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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

杉森滉一「統計調査論」『統計学』第49・50合併号,1986年

2016-10-06 11:21:49 | 3.統計調査論
杉森滉一「統計調査論」『統計学』第49・50合併号,1986年

 『統計学』第30号(1976年)以降の統計調査論の動向をサーヴェイした論稿。「調査理論」

「調査形態論」「調査実体論・調査批判」「統計調査と社会調査」の4つの論点に分かれている。

「調査理論」では大屋調査論と木村(太郎)調査論の要約がある。大屋理論は,統計学=社会科学方法論説が社会活動としての統計調査の究明を行わなかったことへのアンチテーゼであった。大屋の問題提起については,その「反映・模写」論に賛成しない研究者もこれを受け入れた。以来,いくつかの教科書は統計制度・機構を統計調査の一部として扱うようになった。大屋はその後,「視座」の二元論として自説を拡張した。大屋理論の批判者は,統計調査を「認識活動」であるとともに,「社会活動」でもあるとし,そのような再把握を行って大屋調査論を部分的に取り入れたが,大屋自身の考える二面性は「歴史的社会的活動」と「抽象的一般的活動」であり,両者の間には根本的な相異がよこたわっている,と批判的である。

 木村太郎は,①統計には社会集団をあらわしていないものがあり(統計調査の対象は「観察単位手段[社会集団一般ではない]),②統計調査の結果でないものもあるとし(測量・記録・推計などの方法による結果は統計でありうる),通説的な統計規定を批判した。木村の所説では,まず統計「生産」があり,それがとるひとつとして統計調査がある。また,統計「生産」が統計調査という形態をとった場合も,選ばれる観察単位は理論的に可能ないくつかのうちの歴史的現実的な一つである。統計「生産」の形態や観察単位は,時々の歴史的社会的なあり方から決定される。木村調査論の特徴は,統計調査の成立と構造とを歴史的社会的に問題にしているところにある。

 「調査形態論」では,標本調査,一部調査,典型調査にかかわる論議が紹介されている。標本調査論の理解の根本は,確率概念の解釈にある。木村和範,吉田忠は度数的な解釈をし,木下滋はフィッシャー的解釈をとり,関弥三郎は有限母集団からの任意抽出確率を古典的定義で理解する。母集団,標本誤差,標本調査法の意義づけで,理解は微妙に異なる。

 吉田は標本調査特有の誤差が標本誤差だけでないことを指摘した(正確性,信頼性の問題)。趣旨は標本調査論の視野を広げるべきということにあり,この調査を社会的過程においてみるということである。

 木村太郎は,変化の測定や他との比較のために,同一のかつ実体の明らかな対象を連続して調査される統計が必要とされる場合が多いことに着目し,それが一部調査(間接調査)によって担われるとした。このアイデアから木村は一部調査を「直接」「間接」「地域」「典型」の4種に分けて考察した。筆者は,この木村案が一部調査を新たな観点から照射するものと評価している。木村はまた,従来の典型調査論が典型的個体研究の意義を強調しすぎたために,統計生産との関わりにおいて典型と典型調査を論じる点で不十分であったと指摘し,統計生産における典型を規定した。例として特定のいくつかの木材価格で木材一般の価格とするケースがあげられている。個体詳査とは別の意味の典型である。吉田は個体詳査としての典型調査を事例的実態調査のひとつとしてとりあげ,事例の代表性がとくに追及された場合としてとらえる。

 この時期には,統計調査の実状把握を試みる研究が増えた。テーマとしては,政府統計についての中央省庁担当者とのインタビュー(法政大学日本統計研究所),被調査者と調査員の実態に関する調査(大屋祐雪を代表とする作業グループ),障害者調査と人権(大橋隆憲,横本宏),プライバシー問題と西ドイツの国調中止問題(濱砂敬郎)がある。

