ちょっとひと言

日頃の自らの経験を通じ感じていることや身近な出来事を綴っていきます。

N響メンバーと須藤梨菜による室内楽演奏会

2009年01月27日 | Weblog
 N響メンバーによる木管五重奏の演奏会が市民会館の小ホールであった。ピアノに宇都宮出身の須藤梨菜さんが加わった。梨菜さんは須藤副知事の次女である。確か当時はまだ、小学4年生だったが、私が県議の頃から注目してきたピアニストである。当日はソロで、リストを弾いた。凄い難曲であるが、なんなく弾きこなしていた。休憩のあと、磯部周平作“きらきら星変装曲”が面白かった。磯部氏はN響のクラリネットの首席奏者でもある。
 モーツァルトに“きらきら星の主題による12の変奏曲”というのがある。今回のは「変装曲」と変な字が使われているが、ベートーベンやモーツァルト、ブラームスの特徴のあるメロディーが次から次へと出てくるから面白い。ピアノの部分はかなり難しそうだった。梨菜さんは見事に弾きこなして満足そうにあいさつをしていた。後の話だが、終わった途端に胃が痛くなり、激痛のため終演後のパーティーに出られなくなってしまった。他の木管の人達は、明日の定期公演の本番に備えて足利泊まりである。パーティーでは皆嬉しそうに杯を傾けていた。私も音楽談義が殊の外好きな方なので、談論風発とどまることを知らず珍しく深夜に及ぶまで付き合ってしまった。

N響メンバーによる出前コンサート

2009年01月26日 | Weblog
 NHK交響楽団のメンバーによる、木管五重奏が出前コンサートを開いてくれた。市内の毛野南小学校と久野小学校だった。私は久野小学校に行った。さほど大きくない音楽室に全校生徒が集まって、小さな手で一所懸命に拍手をしていた。たまらなく可愛かった。木管とは、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットをいい、金管楽器ではあるがこれにホルンを加えて五重奏となる。ホルンの音は低音である。そして大きな音も出る。管楽器のハーモニーには欠かせないものである。
 それにしても、子供たちが各楽器の名称をみんな知っていたのには驚いた。私など、ファゴットなどは大人になってから知った楽器名であった。音楽教育の進み具合に吃驚(びっくり)したのである。今朝のドラマで双子の姉妹がデュエットをしていた。素晴らしいハーモニーである。双子だから顔は似ている。体の中身である声帯も似ているに違いない。だから音声も似てくる。
木管もオーボエとファゴットは双子みたいなものである。ダブルリードといって2枚の蘆(あし)の苗が重ね合わさっている。高いほうがオーボエ、低音部がファゴットで二つの音が交わって実に気持ちの良い響きとなる。子供達もうっとりとして聴いていた。メンバーは日本でも一流の演奏家である。この響き、ハーモニーは終生子供達の心に残っていくに違いないと思った。このようなことが出来る足利市は十分自慢しても良いと思う。

平成生まれの成人式

2009年01月14日 | Weblog
 今年の成人式は、まことに穏やかでよかった。私は、織姫公民館に出席した。一中、二中、白鷗大付属中の卒業生である。静かな雰囲気の中でいとも厳粛な式典が出来た。司会者は成人者から選ばれたが、清々しい青年の声であり、地元の中学生が手伝っていたのも微笑ましかった。私の話もみんな真剣に聞いてくれた。勿論、権利と義務に触れた。今年からいよいよ平成生まれが成人者になる。明治は遠くなりにけりといった時代もあったが、明治の最終年である、明治45年(1912年)生まれが97歳、大正の終わり生まれは83歳である。そろそろ西暦で統一しないと判らなくなってしまうと思う。
 さすが20歳の青年は若い。特に女性が張り切っている。最近は、同級生の男性を親しく呼びすてにする女性も多いと聞く。まさに女性上位の社会になってきたようだ。開催された市内9会場は、いずれも同窓会の様相で、招待されていた各出身中学校の担任の先生方も、みな目を細めて喜んでいたらしい。


孔子の教え(論語)

