ちょっとひと言

日頃の自らの経験を通じ感じていることや身近な出来事を綴っていきます。

とちぎの豊かな教育研究発表大会

2008年12月27日 | Weblog
 26日、仕事納めの当日に宇都宮教育会館で「とちぎの豊かな教育研究発表大会」があった。財団法人栃木県市町村振興協会理事長という立場で表彰式に立ち会った。国が本年7月に、教育振興基本計画を閣議決定し、将来の教育の姿として「すべての子供に、自立して社会で生きていく基礎を育てる」、また「社会を支え発展させるとともに、国際社会をリードする人材を育てる」を掲げた。今、日本の子供たちは、昔のように世界をリードするといった学力に残念ながらない。むしろ先進国の中ではかなり学力が低下しているといってよい。
今日、学校教育における様々な課題が指摘される中、教員が魅力ある学校づくりを目指して懸命な努力をしているが、その自発的な取り組みを発表するのが、この教育研究発表大会である。23発表事例のなかで特に優秀と認められた5点を表彰させていただいた。
表彰式の後の記念講演は、数学でお馴染みの秋山仁先生であった。僅かな時間であったが挨拶ができた。若い頃、私も数学が得意の時期もあったので、楽しい会話が弾んだ。

緊急経済対策

2008年12月26日 | Weblog
 連日、職を失う話題が続く。特に東海地方の自動車メーカーの派遣労働者の離職勧告はすさまじい。ブラジル人なども対象になるので国際問題にもなってくる。祖国に帰っても仕事の当てがあるわけではないと悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。何故、2兆円の利益を出していた企業が、1年も経たないうちに赤字に転落してしまうのだろうか、私にも判らない。ただ唖然とするだけである。
 25日早朝、臨時庁議を開いた。緊急経済対策本部の設置についてである。雇用関連、住宅関連、融資関連の3つの対策を講じるものである。まさにこの年末にきて、市民が路頭に迷うようなことは避けなければならない。
今、永田町では、経済対策か解散かで物議を醸しているが、解散することにより、国民生活が豊かになり、経済状況が改善されるとは思えない。所詮、震源地はアメリカである。喫緊の経済問題を優先させることは決して誤った選択ではないと思う。

永遠なる美しいメロディー

2008年12月26日 | Weblog
 相当古い話だが、まだラジオとテレビが半々くらいの生活をしていた頃、10時になると「三越開店の時間です」といって流れる曲があった。実に美しいメロディーである。何だろう、何ていう曲だろうと、音楽連盟会長の小崎憲一さんと話し合ったことがある。何日かして小崎さんが「判ったよ。あの曲は、モーツアルトのピアノコンチェルト21番の第二楽章の頭の部分だよ」と言われたのを覚えている。その後、このメロディーが「短くも美しく燃え」というタイトルで歌となって流されていた。それにしても200年以上前の曲が、今だに新鮮に心地よく耳に響くとうのはすごいことである。一昨年は、モーツアルトの生誕250年だった。これからも300年、400年と受け継がれていくことであろう。
あと一週間で今年も終わる。第九も無事に終わった。年末は清々しいモーツアルトのメロディーに浸って、輝ける新年を迎えたいものである。

第九演奏会

2008年12月25日 | Weblog
“フロイデ シェーネル ゲッターフンケン”ドイツ語で「歓喜よ、美しい神々の花火よ」ということになる。ベートーヴェン歓喜の歌の冒頭である。21日、群馬交響楽団との第九の演奏会があった。私は、毎年聞いているが、今年の合唱は大分うまくなった。特に女性のソプラノが良かった。演奏会終了後、打ち上げの反省会があった。あいさつの中で、年末になると全国で200回くらい第九の演奏会があるようだ。マエストロ(指揮者)の梅田先生に聞きたい。本日の演奏会はかなりの上位クラスに思うがどうか、と言った。大きな拍手が沸いた。第九の合唱は歌う方に喜びを与えるようだ。私も、第1回、3回と合唱団の一人であった。コーダ(楽章の終わり)でゲッターフンケンと歌い終えたとき、不覚にも涙が溢れたのを覚えている。第九は、聴く人より歌う人のほうが楽しいのかも知れない。ともあれ、今年の第九演奏会も無事に終わり、新しい年を間もなく迎えることになる。来る年が希望に満ちた年になるように願っている。

日赤の職員慰労パーティー

2008年12月22日 | Weblog
 足利赤十字病院の職員歳末慰労パーティーがあった。病院には754名の職員がいる。そのほかアルバイトなど非正規職員を入れると800名を超えるようだ。70%以上が女性と聞く。市内の事業所の中では最も女性の多い職場である。満場を埋めつくす人の殆どが女性に見える。院長が移転を視野に入れて檄を飛ばしていた。経営面から見ると、全国的にかなり高い水準の病院である。勿論県内では最右翼である。だからスムーズに移転ができると思う。私は周産期医療のことに触れた。産前産後の医療が足利日赤はかなり確立されている。両毛地区随一であろう。県境を越えての入院患者も多い。患者には県境はない。太田市の人の話で、産科は足利に行きなさい、何とかしてくれる。これにも聊か困るが、頼られることも大切なことである。いずれにしても北関東一の充実された病院ができることは間違いない。締め括りは、みんなで一生懸命働いて、新病院開設に向けて努力をしようとした。