 筆者が最後の論点として掲げるのは,統計調査と社会調査(事例的実態調査)との比較,あるいは両者の関係に関する研究である。木村太郎は社会現象を調査する総括的方法論としての調査論を社会調査論と統計調査論との統合によって果たそうとし,アメリカ社会学の調査論を読みこみ,G.v.Mayer のアイデアと蜷川虎三の所説を継承して,社会全体の数量的側面は統計調査でとらえ,社会各部分の質的側面は社会調査で捉えるべきものとした(相互補完的)。
吉田は統計調査と社会調査とを,それらの過程と結果に関して比較対照し,木村見解と大筋で一致した。しかし,吉田はそれらの関係を,相互前提的とみた。吉田の独創性は,①統計調査の社会活動としての側面を積極的に考慮したこと,②この側面が社会的認識方法の一形態としての統計調査にどのように活かされているかという問題意識で統計調査論を再検討したこと,③この再検討された統計調査論を基準に,社会調査の過程と結果の特殊性を分析したことである。

 筆者は「結び」で,この時期の統計調査論がその社会的側面に注目するようになり,議論が詳しく,精密になったことを歓迎している。また,調査論が調査の実態にそくして究明されるべきことを提案している。統計調査は社会過程と認識過程の二側面をもつが,筆者は両者の関係の考察が統計調査論の社会的側面の実体的研究のなかで追及されなければならない,と述べている。さらに,統計調査と社会調査論との関係をより緻密に考えていくこと,社会調査論の一部と考えられている諸問題を統計調査論の一部として展開することを展望し,筆者の結論としている。

木村太郎「統計調査法の諸概念について」『統計学あれこれ』産業統計研究社,1998年

2016-10-06 11:19:25 | 3.統計調査論
木村太郎「統計調査法の諸概念について」『統計学あれこれ』産業統計研究社,1998年(『國學院経済学』第33巻第2・3号,1985年)

 統計調査法を構成する諸概念(社会集団,単位,標識,時,場所)は,社会統計学派の諸学者によって継承されてきた。しかし,論者によって諸概念の理解に微妙な差異がある。この差異は,これらの諸概念を具体的な統計調査論の展開のなかで拡大される。
筆者は統計調査の対象は社会集団であるが,統計対象は社会集団に限定されるべきでない,という主張をしてきたが,それに対する賛否の見解を点検すると,その評価や批判がよってたつ統計調査の諸概念の把握にかなりの相違があることがわかった,という。これらの相違は,結局,ドイツ社会統計学派の諸論者の間に存在する,統計調査法の諸概念に関する理解の相異の反映である。本稿の課題は,従来の諸論者のこれらの諸概念の差異を整理し,議論の前提となる共通認識を作ることである。

 最初に「調査単位」概念の確認が行われている。筆者によれば,「調査単位」の概念には2つの使われ方がある。一つは統計調査の対象である社会集団の構成要素としての単位である(チチェクのErhebungseinheit の訳語)。筆者の用語では「観察単位」である。もう一つは統計調査の対象である社会集団の構成要素である単位そのものを補足するために設定される単位である(人口調査における「世帯」)。統計調査の対象である社会集団が問題とされるかぎり,諸論者の間にはその理解に大きな差異はない。しかし,数字資料としての統計の対象の背後に想定される社会集団の理解では見解は分かれる。筆者はこの事実をG.v.マイヤー,F.チチェク,P.フラスケンパー,蜷川虎三についてみていく。

 マイヤーは統計を統計調査の結果として規定するが,統計対象そのものに対する関心はほとんどない。したがって,社会集団の観察方法としての統計調査の対象としての集団の概念と統計対象の集団概念との矛盾はない。チチェクでは社会集団を対象とする統計調査法から出発するが,統計数の獲得という目的が色濃くでてくる。統計調査の諸概念は精緻化され,完成化される。彼の社会集団は,統計調査の対象である手段という性格を明確に維持している。しかし,統計数の獲得という課題が前面に出てくることで統計対象との矛盾が萌芽的に出てきている。フラスケンパーでは統計数の獲得という観点がさらに強く示され,社会集団は統計数獲得のために技術概念化され(統計対象の側からの概念化),標識をもたない単位から成る社会集団も取り入れられる。連続量としての社会集団すら構想される。蜷川では統計対象がさらに前面に出てくる。ここではまず統計対象としての社会集団の概念把握が端緒におかれる。そして連続量の集団と同種の測るべき大量という概念が最初から設定される。反面,統計調査の側からの諸概念が後退する。

