風薫ころ・・・
kazekaorukoro・・・
実は私の携帯アドなんです。
風かおる 五月に 妹が亡くなりました。
あれから もう5年の月日が流れ 今日は5回目の命日です。
妹の下の娘は 昨年の2月に嫁いで東京で暮らし
義弟 ( 妹の旦那さん ) と上の娘と・・・
そして妹が亡くなった後から家族になった
豆芝犬のチョコと3人で 穏やかに暮らしています。
妹は 下の娘を出産した頃から体調を悪くして
まるで病気の問屋のように 少し良くなると また違う所が・・・
その繰り返しで ずっと薬を飲み 入退院を繰り返す日々でした。
妹は 自分は実験台にされているのではないかと 医師に疑いを持っていました。
「先生に信頼を持てないなら 他の病院に行ってみたらどう ?」と私が言うと
「他の病院に行けば 最初からの事を全部説明しなくちゃいけないし
そんな事の説明も 煩わしいから」と・・・それ程長い年月が過ぎていました。
これ以上病状が悪化すると 透析をしなくては・・・と言われ
手首にバイパス手術をする事になった 手術の当日
妹は怖くて病室から逃げ出した事もありました。
妹は 身体ばかりでなく 心も凄く病んでしまっていたのです。
結局 手術の日程は妹には知らせず 医師の判断で
体調や精神的に落ち着いた日に手術しました。
亡くなる3年前頃から 医師に「覚悟をして置いて下さい」と言われ
高校の教師をしている 義弟は 授業中の時でも
何度も 病院から呼び出しを受けていました。
私は、妹を見舞っても 本人の前では 一度も泣いた事はありませんでした。
妹が気弱になったら困ると思っていたからです。
それと・・・病気の妹は 結構な我が儘な人間になっていて
義弟に対しても 妹の娘に対しても そして私に対しても・・・
平気で腹の立つ事を言う事もあり・・・でも反論する事もできなくて
帰りの電車の中で 人目を気にしながら 何度も泣いて帰った事もありました。
ある日 義弟から「危ないから」と連絡を受け 飛んで行くと
「おねえちゃん・・・こんな風になっちゃった・・・」
妹は青白い顔をして 手足も冷たくなりかけていました。
泣きそうな妹の顔を見て 手を取り 始めて二人で泣きました。
冷たくて 白い 妹の手や足を擦りながら 何度も泣きました。
このまま死んでしまうのかもしれない・・・
帰りの電車の中でも涙が止まりませんでした。
でも・・・
医学は凄いです・・・それから3年間 今までみたいに頑張る事が出来ました。
最後の一年は 車椅子を余儀なくされ 家での生活は困難だと判断した義弟は
もう残り少ない妹の為に バリアフリーの家に建て替えてくれました。
明るくて快適な 素敵な家で 笑顔で一年間を過ごせました。
5年の月日が流れた今・・・
悔しくて悲しくて泣いた日々も 今になって思えば
それも病気の内だったんだと 分かって来たような気がしました。
義弟の家でも 妹の代わりにやってきた ワンコとの生活は
今までの苦労が夢の中の出来事のようにも思えます。
妹は善光寺さんを見降ろす所に眠っています。
でも妹の事だから 家族が心配で 心配で・・・
きっと松本にも行ったり東京にも行ったり
元気な体になって 忙しく飛び回っているのでしょうか ?

