めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

シルヴプレ 2

2017-09-17 11:10:59 | 日記



 昨夜、殆ど寝ていないので、朝食を済ませてからいつの間にか椅子にもたれて居眠りを・・・

 旅行記、シルヴプレの続きをUPさせて頂きます。
 
 長くて読み辛いと存じますがお許し下さい


           シルヴプレ 2

 ローデンブルクからロマンチック街道をバスで走ってミュンヘンへ。

 一番、思い出に残っているのはミュンヘンのビアー酒場、ビールもソーセージも美味しかったなあ~

 この旅行中、私が一番、リラックス出来た場所だった。

 ミュンヘン、ルツェルン、ジュネーブを楽しんで、ジュネーブから新幹線T.G.Vで夫お待ちかねのパリへ。

 夫はパリに行ったら、必ずメトロに乗るのだと張り切っていた。だが、私は不安だった。

 2年前、私の友人がパリのメトロの中で引ったくりに遭った。それにもう一人の友人のご主人がエッフェル塔で財布を掏られた。

 現にパリ2日日の朝、私がホテルを出て待機しているバスに乗ろうと歩いていると、バイクを引いて歩いているとフランスの若者と何気なく顔が合った。私がバスに乗った直後、何やら外が騒がしくなった。バスに乗り込んで来たツアー仲間に尋ねると、別のバスに乗ろうとした中国の女性が引ったくりに遭ったとのこと。

 犯人はバイクを引いていた若者だった。バッグを引ったくり、バイクで逃走したそうだ。私はいつもバッグをしつかりと抱えていたが、ひょっとしたら私が被害に遭ったかも知れないのだ。

 O氏の注意が改めて身にしみた。

 私と夫は、オペラハウス近くのギャラリー・ラファイエットに娘に頼まれた品を買いに行った。

 午前中はルーブル美術館見学だったので、終わってからツアーのバスが近くで降ろしてくれた。

 娘は何度かパリに来ていて、そのデパートの場所と売り場を地図に書いてくれたのだが、何しろ店内は広くて方向すら見当がつかない。フランス語は学生時代に授業で習ったが挨拶程度の単語しか記憶にない。

 店員のパリジェンヌに英語で尋ねたら即座に「ノン」と横を向かれた。フランス人はプライドが高くてフランス語オンリーだと聞いていたがそのとおりだ。しかし、やっとの思いで目的の品を買い求めることが出来た。

 その時使ったフランス語は「シルヴプレ」と「メルシー」のみ。それで用が足りた。

 さて、ホテルに帰るメトロに乗るのが問題だ。ホテルはパリの中心地から少し離れた場所にあった。

 まず、切符は「ドゥー、シルヴプレ」で買うことが出来た。パリのメトロの運賃はどこまで乗っても同じだから悩まなくてもすんだ。改札口を通ったものの、さて、何行きの電車に乗って たらよいのか、どのホームだか分からない。学生風の若者に夫が英語で尋ねてやっと分かった。夫は英語に自信があるらしい。

 日本のように車内放送はない。あったとしてもフランス語では聴き取れない。地図で何番目の駅で降りるのか調べてあったので、電車が止まる度にそれとなく指を折る。

 車内に日本人は我々だけ。ラッシュ時で混んでいたが出口近くの座席に座れた。周りの乗客の視線を感じた。抱えているギャラリー・ラファイエットの大きな紙袋がやたら目立つ。

 目的地に着き電車を降りたものの、出口への通路がいくつもあり、ホテルへの出口が分からない。
もたもたしていると黒人の男性が何か言いながら近づいて来た。咄嗟に真っ直ぐな通路に飛び出ると急ぎ足で歩いた。親切心で近づいたのかも知れないのにと後味が悪かった。階段を上がると丁度ホテルの前だった。

