goo blog サービス終了のお知らせ 

ミラレパ 茶房

★ミラレパとは、チベットの偉大なるヨガ行者の事である。
Milarepa a great saint of Tibet

VOL. 245 仙元峠へ!~meet the bear...

2011-05-30 | mountain & outdoor
 
5月21日(土)晴れ。早朝は6時頃出発の電車で奥多摩へ。

 さらにバスで日原まで。下車してすぐ天目山をめがけて、裏山をぐいっと登る。

   埼玉の秩父と面しているコース。

 ほどなく、新緑のまばゆい色が見え始め、それはそれは幻想的でキレイな森でした。
 
   

  

 ガサガサと草薮から音がして、上を見ると灰色の大きなお尻が見えて逃げていった。

 イノシシかしらん。。と気持ちいい森の中をずんずん進んでゆく。
 
 ここ一帯は天目山へ向って尾根伝いに天然のブナが豊富で、古い木々があちらこちらとある。

 

 そして最初の山頂、標高約1,600Mほどもある天目山(三ツドッケ)に到着。
 

 前日まで雨で、まだ遠くの方がガスっぽく、ちょっとすっきりしない。

 お昼近くなり、日が照り続けているので気温も上昇し、 もわ~っとしてる。 
 おまけに虫達が相当うざかった。ハエが特に。。顔に寄ってきて落ちつかん。

 ランチをとって、ここから仙元峠へ向ってまたブナの新緑に混じって進んだ。

 私が今回行きたかった仙元峠です。↓
 
    

 祠の後ろにあるブナの古木には、なぜかタルチョが掲げられていました。聖地ですね。

 わたしも持ってくればよかったな・・・。

 さてさて、また次はソバ粒山へ向って稜線を進んだ。 
  ソバ粒山頂にて。
 
 ここから、川苔山の手前にある百壽の滝をめざして降りて行くはずだった。
 
 こちらに向ってくる人がいて、現在地を聞かれたが、どうやら道を間違っているらしい。

 我々も、なんとなく進んでいた道が分からなくなり、道が途絶えて戻ったりした。
 
 ここら辺は道標がまったくなく、何本か道が分かれており、本当に不安だった。

 下山していくのだろうという感覚しかなかったため、とにかく下っていた。

 途中、滑って落ちそうになったりした道は、近道だったらしく、急に目の前が崖になっていた。

 と、足を止めたら石が当たって落下していった。

 すると、聞いたこともない野生動物の鳴き声がしてきた。
 
 ・・・私はとっさに熊だと思い、急いで逆方向の道へ逃げた。

 逃げても、道が荒れていて人間の歩いた形跡がなく、不安になり、また戻ったのである。

 泣き声のした先には下山の道と、遠く百壽の滝がある近くの舗装道路が見えていた。

 あそこまで降りれば帰れると分かったので、恐る恐る進んでみたら・・・

 木に登った熊が見えた。だいたい50M先に体長1Mほどか子供のツキノワグマだ。

 怖い!!! すぐ逃げねばと、元の来た道を必死に這い上がって逃げた。

 きっと親熊が近くにいるはずだ。。恐怖でこぶし大の石を片手に持ったまま。心臓はち切れそうだった。

 だいぶ上って戻ったら、熊よけベルの音がしたので、近づくとやっと登山者に会えた。

 向こうさんも、道が合ってるのか分からないと言って来た道は、我々が知らない道だった。
 
 とりあえずもうなんとかなる。という安堵はあったけど、さっきの恐怖でだいぶ意気消沈していた。。


 まずは、あのまま下へ進まなくてよかった。というのと、石が落ちて泣き声を先に確認できたこと、

 そして熊もきっと危険を感じて木に登ったかもということ。

 それから、逃げ迷ったところにベルの音で助けられたこと・・・。

 クマの縄張りには近よっちゃいかんね。。あのコースはずっと人が通ってないのだろう。

 後に、いろいろと熊と遭遇したらどうすればいいのか調べたけど、

 発見から無事に帰ってこれたのは運がよかったんだ。 

 昔から熊の怖さは知っていただけに、本当に出くわすとはね・・・

 でもちょっとだけ、あの小熊のうしろ姿は黒くて丸くてかわいかったな・・・。

 ある日、森の中、くまさんに出会った・・・。

 すたこらさあっさのさ~
 
 
おしまい。

 

