ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

グレッグ・イーガンの【ディアスポラ】

2006-09-27 | 早川書房
 
480ページの長編SF。時は30世紀。人類のほとんどは肉体を捨てソフトウェア化しているという世界。
彼らはどこかに肉体を保存しているというようなことではなく、初めから肉体を持たない存在となっています。
ソフトウェア化を受け容れず、肉体を持った人間として地上に暮らしてしている人間もいますが、それはごくごく一部。


ディアスポラ ディアスポラ

 著者:グレッグ・イーガン
 訳者:山岸 真
 発行:早川書房

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おもしろそう、と思って以前買ったのですが、同時期に買った『クリスタルサイレンス』を先に読んでしまいました。
その解説に『ディアスポラ』の書名が出ていてびっくり。
読み終えてみれば、なるほどという関連ではありましたけれど、歯応えは比較になりません。
とにかく難しい。
泣くほど難しかったです。
正直に言って、ハードSFのハードな部分のことごとくがわかりませんでした。
ナントカ理論とか、幾何学とか数学とか、完全にお手上げ。
それでも最後まで興味を失わず読めたのは、未知なるものへ探求の旅という魅力的な物語のためだったかもしれません。

冒頭、ソフトウェアの世界の中でひとつの存在が生まれます。
0と1の組み合わせから生まれ出るもの。
理屈はわからなくてもドキドキしながら読むことができます。
その存在が学習し、「自分」を意識するまでは、ぐっと惹きこまれます。
そのとき生まれた存在、親を持たない子供、孤児という名前を持つ存在。
孤児は使われていない領域のデータを取り込んで創造されるのですが、彼(厳密に言えば性別などはないのですが)が学び、体験していくことに同調しながら読み進めていくことになります。

物語の中盤で降りかかる災厄。
それを機に、人類の一部は未知なる領域へ旅立っていきます。
このあたりから、ヤチマという名を持つようになった孤児だけを追うわけにはいかなくなります。
なにせ、ソフトウェア化されているわけですから、存在の複製は容易いこと(このあたりでは人格というものをちょっと考えさせられます)。
同じ名前でありながら別の存在という人格が現われ、物語を紡いでいきます。
ディアスポラは離散という意味。
旅に出ることを選んだ人類は、その存在を千にも枝分かれさせて、宇宙へ散っていきます。
何者かに出会うことができるのはそのうちのどの存在なのか。
宇宙に蒔かれた種子のよう。その多くは芽吹くこともないのでしょう。
冒頭の未知のデータ領域に挑戦する孤児の誕生とあいまって物悲しい気分にもなりました。

丹念に読んでいかないとわからなくなりそうですが、大雑把な読者であるワタクシはすべてを雰囲気で捉えてしまいました。
それでも不思議とおもしろかったです。
ハードSFな部分がきちんと分かればもっとおもしろかったのでしょうけれど、ワタクシなどは、ハードSFというその香りだけで酔ってしまったのかもしれません。
いかにもSFな雰囲気の表紙も好きでした。
小阪淳さんという方で、SFマガジンの表紙などもお仕事のひとつのようです。
『オイディプス王』のCMというのも観てみたかったです。地方では舞台のCMなんて一切ありません。残念。




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