 部屋に戻るとどっと疲れが出て、私たちはしばらくベットに横になっていた。

 前日の夜はセーヌ川のディナークルーズで豪華なお料理を頂いたので、今夜はホテル近くのお店にしょうと話し合った。
 
 他のツアー仲間は、フレンチカンカンを観劇して一流ホテルの本格フランス料理を食べに行くはずだ。

 私はホテルの前の可愛いカフェテラスに行きたかった。だが。夫はフランス料理は嫌だ、その横にある中華料理店に行くと言い張る。何もパリに来てまで中華なんてと私は反対した。

 だが、それからしばらくして私たちは広東語とフランス語の飛び交う中華料理店のテーブルに着いていた。日本でも食べられる餃子、焼きそば、チャーハンを前にして。

 またもや、夫のゴリ押しに負けてしまった。

 ビールを飲んでお腹いっぱい食べて六千円程度だった。物は考えよう、一流ホテルのフランス料理のフルコースは一人二万円と言っていた。気楽に食べて安上がりの中華料理にして良かったと思うことにした。

 パリ最終日。夕方の飛行機で帰国することになっていた。

 午前中、私たちはモンマルトルのサクレクール寺院にメトロで行く予定だった。しかし、夫は昨日の体験で懲りたのか満足したのか、タクシーで往復することにした。

 「シルヴプレ、モンマルトル、サクレクール」

 これだけでタクシーの運転手に通じて無事にモンマルトルに辿り着いた。サクレクール寺院を見学後、近くの通りに並んでいるお店を見て歩いた。

 警官がやたらに巡回していたので、安心出来る場所ではないと思われた。案の定、帰国してから、単独でモンマルトルに行き街を歩いたと娘に言ったら、あそこは危ないのよと呆れ顔で言われてしまった。

 帰りは大通りで手を挙げるとタクシーが止まってくれた。

 運転手にホテルのカードを見せて「シルヴプレ」

 運転手は慣れたものだ。一読して、

 「ウィ」

 タクシーはセーヌ川沿いに走った。

 昨日行ったノートルダム寺院が見えた。景色が見えるからメトロより安心だ。

 無事にホテルに着いた。

「メルシー」

 チップをはずんてタクシーを降りる私たちにタクシーの運転手が言った。

「メルシー」



             ロマンチック街道



                レマン湖


                ルツェルン?


                リヨン駅?
                              


              ベルサイユ宮殿前広場



              ベルサイユ宮殿の庭園











               ルーブル美術館



               ミロのビーナス






           凱旋門、オペラハウス、コンコルド広場


             サクレクール寺院






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シルヴプレ 1

2017-09-17 03:17:10 | 日記


 今夜は何故か眠れない。

 久し振りにコーヒーを二杯、飲んだせいでしょうか?

