いよいよ私の任期もあと2日となってしまった。1979年、県議会議員に初当選、2期目の1983年(昭和58年)には、私の先輩が全て引退され、早くも私が、足利市選出県議の代表格となってしまった。以来、お陰様で県議会の中心を歩くことができた。一重に私がラッキーな星を持っていたからなのだろう。そして今、いよいよ市長の職を辞することになった。
昨日、県知事にあいさつに行った。両副知事も同席された。最後ということで、会話は決して弾みはしなかったが、有意義な懇談が出来た。これで県庁に来る機会もなくなると思うと、来し方、今迄の道程を思い、胸にじーんと来るものがあった。
足利市の新しい扉が開く。今回の市長選挙では、閉塞感からの脱却という言葉が叫ばれた。選挙を総括した地元紙を読み、私は今まで何をしてきたのか、私自身が市の閉塞状態を作ってきたのか、古い扉の中に閉じこもって何もしてこなかったのかと、深く自問させられてしまった。
8戦8勝、これは私の選挙の戦績である。応援した人の選挙とはいえ、最後の1敗が、私の人生をうたかたの如く否定されたような、空しい気持ちにさせるのは、私の思い過ごしだろうか。
昨日、県知事にあいさつに行った。両副知事も同席された。最後ということで、会話は決して弾みはしなかったが、有意義な懇談が出来た。これで県庁に来る機会もなくなると思うと、来し方、今迄の道程を思い、胸にじーんと来るものがあった。
足利市の新しい扉が開く。今回の市長選挙では、閉塞感からの脱却という言葉が叫ばれた。選挙を総括した地元紙を読み、私は今まで何をしてきたのか、私自身が市の閉塞状態を作ってきたのか、古い扉の中に閉じこもって何もしてこなかったのかと、深く自問させられてしまった。
8戦8勝、これは私の選挙の戦績である。応援した人の選挙とはいえ、最後の1敗が、私の人生をうたかたの如く否定されたような、空しい気持ちにさせるのは、私の思い過ごしだろうか。