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過ぎゆく時の中で・・・

自分を見つめ、一歩前に進みたくて始めたブログです。

健康である事

2012年10月07日 | 家族のこと

もう10月も一週間を過ぎましたね。

ぐずぐずと、更新も出来ないでいるにも関わらず

沢山の方が 毎日ブログを覗いて下さり本当に感謝です

 

遅くなり、今更ですが 体を崩した事を記録として記事にして置きます。

長くなると思うので 適当にスル―して下さってもOKで~す。

 

9月の半ばに 風邪気味だったので すぐに病院に行来ました。

微熱は続いていたものの 咳も鼻もでなくて 回復に向かっていたと思います。

 

ところが真夜中、 ふと目が覚めた時に 喉が痛くて

気が付いたら布団からはみ出して 畳の上に寝ていました

どうやら 主人が夢の中で何かと闘っていたらしく

私を足で蹴って 布団から追い出していたみたいなんです

夜中に  喉の薬を飲んで うがいをして マスクもして寝ました。

朝になったら またまた畳の上に・・・

更に喉が痛くて 声が出なくなっていました。

そのは 一日、声が擦れながらも仕事をしましたが

夜になったら さらに酷い声になり

なんだか 喉の奥に痰が詰まっているような気がしました。

 

咳も出ないのに無理やりに咳をして

痰を出そうと必死で もがいている内に

気が付いたら 声が殆ど出なくなり 息もできなくなって来たので

主人が焦って 諏訪中央病院の夜間救急に連れて行ってくれました。

 

私は まだ痰が詰まっていると思っていたので

先生に出ない声で必死で訴えましたが 

レントゲンを撮っても痰は無いとの事。

 

諏訪中央病院には 耳鼻科の検査装置がなくて

諏訪日赤で検査して貰う事になり

「危険な状態ですから私も同行します」・・・と

先生も一緒に 救急車に乗って 日赤まで救急搬送されました。

 

日赤で検査したら 喉の奥が極端に狭くなっていて

あれでは呼吸が出来ない訳です。

病名は「急性声門下喉頭炎」との事で

即、入院と言う事になり点滴を退院当日までやってもらい

何とか二泊三日で退院する事が出来ました。

 

先日、一緒に小渕沢に行こうよと言っていた 長年のメル友さんがいて

今の状況の話をしたら 入院した事より 

すぐに退院した事を笑われてしまいました

私が入院したのは たった二泊三日。

 

ここに来て下さる方達の中には

大病をされた事があったり

辛い毎日を送った経験がある方が多いかもしれません。

 

だから・・・

私の入院騒ぎって 恥ずかしい事かなって思います。

 

それでも・・・とても怖かったんです。

 

実は、私の父が 映画館で倒れて病院に運ばれ

病院に駆けつけたら 父は痰が絡んで ぜぃぜぃ言っていました。

看護婦さんに知らせて 痰を取ってもらいましたが

暫くすると また痰が詰まって来て・・・

再び連絡したら これ以上痰を取ると命に関わりますのでと

何もしないで帰ってしまいました。

その時、父は喉に詰まった痰が絡み

そのまま息を引き取ってしまったんです。

あの時の音が 今でも時々耳に戻って来る時があります。

 

だから・・・すごく怖かった。

 

私って家族が短命で 

父が61歳 母が30歳 一番下の妹が1歳 すぐ下の妹が54歳。

だから私が60歳を過ぎた頃から 人生はいつ終わっても不思議ではないと 

いつも頭の隅にあるのが現状でした。

 

でも・・・

今の幸せな人生を このまま終わりたくないと思ってしまったんです。

 

ちょっと欲張りかなって思うけど もう少し生きたいな~と。

 

入院した日、友達と出かける予定があって

主人が バッグをそのまま持って来てくれたのでカメラもありました(笑)

で・・・

バカな事で入院した記念として写真を撮ってしまいました(笑)

8階の病室から見える諏訪湖。

 

退院の朝の 病院食。

  

 茹で卵、アスパラのお浸し、リンゴの缶詰、ブロッコリの煮物

トマト、海苔、具が無い野菜スープ、七分粥。

 

入院中・・・私の体は 点滴と七分粥の病院食と

心配して下さった素敵な仲間と

私のたった一人の家族で 守られていました。

 