 床に入ったものの、目が冴えて、時刻は3時過ぎ、今から睡眠導入剤を飲んだら起きるのは10時頃。

 エイッ、起きちゃえ! とブログ書いてます。

 古いお話で恐縮ですが、1997年7月に親方とヨーロッパを旅した時の様子を綴ります。

 私たちがパリに行った直後、イギリスのダイアナ妃がパリ市内のトンネルで事故に遭いお亡くなりになった年の夏のことです。

 私たちもバスで通ったトンネルで、ダイアナ妃は一ヶ月半後に…


 このエッセイは以前に発表した物です。

 長いので2部に分けてUPさせて頂きます。


   
     シルヴプレ

 1997年7月、夫の定年退職記念にドイツ、スイス、フランスを旅した。

 それぞれ海外旅行の経験はあるが夫婦2人で行くのは初めてであった。

 友人や娘との海外の旅は気楽だったが、夫との八日間の旅は出発前から先が思いやられた。

 ドイツのハイデルベルク、スイスの山、オーストリアのウィーンは娘時代から私の憧れの地であった。

 しかし、夫はオーストリアよりもフランスに行きたがった。言い出したら後には引かない人だ。

 私はいつものように根負けして、百歩も千歩も夫に譲ったのであった。

 好奇心旺盛な夫は旅に出ると周囲にお構いなく行動する。普段は仕切り屋で人の世話ばかり焼く

人が旅では勝手気儘に振る舞う。マイペースでまるで幼稚園児の遠足だ。私は付き添いの親かとぼや

きたくなる。子供たちが小さい頃の家族旅行では気配りの父親だったのが、子供が巣立っていつの間

にか自分のペースで行動するようになった。

 国内旅行でさえ、私は夫に振りまわされてのんびりと旅を楽しむどころではないのだ。バスツアー

に参加しても、時間がないのにコースを外れた所に行きたがる。添乗員さん泣かせだ。一人で行かせ

ると集合時間に遅れて皆さんに迷惑を掛けるので私もついて行く。私は腕時計と睨めっこで楽しむど

ころではない。

 今度のヨーロッパ旅行も同様であった。

 まず、添乗員のO氏に目をつけられた

 私はなるべく夫から目を離さないようにしていた。うっかり、夫の姿を見失う。慌てて周りを捜

す。するとツアー仲間から離れた場所で写真を撮ったり、店先を覗いたりしている。そして、必ずと

言っていいほど傍にO氏が立っている。引ったくりやスリが横行しているから気をつけるよにと彼は

日に何回となくツアー客に注意していた。 私はいつもバッグを肩に掛けしっかりと手で持っていた。

 「これは誰のですか、置き引きに遭いますよ」

現地ガイドの女性の厳し声が響く。

 道路に置かれているのは夫のショルダーバッグだ。大した物は入っていない。夫は少し離れた所で

写真を撮っている。私は慌てて飛んで行く。

 「気をつけてくださいよ」
 「すみません」

 ガイドさんに、私は頭を下げる。

 「ここは日本じゃないのだから気をつけてよ」

 夫に注意しても、「大丈夫だよ」と、反省の色は全くなし。こんなふうに同じことを何回も繰り返

した。

 ホテルのロビーで荷物を見ていてくれるように頼んだのにいつの間にか、その場を離れている。

 幸い置き引きには遭わなかったが、私はすっかり気疲れしてしまった。

 ホテルに着くと、夫はさっさとシャワーを浴び、ベットに寝そべりテレビを見ている。家ではまめ

でいつも何かしている人が、すっかりリラックスしている。

 私はその傍で2つのスーツケースの整理だ。夕食までにシャワーを浴び洗濯もしなければならないのに。

 不機嫌な私を尻目に夫は旅をエンジョイしていた。

ハイデルベルクの街並みは私が想像していたとおりだった。古い学生酒場のに店で昼食を取った。

 『アルト・ハイデルベルク」のカール王子とケティが今にも現れそうな店内の壁には古い学生た

ちの写真と落書きが残っていた。ハイデルベルク城の中に入るとまるでタイムスリップしたかのよ

うな錯覚にとらわれた。

 ライン川の船旅も楽しかった。スイスのユングフラウヨッホでは高山病にかかってしまった。三半

規管をやられて平衡感覚がなくなり、斜めに歩いてしまう。酷い頭痛と吐き気がした。展望台の椅子

に座って休んでいると、夫が戻ってきて素晴らしい氷の彫刻があるから一緒に行こうと言う。断わっ

ても「せっかく来たのだから」と誘う。本人は親切から言っているのだろうが、私の身体は心配して

いない。あまりのしっこさに根負けした私はふらふらしながらついて行った。その挙句、帰り道を迷

ってしまい集合時間を気にしながら、私は夫に文句を言いつつ歩き廻った。

 私たち夫婦はいつもどこか、ずれているのだ。

                         続く……次回はフランスです


 写真が古いのか、カメラが悪いのか、腕が悪いのか、よく撮れていません。


                  ライン川





                ハイデルベルク


                 ユングフラウヨッホ
            あいにくのお天気で雲に隠れていました


             ノイシュバンシュタイン城も雨の中


コメント (6)
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