 以上,諸論者の見解について概略を与えたうえで,筆者は引き続き,マイヤー,チチック,フラスケンパー,蜷川の統計調査論の中身を検討する。この検討の過程で,当初,統計調査対象としてスタートした社会集団概念が次第に統計対象の側から捉え直されるようになり,両者の矛盾が拡大するようになっていったことが明らかにされる。換言すれば,もともと統計調査の対象であった社会集団概念は希薄化され,それが統計調査論の基礎の後退につながっていくことになる。

マイヤーについては問題がないので,とくに検討されることもない。次にチチェクであるが,彼が標識和あるいは標識平均の統計を単位数の統計(社会集団の大きさ)とともに統計数獲得の主要課題としたことは,よく知られている。この標識和,標識平均の統計はチチェクにおける統計調査対象としての社会集団概念と密接な関係をもつ。彼は統計調査の種類が静態集団を対象とする静態統計調査と動態集団を対象とする動態統計調査であるとする。重視すべきは,チチェクが統計調査の対象として把握する社会集団が静態集団にせよ動態集団にせよ,その構成たる単位がそれぞれ質的あるいは量的に異なった社会的属性をもち,相互に独立した単位からなる集団であると捉えたことである。したがって,統計調査の結果,獲得される統計数で絶対数として示されるものは,単位の合計である「単位数」と「標識和の統計」だけである(量としての集団という考えは全く成立しない)。しかも「標識和の統計」は,個々の単位である工場内部における記録に関わる問題であり,統計調査の問題とされない。(この辺りの叙述は,わたしにはわかりづらかった。)

理論面は以上のようであるが,実際面になると,チチェクには若干の動揺がみられる。すなわち,彼は工業生産統計や賃金収入統計を動態統計調査の結果と同一視し,動態集団や調査単位をそのなかに見いだそうとする。生産物や賃金支払行為がそれである。ここで求めた集団は非連続な集団であり,連続量としての集団という概念を導入することはなされない。
後続のフラスケンパーの調査論は,社会経済の数量的認識結果である統計数の獲得という課題から出発する。社会集団は,そのための手段としての統計集団であり,抽象化の方向をたどる。しかし,社会集団であれ統計集団であれ,これらを全ての統計数のなかに見出そうとしれば,そこには限界がある。フラスケンパーはこの限界を,「測られる集団」概念を持ちだすことで乗り越えようとする(「連続量としての集団」の導入によるこの概念の拡張)。ここで追及されている集団は,統計調査対象としての集団ではなく,統計対象としての集団である。この発想は,蜷川統計学に継承される。

蜷川統計学では,統計対象をいかに規定するかという問題がフラスケンパーにおけるより一層鮮明に登場する。すなわち,統計対象は「客観的存在としての社会集団」である。統計対象が社会集団であれば,統計の生産方法としての統計調査の対象もそれである。しかし,統計対象を社会集団と規定する限り,フラスケンパーと同じ矛盾に直面せざるをえない。蜷川は,「連続量としての集団」を「測るべき大量」として積極的に受け入れる。蜷川にあっては測るべき大量は社会集団で,それ自体が統計調査の対象たる集団でなければならない。また統計対象はすべて社会集団であるので,統計調査の結果である標識和,標識平均の統計という概念は後景に退く。この点は,フラスケンパーの統計学と同様である。筆者の記述はこの後,蜷川統計学のメリットを説く。すなわち,統計調査過程を理論的過程と技術的過程とに区別,統計調査における諸概念を単位,標識,時,場所の4要素として整理し,この規定を客観的存在としての社会集団のそれから統計調査の四要素として再規定したこと,などである。とくに蜷川が時と場所とを標識から切り離し,独立した要素としたことは社会的集団の客観的存在を裏付けるうえで重要な意味をもった,と評価している。

筆者は最後に,生産高統計,家計収支統計,賃金統計などの動態量として示される統計についてその背後に動態集団をもとめることは意味がなく(却って混乱する),統計対象についてそれをいうのならば社会経済一般でよしと主張している。そして統計そそのものの定義は,「社会経済の特定局面を,総量的にかまたは代表的に反映する数字資料」として与えられている。統計対象を「社会経済過程一般」とすることで,また統計の定義を上記のように示すことで,標識和,標識平均の統計も「統計」たりうる。また,統計調査の対象たる社会集団はその具体性を保持でき,統計調査論もより明確な概念体系たりうる。

