ちょっとひと言

日頃の自らの経験を通じ感じていることや身近な出来事を綴っていきます。

栃木県議会開場式

2007年04月26日 | Weblog
 昨日、栃木県議会の開場式があった。今までの議会棟と打って変わって素晴らしい建築である。昭和60年から準備に入り、本館、警察庁舎、議会棟のコーディネイトされた施設整備の計画が始まった。私も県議時代、その準備委員会の一員として係わってきたので感慨無量なものがあった。「素晴らしい」の一語につきる。十分な広さを保ち、すべてがゆったりとしている。以前のなんとなく暗く狭い感じは全くない。この議場でいい議論が展開されるに違いない。議員控室も一人ひとりに机が用意され、電話、ロッカーも設備されている。これなら仕事もやり易い。
 議長室にいった。足利の須永由兵衛氏の日本意匠登録第1号(明治22年)の雲井織が壁面を飾っていた。また、ガラス板で挟まれた同じ雲井織が議長応接室にもあったのは嬉しかった。当時の木村議長を中心とした本市県議団の努力の賜である。
 開場記念として、私が会長をしている栃木県交響楽団の演奏があった。栃響の演奏と女性コーラスの歌が議場によく響いていた。『♪栃の葉の風さわやかに・・・♪』と栃木県民の歌(本市出身 川島博氏作曲)を久しぶりに精一杯歌い、さわやかな気分になった。

車と選挙

2007年04月21日 | Weblog
 統一地方選挙もいよいよ終盤を迎えた。宣伝カーの声もボルテージが上がっている。名前の連呼だけでは何にもならないという批判もある。街頭演説をしても人が集まらない。
 私が選挙運動に参加するようになった1965年(昭和40年)は、旧足利銀行本店前で街頭演説をすると人だかりが出来たものである。最近の大通りを通過するのは車のみである。残念だが、人はほとんど歩いていない。ふと芭蕉の「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」という句を思い出す。つまり、車が行き交うだけである。
 選挙期間もだんだん短縮されてきた。かつては全県一区の選挙は30日あった。現在は17日のみである。衆議院議員総選挙は12日、県議会議員選挙は9日、市長・市議会議員選挙は7日、町村議員選挙は僅か5日と短い。車はスピードアップしなければならない。全県一区の選挙も、宣伝カーは一台しか使えない。これで間に合うわけがない。
 公職選挙法は、改正はされているものの、半世紀以上前の1950年(昭和25年)につくられたものである。当時、足利市内でいわゆる自家用車はわずかな台数であった。個人演説会があるとは言っても、そろそろ今の時代に合った選挙法に変える必要があるだろう。
 因みに、昭和25年頃の足利市内の自動車保有台数は、全部で380台(普通乗用車12台、小型乗用車9台、バス21台、普通トラック62台、小型トラック37台、オート三輪130台、軽自動車109台)であった。半世紀を越えた今、平成17年度統計では、約123,000台となっている。
 隔世の感がある。

不当要求・行政対象暴力

2007年04月20日 | Weblog
 長崎市長 伊藤一長氏の事件が頭から離れない。何故あれほど良い人がと思う。動機が徐々に判ってくる。最近、行政を対象とする暴力的行為が極めて多いようだ。
 不当要求や行政対象暴力ということばがある。当市においても、過去において少なからずあった。市の職員も大変である。オレの言うことが聞けないのかと威丈高(いたけだか)になって、威圧する人がいる。職員はこれを黙って聞いていなくてはならない。うっかり、口答えなどしてしまうと、面倒な場面も生まれてくる。だから、グッと堪えなくてはならない。なかなかつらいところである。もちろん、これに対する本市の対応策として「足利市不当要求等対策要領」が策定されているが、職員一人ひとりがよく考え対応しなくてはならないと思う。地方自治体は市民の皆さんの税金を使って、市民サービスという形でそれを還元する機関である。極めて難しいことが介在すると思うが、毅然とした態度で対応しなければならない。ただ、その前にお互い常にソフトに笑顔で対面したいものである。

