
今回の旅行で一番心に残ったことは、砂漠でもなく、マラケシュの街でもありませんでした。
それは屋台で見かけた何気ない光景。

繁華街からはなれて、ローカルの人たちが行く屋台街で晩ごはんをたべていたときのこと。
自分たちが座っていたテーブルの横には、マラケシュにすんでいると思われるモロッコ人の20代と思われる若者が2名で食事をしていました。
しばらくして、汚れた服を着て荷物を持ったおばあさんがちょっと離れたイスに腰掛けました。
おばあさんは何を注文するわけでもなく、かといって物乞いをするわけでもなくずっと座っています。

自分たちも気づいてはいましたが、何も考えず自分たちの食事が出てくるのを待っていました。
すると若者の一人が自分が食べていたサンドイッチ(アラビアパンの中にケバブが入っているもの)を半分にちぎって、おばあさんに分け与え、そして自分が飲んでいたコーラも半分にしておばあさんに「分け与え」ていました。
それが自然な行動であったこと、そしておばあさんに「分け与え」ていた時の若者の自然な笑顔がとてもすばらしかったのです。
場末の汚い屋台のことですのでその若者も決して裕福なわけではないでしょう。
おそらく、自分とその若者がどちらがお金をもっているかといえば自分の方でしょう。
でも自分にはその若者のように自然に「分け与える」という行為ができたとは決して思えません。
豊かさとか貧しさとかは何のことをいうのだろう?何が決めるんだろう?
そういうことが頭の中を駆け巡っていた夜でした。
(皆さん気になるでしょうから説明を入れておきますと、焼き鳥はめちゃめちゃうまかったです。)
それは屋台で見かけた何気ない光景。

繁華街からはなれて、ローカルの人たちが行く屋台街で晩ごはんをたべていたときのこと。
自分たちが座っていたテーブルの横には、マラケシュにすんでいると思われるモロッコ人の20代と思われる若者が2名で食事をしていました。
しばらくして、汚れた服を着て荷物を持ったおばあさんがちょっと離れたイスに腰掛けました。
おばあさんは何を注文するわけでもなく、かといって物乞いをするわけでもなくずっと座っています。

自分たちも気づいてはいましたが、何も考えず自分たちの食事が出てくるのを待っていました。
すると若者の一人が自分が食べていたサンドイッチ(アラビアパンの中にケバブが入っているもの)を半分にちぎって、おばあさんに分け与え、そして自分が飲んでいたコーラも半分にしておばあさんに「分け与え」ていました。
それが自然な行動であったこと、そしておばあさんに「分け与え」ていた時の若者の自然な笑顔がとてもすばらしかったのです。
場末の汚い屋台のことですのでその若者も決して裕福なわけではないでしょう。
おそらく、自分とその若者がどちらがお金をもっているかといえば自分の方でしょう。
でも自分にはその若者のように自然に「分け与える」という行為ができたとは決して思えません。
豊かさとか貧しさとかは何のことをいうのだろう?何が決めるんだろう?
そういうことが頭の中を駆け巡っていた夜でした。
(皆さん気になるでしょうから説明を入れておきますと、焼き鳥はめちゃめちゃうまかったです。)
知らないのと一緒ですよ。
例の政治家の肩を持つわけではありませんが、本当はそういうことを意味するつもりではなかったのだろうけど例え方が悪かったんでしょうね。そういう意味では政治家としての資質にかけているんでしょうが・・・。
そうなんですよね。お金は大切だけれど、たくさんあることと豊かであることは別のものなのでしょうね。
どうみても自分のほうが貧しいんですよ、心が。
犠牲って言葉の響き自体が悪いのでしょうかね。
辞書をひいてみたら
「目的のために身命をなげうって尽くすこと。」
とありました。自分の目的達成のための手段と考えればよいのですね。
ともするとイスラム教イコールテロリズムみたいな図式があるけれど、イスラムを学んでからじゃないと批判もできないですよね。
すてきな場面を目撃する旅になりましたね!
ところで今週は寒くなって雪も降るらしい。風邪ひかないように!
自分は宗教に疎いので調べたところ、5行の中に喜捨という行為が含まれていました。
本当にすばらしい場面に遭遇できたと思います。
観光地の表面ではわからないことも多いですね。
本当!やっと冬が来た感じですね。
普通の旅行客は見ないところで・・・。
見ても、見過ごしてしまうかもわかりません。
本当の人間としての「やさしさ」「もののあはれ」
です。分け与える者も、与えられる者も、
自然で笑顔でほほえむことができるというのが
凄いことです。いい経験をなさいましたね。
昨日今日はじめたことではないでしょう。
本当にいい経験をさせてもらったと思います。