ちょっとひと言

日頃の自らの経験を通じ感じていることや身近な出来事を綴っていきます。

トマトとイチゴ

2007年02月27日 | Weblog
 トマト多機能多選別集出荷施設が野田町にあるトマト選果場に設置された。2月15日号のあしかがみの表紙となっている。総事業費は2億200万円、なかなかすごい施設である。
 足利市は、かくれたトマト、イチゴの産地である。トマトは県内第3位、イチゴは第10位となっている。足利には「いちご塚」というのがある。ご存知ないと思うが、初めて足利市にハウスイチゴの栽培手法を取り入れたのは、昭和25年福居町の仁井田一郎氏で、静岡県からイチゴの苗を持ち帰り、試行錯誤を繰り返しながら、昭和27年にいちご組合が結成され、昭和28年に初めて市場に出荷したという記録がある。だから、「いちご塚」は今でも県内発祥の地として、仁井田さん宅地内にある。
 トマトは、本市では昭和23年頃から栽培が始った。当初は夏から秋にかけていわゆる露地ものだったが、今では殆どのトマトがビニールハウスの栽培技術が確立され、いわゆるハウス栽培になったのである。品種はしばらくの間、「桃太郎」という商品名だったが、平成14年から「麗容」という品種に変わり、今では殆どすべて「麗容」になっている。これは「容姿端麗」から名づけたらしい。「桃太郎」に比べ、酸味が強く実がしっかりしていて、日持ちが良いので好評である。なお、JA足利では、トマト、イチゴ、大根、にんじん、きゅうりの5品目を「足利美人」として商標登録している。本市はこの産地として、しっかりとした地盤を誇っていいと思う。
 本市は、一農家の耕地面積が県内でかなり少ない。したがって、米麦に頼るわけにはいかない。反当たりの収益を上げるためには、どうしても研究を重ね、このような施設作目に移行せざるを得ない。農家はものすごく努力している。
 市民のみなさんも十分ご理解いただき、「地産地消」として市内の作物を食べていただきたい。

“千の風 ♪”

2007年02月21日 | Weblog
 今、「千の風になって」という歌がものすごく流行っている。確かにいいメロディーである。特に歌詞がよい。発想の転換というか、死者からのメッセージである。
 
 そこに私はいません 死んでなんかいません…♪

 あの大きな空を 吹き渡っています…♪

 夜は星になって あなたを見守る…♪

 実にいい言葉である。みんなが元気づけられ、勇気と感動が与えられる。
 先日、ある葬儀でお悔やみの言葉を述べたが、この詩を引用させていただいた。私自身、故人を強く思い出し、遺族も私と共に涙を押えていた。
 久しぶりに爽やかな曲に出逢った。音楽は本当によいものだ。
 “千の風”は永く永く歌い続けられるに違いない。

両毛地域の卸売市場統合

2007年02月08日 | Weblog
 両毛6市の市長会が太田市であった。通常の議事が審議された後、両毛地域の卸売市場統合について相談に入った。流通形態が多様化し、各市の市場は売上高の減少や施設の老朽化など大きな転換期を迎えたことから、5年前私がこの統合について提案した。当時、両毛5市長すべてが県議会議員経験者で、渡良瀬川沿線の一衣帯水の間柄で気持ちも合い、たちどころに合意を得て準備に入った。さらに、昨年みどり市(市長も同じく県議経験者)が加わり、6市で協議を進めている。
 本市では市場を公設で運営しており市職員もいることから、速やかに事務局を置いて諸準備に執りかかれたのである。市長だけで話を進めている内はいいが、市場関係業者を含めて協議となるとなかなか大変である。いろいろな思惑もからむ。現況のままでは将来は誠に不安であることは解っていながら、なかなか先に進めないというジレンマもあるが、こんなときには自らまとめ役になってくれる人もいてありがたく思っている。だから、何とか案も生まれ、具体的に先に進んできた。
 食品の流通部門は、国民生活を営む上で最も基礎的である食を安定的かつ効率的に消費者に供給するという国民生活の安定向上を図るうえで極めて重要な役割を果たしている。この意味で食品物流の効率性の確保は大事なことである。これら課題に対応するため、農水省に流通課卸売市場室があり、生鮮食料品の流通拠点となる卸売市場の整備や食品小売業の活性化対策等を実施しているのである。こうしたことは、「卸売市場法」という法的な整備までされており、卸売市場における生鮮食料の取引や施設整備を促進するための根拠となっているのである。
 従って両毛地域にある市場が、このままそれぞれが疲弊していくのを誰しも黙って見ていられないであろう。速やかに統合し、安心安全で高度な機能を備えた市場の整備をしていかなければならないと思っている。それが88万両毛地域住民のためにも業界のためにも、また生産者のためにも大きな利益になると思っている。

