ちょっとひと言

日頃の自らの経験を通じ感じていることや身近な出来事を綴っていきます。

第21回全国足利氏ゆかりの会

2006年11月30日 | Weblog
 平成18年度 第21回全国足利氏ゆかりの会が、鎌倉市で開催された。市長就任以来、会長という立場で毎年出席している。役員会、総会、懇親会そして法要と内容は盛り沢山の会である。
 足利氏ゆかりの地は、栃木県が北限で、県内ではわが足利市のほか、さくら市、真岡市、旧南河内町(下野市)である。近隣では古河市が名を連ねており、京都、鎌倉市を中心に各地にある。特別顧問に第28代当主にあたる足利義弘氏が今年も出席された。そのほか、足利姓の方が5人おられ、うち一組はご夫婦である。
 この度、京都府における時代祭に室町時代が列に加わることになった。漸く足利氏が認知された。主催者側の意向で室町時代を削除してしまったことは、適当でないと思っていたが、パリで時代祭を再現した際、フランスの人から「なぜ、足利氏が加わっていないのか」と指摘された経過もあり、漸く解決したのである。来年10月22日に行われる時代祭に晴れて足利氏と室町時代が加わることになっている。室町時代は能、狂言をはじめ、茶の湯、生け花など日本文化の原点となっている貴重な時代であることは言うまでもない。有名な金閣寺や銀閣寺もこの時代に足利氏によって建立されたものである。両寺の本山にあたる相国寺にも時代祭のことで昨年参内した。これら寺院も足利氏ゆかりの会に名を連ねていただいている。つまり足利氏ゆかりの会は、かなり格式の高い会である。その会長などとは聊か忸怩たるものがある。
 これからもこの会を大切に守っていきたい。
           《写真左から、四方綾部市長、私、石渡鎌倉市長、足利義弘氏》

足利学校釋奠

2006年11月25日 | Weblog
 11月23日勤労感謝の日、恒例の釋奠(せきてん)があった。儒学の祖である孔子とその弟子を祭る儀式である。供え物を置くという意味が釋奠にある。「薄(いささ)か蘋藻(ひんそう)を奠(てん)し、以って虔誠(けんせい)を致す」と祝文にある。ささやかなものをお供えして、礼儀正しく、誠のこころをもってお祭りをしたいという意味である。
 祭官である私が、これを朗読する字が極めて難しい。難解なところもあるのである。参考までに全文を披露する。(パソコンに未登録の漢字は、ひらがなとする)

  維時(これとき)、平成18年11月23日。
  宗夫等(ら)謹(つつし)みて、至聖先師(しせいせんし)、
      孔夫子(こうふうし)の霊に告(こく)す。
  伏して惟(おもんみ)るに、夫子(ふうし)の道、
      天地を配し、徳日月(とくじつげつ)に竝(なら)ぶ。
  風教(ふうきょう)、あまねく東方に被(こうむ)り、
      化澤(かたく)、永く後昆(こうこん)に垂る。
  宗夫等(ら)、景仰(けいぎょう)、措(お)く能(あたわ)はず。
  薄(いささ)か蘋藻(ひんそう)を奠し、以って虔誠(けんせい)を致す。
  配するに、顔子(がんし)・曽子(そうし)・子思子(ししし)・
      孟子(もうし)を以(もっ)てす。
  尚(ねがわ)くは饗(う)け給(たま)え。

 久しぶりに足利学校庠主(しょうしゅ、校長先生のこと)ご夫妻にお逢いした。相変わらず穏やかな学者で、前田専学先生という。よくぞ命名したものだとも思う。私も同世代、しかし、お互いにキャラが違うので、むしろ気持ちが通じ合うのかもしれない。話をすると心が洗われる思いがする。
 式典のあと、庭園で野点(のだて)を楽しんだ。お茶の一服がこよなく美味しい。まさに、一服の清涼剤である。自分でいうのも何だが、足利はしみじみいい街だと思った。
前田庠主もそのように言っておられた。

なでしこ会

2006年11月24日 | Weblog
11月15日(水)東京から『なでしこ会』という女性グループが、バスで足利市にお出でになった。
 この会は、国際交流協会の女性部といった存在で、メンバーは、東京にある世界各国からの大使、領事のご夫人方と都内の財界の代表夫人によって構成されている。僅かな時間であったが、栗田美術館で熱心にホスト役を買って出た。
 そこでは、アメリカ大使、メキシコ大使、スペイン大使夫人を紹介された。さすがの私も聊か上気してしまい、どんな方であったか顔も覚えていない。ただ印象としては、あまり気取らない、フツーな女性部という感じだった。板橋商工会議所会頭も手伝ってくれたが、日本のトップ企業の奥様方もいたそうである。こういった方々が足利を訪れてくれるのは本当にありがたい。
 「春のシーズンにぜひ、あしかがフラワーパークにお出かけを」とPRした。
 皆さんがとてもいいところと言ってくれたのが大変嬉しかった。

