体験する・・ということはとっても大切なことだと思っています。
「こうしたら、こうなった」
「こんな想いをもったら、こうなった」
そうやって自らが体験することによって人は学んでいくものなのですね・・・。
いくら立派な哲学書を読んでも・・・いくら素晴らしい研修を受けても・・・
ただそれは頭で理解しただけであって、
実際自分で体験してこそ初めて体得できるものなのです。
人間というのは頭で「これをやってはいけない」とわかっていても何故かついつい
流されてしまうもの・・・。
でもやはり自分が体験して・・・痛い目にあって・・・
初めて「これはやってはいけないことなのだ」と学ぶのですね。
人によっては1回の痛い目で学ぶ人もいれば、何度か同じ失敗を繰り返しながら学んでいく
人もいます。
アロマの生徒さんでもてんてんの失敗した姿を見ながら
「先生があそこでつまづいたから私はそうしないようにしよ~」と要領よく学ぶ人もいれば
なぜかてんてんと同じ穴にはまって・・同じ痛い目をして学んでいくタイプの人もいらっしゃいます。
どちらでもいいのだと思っています。
また「体験させてあげる」ということも大切なことです。、
「あれはやってはいけない!これはやってはいけない!」
「もっとこうすればいいのに・・・・もっとああすればいいのに!」と
口で伝えたり、念で想ったりしがちです。
でも自分だってそうだったように、
人は言葉で伝えられても・・・理解できないときはできないのですね・・・。
ですから「体験させてあげること」が一番早道なのです。
例えば自分の子供が万引きしたとします。
親としてはもちろん万引きという行為に対して注意するのはあたりまえです。
でも・・・いくら子供に「万引きはいけないことだ」と頭ごなしに伝えてもやめない子はやめません。
ではどうすればいいのか?
それは「人の大切なものを盗んだ子は必ずいつか自分の大切なものを盗まれるのです。」
「人を傷つけた子は必ずいつか自分も傷つけられるのです。」
そのことをまずはしっかりと伝えてあげればいいと思うのです。
それでもやっぱりやってしまう子はやってしまいます。
そういう子達は痛い目をしてはじめて「自分がやったことは本当に悪いことだった」、
「親が言ってくれていたのはこういうことだったのか・・」と真に気付き反省することができるのですね・・・。
そうやって子供が大切なことに気付くことができるまで・・・その子のまるごとを信じて・・・
言葉で強引に導こうろするのではなく、じっと・・・じっと見守り続ける・・・。
それが「親の愛」というものなのですね。
人がほんとうに変わろうと思えるのは「真実の愛」に触れたときのみなのです。
人は決して理屈や理論やテクニックでは癒されないのです。
「期待せず・・・信じて待つ」
これほど大きな愛があるでしょうか・・・。
何日かかるかはわかりません・・・。
いえ・・何年かかるかはわかりません・・・。
もしかしたら今生はだめかもしれません・・・。
でも・・人は必ずたった一人の人が信じて見守ってくれているだけで、
時には横道にそれまくっても・・・必ずまた自ら大切なことに気付いてもどってこれるものなのです。
どんな人の魂も本当に素晴らしいのです。
決して見下さないで・・敬意を持って信じて待つ・・・。
てんてんもまたそんな大きな愛に見守られながら何度も何度も失敗を繰り返しながらここまで
歩んでこれたのです。
自分も体験すること・・・
そして人にも体験させてあげるキャパを持つこと・・・
これはほんとうに大きな愛ですね・・・。
また親もそんな大きな愛が持てるようになるまで失敗を繰り返していくものなのです・・・。
やはり体験するということ・・・愛ですね。