濱砂敬郎「統計調査におけるプライバシー問題の新局面」『統計学』第47号,1984年9月

2016-10-06 11:17:52 | 3.統計調査論
濱砂敬郎「統計調査におけるプライバシー問題の新局面-西ドイツの1983年国勢調査中止問題について-」『統計学』(経済統計学会)第47号,1984年9月

 副題にあるように,旧西ドイツでは1983年の国勢調査が中止された。プライバシー保護に端を発した調査ボイコット運動があり,それを背景とした意見訴訟が起こり,連邦憲法裁判所が1983年国勢調査中止の判決を公示した。統計調査とプライバシー保護との関係如何は先進国が共通に直面していた課題であり,旧西ドイツの国勢調査はそれを象徴する事件であった。

 筆者は連邦・州データ保護委員会議の「1983年国勢調査に関する決議」を資料に,国勢調査が中止されるに至った経緯をフォローしている。「決議」は国勢調査の執行が「統計と行政執行の分離原則」を破る3つの基本的問題点をかかえていること,「国勢調査の調査票が国勢調査法,連邦統計法およびデータ保護法に適っていない」4つの理由があること,かりに国勢調査が実施されたとしても考慮すべき15の措置項目があることを問題提起した。

 旧西ドイツでは,国勢調査の調査個票の目的外使用が認められていた。個人データの匿名性と不利益措置は,この調査個票の行政目的利用とどう整合をとれるかが問題となった。この問題とともに,「決議」でとりあがられたのは統計法規やデータ保護規定の啓蒙と教示,調査単位としての世帯の設定と世帯票の使用が引き起こすプライバシー問題,個人票および密封封筒の利用,いわゆる「顔見知り」調査員問題,電子計算機によるデータ処理に対応する個人識別資料の封印・抹消措置などである。

 連邦憲法裁判所の判決は,抗議運動を背景とした憲法訴願文,それに対する連邦政府の見解,判決と判決理由からなる。論点は,統計と行政を分離する「分離原則」と個人データの匿名性の保障であった。憲法訴願人の主張はデータ譲渡条項に対する訴えであり,個人データの匿名性を人格権の本質的要素として位置づける内容のものであった。国勢調査において個人データの匿名性が保障されないことは,人格権の著しく侵害する条件である。憲法訴願人は,個人データの譲渡条項の違憲性を明らかにするために,基本法が定める「普遍的な人格権」にもとづいて,匿名性の原則を立論した。

裁判所は,「普遍的な人格権」が「情報に関する自己決定権」を含むとした。自己決定は民主主義の基本的な条件だからである。しかし,情報に関する自己決定権が無制限に認められるならば,悉皆調査である国勢調査は実施できないか,センサスとしての機能を果たしえない。したがって,情報に関する自己決定権は,「一般の公益」のための制限を受ける統計調査の公共的必要性の範囲内で許容される。

 情報に関する自己決定権が個人データの調査に与える作用を明らかにするために,裁判所の判決は個人別に調査されて匿名性がない個人データと統計目的のために把握される個人データを区別した。後者は特定の利用目的に拘束されない。問題はデータの調査と加工の局面で調査個票が匿名化されていないことである。そのため統計作成の行程では,情報に関する自己決定権を保護する措置として,統計作成業務を他の行政行為から隔離する「遮蔽化規則」という措置が講じられた。「遮蔽化規則」によって,統計と行政の分離原則を確保しようというわけである。

 連邦政府側の言い分はどうだったのだろうか。連邦政府によると,「人格権」は社会共同体に内在する個人を前提とするかぎり,国家行為の公共性によって制限されるとし,国勢調査の正当性と必要性を主張した。また調査目的については,それを一つひとつの項目に明示するのは不可能としながらも,抗議運動の高揚を目の当たりにして,それを実施した。また,国勢調査において人格権の侵害がありえないこと,データの保護に対する配慮がなされていること,基本法が個人データの匿名性を絶対的な原則と規定していないこと,個人のデータの行政における交換は社会的国家の要請であること,住民登録局への申告個票の譲渡が登録簿の訂正と譲渡目的が限定されていること,などが強調された。

