失踪者たちの画家。
例えば、りんごの画家、華の画家、とかと同じこと?と、タイトルにひかれ、訳者にひかれて手にした1冊です。
失踪者たちの画家
著者:ポール・ラファージ
訳者:柴田 元幸
発行:中央公論新社
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なんとも説明しにくい作品です。
まず「序」は、こんな一文で始まります。
思い描いてほしい、死んだ男がある都市に着くところを。死者が墓を出る。けれども、ホラーの印象はまるでなく、死者たちは都市を歩き、迎えに来たものにまだ足りないと訴えるのです。
そんな様子を描く「序」から、次に始まるのはひとりの青年が、生れた村を出て、街にやって来たところ。
暮らし始めた街は、一見変わったところのないようにみえていました。
けれども、なんともいいがたい奇妙さの漂う街の在りように、主人公と一緒に気づいていくことになります。
司法が崩壊した街。
至るところに失踪者を探すポスターが貼られた街。
これほどの失踪者たちは何処へ行ってしまうのか。
主人公が出会った写真家の彼女も忽然と姿を消し、主人公もまた思いもよらぬ境遇に落とされ、その身は流れに流れていきます。
「序」を読んだ後では、この青年が死者であるのかという思いも混じり、読みやすく明瞭であるのに明るさはない文章に先へ先へと読まされ、その展開にもひきこまれながらも、読んでいるモノそのものには確たる印象を持てないままです。
わからないから、先に進んだら明かされるのかもと引きずられている気もしますし、たぶん、最後まで読んでもわからないに違いないと思っていたような気もします。
すでに、わからなくてもいい、の気分。
やがて、やってくる「エピローグ」。
「序」で始まったのに「エピローグ」で終わりだというおさまりの悪さが、不安定さ、さらには漠然とした不安感をつれてきます。
案の定というべきか、まるで物語の始まりであるかのようで、いままで読んできた物語はいったいどこにどうおさまるべきものだったのかと、しばし呆然。
誰か、はっきりわかるように説明してくれないだろうかと思いつつ、いや、そうされたらされたで、別の物語のように思えてしまったりするのかもと考えながら、随所にあった挿画をまたぱらぱらと眺めてしまったのでした。
夏の間、サクサク読めるものばかり選んでいたので、秋にはいいかもと納得しての読了です。
いつもこうだとしんどいのですが、時々無性にこういうのが読みたくなるんですよねえ。私。(^^;)
わかるような、わからないような作品って、出だしが魅力的なものが多い気がします。だから、よくひっかかってしまうんですよね、ワタクシ w