 

VOL. 244 岩殿山ハイク&ビューティフル富士どん。

2011-05-25 | mountain & outdoor
5月15日(日)陽気な天候の春、少し遠くまでハイキング。
 
 山梨は大月駅に降り立った。  

 駅の裏手より、目的の岩殿山はすぐ近場から岩肌が見える。と、大村コン看板。

    
           〈地図は逆立ちして見てね。

  

 岩殿山は武田氏系小山田氏の城跡として、険しい岩山の頂上に国境防備の拠点になっていたとある。

 そのもっと昔の時代は、修験場としての歴史もある。

 道中は、真後ろにど~んと見える富士山。

 大月市は、日本で一番富士山の眺めが美しい街。とはうなずけます。

 
  
 
 だんだん、登る都度に富士どんが目の高さほどに・・・映る。

 
 
 岩殿山の山頂は、スカイツリーとほぼ同じ高さにある。らしい

 眺めはとてもよく、ピクニックするには最適なところです。

 コースは、城を落ち延びて逃げるための山道とあり、険しいクサリ場があります。 
 
    

 ここでおばちゃんハイカーのパーティに会った。かなり危険な岩場をよじ登ってるし・・・

  すっげえな~おばちゃん。足腰強いっす”・・・。

 

 ほどなくお昼にしようと、適当な場所を見つけたところも岩場。

 なんとも、名前が「稚児落し」というからおぞましい・・・。

 目下の街と丹沢山稜を眺めながらの、少し怖い崖っぷちランチ。
 
 

 下山も楽勝で、といったらおかしいが、日曜のハイキングにふさわしいコースでした。

 次回行った奥多摩で、新緑のむんむんとした天然ブナと衝撃!山の洗礼を綴ります。。


 
 

VOL. 243 荒浜海岸に再び立つ。 2011GW

2011-05-18 | Weblog
 
山形にいる間は、とても通常で平和だなと感じていた。

 今回、震災から心配していた福島の楢葉へ嫁いだ友人Mが、

 山形の実家に来ていることもあり、話す機会があった。

 あと仙台にいる友人Kとの3人で会うのは去年の正月ぶりだった。

 私もMも、のっけから震災のディープな話をする気が引き、何気ない内輪話で始まった。

 ほどなく、やはりMのどこか思いつめた表情が気になり、私から聞き出した。

 地震発生から、避難所、物資、家族と離れていること、子供のこと、原発のこと・・・

 そこには、やはりMの素直な気持ち、そして母親としての強さがすごく伝わってきた。

 いろいろ大変だったけど、この事態になって気付くことがあったという。

 そしてMは、いつかまた楢葉で家族と暮らしたいという希望を持っている。

 東根の大けやき

 連休の最後に、友人Kの車で仙台へ向った。 

 国道ではよく、自衛隊の物資輸送車とすれ違った。

 Kとは長い間会ってない期間があったけど、昔私が仙台にいた頃にしょっちゅうつるんでいた。

 震災後もよく連絡を取ってたので、仙台の状況は聞いていた。

 宮城県に入り、はじめは言われないと気付かないくらいの地盤沈下だったけど、

 だんだん 建物の崩壊やガラス破壊、痛々しいコンクリのビルが目立った。

     宮城野区
 
 何年ぶりかで多賀城市に入ったけど、あまり覚えていない。

 ここは信号がまだ不通で、警官が交差点で手指示をしていた。

 この辺も津波の高さが1Mまで来ていた水跡が、建物に残っていた。

 だんだん、不自然な位置にある自動車が見え始め、映像で見たような船が陸に乗り上げた姿があった。

       

 景色が変わった。 すっかり何もなくなっていて、どこだか分からない。

 Kが驚き気付いた。 そこは荒浜海岸の入り口だった。

 セブンイレブンとスタンドが向かい合っていた交差点は、みごとになくなっていた。

         海岸へ続く道

 昔、この荒浜には夏に海水浴などでよく通った。 

 想い出の場所が・・・ショック・・・ただ 足元が震え 愕然とした。

 震災から1ヶ月半経ったころで、直後に比べれば道も通れて、状況が見えるが

 津波がもたらしたものは、家も人も全部を流すほどの破壊力を改めて思い知らされた。

     住宅があった地、ここの住人達は・・・

 海岸に向う1本道、すれ違う車もちらほらあり。

 道端で車を降り、歩いた荒浜海岸は、おどろくほど静かでなんら変わらない春の海だった。

      