 判決は次のようであった。(1)連邦政府の見解と同旨の論述によって国勢調査の調査目的の公共性と調査事項の必要性が基本的に法律関連資料で認知できる,(2)申告義務規定は国民の権利に関する自己決定権を侵害するが,国民は公共性のゆえに国勢調査を受け入れること,(3)国勢調査は社会現象に関する事実調査であるから,申告義務規定の存在は言論の自由と抵触しないこと,(4)調査方法に関しては,最も合理的な方法技術を追求する責務があるが,現状では国勢調査の調査要綱は合憲である。しかし,判決は情報に関する自己決定権を保護するための予備措置が十分でないので,憲法訴願人の訴願事項やデータ保護委員会の決議事項に応える細則を設けるよう要求した(調査組織と実施手続きに関する補償措置)。

なおデータ譲渡条項で,判決は連邦政府の見解と対立した。判決によると調査個票の個人データが住民登録業務を通して特定できない多様な行政目的のために利用されることは個票の保持を原則とする統計調査になじまず,政府統計としての機能を損なう。地方自治体への個人データの譲渡は,それが行政目的のためのものであるかぎり,統計と行政の分離原則に抵触する。データ譲渡条項には,被調査者の不利益措置を禁止する規定がある。しかし,それは個人データが統計目的のために譲渡されるかぎりで有効であるが,「統計と行政の結合」によって判断が難しくなっている。さらに行政官庁や公的機関は,データの源泉が国勢調査であることを知り得ないときには,禁止規定を遵守できない。

 以上,筆者は本稿で当該の国勢調査中止に関わる西ドイツでの事情と経過を詳細に伝えているが,それは日本を含めた先進諸国でのプライバシー問題への根本的問いかけに他ならなかった。

 付言すると西ドイツの国勢調査は,1983年調査の中止後,87年に実施された。91年の東西ドイツ統一後は長く実施されず,2011年にいたって漸く実施の運びとなった。

大屋祐雪「調査目的について」『経済学研究』第47巻第5・6号, 1983年

2016-10-06 11:16:39 | 3.統計調査論
大屋祐雪「調査目的について」『経済学研究』(九州大学経済学会)第47巻第5・6号, 1983年

統計作成および統計学体系に, 統計調査の目的がどのように位置づけられるか, また意味をもつのかを考察した論文。この問題を考察するにあたり, 筆者はまず統計数字がなぜ単なる数字ではなく「理論的性格をもった社会的数字」なのかに言及し, この点を明らかにするには統計調査に共通する基本的方法行程の諸要素, 諸契機がその表象とどうかかわっているか, を分析しなければならないとしている。本稿はそのなかで, 統計調査に共通する基本的方法行程の諸要素, 諸契機のなかの調査目的をとりあげている。

統計調査の基本形態はセンサス(大量悉皆観察)であるので, 筆者はセンサスの手続き(センサス課業)を, その典型である国連社会理事会作成の『各国人口センサスに対する原則と勧告』にあたって, 確認している。調査は指導的統計家(筆者は統計調査における指導的統計家の役割を最初に評価した人は, Zizekではないかと推察している)の調査目的がまずあり, これを実現するための組織的・技術的課業へと, すなわち調査計画, 調査の企画, 調査の準備というプロセスへと続く。

 調査計画は, 目標設定に始まる。この目標設定は, 統計調査が社会的認識の特殊な形態になる最初の基本的契機である。調査主体の調査目標からは, 当事者の統計的対象認識の構図を読み取ることができる。その際, 調査票, 結果表, 実査計画, 集計計画, 指導要領, 調査の手引きは, 有力な資料である。政府統計では, 調査目的は国家目的から自由ではない。政府統計の目的は国家目的の現象形態である。「換言すれば, 社会的顕著事項に対する国家目的にそう統計需要の形式は, 指導的統計家を規制する調査目的の社会的歴史的側面であり, 需要される統計形態, すなわち関心がもたれる特定の集団とその部分集団について, それらの数量的特徴を特定の統計的表章によって獲得すること, この後者がすなわち調査目的の抽象的一般的側面の規定にほかならない」(p.45)。

