ちょっとひと言

日頃の自らの経験を通じ感じていることや身近な出来事を綴っていきます。

姥川排水機場の完成

2006年06月29日 | Weblog
 足利市は渡良瀬川により街が分断されており、河南地区には山がないので、河川が少ない。河南の東部地域は、矢場(やば)川(がわ)と姥(うば)川(がわ)の主要な2河川しかなく、両河川は傾斜が僅かなので合流がうまくいかず大雨の折,溢水する。
 先日、そのため、国土交通省渡良瀬河川事務所で設置した姥川の排水機場の完成式があった。溢水のとき姥川から矢場川に毎秒5トンの水を排水する機械が設置された。風呂の水がせいぜい150リットルだから、毎秒5000リットル(5トン)というとものすごい水量である。
 これができたことで、台風のたびごとに田んぼに溢水することがなくなると思う。今年も台風シーズンを迎える。
 永年の懸案だったので一安心というところである。

渡良瀬川の中洲

2006年06月20日 | Weblog
 中橋の僅か上流で川が二つに分かれる。そこを歩いていると
     「瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 
          われても末に あはむとぞ思ふ」 
という百人一首の一つを想い出す。
 この瀬で川が二つに分かれるが、また下流(将来)に行けば一緒になるのだというわけである。恋路をたとえたもので、昔の人は風流である。
 さて、現実の話だが流れが二つに分かれるとそこに中洲が出来る。その中洲が結構大きい。最近は裸足で水の中を歩く体験を子ども達がしていない。川の瀬のところは浅いものである。徒歩で渡れるところである。中洲の反対側は、原則ゆるやかな流れであり少し深くなる。だからそこで水泳が出来ると思う。もちろん、今は水泳をすることは学校で禁止されている。先日、渡良瀬川河川事務所長に話をしたら、「子ども達が水の中を裸足で歩いたりすることは、いいことだ」と言っていた。
 じゃぶじゃぶ池やウォーターパークなど水に親しむ施設は整備をしたが、自然のままで、安全にあそべる方法はないものかと感じている。

全国市長会に出席して

2006年06月19日 | Weblog
 全国市長会の総会に出席した。今回、私が全国市長会の副会長になった。全国を9つのブロックに分けて、それぞれの代表が副会長になる。全国に東京の23区を入れて802市区ある。関東地区(山梨県を含む)は、215市区ある。ちなみに関東地区人口が、4,000万人を越す。全国の約3分の1が住んでいることになる。これだけ、東京周辺に人口が偏在していることだ。
 さて、地方交付税の減額が国で論議され、地方は猛烈に反発している。今、全国の市町村は、それぞれまちづくりに必死になっている。新らしいものでそのまちの特色を出そうとしてもなかなかうまくいかないだろう。それぞれのまちの立地条件にも大きく左右される。新幹線や高速道路がアクセスできるまちとそうでないまちとでは、まちづくりや税収に大変なちがいがある。こうした不均衡を是正するために、地方交付税があり、国民はできるだけ平等な行政サービスを受けられるような制度になっている。こうしたシステムが崩れれば住民の生活が危うい。
 総会の席上、柳井市の市長と親しくなった。あらためて地図で調べたら、山口県の南東部瀬戸内海に面する人口35,000人の小さな市である。「東京まで出てくるのがたいへんだ」と言っていた。しかし、「住み良さランキング」というデータが毎年発表されているが、柳井市は足利市より住み良さは上位に位置している。努力しているのだろう。住み良さは、まちの安心度、快適度や利便性などを表すバロメーターである。
 今後もさらに「住んでよかった、住んでみたいと思える足利市」になるよう努力していかなければならないと感じたのである。

消防団活動

2006年06月06日 | Weblog
 消防団には互助会なるものがある。消防活動はいつも危険と隣り合わせ、そのためには、お互いに助け合うことが必要になる。特に、家族の協力を欠かすわけにはいかないので、家族への労(ねぎら)いの意味もこめて、1年おきに歌謡ショーなども企画している。
 消防が火消しとして、わが国に定着したのは江戸時代である。「火事とけんかは江戸の華」といわれるように、江戸のまちには火事が多かった。町民のための本格的消防組織は1718年第8代将軍徳川吉宗が、頻発する火事に業を煮やし、有名な大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)に命じ、町火消しの組織を江戸中に編成させたのである。これにより、「いろは」組などたくさんの組が誕生した。経費は町費でまかなっていることは今も変わらない。
 このように、火事は地域の人たちのボランティアにより消火活動があったのである。長い伝統と歴史を誇る日本の消防、地域に密着した末端的組織である足利市の消防団、みんなで大切にしたいものである。
 

交通安全こども自転車足利大会に思う

2006年06月01日 | Weblog
 交通安全こども自転車足利大会があった。かなり以前から、市民体育館でやっていた。体育館にコースをつくって走るのだから今風である。市内の自転車による事故は、昨年約200件あった。怪我ですんだのは幸いであったが注意しなければならない。
 自転車が、わが国で製造販売されたのは125年前の1881年、明治14年だそうである。以来急速に全国に広がり、足利市は機業地だったので、女子が積極的に使用し、静岡市とわが足利市が全国で自転車の普及率が最も高いといわれた。特に、着物のままで乗ることのできるようサドル前のフレーム(骨組み)がカーブしているのは、足利市のために開発されたという説もある。
 渡良瀬川に藤岡町から桐生市まで大規模自転車道(サイクリングロード)があるのをご存知だろうか?あまり利用されていないようだが・・・。
 皆さん、安心で安全なサイクリングを大いに楽しんでもらいたい。