もう10月も一週間を過ぎましたね。
ぐずぐずと、更新も出来ないでいるにも関わらず
沢山の方が 毎日ブログを覗いて下さり本当に感謝です
遅くなり、今更ですが 体を崩した事を記録として記事にして置きます。
長くなると思うので 適当にスル―して下さってもOKで~す。
9月の半ばに 風邪気味だったので すぐに病院に行来ました。
微熱は続いていたものの 咳も鼻もでなくて 回復に向かっていたと思います。
ところが真夜中、 ふと目が覚めた時に 喉が痛くて
気が付いたら布団からはみ出して 畳の上に寝ていました
どうやら 主人が夢の中で何かと闘っていたらしく
私を足で蹴って 布団から追い出していたみたいなんです
夜中に 喉の薬を飲んで うがいをして マスクもして寝ました。
朝になったら またまた畳の上に・・・
更に喉が痛くて 声が出なくなっていました。
そのは 一日、声が擦れながらも仕事をしましたが
夜になったら さらに酷い声になり
なんだか 喉の奥に痰が詰まっているような気がしました。
咳も出ないのに無理やりに咳をして
痰を出そうと必死で もがいている内に
気が付いたら 声が殆ど出なくなり 息もできなくなって来たので
主人が焦って 諏訪中央病院の夜間救急に連れて行ってくれました。
私は まだ痰が詰まっていると思っていたので
先生に出ない声で必死で訴えましたが
レントゲンを撮っても痰は無いとの事。
諏訪中央病院には 耳鼻科の検査装置がなくて
諏訪日赤で検査して貰う事になり
「危険な状態ですから私も同行します」・・・と
先生も一緒に 救急車に乗って 日赤まで救急搬送されました。
日赤で検査したら 喉の奥が極端に狭くなっていて
あれでは呼吸が出来ない訳です。
病名は「急性声門下喉頭炎」との事で
即、入院と言う事になり点滴を退院当日までやってもらい
何とか二泊三日で退院する事が出来ました。
先日、一緒に小渕沢に行こうよと言っていた 長年のメル友さんがいて
今の状況の話をしたら 入院した事より
すぐに退院した事を笑われてしまいました
私が入院したのは たった二泊三日。
ここに来て下さる方達の中には
大病をされた事があったり
辛い毎日を送った経験がある方が多いかもしれません。
だから・・・
私の入院騒ぎって 恥ずかしい事かなって思います。
それでも・・・とても怖かったんです。
実は、私の父が 映画館で倒れて病院に運ばれ
病院に駆けつけたら 父は痰が絡んで ぜぃぜぃ言っていました。
看護婦さんに知らせて 痰を取ってもらいましたが
暫くすると また痰が詰まって来て・・・
再び連絡したら これ以上痰を取ると命に関わりますのでと
何もしないで帰ってしまいました。
その時、父は喉に詰まった痰が絡み
そのまま息を引き取ってしまったんです。
あの時の音が 今でも時々耳に戻って来る時があります。
だから・・・すごく怖かった。
私って家族が短命で
父が61歳 母が30歳 一番下の妹が1歳 すぐ下の妹が54歳。
だから私が60歳を過ぎた頃から 人生はいつ終わっても不思議ではないと
いつも頭の隅にあるのが現状でした。
でも・・・
今の幸せな人生を このまま終わりたくないと思ってしまったんです。
ちょっと欲張りかなって思うけど もう少し生きたいな~と。
入院した日、友達と出かける予定があって
主人が バッグをそのまま持って来てくれたのでカメラもありました(笑)
で・・・
バカな事で入院した記念として写真を撮ってしまいました(笑)
8階の病室から見える諏訪湖。
退院の朝の 病院食。
茹で卵、アスパラのお浸し、リンゴの缶詰、ブロッコリの煮物
トマト、海苔、具が無い野菜スープ、七分粥。
入院中・・・私の体は 点滴と七分粥の病院食と
心配して下さった素敵な仲間と
私のたった一人の家族で 守られていました。
家族にとっても 大切なお友達にとっても そして自分にとっても
健康である事が いかに大切な事かって
今更ながら 心にずっしり重みを感じています。
私を気遣い 心配で時々 メールを下さる 皆さん・・・
こんな私を いつも心に止めて頂いた事にも感謝です。
書いて下さった一言一言が 今の私には何よりの お薬です。
だから決して無理しない程度に
毎日少しずつ書いていたので
1週間以上かかっての更新です(笑)
のんびり ブログ生活を楽しんで行きますので
どうかヨロシクお願いしますね。
季節の変わり目で 皆さんの体調は大丈夫ですか ?
大好きな ブログの お友達も体調を崩しているようです。
今の私は 人に言える立場ではありませんが
どうぞ、体調には気を付けて下さいね。