栃木県交響楽団定期演奏会

2007年02月07日 | Weblog
 2月4日、宇都宮市文化会館で栃木県交響楽団の定期演奏会があった。須藤梨菜さんによるラフマニノフのピアノコンチェルト2番とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だった。19歳の梨菜ちゃんはすっかり成長して堂々たるものだった。小学生の頃から知っているだけに成長が本当に楽しみである。須藤副知事の娘と言うことではなく、一人で逞しく伸びていくに違いない。
 ラフマニノフは極めて難易度が高い曲である。この曲はピアノから入るもので、ベートーベンの皇帝協奏曲と同じである。ソリストはあまり歓迎しないといわれている。特に、第3楽章のアレグロが見事であった。よくぞここまで弾きこなせたと思う。もちろん、身びいきもあるが素晴らしかった。ラフマニノフは手が大きかったので、ピアニストにとって至難の業といわれているそうだ。さすが梨菜ちゃんである。なお、3月28日には、特に選ばれてサントリーホールでNHK交響楽団とリストのピアノコンチェルトを行うようである。
 さて、最後の曲がチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」であった。今年1月に市民会館大ホールにおいて、N響が演奏してくれた曲である。栃木県交響楽団とシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団との比較をするわけにはいかない。ただ、この曲の第三楽章は、早い曲でコーダ(楽章の終り)が極めて歯切れがよく終る。原則楽章の間は拍手を控えるのが礼儀であるが、拍手をした方も随分いた。
 私も栃響の会長を務めさせていただいているが、栃響の成長を誇りに思っている。これからも素晴らしい演奏を続けてもらいたい。

鎧年越

2007年02月05日 | Weblog
 今年の節分、鎧年越はとても暖かかった。暖冬異変である。わが国のように四季がはっきりとしている処では、冬は寒く、夏は暑いのがよい筈である。異常気象はよくないと思うが、行列に参加するのには暖かいのは助かる。
 室町時代の非常に派手な衣装が用意された。きわめて恥かしい。衣装(鎧直垂、よろいひたたれ)の地が金色でキラキラ光っているのだ。誰かがこれは婆娑羅(ばさら)だと、したり顔で言っていた。
 私は途中、通4丁目から隊列に加わった。歩き出したら、注目されて恥かしかったが、がまんして歩いていた。「キレイ」だとか、「沓(くつ)がいい」とか言われ、主将である私よりも衣装が注目されてしまった。また「写真を撮らせてください」と随分言われたのでたくさんの人たちと写真を撮った。
 無事に大日様に到着。足利氏代々の供養と足利の繁栄を願った「願文(がんもん)」を読み上げた後、「福は内」と福豆を撒き、最後に「エイエイオー」と勝鬨(かちどき)をあげ、伝統のお祭りが終った。年中行事であるが、衣装を解き、大日様の庫裏で恒例のけんちん汁をご馳走になった。とてもおいしく、歴史はいいものだとつくづく思った。みんなに笑顔がこぼれていた。
 鎧年越は、鎌倉時代中期(約750年前)4代足利泰氏が坂東武者500騎をばん阿寺に集めたのが始まりといわれ、大正4年市内繊維業者を中心とした有志により復活、現在立春会が主催している。今年は226名の参加があり、川越からも参加いただいた。本市の伝統行事、今後も大いに盛り上げていただきたい。
 節分の豆撒きは、邪気を払い幸いを願う習俗であるが、今年も市民の皆さんの健康と幸せを願って止まない。