家族にとっても 大切なお友達にとっても そして自分にとっても 

健康である事が いかに大切な事かって

今更ながら 心にずっしり重みを感じています。

 

私を気遣い 心配で時々 メールを下さる 皆さん・・・

こんな私を いつも心に止めて頂いた事にも感謝です。

書いて下さった一言一言が 今の私には何よりの お薬です。

 

だから決して無理しない程度に 

毎日少しずつ書いていたので

1週間以上かかっての更新です(笑)

のんびり ブログ生活を楽しんで行きますので

どうかヨロシクお願いしますね。

 

季節の変わり目で 皆さんの体調は大丈夫ですか ?

大好きな ブログの お友達も体調を崩しているようです。

今の私は 人に言える立場ではありませんが

どうぞ、体調には気を付けて下さいね。

 

 

 

 

 

 


「砂の器」と父の事

2011年09月13日 | 家族のこと

9月12日・・・今日は十五夜。

雲の合間から時々見えるお月様・・・

一眼ではないからこんな程度ですが・・・さっき撮りました。

月の光は心と体を浄化すると言われています。

こんな写真でも月の光の輝きを感じます・・・私だけ ? (笑)

こんな月を見ていると遠い昔を思い出します。

 

先週の金曜日と土曜日・・・二夜連続で「砂の器」をテレビでやっていました。

私は「砂の器」は一度も観た事はありません。

 

実は・・・私の父は「砂の器」を観に行った映画館で倒れて

病院に運ばれたその夜、突然亡くなりました。

その日は、三週間後に結婚が決まっていた私の為に

荷物の目録を知り合いに書いてもらい

それを持って映画館に向かったようです。

 

葬儀が終わり、会社に出た私に隣の職場の男性から声を掛けられました。

「お前の親父さん、映画館で死んだんだって ?

エロ映画でも観て興奮して死んじゃったずら」・・・・・・・

 

日頃から誰に対しても口が悪い男性の一言が

悲しみの中の私の心に突き刺さる。

 

当時26歳だった私は返す言葉も見つからず

ただその人を睨む事しか出来ませんでした。

父を侮辱された気がして腹立たしくて堪りませんでした。

何か言い返そうとした時に 父の言っていた言葉を思い出し

何も言わずにじっと我慢しました。

父の言った言葉・・・「喧嘩の相手になれば自分も同等の人間なんだぞ」

私はその男性と同等にはなりたくなかった。

 

お世話になった映画館に挨拶に行った時

何の映画だったのか見て来たら「砂の器」でした。

厭らしい映画でしょうか ?

 

父が41歳の時、10歳下の妻を亡くし

幼い女の子の手を引いて故郷に帰り

再婚もせず お酒も飲まず・・・必死で生きて来た父の

一番の楽しみは大好きな映画を観る事だった。

この歳になれば例え厭らしい映画を観に行ったとしても

私は父を厭らしい人間だとは思わない。

 

ただ26歳の、葬儀が終わったばかりの一言が

私の心に突き刺さって その人の言葉を忘れる事ができない。

私にとって「砂の器」=父への侮辱の言葉。

 

決して厭らしいとは思わない「砂の器」だけれど

なぜか観る勇気が・・・変なこだわり ?

なのに今回は二夜連続で録画してあります。

近いいつか・・・父の観たかった「砂の器」を観てみようか。

父はどこまで観たのだろうか・・・

父の代わりに私が続きを観てあげよう。

 

 

 

 


法事で菩提寺へ・・・

2011年06月21日 | 家族のこと

今日は伯父の七回忌と合わせて叔母の二十三回忌でした。

叔母のお葬式では 二月なのに雨が降り それ以来法事は必ず雨です。

今日も雨・・・法事直前に降りだし 法事が終わると日が射して来ました。

なんとも不思議・・・毎回そうです。

 

伯父は年老いてから体調がすぐれず 

丁度その頃 私の妹も 入退院を繰り返す日々だったので

伯父と妹は お互いを気遣う間柄になっていました。

私の妹が五月に旅立ち 

まるで妹に呼ばれたように 伯父は その年の八月に亡くなりました。

淋しがり屋の妹が 伯父を連れて行ったんだねって・・・

私達は 今でもそう思っています。

 