2009年01月13日 | Weblog
一昨年、佐賀県多久市の孔子廟に行った。女子小学生が5人並んで「朋(とも)有り遠方より来る、亦(また)楽しからずや」と迎えてくれた。論語文で歓迎してくれたのである。私はとても嬉しかった。多久市の横尾市長とは、全国市長会で親しくなり、「ぜひ」との話があって視察に訪れたのであるが、翌日は長崎まで足を延ばし、長崎市の孔子廟を参観した。ここの孔子廟は、多久市のとは異なって、きらびやかな趣であった。廟の裏手には、故宮博物館の分館もあり、さすが長崎と言う雰囲気を漂わせていた。その折、伊藤一長市長と長崎市役所で懇談をし、昼食に長崎チャンポンを御馳走になった。その後、間もなく長崎市長選挙、凶弾に斃れ、終の別れになってしまったのである。私の父が、長崎県諫早市の出身なので、大変な親しみを覚えた矢先だったので、犯人に対して尋常でない憎しみを覚えたものである。この様なことは二度とあってはならない。今も、伊藤市長の顔が浮かんでくる。
 さて、「朋有り」の次の行であるが、「人知らずして慍(いきどお)らず、亦た君子ならずや」とある。これは、いくら勉強して知識を得ても、この自分を認めてくれない人が世間にはいるもの。そうした人がいたとしても怨まない。それでこそ君子であるのだ、という意味である。己(おのれ)は頭が良い、徳があると思っても吹聴するものではないということだろう。己の知識とか徳は、自然に他人が認めてくれるものである。しかし、世間には自分のことを言いふらす人もまだまだいるようだ。せいぜい論語を読んでもらいたい。論語読みの論語知らずという言葉もある。これも困ったものである。足利市には身近に素晴らしい教材がある。改めて論語を広め、お互いに勉強しようではないか。

新春賀詞交歓会

2009年01月08日 | Weblog
 今年の新春賀詞交歓会は盛大だった。330名と例年より参加者も多かった。皆さん元気に顔を揃えられていた。私は、足利市の企業家は不況に強いものをもっているとかねがね思っている。日頃から多角的に経営しているし、ものづくりの面でも小廻りが利くような態勢を常に整えている。昔から繊維産業という難しい分野で活躍してきた人が多い。だからどんな逆境にあってもそれを跳ね返す力を持っているのだと思う。
 今回の不況は、平成2年頃から始まった平成不況の時と比べても、比較にならないほどスピードが速い。あっという間に世界中を巻き込んでしまう勢いである。席上、アメリカの車の三大メーカーが危機に陥っている話、世界の最大手にまで登りつめ、2兆円もの利益をあげていた日本の自動車メーカーが、僅か一年で1,500億円もの赤字に転じるという信じられない現象を呈している話も述べたが、出口のないトンネルはない、必ずや明るい光も見えてくる筈であると力強く申し上げた。景気快復の1日も早いことを祈るや切である。


仕事始め

2009年01月06日 | Weblog
 平成21年の「仕事始め式」、例により市役所の中庭に職員に集合してもらった。全員元気で溌剌としていたのが大変嬉しかった。私もここであいさつをするのは最後の機会になる。思いを込めて最近の職員の努力に感謝をした。市はサービス業ともいえる。休みもなく働いてくれている職員に対し、市民の方から最近の職員は良く仕事をしているという言葉を聞くととても嬉しいと申し上げた。議長及び二人の副市長からも挨拶をいただいた。それぞれが素晴らしいスピーチをしてくれた。みんなの気持ちが一緒になり強い絆に結ばれたような雰囲気になった。
式が始まる前に、市民愛唱歌「われらのまちに」が流れていた。私はこのメロディーが大好きである。ケータイの着メロはこれになっている。私の知人が着メロ用に特別に作ってくれたものだが、携帯同士で簡単にコピーができるので、秘書課にくれば応じることができる。
さて、また新しい1年の仕事が始まる。今年も元気に頑張ろう。そして、Service Harmony Health をターゲットにお互い努力しようではないか。


初日の出

2009年01月05日 | Weblog
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 今年の初日の出は本当に素晴らしかった。織姫山から東の空に顔を出した太陽、まさに橙色(だいだいいろ)の中に浮かんだ半円のお日様、思わず万歳三唱となった。300人位の人達が手を取り合って、今年は良い年であることを誓い合っていた。私は、あいさつの中で、日本一の足利三名所プラスワン(+1)として織姫山を入れることをお願いした。
元日は、大日様の参詣者も多かった。太鼓橋から大門通りまで人の列が出来ていた。私は何時も言っているが、私たちの鎮守様は、ばん阿寺である。私達は今、不況、世界恐慌の真只中にいる。困ったときの神頼みというが、そんな心境もあるのかも知れない。欧米の不況に比べれば日本はまだいいと言う人もいるが、必ず明るい出口が待っている。今少しの辛抱である。意外に明るい光明はすぐ近くにあるのかも知れない。
 文化協会会長から「祥雲生五彩」という色紙を頂戴した。めでたい雲は陽光を受けて五色に輝くという意味であろう。今年、みなさんにとって輝ける年であることを願いたい。