社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村和範「1925年イェンセン・レポートとボーレー-2つの代表法の対立-」『学園論集』(北海学園大学)第99号,1999年3月

2017-01-04 00:52:05 | 3.統計調査論
 構成は次のとおり。「はじめに」「1.イェンセン・レポート(1925年)-2つの代表法-」「2.ボーレーの見解-精度の測定-:(1)パラメータ推定のための2つの方法,(2)層別化による精度の向上,(3)有意選出法の批判」「3.イェンセンの反論-有意選出法の擁護-」「むすび」

 ISIの「統計学における代表法の応用を研究するための委員会」(1924年5月設置)は,1925年のISIローマ大会に「統計学における代表法に関するレポート」を提出した。委員会はボーレー,ジーニ,イェンセン,マルシェ,スチュアート,チチェックで構成され,上記レポートの報告責任者はイェンセンであった(イェンセン委員会)。このレポートによって「一般化」を目的とする一部調査の方法(代表法)が統計調査の一形態として位置づけられたが,有意選出法(キエール)と任意抽出法とはそれぞれ長所と短所をもつものとして併記された。筆者は本稿で,このイェンセン・レポートを検討し,ローマ大会以後のボーレー=イェンセン論争を考察している。

 イェンセン・レポートは3つの部分で構成されている(資料「1925年ISIローマ大会におけるイェンセン委員会の提案」としてその全文が掲載されている[193-4頁])。第一の部分では「一部調査」「代表法」「任意抽出」「有意選出」「標本」の基本タームの定義が示されている。第二の部分ではこれらの用語が比較的詳細に論じられている。第三の部分では,イェンセン委員会が起草した「提案」である。
このレポートの概要は,筆者の要約するところ,次のとおりである。(1)全数調査とは対照的に区別される一部調査を,統計調査の一形態と認めた。(2)一部調査のうち,調査結果の「一般化」を目的とする統計調査を代表法と命名した。(3)この代表法には,任意抽出法と有意選出法とがあるとして,これら2つの一部調査の間にある理論的対立をそのままに,いずれについても「一般化」のための一部調査の方法としてその意義を認め,両者を並列的に取り扱った(以上,165-6頁)。

 任意抽出法と有意選出法の併記は,レポート起草の背景にこれらのそれぞれを推す論者の間に対立があったからである。ボーレーがレポート起草の翌年(1926年)に任意抽出法を擁護する論文を書き,続いてイェンセンがそれを批判する論文を1928年に執筆していることから,そのことが分かる。
 筆者はボーレーとイェンセンの2つの論文の内容を検討している。「むすび」にそれぞれの要約があるので,引用する(187頁)。

「任意抽出学派」を代表する論者は,ボーレーである。ボーレーは層別化が推定の精度を向上させること,有意選出では対照標識の増加はさほど推定の精度をさせないことの2つの主張から,有意選出法には批判的な意見をもって,層別任意抽出法を推奨した。その際,ボーレーは,推定の数学理論としては,大標本理論にもとづく推定方式とベイズの定理による推定方式の2つを定式化・併記して,いずれの推定方式にも等距離の姿勢を保ち,甲乙をつけることはなかった。

他方,イェンセンは単一パラメータの推定の精度を基準に,2つの代表法の優劣を論じたボーレーにたいして,調査の実際はその想定よりもはるかに複雑であると述べた。そして,デンマークでの有意選出の経験(1923年のデンマーク農業センサス)にもとづいて,適切な対照標識を選択すれば,それによって代表標本の獲得が可能であると述べ,有意選出の有効性を主張した。また,ボーレーの精度公式を援用して,対照標識と単位グループを増加させれば,有意選出でも,必要な精度が確保されるとボーレーを批判した。

筆者はこの後,補足を付している。重要な指摘があるので,要約する。有意選出では対照標識を媒介にすることで,センサスと標本とが対照される。この対照によって,標本の代表性が判定される。有意選出はこの意味で,センサスを前提とした標本調査である。標本調査がセンサスを前提としなければならないとすると,その実施範囲は限定される。センサスを前提としない標本調査が構想される根拠は,この点にある。

 任意抽出法はセンサスの実施を前提としないので,その実施可能性は広がる。しかし,一般に任意抽出がセンサスを前提としないということは,対照標識を用いてその代表性を判断できないことになる。標本特性値の確率分布(いわゆる標本分布)が与える推定の精度によって推定の良好性を判断するのは,このためである。

 ボーレーは推定の精度を測定するために,大標本による推定方式(直接的方法)とベイズの定理による推定方式(遡及的方法)を定式化した。ボーレーが実査で使った方式(1912年レディング調査)は,直接的方法である。それは,今日頻繁に使われている抽出率より高く,そのために標本は大きい。パラメータに擬制しうる代用値を得るには「大標本」が必要だからである。そうであれば,調査のための時間,労力,経費の節約とは,整合性があるのだろうか。大標本理論に代わる方法は,遡及的方法だけであろうか。

 遡及的方法はベイズの定理にもとづくものなので,この場合にはいくつもの母集団の存在を想定することで,その母集団の確率的発現が前提とされるような工夫が必要である。しかし,いくつもの母集団の存在を仮定することは,非現実的なことである。しかも,ベイズの定理を利用する多くの場合には,母集団の発現確率(事前確率)が均等であると想定される。筆者は,母集団が多数あって,これが確率的に発現することを認めたとしても,その事前確率均等仮説の根拠は何か,と問うている。

有意選出の理論から任意抽出を考察すると,後者における標本の大きさが向上させる精度は誤差を確率的に評価することによって測定されるが,確率的評価には不確実性がともなう。筆者はこの点にかかわって,不確実性をともなうことなしに,代表性を判断することはできないのであろうか,と問題を投げかけている。

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