言葉は難しい

2007年04月19日 | Weblog
 孫と風呂の中で会話した。脚を見せ「お爺ちゃんは左脚が細くて短いんだ。だからびっこをひく」と言ったら、「びっこって何?」と聞かれた。「片方の足が短くて歩くとき体がゆれるんだ。」と説明した。「ふーん」と考えていた。私が、ついでに禁句となった、つんぼ、めくらを質問した。これも判らないという答えが返ってきた。このような言葉は差別用語になるので、今は使われていない。だから子どもが知らない。教育が徹底してきたのかと思った。跛行(はこう)という言葉がある。片足をひきずるようにして歩くことと辞書にあった。跛行が変化してびっこという言葉が出来たに違いない。英語なら盲目を表現するのに日本語のようにいくつもない。blindがそれにあたると思う。これには盲目と(窓の)日よけの意味がある。
 日本語は表現する能力に優れ、言葉が多すぎるのではないか。例えば、「わたし」「あなた」の表現にしても、方言まで入れるといくつあるか判らないほどである。だから特に差別用語なども含め、言葉は難しい。だから政治家は言質(げんち)を取られないように曖昧な表現になるのかと思ったりしている。

親愛なる伊藤長崎市長のご冥福を

2007年04月18日 | Weblog
 断じて許すことが出来ない事件がおきた。長崎市長の伊藤一長氏が凶弾に倒れたのである。私は、3月19日孔子廟の視察で長崎市(前日は多久市)を訪れた。市長室で長崎チャンポンをご馳走になった。全国市長会の会長に立候補することになったので、その話もしたのである。
 その後、4月10日に全国市長会役員会でもお会いした。13日も全国市長会の今後のことについて電話での話しをした。非常に親しくなったのに、今では空しい想い出となってしまった。
 伊藤市長は昭和20年生まれ、私より15歳若く、原爆での被爆地の市長として、核廃絶運動の先頭に立ち、世界の恒久平和を希求し、真の平和主義者としてリーダーであった。昨年8月の長崎平和祈念式典では「人間はいったい何をしているのか。被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。」と平和宣言の冒頭で訴えていたのが思い出される。
 今回の忌まわしい事件、私の憤りはまさに頂点に達していると言っても過言ではない。現在、長崎市は市長選挙の最中である。今後の事を考えると混乱を極めていることだろう。素晴らしい人を失ってしまった。ただただ、哀悼の意を表し冥福を祈るのみである。

東京と地方の格差

2007年04月15日 | Weblog
 今月の全国市長会のとき、東京都の大田区長と東村山市長から「あまり東京をいじめないでください。」と言われた。私の発言が気になったらしい。国は「一極集中はよくない。格差は是正すべきである。」と常に言っている。しかし、東京都と地方との格差は拡がる一方である。全国の企業の本店が東京に集まっている。もちろん、東京都は地方交付税不交付団体である。
 栃木県内の市の中には、年間予算にしめる地方交付税の依存度が30%を越える自治体もある。その市長によると「いくら頑張っても企業はきてくれないので、税収の伸びはない。人件費などを削減し相当努力しているが、残念ながらこんな比率になってしまう」と、私の発言に対し感謝してくれた。
 因みに本市の地方交付税の比率は19年度予算では11.2%である。県内の地方交付税不交付団体は、宇都宮市、小山市、真岡市、上三川町、芳賀町の3市2町となっている。
 恵まれた環境にある足利市であるので、不交付団体になるよう努力せねばならない。

