社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

石倉一郎「社会科学(経済学)と自然科学,対象と方法論-社会統計学派の理論的基調にふれて-」『統計学』(経済統計研究会)第39号,1980年9月

2016-10-18 11:27:19 | 12-1.社会科学方法論(経済学と方法)
石倉一郎「社会科学(経済学)と自然科学,対象と方法論-社会統計学派の理論的基調にふれて-」『統計学』(経済統計研究会)第39号,1980年9月

 前半では人間社会と自然との一般的関係が論じられている。社会科学でこの関係は得てして,自然が人間の改造の対象として一面的に捉える傾向が強かったが,よく考えてみると人間といえども自然の一部であり,その社会は自然の影響を大きく蒙っているのであるから,両者は相互に作用する関係のなかで考察されるべきであり,それこそが弁証法的な考察になりうる。事実,マルクスは初期に既にそのような理解をもち,『資本論』でもこの視点は一貫している。現代の哲学者,A.シュミット,F.フィードラーもこのことを強調している。

 筆者は以上のことを確認したうえで,自然には2種類あると言う。「二つの自然」という問題提起である。一つは,「根源的あるいは純粋の自然」である。もう一つは,「人間社会との相関にある自然」である。これらは,同一現象の思惟による抽象度の相違によるものであって,いわゆる「天然自然」と「人為の加えられた自然」との区別とは異なる。筆者は「人間社会との相関にある自然」は自然と社会との境界領域に存在するものととらえ,ここにこそ多くの現代的諸問題が発生しているとみる。

 それでは,社会統計学派は社会と自然との関係をどのように理解しているのだろうか。筆者によれば,第一に,この学派は両者を峻別しているとみる。もっとも,筆者はこの学派が「人間社会との相関にある自然」を否定しているのではなく,社会と峻別されているのは「根源的自然」である。数理統計学が対象とするのは,この「根源的自然」である。
第二に,現象の数量化は自然現象と社会現象とを問わず,それらの特定側面を抽象して認識するという,限定された一つの技術的過程である。社会現象の数量化は,社会認識の手段としての「統計調査」という一つの技術的過程である。自然現象のそれも同様に「実測」という一つの技術的過程である。しかし,「統計調査」と「実測」とは異なった性格をもつ。

 このように現象の数量的認識過程が限られた一つの技術的過程であるということは,統計学が方法科学であることに対応する。統計学はその数字を作り,批判し,解釈し,利用する方法についての科学であるがゆえに,その限りで自然現象と社会現象とは峻別されるのである。要するに,社会科学と自然科学とはその対象そのものが密接に関連しているので,両者は共通の問題意識と緊密な協力のもとに研究を行わなければならない。この視点は,自然現象と社会現象を峻別する社会統計学派の立場と矛盾しない。その峻別は「根源的自然」についてなされているのであり,一般に数的資料の作成の仕方,使い方という限定された研究方法次元に限られるものである。問題なのはこの限定された範囲における峻別を,世界観や科学者の基本的問題意識の領域,あるいは社会科学全般の方法論にまで拡大することである。

 社会統計学派にとって,「根源的自然」自体は社会統計学のあずかりしらぬところであり,その意味で統計の対象ではない。しかし,社会的意味や関連のある自然(「人間社会との相関にある自然」)の計測結果は,この学派においても統計と見做されている。

筆者は最後に,科学方法論全体のなかで社会現象と自然現象とでそれぞれの性格がどのように異なるかを比較,検討する。そのなかでまず,一方で自然法則は自然現象のなかで斉一的に貫徹するが,それとて進化の段階によって一様でないこと,他方で社会現象にも人間の意思から独立して法則が貫徹するが,人間は科学をとおして法則を認識し,その法則を利用して環境を変えることができること,しかし社会法則は人間の主観的な意思にもとづく行動を通じてのみ貫徹するので,表面的には複雑に変化する多様な現象をつうじて現れることが確認されている。社会現象と自然現象,社会法則と自然法則とは根底において共通な性格をもちつつ,異なる側面をもつのである。

 筆者によれば科学の方法は,次のように分類可能である(『科学・技術と社会科学』)。(1)経験的実証的方法,(2)数量的方法,(3)抽象化の方法,(4)実験,(5)動的発展的見方。

これらのうち,(2)数量的方法と(4)実験は,(1)経験的実証的方法と(3)抽象化の方法よりも下位に位置する研究手段であり,(5)動的発展的見方は,研究の基本的態度あるいは研究方法である。さらに,(3)抽象化の方法は,複雑な関連のなかにあり種々な現れ方をする現象から夾雑物を捨象し,基礎的本質的なものを明らかにする方法で,これは社会科学でも自然科学でも採用される。筆者はこの方法をマルクスのいわゆる上向・下向の方法に相当すると,付け加えている。関連して,科学の階級性の問題が方法論の問題に解消できないとして,特別に議論の対象として取り上げられている。とくに自然科学にも階級性が存在することが強調されている。いずれにしても,研究方法の段階では,自然科学と社会科学の方法論は本質的に共通であるが,その適用の度合いで相違がある。

 「実験」は狭義には,隔離状態あるいは模型をつくって現象をもたらす要因の影響を再現する手段であるので,社会科学には適用できない。もっともそれは自然科学でも万能ではない。「数量的方法」には統計方法および統計的方法のことであるが,この他に数字と記号の両者からなる数式の展開や数学の理論によって実体科学の理論を構成する手段的方法(解析的操作-戸坂潤)が含まれる。この方法は社会現象にも自然現象にも共通に利用される。しかし,統計方法,統計的方法および解析的方法は,数的指標のもつ重要度,数字や数式の意義,見方,利用の仕方,その際の問題点,有効性など,具体的な適用となると両者では大きく異なり,とくに社会現象への適用の場合には独特の問題が生じ,概して利用可能性は狭くなる。同様のことは自然科学にも言えることである。

本稿で展開されている議論の密度は粗いが(隙間が多い),問題提起として理解できる。結論は自然科学も社会科学も客観的対象を研究する科学として,その方法および手段はもっとも基礎的部分では共通しているが,具体的適用段階になるにしたがい,相異なる。統計学は方法科学であるがゆえに,その資格と範囲によって,すなわち自然と社会という適用の領域によって峻別されるが,それは方法論の具体的手段の段階における相違として理解すべきである。これらの2つの科学の関連性とその方法手段の共通性は,自然社会現象の客観的統一性にもとづく。マルクスの上向・下向の論理は社会科学,自然科学を通じた共通の方法論であるが,自然科学で使われる数量的方法を社会科学に無反省に導入することは誤りである。それと同時にその誤りを排撃するだけで終わってはならず,両科学の規定部分における共通性を否定してはならない。

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