夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

自然と人間

2012年09月26日 | 日記・紀行

       

自然と人間

二〇一二年九月二十六日(晴)

山畑に行く。ようやくにして暑い夏も過ぎ去り、あぜ道のあちこちには彼岸花のつぼみも散見するようになった。すでに咲き出しているのもある。所々まだ刈り残された稲畑が残っている。

この国の自然は地球上の北緯35度前後あたりの温帯に属し、ユーラシア大陸の東縁に位置するところから来る温暖な気候風土が特色であるといわれる。アフリカにおけるような原色に充ちた植生も、ライオンや象、キリン、ワニなどの動物に見る荒々しい生命力の露出もなく、また、ロシアやアラスカのような厳しい冬もない。

今年の反日デモで中国人たちが「小日本」といつものように揶揄したように、たしかに国土も狭く、モンゴルのような大草原もなく、どこを見回しても箱庭のような山国である。

地理としては国土は、その東岸を太平洋と黒潮に洗われ、日の出は太平洋の遙か沖合の水平線の上に眺める。子午線の関係からも世界に先駆けて日は昇る。

国土面積は世界第六二番目ぐらいだそうで大きくはない。ただ、排他的経済水域と領土、領海を含めると世界第九位になるという。中国は第七位である。

先ごろその「大中国」がようやくにして、この国にしてはじめての空母「遼寧」を大連港で就航させたそうだ。「遼寧」と名付け、母港を東シナ海に面する遼寧省の大連港とすることにも中国の戦略的な意図を予想させる。

ウクライナから買った中古空母ワリヤーグを改造して作った「遼寧」であるが、完全な自前で航空母艦をつくるだけの余裕もないほどに戦略的にも急いだということだろう。

遼寧省の大連は、戦前の日本が深く経営に関わった縁のある旧満州の都市である。政変で失脚した薄熙来氏もかって市長をつとめたこともある。日系企業も多く進出している。日露戦争では遼東半島が戦争の舞台ともなった。

「小日本」は大国ロシアには辛うじて勝った。太平洋戦争に敗れたアメリカによって今は軍艦を建造することも禁じられているが、戦前にはすでに世界最大の戦艦「大和」を造った。「大中国」に先駆けて、1944年には世界最大の航空母艦「信濃」を造っている。アメリカの原子力空母「エンタープライズ」が1961年に登場するまでは、この空母「信濃」が史上最大の排水量を持つ空母だった。

「小日本」は必ずしも「小精神」とは言えないと思う。かって戦国時代の豊臣秀吉は大陸の明に攻め入ろうとしたこともあったし、織田信長などは、さらにもっと気宇壮大な精神をもっていたのではなかったか。いずれにせよ「大中国」も「小日本」も、銀河系の彼方から見れば、蟻とコオロギほどの違いもない。

山畑で土を耕していると、くわしくは種属もわからない様々の小動物との出会いがある。ミミズ、クモ、バッタ、沢カニ、カエルなど、マムシなどの蛇や鹿、猿などとも出会う。時間に余裕さえあればデジカメにでも記録できればいいと思うけれども。

小さなカエルが土の中から出てくるのを見ると、人間の生命もカエルの命も、本質的な差異は少しもないのだと思う。

コスモスやまだつぼみの曼珠沙華などは途中に見られたが、山のなかに入っても、萩やススキ、クズくらいしかまだ目に付かない。キキョウはとにかく、ナデシコもオミナエシもフジバカマもその姿を見ない。幼い頃の記憶の片隅にあるような秋の野山の風情に反復はない。

ハジカミショウガを思い出したように今頃になって収穫する。八丁味噌で味わおうと思う。遅れをとっていたニンジン、ダイコン、ブロッコリなど冬野菜の種もようやく植え終えた。昨年に蒔いた茶は何とか成長しているが、今年の紅茶の種は失敗した。ほとんど芽が出て来ない。

いつものことながらことながら、美しい青や赤の一ミリにも足りない小さな種から、ニンジンやカブの姿を現わすのは奇蹟としか思えない。この広大無辺の宇宙の神秘は私たちの存在を含めて想像を絶している。紅茶の畝を少し整備した後、毎年遠くから眺めていたコスモスの群生するところに近づいて、カメラにとった。 

         

                      

 


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