我が家の菩提寺は 霧ヶ峰に行く道沿いにある 地蔵寺です。

大本山は 福井県の永平寺と 横浜にある 総持寺だそうです。

昨年本堂を建て直して 今回の法事は 新しい本堂で・・・

外観はこんな感じに・・・

 

今度は 椅子が置かれて・・・足がシビレなくて済みます(笑)

 天井画は 観音様が118体あるそうです。

 上手に撮れなかったし 向きが・・・首を傾げて見て下さいませ

 御本尊は今まで 少ししか見えない状態で 秘蔵とされていましたが

住職様の強い希望で 親しまれる御本尊にしたいと言う事で

誰でも近くで見えるようにして下さいました。

写真もご自由にどうぞ・・・との事だったので遠慮なく。

 今まで仕舞われていた 仏像も 始めて目にする事が出来ました。

珍しい仏像は 右の馬に乗った お地蔵様です。

 

もっと驚いたのは この掛け軸・・・

キリスト様では・・・と思われますが

お釈迦様が 修行が終わり 山から出られた時のお姿だそうです。

頬はコケ あばら骨も出て 着ている物はボロボロになり・・・

本尊のお釈迦様は ふくよかで 穏やかなお姿ですが

とても想像もつかない 絵に驚いてしまいました。

 

年代物の欄間も素晴らしいものでした。

 

時間を掛けて 丁寧に副住職さまが説明を・・・ありがとうございました。

 

そして・・・このお庭。

江戸時代半ばに造られたもので 日本百庭園として 有名なんです。

 

幼い頃から 毎年お盆には必ず訪れ 夏の暑い時期なのに滝が涼しくて 

鯉がいっぱいで 子供ながら楽しい場所でした。

ネットで調べたら このお庭が・・・

庭園の放生池には祈願成就や供養のための鯉が放たれ、

「鯉(恋)の寺」の愛称で親しまれている。

・・・なんて事は全く知りませんでした。

知っていたら 若かりし頃に 恋が叶うお願いしていたのに・・・

失恋しました・・・ アハハハハハハハ

 

七回忌・・・従妹の家族と 久々に伯父や叔母や妹を思い出し 懐かしい日になりました。

11月の始め頃は この庭は紅葉が綺麗に色づくとの事・・・

またその頃に行って見ようと思います。

 

次の十三回忌も 変わらずに 優しいご住職の法話と

従妹達と 楽しい時間が過ごせますように・・・


七回忌・・・風薫ころ

2011年05月15日 | 家族のこと

命日は5月22日ですが・・・今日は妹の七回忌。

高速を飛ばし 長野市の善光寺さんの近くまで行きました。

お墓から見た善光寺のある景色・・・

もしも妹がここに眠っているとしたらこんな風景を目にしています。

 

 

妹の家族は 元気で毎日を送っています。

妹の旦那さんと長女は 松本に暮らし

次女は結婚して東京の府中に居ます。

 

次女が幼稚園の頃に 母親(私の妹)が入退院を繰り返していたので

愛情が足りなかったのか 甘えん坊の割に

クールな面があって ちょっと可愛げに欠けていて

親戚からあまり評判がよくありませんでした。

 

二人の姉妹は 中学生の時からブラスバンドに入っていて

長女はクラリネット 次女はフルートをやっていました。

私の妹は それがとっても自慢で・・・

「コンサートの時にフルートを吹く あの子、すご~く可愛いのよ」って・・・

 

甘えん坊だと思っていた次女が 東京の大学に行くようになってから

自立心が強く 一人でも結構頑張る子だと知りました。

大学を卒業してからも さらに心理学を勉強をして 

国家試験に合格し 横浜の総合病院に勤めていました。

二年前に結婚し 今は違う病院に通っています。

彼女の旦那様って 若いのに とっても気の付く優しくて素敵な人です。

多分、強い次女を 上手にコントロールしていると思ってます(笑)

 

そんな彼女も ちゃ~んと 大人をするようになりました。

七回忌のお返しと一緒にと 東京からお菓子を買って来ました。

おかきの詰め合わせですが「それぞれ」と書いてありました。

昨日の私のタイトルみたいで・・・なんだか不思議な気分(笑)

 

 

お寺の休憩所に飾ってあった額に書かれていた言葉です。

二度とない人生だから

一輪の花にも 

無情の愛を そそいでゆこう

一羽の鳥の 声にも 

無心の耳を傾けてゆこう

 

何だか心に染みる詩に 生き方を問われたような気がしました。

 

今年も 妹からもらった花が 我が家の庭に咲きました。

七回忌・・・・

それぞれの想いを 妹は感じてくれるのかな ?