第2回足利そばまつり

2006年11月23日 | Weblog
 11月18日・19日の両日、足利そばまつりが、とうこうコミュニティセンターで開催された。昨年に続き2回目となる。初日はたいへん天気もよく、まさに小春日和、たくさんの人で賑わった。私ももちろん参加した。
 長い列が各テントにできたが、私は2日間で5箇所のそばを食べた。ここで表現するわけにはいかないが、何れもおいしい甲乙つけがたいそばであった。
 今回、足利そば商組合は、今年松田町で作付けしたそば粉を使用してくれた。地産地消である。職員の中にもそば通がいて、「こしがあるとか、つゆがどうのとか」意見を言っていた。私は食通でないが、全部美味しかった。好きな食べ物はと聞かれると、即座に「すし、ラーメン、あんぱん」と答える。最近、食べたいと思う食べ物は「もんじゃ」であり、だから、たいしたことのない食文化人である。
 翌19日は、残念ながら朝から雨、心配した人出も雨にもめげず集まり、5500人が参加し、初日の6500人とあわせ、2日間で昨年とほぼ同数の12000人に楽しんでもらえた。市外からのお客も推計で35%位いたらしく、相当な数である。
 このまつりは、今後も続けていきたい。

国に対する要望決議

2006年11月22日 | Weblog
 全国市長会理事・評議員合同会議において、副会長という立場で国に対する要望決議の内容を説明する機会を得た。「都市財政基盤の充実強化に関する決議」の中身の解説である。何時ものことながら、用意された原稿は読まないで話し始めた。会議がここに至るまで約2時間かかっている。市長さん方も相当お疲れのようだ。あちこちで、欠伸も散見される。
 まず「お疲れ様です。もう少しの辛抱です。頑張って下さい。」と笑いをとった。そこで解説した。「私の持論である地方交付税は、どうしても生じる地域格差による財政格差、これを是正し、国民が公平な行政サービスが受け付けられるよう財源の均衡化を図ることが目的の筈である」と論じた。また、「頑張る自治体に対しては、今まで通りに交付するというのはそれを判断するのは誰がするのか、きわめて不遜である」といい、「頑張りたくても頑張れない地域もある。いかがなものか」と述べた。拍手が起きた。私は日頃から今のやり方に不満があるので言ったままである。
 説明が終わった後、若い市長が3人ばかり私のところに来て、「いいことを言ってくれた」と誉めてくれた。
 今回は、市長会内部への発言であったが、私の発言に共鳴してくれる市長がいる限り、今後も率直に主張していきたいと思っている。

ケガをして・・・

2006年11月21日 | Weblog
 まだまだ若いと思っているので、階段を昇るとき力強く脚を踏み出した。一歩、二歩、三歩のときである。ブツっとかなり大きな音が聞こえ、右の下腿三頭筋(ふくらはぎ)の筋線維が切れ、激痛が走った。以来歩行がままならない。風呂も入ることが出来ず、不便な生活を強いられ、今日で10日目であるが、大分よくなってきた。
 こんなことになって、ペンが進まず暫くブログを休んでしまった。慙愧の至りである。今日、整形外科に行って、再度テーピングをしてもらえれば治る筈である。この際暴露するが、私はもともと左脚が弱い。右脚と比較して左脚は2cmくらい短く、ズボンの丈に差がある。だから、効き脚は右脚であり、それだけ右脚は苦労が多いのである。己の痛さ不便さが判れば人の痛さも判る。結構、細かなバリアにも気がつく。いわゆる障害者への配慮はまだまだ足りないところがある。むしろ、いい機会であったかもしれない。
あと一週間で完全に社会復帰が出来るだろう。こんなことで周囲にたいへん迷惑をかけた。お詫びしたい。

音楽と感性

2006年11月15日 | Weblog
 県内のある大手建設会社の社長が「倅が東京のK大学に行ったのはいいが、ピアノばかり弾いて困っている」とこぼされたのは10年ほど前であった。
 最近、その社長に久しぶりに逢った。「倅がついにピアニストになってしまった。先生にも責任がある」と言われてしまった。その頃、別件で社長宅を訪問した際、おだてられて、ついつい私のたった一つのレパートリーである「乙女の祈り」を弾かされてしまった。「音大を出ていないのに、ピアノばかり弾いていて家の跡を継ごうとしない。それがきっかけとなって、現在演奏家として活躍している」と社長が言っていた。
 音楽は感性が大事であり、音大にいかなくとも音楽家にはなれる。美空ひばりさんは、耳で聴いたメロディーを自分のものにしてしまい、それを即座に歌ってしまう。天才的な才能をもっていたと聞いたことがある。これも感性がすぐれているからであろう。
 生誕250年モーツァルトイヤーもそろそろ終りに近づいている。このイヤーが終るだけで、モーツァルトの音楽は永遠であるが、今年はモーツァルトの音楽を繰り返しよく聴いた。私は音楽の理論はよく判らないが、どの曲を聴いても素晴らしい曲で理論的にできているようだ。モーツァルトは学校に行っていない。父親と旅から旅へと演奏旅行をしながら、作曲をしたのだからすごいと思う。250年経った現在でも、新鮮に聴こえる。まさに何世紀に一人しか出ない不世出の天才なのだろう。今も耳元でモーツァルトが流れているが、実に素晴らしい。
 美空ひばりさんも、100年後200年後まで歌い続けられる天才であろう。