夫婦

2008年12月16日 | Weblog
「かんちゃん」こと、半田勘次朗氏の叙勲を祝う会があった。最初は市場関係者の人達が集まり、2度目は消防関係者であった。人脈の広い方なので、2度に分けたようだ。私は2回出席した。何れも満員の盛況だった。
半田さんの奥さんは、平成13年1月、早川前市長が亡くなる直前に逝去されている。だから、祝賀会の冒頭での入場の折、一人で入ってこられた。やはり昨今は、何かにつけて夫婦は一体であるので寂しい感じを受けた。奥様は、サクちゃんと愛称があり、近所でも評判の働き者だった。ご子息が高校野球健児だったので、野球の面倒も随分見ていたらしい。あいさつの中でその話をしたら、親友の奥さんが涙を浮かべて私のところに来てくれた。
夫婦はお互いに人生の伴侶(はんりょ)という。良くも悪しきも、一生仲間として連れ添うことであろう。現在は、バツイチなどといって離婚することを余り気にしていない人も多いようだ。市勢要覧に載せる予定だが、平成19年度、足利市では年間で809組(1日2.21組)が結婚、それに対して離婚は374組(同1.02組)という数字が出てくる。それぞれに事情があるにしても、人生の伴侶とこれ程簡単に別れていいものだろうか。意外に少子化の原因もこのあたりに潜んでいるのかも知れない。


秋の叙勲・褒章受章祝賀式

2008年12月15日 | Weblog
 12月13日、秋の叙勲・褒章受章祝賀式があった。これまで叙勲祝賀会として開催していたが、今年の春から、褒章受章者の方も一緒に祝うことになったのである。今回は、叙勲者7名、褒章者2名、あわせて9名の方が対象になった。それぞれの道で努力され、社会に貢献なされた皆さんである。すべての方が素晴らしい雰囲気をもっておられる。内助の功で支えてこられたご婦人も美しかった。
 褒章には6種類ある。紅・緑・黄・紫・藍・紺綬である。それぞれの色によって功績の内容が異なる。今回の受章者は、ともに藍綬褒章で「公衆の利益を興した者又は公同の事務に尽力した者」となっている。平成17年までは、議員も対象となっていたが、65歳までに20年以上在職との制限があった。残念ながら、私はスタートが48歳なので対象にはならなかった。交通違反でも罰金刑が来ると対象者から外されるらしい。厳しいものだが、それなりに大きな価値がある。
毎年このように立派な方が市内から選出されるのは素晴らしいことである。今後とも市民のリーダーとしてご活躍いただきたいものである。


議会での質問戦

2008年12月11日 | Weblog
 3日間の質問戦が無事終了した。馴れているとはいえ、流石この時間は緊張する。何時私のほうに答弁要求の矢が飛んでくるか判らない。話はきちんと聞いておかなければならない。議員の方も真剣、私も多分に経験があるが、一本取ってやれという気持ちは常に持っている。県会と異なり、市議会は意外に穏和しい。野次も殆ど飛ばない。少し寂しい気さえすることもある。一問一答の進行、場合によると丁々発止のこともある。この緊張感が私もたまらなく好きである。丁寧に答弁することもあれば、稀に木で鼻をくくったような素気無い答弁のこともある。こんなやり取りが楽しくもある。しかし、最近の議員はよく勉強していると思う。調査費を活用して視察などにも行かれるようだ。しかし、先進地の例を出して質問されても、追従するわけにいかないことが多いので困る。いずれにしても、このやりとりの中から新しい事業が誕生することに間違いない。年4回の議会、その都度大切な場として捉えていかなければならない。

麻生総理大臣

2008年12月08日 | Weblog
 道路財源の確保・充実を求める緊急要望ということで、国に陳情した。各政党及び自民党幹事長など要人に対してである。私は、道路整備促進期成同盟会栃木県協議会会長という立場で趣いたのである。県の方からの手配で、たまたま麻生総理に会うことが出来た。麻生氏は、ときどき足利にお見えになった。小俣町の清水国善氏に紹介されたこともある。知遇を得ていたので、やあという感じで握手をされ、道路の問題も口答でお伝えすることが出来た。総理は大変な上機嫌で、一行と写真を撮りサービスに努めておられた。今とかく批判の対象にはなっているが、この世界的な恐慌とも言える時世の中では、誰がリーダーになっても必ず批判の対象になるであろう。揚げ足を取ることは簡単、しかし、リーダーでいることは難しい。今のこの世界不況が少しでも早く収まることを願うや切である。


それぞれの信仰心

2008年12月05日 | Weblog
 毎年今の時期、大日様(ばん阿寺)の銀杏を見に行くことにしている。見事に金色に染まっていた。幼い時から大日様を遊び場にしていた私にとって、この大銀杏はまさに心のふるさとである。青空の中に金色に輝く姿は本当に美しい。
この大量の葉が落ちると間もなく冬である。直ぐにお正月を迎える。市民にとって大日様は鎮守様といってよい。本堂の前で拍手を打つ人はあとを絶たない。市民にとっては神仏混交である。私はこれでいいと思っている。信仰心というのは誰でも持っている。心の拠(よりどころ)を求めて手を合わすのである。そこには形式は無用かと思う。謙虚に祈ることにより、気持ちが満たされれば良いのである。
 昭和50年頃、私の家の前に、二丁目の八雲神社が引っ越してきてくれた。道一杯を使って、大門通りから静かに丸太のトロを使って遷宮したのである。突如、私の家が神社の前になった。その時、ふと私は己に運が向いてきたと思ったものである。ありがたいことであると、時々合掌する。人にとって信仰は大切なことであろうかと思う。信仰の自由が保証されている我が国は素晴らしい。