みんな幸せに生きているよ・・・

 


泣き笑い・・・

2011年05月08日 | 家族のこと

ゴールデンウィークに主人の姉のお見舞いに

静岡まで行って来ました。

静岡県といっても長野県との境に近い所で

佐久間ダムのある山の中の田舎町です。

義姉は認知症になってから4年経ちます。

 

義姉の家の前には清らかな川が流れ

夏には川をせき止めて魚を放流し賑やかです。

家の縁側から見える景色・・・

お茶畑があり のんびりした穏やかな町です。

義姉は 毎日縁側に腰を掛け 何を見て何を考えていたのかな ?

 

主人の母も認知症でした。

とても優しくて思いやりがあり 我慢強い所も義母とそっくりでした。

貧血で倒れて10日ばかり入院との事で病院に顔を出しました。

名古屋に住む義姉と豊田市に住む義妹夫婦と私達夫婦・・・

名古屋の義姉が一人一人の名前を言ってくれました。

「みっちゃん、まーちゃん、とも君、あき君・・・私はかっちゃんだけど分かる ?」

「うん、分かる・・・まーちゃん、みっちゃん・・・」

小さな声で 私達の名前を呼びました。

 

分かる時とぼんやりする時と・・・段々に病気は進んで行ってます。

何かいい方法はないんだろうか・・・

 

娘の典ちゃんの子供が小学校に上がると同時期に

お姑さんの家の隣に新築し 

仕事に出るようになった為

頻繁に実家に帰る事ができなくなり

そして長男が九州へ転勤になってしまい・・・

色々な事が重なって 義姉はぽっかり心に穴が空いてしまったのかな ?

 

 

最後にみんなが「また来るからね、お大事に・・・」と言ったら

「また来てね」と一言だけ・・・そして一筋の涙を流しました。

義妹が突然泣き出し 廊下に出て私達も泣きました。

 

遠く離れた所に住む義姉を看てあげられない歯がゆさと

義母と重なる切なさが 皆の胸を締め付けました。

これから先の 一番いい方法が見つかるといいな。

 

帰り道、一番面倒を見ている 典ちゃんの家に寄り 彼女を励まして来ました。

一人で苦労しているのに 明るく接してくれて・・・

介護のお仕事をしている彼女は とっても 頑張り屋さんなんです。

 

彼女のお姑さんが飼っているワンコ・・・嵐です。

まだ子供なので 遊ぼうって・・・

お腹を出したり カメラの紐を咥えて

私にじゃれて可愛くて いつまでも遊んでいたい気分でした。

 

その足で豊田市の義妹の新居へお邪魔したら

またまたワンコですよ~

マロンちゃん15歳・・・

もうおばあちゃんですが とっても元気です。

ポメラリアンにしたら ちょっと太り過ぎ(笑)

マッサージをしてあげていた手を止めると

もっとやって~と振り向くんですよ。

 

私の大好物だと知っていた義妹がご馳走してくれた物は

愛知県の知立市の1号線にある 藤田屋の「大あんまき」

美味しいんですよ~これは。

久々に逢う お婿さんや 姪の子供ちゃん達と

すっかり仲良しになった主人も楽しそうでした。

 

もう5時半を回ってから 名古屋の義姉の家へ・・・

 

茅野市から静岡まで 4時間弱・・・

豊田の義妹の家まで 約3時間・・・

名古屋まで30分・・・

一日7時間以上運転した主人は その夜 爆睡でした。

 

私には血の繋がった家族はいませんが

主人の家族は私の家族・・・みんな仲良くて幸せです。

だから義姉の事も みんなで考えて 何とかしたいです。

 

今年のゴールデンウィークは泣いたり笑ったり

人生色々・・・

それでも前を向いて・・・