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ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

525,600分を何で数えるか? 映画『RENT』

2006-08-31 | 観るものにまつわる日々のあれこれ
 
ドラッグ、幾年後か近い将来の死を確実にするAIDS、報われない夢、絶望の種はいくらでもある。
それでも、今日を生きる。
今日の積み重ねの1年。525,600分。
同性愛の恋人同士に、AIDSのキャリア。麻薬中毒者。世間に認められない芸術家。
社会におけるマイノリティーである彼らの1989年Xmasから1990年のXmasまでの1年を描いた舞台『RENT』を映画化した作品。
『花田少年史』を観にいって、公開されていることに気がついた。よその土地ではとっくに終わっているし、地元で観られるとは思っていなかった。終わる前に気づいてよかった。

← 公式サイトへ。サントラの試聴もできます。

オペラの「ラ・ボエーム」を下敷きにした、今なお、ブロードウェイでロングランを続けている伝説的ミュージカルで、現代の一面が作中に息づいている作品。ピュリッツァー賞も受賞している。
この舞台の台本・作詞・作曲のジョナサン・ラーソンは、そのオープンの前日に死去。これも伝説といわれる一因。
この映画では主要キャストに舞台のオリジナルキャストが多く出演している。

亡くした恋人と、AIDSによって心を開くことができなくなっていたロジャーと、同じくAIDSキャリアのダンサー・ミミが愛しあいながらもすれ違うもどかしさ。
自分の夢をお金のために切り売りすることに苦しむ映像作家志望のマーク。
1年の間にも、1人、2人と欠けていくAIDSキャリアの友人たち。
ありのままの自分を受け入れて欲しいとぶつかりあう恋人たち。
愛情深いドラッグ・クイーン、エンジェルの死。

冒頭、『Seasons of Love』を聴いただけで、泣きそうになってしまった。

525,600分。1年という時間を何で数える?
夜明けの数?夕暮れの数?真夜中の珈琲の数?思い出の数?笑い声の数?
525,600分という時間を何で数える?
友達の数?キスの数?愛の数。

よくできたミュージカルのオープニングというものは、どうしてこう、始めからガツンと来るのだろう。(ここは舞台とほとんど同じ状況で撮られている。)
ラストはびっくり仰天なのだが、歌が流れて、マークの撮ったエンジェルの映像など映ろうものなら…。

1998年の日本キャストを観た時は、こんなに迫ってくるものはなかった。
もちろん、その頃の私と、今の私の違いというものはあるにしても、マーク役の山本耕史と、その他のキャストのアンバランスが気になって仕方がなかったのだ。
マークだけが浮きまくって上手かった。
他のキャストはボーカリストがほとんどで、歌やノリは良かったのだけれど、その分、芝居の部分が悪目立ちしてつらかったのだ。
とはいえ、当時、ミュージカル畑からのキャスティングで集客できたかは疑問。
翌年、再演があったから、評判は良かったのだろうけれども。

今年は来日公演が11月に控えている。
それを観ないでいうのはどうかと思うが、私は映画にかなり満足した。
舞台のセットという見立てではない、映画になることで実現したリアルな空間が、きっちりと区切られた彼らの部屋、街の喧騒や猥雑さ、ひんやりとした病室などが、作品の持つインパクトを増し、よりストレートな印象。
そこに感情をのせるのが、非現実的な歌という表現。強烈でないわけがない。

『オペラ座の怪人』の映画化とは大違い。
大掛かりで幻想的なセットが魅力の舞台を映画化してもダメだと思う。
今まで湖だったところから炎の灯る燭台が浮かび上がるなんてことは舞台でこそ許される緩やかで美しい場面転換で、映画でほんとに水から蝋燭を出しては興醒め。
話題になっていた冒頭の時が遡り、オペラ座が往年の輝きを取り戻すシーンなどは確かに美しかったが、舞台の演出で十二分に実感できていたことだった。
同じ上出来ミュージカルを映画化した作品でも、大幅な差を感じた。
題材の差によるものだけではないと思うのだが。



監督:クリス・コロンバス
脚本:スティーブン・チョボスキー
製作:トライベッカ・プロダクション

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