たっぷりの上下巻。
13番目の物語
著者:ダイアン・セッターフィールド
訳者:鈴木彩織
発行:日本放送出版協会
父の営む古書店を手伝いながら、時折、過去の作家についての論文を投稿しているマーガレット・リー。
本に身を浸すようにして静かに生きている彼女に、ある日1通の手紙が届きます。
そこには、流れのない変わった筆致で、本当のことを語る時が来たと記されていました。
それは誰もが知る有名作家、ヴァイダ・ウィンターからの伝記執筆依頼。
彼女は、その作品を誰もが知っているほどの大作家で、生い立ちとして語られたものはいくつもあるけれども、その本当の生い立ちは誰も知らないという、名声と謎に包まれた人物です。
戸惑いながらも強烈に惹きつけられ、彼女の招きに応じてしまうマーガレット。
ヨークシャーの荒野に構えられたヴァイダの屋敷の暖炉のある図書室で、周囲を夥しい数の本、物語に取り囲まれてふたりが向かい合う中、ヴァイダの過去が語られ、そして、彼女の物語をきくマーガレットの現在が語られていきます。
それは双子の物語、そして、かつてヴァイダ・ウィンターの本から消された13番目の物語。
本のはじめのほうで、マーガレットの本に対しての深い関わり方や傾ける愛情がみっちりと描かれるためでしょうか。
それとも、老作家が語るものが生い立ちであるためでしょうか。
物語は時間の連なり、蓄積であり、それを記録した本は書いた人、書かせた人たちが生きた証、歴史の断片。だからこそ、人は物語を、本を愛おしむのだと、生きるために物語を必要とした彼女たちにつられて、なんだか気分が盛り上がってしまいました。
そんな気分で読み進めると、ヴァイダが、その生い立ちについて本当のことを語ると言ったこと自体、とても切なくなります。
老作家が静かに語る出来事と、それが事実かを探りながら聞く伝記作家が知る出来事が絡み、縒り合されていくことで明らかになる物語は、誰のためのものであるのか。
たっぷりと注ぎ込まれた著者の物語への愛情や思い入れ、そういったものを度外視すると、この作品はさしたるものではなくなるのかもしれません。
特段目新しい趣向ではありませんし、全体の雰囲気もクラシカル。
主人公は過ぎるほどに繊細、物語は感傷的で、少女趣味的な雰囲気もあり…と、いろいろ言えそうな気もするのですが、その「度外視する」ということができず、良い意味で女性的な印象のあるこの作品にとっぷりはまって読んでしまいました。
語り始められた「ほんとうのこと」を知りたい。
仄めかされることの実際を確かめたい。
そのすべてが明かされるとき、それはすなわち…と予想はついても、です。
この物語、後日談で締める形で終わります。
普段なら、往々にして読後感を変えてしまうこの終わり方はあまり好きではありませんが、今回はいっそここまで書いてくれると安心できる、という気持ちになりました。
著者自身、本が終わった後、大丈夫なの?と登場人物を心配したことがあるのだろうと確信できるほどの細かさ。
登場人物すべての先行きを面倒みずにいられないくらい、著者はこの物語と登場人物たちを大事にしていたのだろうと思います。
これがデビュー作。
さて、この作品にはまったワタクシは、著者や登場人物がこよなく愛しているらしい『ジェーン・エア』や『嵐が丘』を、読んでみるべきなのでしょうか。
いまのところ、さほど食指は動かないのですが、ごく最近、どこかから改版、新装丁版が出されたような…。
これは…読めと?
む、『ジェイン・エア』か?
[読了:2012-05-05]
参加しています。地味に…。
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