妹が元気な頃に 庭に咲いていた花を私にくれました。
今では我が家の庭で 咲いています。
名前も忘れた どこにでもある花ですが
毎年 花芽が出て来ると 懐かしさが込み上げて来ます。
私は妹に何をしてあげられたんだろう・・・
もっと違う言い方をすれば 妹は 穏やかに生きられたのかな・・・
色々な想いで 今でも悔いが残っています。
でも・・・
妹が病魔から解き放された事の方が嬉しいかな。
今では 体も癒え 心も癒え 父や母と 楽しい毎日を送っていて欲しいと・・・
kazekaorukoro・・・
実は私の携帯アドなんです。
風かおる 五月に 妹が亡くなりました。
あれから もう5年の月日が流れ 今日は5回目の命日です。
妹の下の娘は 昨年の2月に嫁いで東京で暮らし
義弟 ( 妹の旦那さん ) と上の娘と・・・
そして妹が亡くなった後から家族になった
豆芝犬のチョコと3人で 穏やかに暮らしています。
妹は 下の娘を出産した頃から体調を悪くして
まるで病気の問屋のように 少し良くなると また違う所が・・・
その繰り返しで ずっと薬を飲み 入退院を繰り返す日々でした。
妹は 自分は実験台にされているのではないかと 医師に疑いを持っていました。
「先生に信頼を持てないなら 他の病院に行ってみたらどう ?」と私が言うと
「他の病院に行けば 最初からの事を全部説明しなくちゃいけないし
そんな事の説明も 煩わしいから」と・・・それ程長い年月が過ぎていました。
これ以上病状が悪化すると 透析をしなくては・・・と言われ
手首にバイパス手術をする事になった 手術の当日
妹は怖くて病室から逃げ出した事もありました。
妹は 身体ばかりでなく 心も凄く病んでしまっていたのです。
結局 手術の日程は妹には知らせず 医師の判断で
体調や精神的に落ち着いた日に手術しました。
亡くなる3年前頃から 医師に「覚悟をして置いて下さい」と言われ
高校の教師をしている 義弟は 授業中の時でも
何度も 病院から呼び出しを受けていました。
私は、妹を見舞っても 本人の前では 一度も泣いた事はありませんでした。
妹が気弱になったら困ると思っていたからです。
それと・・・病気の妹は 結構な我が儘な人間になっていて
義弟に対しても 妹の娘に対しても そして私に対しても・・・
平気で腹の立つ事を言う事もあり・・・でも反論する事もできなくて
帰りの電車の中で 人目を気にしながら 何度も泣いて帰った事もありました。
ある日 義弟から「危ないから」と連絡を受け 飛んで行くと
「おねえちゃん・・・こんな風になっちゃった・・・」
妹は青白い顔をして 手足も冷たくなりかけていました。
泣きそうな妹の顔を見て 手を取り 始めて二人で泣きました。
冷たくて 白い 妹の手や足を擦りながら 何度も泣きました。
このまま死んでしまうのかもしれない・・・
帰りの電車の中でも涙が止まりませんでした。
でも・・・
医学は凄いです・・・それから3年間 今までみたいに頑張る事が出来ました。
最後の一年は 車椅子を余儀なくされ 家での生活は困難だと判断した義弟は
もう残り少ない妹の為に バリアフリーの家に建て替えてくれました。
明るくて快適な 素敵な家で 笑顔で一年間を過ごせました。
5年の月日が流れた今・・・
悔しくて悲しくて泣いた日々も 今になって思えば
それも病気の内だったんだと 分かって来たような気がしました。
義弟の家でも 妹の代わりにやってきた ワンコとの生活は
今までの苦労が夢の中の出来事のようにも思えます。
妹は善光寺さんを見降ろす所に眠っています。
でも妹の事だから 家族が心配で 心配で・・・
きっと松本にも行ったり東京にも行ったり
元気な体になって 忙しく飛び回っているのでしょうか ?

妹が元気な頃に 庭に咲いていた花を私にくれました。
今では我が家の庭で 咲いています。
名前も忘れた どこにでもある花ですが
毎年 花芽が出て来ると 懐かしさが込み上げて来ます。
私は妹に何をしてあげられたんだろう・・・
もっと違う言い方をすれば 妹は 穏やかに生きられたのかな・・・
色々な想いで 今でも悔いが残っています。
でも・・・
妹が病魔から解き放された事の方が嬉しいかな。
今では 体も癒え 心も癒え 父や母と 楽しい毎日を送っていて欲しいと・・・