下監督の“育てる野球”~


 「勝ちを求める野球」だけではなく、生徒たちを人として「育てる野球」に徹底して取り組み、日々グラウンドで球児たちと奮闘している指導者がいる。石川県・星稜高校野球部の山下智茂監督。甲子園出場24回、数々の名勝負を采配し、あのゴジラ松井を育てたことでも知られる名監督だ。山下監督もか
つては甲子園を第一の目標にしていた。しかし、負けると毎日のようにかかる嫌がらせの電話、厳しくすればするほどついてこない生徒たち。そんな勝ちを求めるだけの野球に嫌気がさし、指導法を180度変えたのだ。


甲子園の伝説
―――少年時代、その試合のスコアを記録していた。
 昭和54年夏の甲子園、星稜高校 対 箕島高校。のちに高校野球ファンに語り継がれることになる、あの延長18回の試合だ。4回、12回、16回に1点ずつ…、永遠に続くと思われた物語。
 星稜のエースが208球目を投げた瞬間、シーソーゲームに結末が訪れた。
 画面いっぱいに映し出された敗者の選手たち。黒土で汚れた黄色いユニフォームが、カクテル光線に
照らされ、ゆがんで見えた―――


 今年6月。梅雨の切れ間に、私は金沢市にある星稜高校の野球部のグラウンドを訪ねた。そこには、25年前にテレビにかじりついて見たのと同じクリームイエローのユニフォームが躍動していた。「なにくそ根性がおまえにはないんかいやぁ!」能登弁の大声が周りの山に反響する。山下智茂監督(59歳)である。

 甲子園出場24回。メジャーリーガーであるゴジラ松井をはじめ、多くのプロ選手を育てた名将として知られる。
 「遠いところからわざわざすいません。こんな野球でよかったらみていって下さい」日に焼けたガンコそうな顔からは想像もつかない、ひとなつっこい笑みがこぼれる。とても印象的な人だ。

 『高校野球の監督で誰に教わりたいか』
 ある雑誌のアンケートで全国の球児から一番多くの票を集めたのが山下監督である。いったいどんな野球が展開されているのか…。
 星稜のグラウンドでは、風は甲子園の浜風と同じライトからレフトに吹く。その風が止んでいた蒸し暑い午後にしばらく練習をみた。


背番号のない選手たち
 違和感。星稜には、抱いていた高校野球のイメージがないのである。グラウンドという舞台には、白球が飛び交い、叱咤する指導者そして汗と泥まみれの役者はいる。何も変わらないはずなのに…。子どもたちの顔つきに根性漫画のような悲壮感がない。みな顔つきがいい。きついはずなのに、踊るように楽しくプレーする。
たっぷり見続けてわかった。このリズムを作り出しているのがベンチに入ることの
ない補欠の子どもたちだ。
 「いけたよ! ノッカーに負けるなんよ」「俺たちを甲子園に連れて行ってくれるんだろ!」星稜名物のケンカノックで、足がとまりそうな選手に一斉に声がとぶ。補欠がレギュラーの気持ちを乗せている。

 ライン引きのプロ、マウンドをならす職人、そしてピカピカのトイレ掃除など裏方の役割を担うのが3年生の補欠部員である。「監督は、『俺が見ててやるからどんな仕事でも一流になれ』って。だったら中途半端じゃなくて日本一の補欠になってやろうって」背番号は手に入らなくても彼らの表情には誇りがある。
それが山下野球である。

 山下監督は、69人の部員ひとりひとりのコミュニケーションを何より大切にし、裏方の仕事にはげむ補欠部員のことを第一に考える。69人の性格を把握し、叱りつけて奮起を促し、ほめて子どもの心に自我を芽生えさせる。歯ブラシ打法や卵でバント練習など指導法もユニーク。
仲間同士を深く知ってもらうためベンチ入りメンバーは選手同士の投票で決める。子ども目線まで下げた野球をするきっかけは、あの延長18回の試合だったという。

 「若いころはスパルタ、スパルタで選手をしごいて、甲子園で勝てばよかったんです。でもあの箕島の試合に負けて俺の野球ってなんだったんだろうなって。箕島の尾藤さん(監督)はニコニコしていて俺はおこってばかり…。自分の器の小ささを感じたんです。子どもたちともうまくいってない時期もあったんで、思いきって野球を変えてみようって、勝つ野球から育てる野球にしようって…。まだ不完全
というか進化中です。だけど自分の野球で子どもたちに何か伝えられればいいなって。子どもたちに生き抜く力を教えてあげれたらいいなって思っとるんです。」


 「松井以来の最高のチームだった」という今年のチームは地方大会1回戦で敗れてしまう。だが、山下
監督が野球を通じて子どもたちに伝えたいことは確実に69人の球児たちにしみこんでいった。
 そんな夏をみつめた。