"よさこい"にかける青春!

何がこの人たちを
  夢中にさせるのか!

孫からの手紙

2019年12月15日 12時28分34秒 | 一人暮らし

 

じじへ
いつも、ありがとう(♡)
だいすき()
瑠奈が泣いた時には、優しく大丈夫と言ってくれて、悪いことをしたらちゃんと怒ってくれます。それが心に残っています。いつもありがとう()
 
瑠奈、みんなのために自分のために頑張って大学へ行って頭のいい人になります。
苦しいこと悲しい事はこれから、あるけれどそれを乗り越えてこれから、がんばります。いつもありがとう。
 
ルナより。

 

 一番下の孫が小学校1年生の時 もう二人の女の子、小学3年生と中学生3年生の女の子の3人を残して 家を出て行った私の娘 

当時 35才だったと思います。

あれから二年が過ぎました。

 

あんなに母親が好きで甘えん坊で 泣いてばかりいた孫も3年生になり こんな手紙を 私にくれるようになりました。

 

夫婦の 深~いところは 周りの者には 全く分かりません。

父親とて 踏みいる事の出来ないことも有ります。

 

 勿論 夫婦仲良くしてほしいと言う 理想は誰にもあります。 

せめて自分の家族だけは幸せであって欲しい 全ての人はそう思うでしょう。

しかし、世の中はそんなに甘いものではありません。

 

 話は変わります。

台湾でのお話です。

1920~1930年代 当時世界で三本指に入るような 大きなダムを造り 農作物のまったく育たない場所へ水利を開き 大きく台湾の農業に貢献した 八田興一氏

今でも 毎年 5月には慰霊のお祭りが盛大に開催されているようです。

しかし 終戦近くにアメリカの攻撃を受けた船と共に 50代半ばで命を落としております。

それを悲しんだ奥さんは 40代前半で身投げをして自ら命を絶っています。

 

 また、外務省の反対を押し切ってビザを発給し 6.000人ものユダヤ人の命を救った松原千畝(ちうね)氏は

戦争を終え帰国したのですが 間もなく外務省を首になり その後 辛い生活をしいられました。 

80代半ば迄 頑張って生きられました。

 

 しかし、その功績が認められたのは 没後十数年経ってからの事でした。

それも外国の大使館の方からの 色々な出来ごとから分かってきたことでした。

 

日本では ずーっと知らぬふりを通していたようです。 

 

 本人が健在でいらっしゃる時に 功績を認めてあげたかったものですね。

 

 

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あの日あの時 あの人に会いたい!!

2019年12月15日 06時19分57秒 | 尺八・民謡の世界

2018ねん9月の想い出のブログです。


 2018-9/17日は敬老の日で祭日でした。

すこし前までは70歳が敬老会に招待される年齢でしたが 最近は75歳~77歳に引き上げられている 自治体が多いようです。

昨日は所沢よさこいもあったのですが 志木市宗岡のいこいの家 コンクリや(在宅介護サービス)の方に

民謡尺八の伴奏で行かさせていただきました。


 出演者の中で 私だけが私服での参加で申し訳なく思いました。



  『 心が元気をなくした時、

明日を生きる勇気が欲しい時 偉人の生き方から学びなさい 』。

幼い時 母から教えられた言葉を思い出しました。

北上線(昔は横黒線   秋田県の横手市と岩手県の黒沢尻を結ぶ線です。黒沢尻は今は北上市になりました。)の最寄りの駅までおおよそ2時間近くの道のり そんな、超へき地、

もちろんバスなどはありませんでした。

ここで暮らしていた小学生時代

母と一緒に歩きながら色々な話を聞かせてもらったものです。

 

 ふとそんな母のことを思い出し 夕べは 八田與一(よいち)氏と 松原千畝(ちうね)氏の動画をみました。

感動の余り 涙しながら見させていただき 生きる勇気をいただきました。

人間だれしにも言える事と思いますが どんな事でも とっても忘れやすいもの・・・。

ふか~く心に刻むためには 暗記するほど何度も見る事のようです。

今日から機会があるごとに何度も見てみようと思っております。

 

 


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