花のつく言葉

2007年04月13日 | Weblog
 朝、例により総合グランドのジョギングコースを歩いた。赤いウレタンの上に桜の花びらが敷きつめられていた。昨夕の雨風で舞ったものだろう。ふと花のつく言葉を思い浮かべてみた。花ぐもり、花冷え、花かざり、花ごよみ、花吹雪、花嫁、花婿、枚挙に遑(いとま)がない。日本人は、「花」特に桜が好きだ。だから言葉も多い。そういえば、花言葉というものもある。薔薇(ばら)は純愛、月桂樹は光栄の意味である(広辞苑より)。
 ところが、百人一首となると春の歌が大変少ない。前にも書いたが、私の分類によると、100首中、6首であった。やはり歌に読むと秋が好まれる。(恋の歌数には到底及ばないが)
 桜の散ってしまったこれからは、よもぎ色に萌える山の季節である。足利の山々をハイキングする季節。大いに歩いて体力をつけて、心身共に健康な毎日をおくって頂きたいものである。

新たな活躍に期待

2007年04月11日 | Weblog
 昨日、全国市長会関東支部役員会が東京であった。さすが選挙で選ばれた市長の集まりで、統一地方選の前半戦であるそれぞれの県議選の話で持ちきりであった。
 本市は今回の県議選から定数が5人から4人に減り、市民の審判の結果が出た。市の事業は県との係わり合いが強いから、今回当選した4人の先生方と協力し合いながら、その遂行に向けて努力せねばならないと思っている。
 県庁舎の建て替えもほぼ終わったようである。4月25日には、新しい議場の開場式も開催される。併せて栃木県交響楽団の記念演奏会も行われる予定である。栃響は私が会長をしているので、ぜひ開場式に行ってみたいと思っている。間もなく古い議会棟は取り壊されるようである。思えば、県議時代に22年間通った処、想い出も多く、一抹の淋しさは隠し切れない。
 新しく選ばれた県議のみなさんは、新たな思いで新たな議場で新たな活躍が始まるのである。みんな県民のため、大いなる努力を願いたい。先輩として心からお願いしたい。

足利新発見

2007年04月07日 | Weblog
 春らんまん。桜花らんまんと言っていいだろう。昔「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」という和歌を教わったことがある。京の風情を歌ったものである。今の時期、こんなところに桜があったのかと驚くこともある。ペタンコで有名な低い方(通称おんな浅間(せんげん))にも見事な桜があった。咲いていないときは全く気がつかないのである。思わず階段を登っていった。訳無く行ける。見事な桜が数本あった。足利市内にも思わぬところにこの様に春を歌っている場所がある。
 最近少し有名になった旧袋川の両岸に列をなして咲き誇っている『しだれ桜の並木』である(総合運動公園の北東)。550メートルのところに71本の『しだれ桜』があった。ソメイヨシノと時期がずれてやや遅く、日持ちもいいので楽しい花見ができる。ただ、屋台とかなにも出ない。静かに春を楽しむのである。まことに風情があって素晴らしい。訪れることをお奨めしたい。足利新発見である。

入学式

2007年04月06日 | Weblog
 栃木県立足利高等学校の入学式があった。同窓会長の立場で出席した。目が輝いている若人。まことに頼もしい。校門の桜は、今も昔も変わりない。満開であった。私が入学して間もなく生物の時間があった。生徒が「桜の花を採って来い」といわれ、みな校門のあたりに走りほんの僅か一枝を教室に持ち帰った。花びらが5枚、花弁が5個、それを支えるのを萼(がく)という。初めて、萼という難しくて妙な字に出会った。強い印象として記憶している。ところが、その生物の先生が次の時間から来ない。
 病気になったそうだ。肺病(今の結核)であるとのこと。その後亡くなったとの知らせ。当時(戦時中)は適当なもので、それ以来生物の授業は無くなってしまった。だから、私は生物とくに植物学は今でも苦手な分野に入る。人間の知識というものは、15才から18才位までに入ったものが基盤になると思っている。その間真剣に知識を吸収したか否かが分れ目になるようだ。私は、植物については今もって深く反省している。
 入学生の諸君には、大いに勉強し悔いのない青春をおくってほしい。