なんともふくみのある書名です。
「さりながら」。
綺麗な本です。
さりながら
著者:フィリップ・フォレスト
訳者:澤田 直
発行:白水社
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著者は『1962年パリ生まれ。パリ政治学院卒。文学博士。現在、ナント大学文学部教授で、比較文学の教鞭をとる』という人。
目次はこんなふうです。
プロローグ
パリ
詩 人 小林一茶の物語
京都
小説家 夏目漱石の物語
東京
写真家 山端庸介の物語
神戸
地名の部分では著者が著者自身のことを語り、他の章では、彼らと彼らの作品についてが語られていきます。
書名は一茶の句から。
露の世は 露の世ながら さりながら
かけがえのないものを失ってしまったとき、抱えることになる虚空。
その場所で何を思うか。
同じような虚空を抱えただろう彼らは、何を思っただろうか。
フィリップ・フォレストは娘を亡くすという体験を『永遠の子ども』として作品化している作家で、この本はその延長に位置するものだそうです。
著者にとって親近感のある土地であった神戸は大震災を体験した都市であり、写真家・山端庸介は、原爆投下直後の長崎を撮ったカメラマン。
一茶も漱石も著者と同じく娘を亡くしています。
同じ場所からの思いで読めるかと言われれば、読めないと正直に答えるしかない作品ではあるのですが、さりながら、なのです。
失ってもなお、あるいは、いとも簡単に損なわれ、失われるこの世界にあることを自覚してなお、その先に続く時間の中を、何を携え行くか。
そこに、わずかながらもあたたかいもの、ほのかながらも光るものを思うのは、失ったことのない者の楽観でしょうか。
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