読むことのできるタブッキの作品の数はそうないのに先送りにしていました。
しかも、代表作、傑作とされるものを。
この作品が特に評価されているのは他と明らかに違うからなのだとしたら、なんとはなしに「タブッキだから…」というあたりが好きな私には、その良さがわからないのではなかろうかと思っていたのが理由でした。
でも、作家が亡くなったとあれば、さすがに、読まねば、という気持ちになります。
供述によるとペレイラは……
著者:アントニオ・タブッキ
訳者:須賀敦子
発行:白水社
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『ファシズムの影が忍びよるポルトガル。リスボンの小新聞社の中年文芸主任が、ひと組の若い男女との出会いによって、思いもかけぬ運命の変転に見舞われる。タブッキの最高傑作といわれる小説。』というこの作品。
「供述」というからには、ペレイラは何かの容疑で捕まったのでしょう。
それはどのような容疑であったのか。
作品は、主人公ペレイラの供述を聞き、丹念に書き伝える形で進んでいきます。
タブッキを読んでいる感じがする、この作品だけが特別に違うわけじゃないと思えたのは、いつものように、どこか旅の雰囲気が感じられたから。
ペレイラが療養のための小旅行や、生活圏内での細かい移動といった具体的なものだけでなく、いままでいたところから少しずつ動いていく感じ、長いこと係留されていた船がはずみで岸から離れ、流れ出ていくような、どこかあてどない旅の雰囲気が、この作品にもありました。
「供述によると」、「と供述している」、そんな言葉ごとに、流れは止まるあるいは動き始めることを繰り返し、章の終わりでひとつの旅の区切り、供述する彼が座っていただろう固い椅子と小さな部屋に戻るような。
旅の始まりは、ひとりの青年との出会いです。
「供述によると、ペレイラがはじめて彼に会ったのは、ある夏の日だったという。」
背景となっているのはファシズムの台頭が始まろうとしている時代のポルトガルはリスボン。
ヨーロッパの情勢は不穏な空気をひそませていますが、やがて訪れる大きな嵐への予感はまだ漠然としたものでしかありません。
長く新聞記者として務め、現在は夕刊紙の文芸部門の編集長であるペレイラも、政治問題には関連がないと、ことあるごとに言っています。
自分でも言葉にはならないところでどう感じているかは別にして、何かをしようという気はなく、むしろ、今までどおりにすること、今までどおりにできるということを確認しているようにも思えます。
本社とは離れた編集室でたったひとり仕事をし、同じ店で同じメニューを頼んで食事をし、部屋に戻って亡くした妻の写真に語りかける毎日。
それを、じわじわと変えていったのは青年との出会いです。
ペレイラが変わったのは、青年が反ファシズム、反体制の活動家だったから?
確かにそうでもあるでしょう。
若い頃の自分、もしかしたら、持つことができなかった子供の姿にも重ねられていたかもしれない彼から乞われるまま、ペレイラは助力を与えていきます。
それは、すなわち反体制活動への助力、と判断されても仕方のない行動です。
でも、青年自身が筋金入りの活動家であったら?
ペレイラは関わりを絶ったのではないかと思います。
流されるまま深みにはまっていく青年の姿は、自分自身をつかみきれずにいるペレイラよりも、ずっと危うげで、何かをはっきりとわかることもないまま翻弄され、利用されていく弱者そのものであるように思えます。
だから、ほっとけない。こんな頼りない子。
その果てが「供述」をしなければならない状況となるわけです。
そこにあるのは整えられた主義、思想などではなく、穏やかに暮らせたはずの愛すべき市井の人々が踏みにじられる時代への純粋な怒りと、行動の瞬発力。
ペレイラは後悔したでしょうか。
しなかったと思います。
私がタブッキの作品にすいすいと連れて行かれてしまうのはいつものことにしても、最後まで読み終えたときの、このちゃんと終わった感じ。
確かに、これは今までに読んだことのあるタブッキの作品には感じなかったことかもしれません。
[読了:2012-05-19]
6月号のユリイカがタブッキ特集でした。
新たに翻訳された作品も数点掲載されていて
なかなかの充実ぶりでしたよ。
ユリイカ、気になっているのですが、まだ手を出せずにおりまして。
新しい作品も?それは、ますます楽しみになりました。情報、ありがとうございます!