福祉を大切に

2006年11月14日 | Weblog
 11月12日日曜日、第11回足利市民福祉大会が、福祉関係団体との共催により市民プラザ文化ホールにおいて開催された。福祉には昔から福祉6法といって有名な法律がある。平成に入って、精神保健福祉法と障害者基本法が加わり、現在は福祉8法といっている。
 それぞれの法律のもとに協議会あるいは連合会なるものが構成されている。従って9団体もの後援により合同大会になるのである。福祉事業に係る多くの皆さんが表彰された。被表彰者の方はすべて見えないところで地道な活躍をされている。
 今、国では予算の関係上、ついに福祉の後退ともいえることを進めるようになってきた。誠に残念なことである。
 翌13日宇都宮市文化会館において、栃木県民生委員児童委員大会が行われ、私は県内市町長を代表して挨拶をした。そのとき、「生活保護法が制定されたのは昭和21年(1946年)、児童福祉法は翌22年(1947年)であり、長い歴史をもっており、大切にしなければならない法律である」と触れたのである。
 民生委員は児童委員を兼ね、民生委員法により市町村が設置した推薦会の推薦を受け都道府県知事が推薦し、厚生労働大臣が委嘱する。現在、県内3768人が委嘱されている。社会福祉の精神をもって、常に住民の立場になって相談に応じ、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努めることを任務として、任期は3年で無給の民間の奉仕者である。また、職務はプライバシーに介入するなど重大であり、なり手が少なく定員が充足しない地域もあると聞いている。
 福祉事業に携わる多くの皆さんの日頃のご尽力に心から感謝申し上げたい。

新成人と市長との座談会に出席して

2006年11月13日 | Weblog
 11月11日土曜日、本年度成人を迎えた市内11中学校区の代表の人たち11人と「新成人と市長との座談会」を行った。今年度成人を迎える人数は、1695人である。自己紹介のあと、足利市の良いところ、良くないところを一人ひとりから聴いた。共通した良いところは、豊かな自然と歴史的・文化的な香りのあるまちであった。特に、中橋を渡る際の眺めが素晴らしいと言っていた。良くないところは、あまり指摘されなかったが、若者が楽しむところがないこと、車が渋滞することなどであった。車の渋滞は全国的な傾向で、特に休日の商業地域での渋滞はやむを得ないところがあると話した。
 近隣の商業地域で、太田市のイオンと佐野市のアウトレットには全員行ったことがあるそうだ。本市のサンヨー電機跡地に巨大モール街の建設が予定され、シネマコンプレックスができると話したら、みんな喜んでいた。
 足利市のように、周りが町ではなく同規模の市と隣接しているところは、お互いにその街の特徴を生かしながら、同類の施設を作らず、相互に施設を利用しあうことが本来の姿であろう。若い人たちは意外に割り切っていて、このことをよく理解してくれた。
 「みんなの時代は必ず道州制が施行されて、足利市を含む両毛6市とともに政令指定都市として生まれ変わる。本市は必ず中心的存在になるに違いない。みんな、その様な環境の中で活躍を期待したい。企業誘致を図り、雇用の機会やビジネスチャンスを増やし、生活しやすい足利市をつくることが、われわれ行政に与えられた責務である」と話したが、真剣に聞いてくれた。
 将来が期待できる、さわやかな若い人たちとのふれあいだった。

災害

2006年11月08日 | Weblog
 「竜巻と思われる突風が・・・」とテレビは言っている。なかなか竜巻と断定しない。日本では、年間20回ほど竜巻が発生する。アメリカは、年間800回に及ぶと学者は言っていた。もっとも、アメリカは日本の25倍の広い国土をもっていることもある。日本は地震についての研究は世界一のようだが、竜巻について研究が進んでいない。これもお国柄といえよう。
 それにしてもひどい災害であった。アッという間に9人もの生命が奪われ、23人もの人が負傷してしまった。恐るべき天災である。かなり前のことになるが、壬生町で竜巻が発生したことがある。県職員がもっていたアパートに被害があり、アパートの屋根が飛ばされてしまったことを覚えている。災害から地域を守ることはとても難しく、全く手立てが講じられない場合もある。
 不遜な表現だが、「天災は天のせいだ、天の所為だ」という落語があった。「天のせいだ、諦めろ」と言われても市民は納得しない。結果論でいろいろ意見が出てくるに違いない。
 災害に遭われた方に、心からお見舞申し上げたい。
 災害のないことを祈りたい。