 普通の波打ち際に立ち、自然のもつ脅威について、考え、手を合わせた。
  
   
             
 
 
 それから、いつもの友人だちとの宴にむかった。 ゆる集合のゆる飲み。

 友人みんなの無事を知ってから、次に会ったらまず飲むべ! と。

 ここ近年、仙台に寄った時、7・8人は集う定番になってきた。

 お互いの震災時の話に、不憫な生活と孤独と不安、泣く者もいたり・・・
 
 だけども大笑いがあったり、久々に笑いつぼを刺激され頬骨が痛むほど笑った。

 なんだかんだで7時間は居たか、広瀬通の和民。 動きたくない人ばかりで・・・

 こうして、酔っ払いのできあがった友人宅で1泊して、東京に帰ってきた。

  と、すぐあとに風邪を引いたせいで、ブログ更新にズレが出てしまった・・・。


 

VOL. 242 長い春。 2011・GW 山菜採り

2011-05-16 | Food & cooking
 
GWというお休みの間、里帰りをし、めいっぱいな時間をすごせて嬉し。

 戻って早々に風邪をひいてしまうパターンは、いつものことのよう。。

  またいつもの友人たちと会い語らい、楽しい連休だったと今、振り返る。

 GWに故郷の山形へ着くと、桜がまだ咲き始めた頃で、今年は例年より遅く、

 寒い冬が長かったことがよく分かる。 残雪もちらほらあった。
 
 実家にある木たちは、雪の多さに耐えかねてほとんどが折れて無残な姿になっていた。

 いつもなら、水仙やふきのとうでわんさかなところも、まだまだ咲きが遅い。

 
  なぜか、うちの土手には野蒜(のびる)が生えているもんで、

 積んで納豆や味噌汁の薬味にして食べる。小ネギの味です。
   

  そして、昨年は時季が遅かった山菜採りにチャレンジすべく、

 山菜マスタースガイ氏(職業:キコリ)に山奥へ連れてってもらう。

  マスター曰く、まだ生えてないかもしれず、ダメかもしれない。と言われ、

 それでも、残雪のある山道を歩き、雪解けが流れる川を渡り、長靴に水が入って

 冷たい思いをして、藪だらけの山に入る。

 急斜面の山肌に、山菜らしきものはまだ見えず・・・。

  やっと現れたのは、わずかなコゴミだけ。。(見出し画)ふきのとうとコゴミ

  
     ↑幻想的な木が多い。

  
      ↑これ、木耳の種類らしい。

   
   それから、下山しながら低地のタラの芽をさがす。
   やはり、まだ芽が小さく、採るには気の毒なくらいだけど・・・ 
  

  ・・・あと10日後だったらな。。と残念がる山菜マスターだったが、

 コゴミとタラの芽ちょっとだけでも私には充分。今晩のおかずにできるし。

  天気に恵まれ、気分はいいし、満足だ。 
  (この山菜採りのスタイルはどうよ。
 

 帰路、また川渡りの箇所があり、長靴で水が入るよりは裸足で渡ろうと思い、

 山菜マスターが親切に浅瀬を探し歩いているのを無視し、(遠いから)

 雪解けの冷たい川を歩く。。冷たいを越えてひどく痛かった。
 
 頭の中で、河口慧海のチベット旅行記にある話を思い出し、独りほくそ笑むのでした。

 
 今季は、「とったどー!!」という大物はそうなかったけど、

 夕飯におかんが料理してくれたコゴミの胡麻和えがとても美味しかった。


 こっちへ帰る際に、道の駅「むらやま」へ寄って「こしあぶら」を購入。

 採ったコゴミも持って帰ってきてから美味しく召し上がった。

  
 上)こしあぶらとフキノトウの天ぷら、 左)コゴミの胡麻和え、 右)こしあぶらまぜご飯
  

 あ、山菜マスターは採った山菜全部わたしにくれたので、たくさんこごみが食べられた。
 この場を借りて深くお礼といたします。(見てないだろうけど。)