社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

是永純弘「システム分析とモデル論批判」『経済』1974年5月号

2016-10-18 11:20:52 | 12-1.社会科学方法論(経済学と方法)
是永純弘「システム分析とモデル論批判」『経済』1974年5月号

 1970年代に入った頃から,資本主義経済はその成長に翳りが顕著になった。そこに登場したのが,「成長の限界」論(ローマ・クラブ)であった。近代経済学の内部では一方に「経済学の危機」を叫ぶ論者がでてくるとともに,他方にはこの危機に対応する試みが生まれた。後者の一つの形態は,サイバネティクス,システム分析,モデル分析である。本稿はこれらの,当時としては目新しかった思考方法とそれにもとづく分析用具を,とくにその社会科学,経済学での利用との関連で,批判的に論ずることを課題に掲げている。この批判的方法は,筆者の見解によれば,サイバネティクス,システム分析,モデル分析そのものの認識方法としての特質を,方法論的原則に照らして(否,それに先立って)抉り出すとともに,こうした変種が生まれ出てこざるをえなかった事情を経済学的基礎にたちかえって検討するものでなければならない。

 サイバネティクス,システム分析は,科学としての未熟さゆえに,あるいはそれ自体としては極めて一般的抽象的な内容のものであるがゆえに,厳密な定義が難しい代物であったようである。その定義は,系の制御にかかわる「情報科学」,相異なる諸系の量的・構造的な類似性を論じる「構造科学」,情報を加工する規制系の質的側面の分析を対象とする「対象科学」,あるいは自然および社会の両方にわたる個々の対象科学の研究領域を横断する「横断科学」と様々であった。筆者によれば,こうした新種の科学はこれらの科学の創設者の思い付きによるのではなく,高度に発達した資本主義における「労働の社会化」の進展,とりわけ情報のシステム化,コンピュータの利用によって拍車がかかった生産の神経系統(通信,伝達,管理の労働手段)の飛躍的発展が背景にあるという。

 サイバネティクス,システム分析の諸手法はその性格において,「構造科学」に特有の汎用性があるゆえに,それらの諸手法と適用効果に種々の誤解や過大評価が生まれる。そのうちの一つはこれらの科学を哲学とみ,その分析方法を科学研究の一般原理にまで高め,これらによって諸科学の統一が達成されるとみる誤解である。また,それらの諸手法の一般性,抽象性は,資本主義と社会主義とを問わず,社会化された管理と計画化を全面的に保証するかのような幻想をもたらす。こうした誤解や幻想は,「構造科学」の研究方法を対象科学のそれにおきかえる,前者の方法への過大評価とその適用限界の逸脱である。それはつとに数理経済学と計量経済学が犯してきた方法論上の誤りであり,これによって近代経済学の現実性喪失と不毛化が生じたのである。同じ誤りが繰り返されていると言わざるをえない。

 筆者は次に,システム分析そのものの性格を,そのいくつかの構成要素とこの手法の手順にのっとって若干の問題点を指摘している。まず,システム分析の構造が示される。この手法の構成要素は,例えば,目的(意思決定者が達成しようとするもの),代替案(目的達成のために期待される諸手段),モデル(問題とされる諸要因の相互関係),費用(奪われた資源),効果(代替案による初期目的の達成度),評価基準(代替案を格付けする基準またはルール)である。
システムにおける意思決定者の目的は,客観的でなくともよいことになっている。これでは,システム分析で最も重要な問題の定式化のプロセスである目的の設定が主観的なものになるのは否めない。システム分析の手順で,あるいは評価の段階で重要な役割を果たす分析用具はモデルであり,モデルには目的達成度の算定という機能がもとめられるので数理解析的手法を用いる解析的モデルや数学的モデルが好んで用いられる。一般にシステム分析でモデルが形成される際には,定量化された関係諸要因の現象的依存関係が連立方程式体系で表現され,そこに含まれる諸要因の相互依存関係をそのまま諸要因間の因果関係とみなす誤認が特徴的である。それとともに,以上のような諸要因=経済変量の現象的相互依存関係の方程式体系による表現が,それらの経済的内実をモデルという暗箱に隠し,真の因果関係の追及を停止または阻止する役割を果たす。定量化された変量の方程式表示こそが厳密な分析のために不可避であるとするのは,明らかに誤解である。

 「成長の限界」論(ローマ・クラブ)に代表される新しい現代社会論は,その理論そのものの限界を,分析手法としてのモデル分析一般の方法論的性格のなかに露呈している。

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