 この論文には「補論」がある。補論ではドイツの国状学から社会統計学への変遷をたどりながら(ヨーン『統計学史』[足利末男訳], クニース『独立の学問としての統計学』[高野岩三郎訳], ワグナー『統計学』[大内兵衛訳]などを参照), 「知るに値する事物」としての国家顕著事項に着目し, そこに調査目的の位置づけがあり, 統計学の目的が国家の認識と密接不可分であったことを読み取っている。しかし, 統計学の潮流は次第に, 国状学的なものから政治算術的なものへと代替するにおよんで, 国家目的のために顕著事項を把握し, 表章することをも忘れてしまった。たらいとともに赤子まで流してしまったわけである。しかし, 筆者は主張する, 「統計学者や統計学書が統計理論の上で, 『国家』や『顕著事項』をいかにすて去っても, 政府の統計活動においては, それらは調査目的や目標設定とかかわり, 統計調査の本質的景契機として現にその実践を規制している」, 「現にある本質的契機から目をそらすとき, その学の空疎化が始まる。統計学もその例外ではない」と(p.48)。


木村太郎「一部調査論考」『統計学あれこれ』産業統計研究社,1998年

2016-10-06 11:14:20 | 3.統計調査論
木村太郎「一部調査論考」『統計学あれこれ』産業統計研究社,1998年(『國學院経済学』第29巻第1・2号,1981年)

 一部調査論は,一般の統計学の教科書では一部抽出の方法の問題(有為抽出か無作為抽出か)として提示され,前者に関しては簡単な説明が与えられるだけで,後者についての数理的手法(確率論的無差別抽出)の説明が詳しく論じられる構成をとる。これでは一部調査の基本的問題が後景におしやられ,事実上無視されることになる。こうした構成は,以下でとりあげるキエール流の代表法の視点にたつものである。

 一部調査で何よりも第一に問題とすべきは,観察課題に照らして,社会集団を語るいかなる一部としてこれを抽出するのかである。具体的には,社会集団の構成要素である単位をバラバラに分解して抽出するのか,地域的部分集団として抽出するのか,あるいは何らかの特定の帰属客体として抽出するのかといった問題である。筆者は一部調査の諸形態に着目し,これを次のように分類している。(1)直接的一部調査,(2)間接的一部調査,(3)地域的一部調査(間接的一部調査であるが複雑な集団性そのものが観察課題となる場合),(4)典型調査。巷間で流布している確率論的無作為調査は,(1)の場合である。この形態区分にもとづいて,一部調査論を展開しようと言うのが筆者の意図である。

 筆者はこの課題を遂行する前に,一部調査(論)の歴史的経過を確認している。一部
調査が歴史の上に登場するのは,18世紀後半からである。人口,農業生産,家畜保有などの状態の観察,補足のための調査で使われた。19世紀に入って,全国的統計制度が確立され,統計生産の基礎は全数的統計調査に代わる。代表的論客は,G. v.マイヤーである。しかし,その後,資本主義の発展とともに統計に対する要求が増えるに従い,一部調査が見直される。ノルウェーで農業問題や所得調査に一部調査を適用し,1985年の国際統計協会年次総会(ベルン会議)に関連論文を発表したA.N.キエールがその代表者である(キエールは自らの方法を代表法と呼んだ)。この段階では,マイヤーを中心とした全数的統計調査主義の影響が圧倒的に強く,キエールの議論は大きく取り上げられることがなかった。

 キエールが提唱する一部調査は前期的一部調査と同様,有為な抽出法にもとづくが,そこには社会集団総体の観察結果の一致という志向とそのための標本の形成という明確な目的意識があった。すなわち,キエールの一部調査における一部とは,全社会集団の縮図としての,しかも全数的統計調査結果である構成的統計表に表示されるだろう諸統計あるいは統計的要約値がそこから直接獲得されるような一部である。キエールが代表法と呼んだこの方法は,今日の無作為抽出論における層別抽出法や多段抽出法と類似している(ただし,無作為な単位の抽出によらず,意識的目的的に形成される)。

 キエールによって提唱された一部調査論は実用面で受け入れられ,普及した。国際統計協会は1924年,代表法に関する研究委員会を設け,統計学者に討論と研究を委託するまでになった。
 キエールが想定する代表あるいは縮図は,全数的統計調査結果に対する比例的可除部分である。代表的地域を抽出するために地域の類型化という作業が行われるが,それは社会的類型そのものの摘出に目的があるのではなく,あくまでも部分抽出のための対象集団を等質化する技術的措置にすぎない。代表法に関する研究委員会に参加したジェンセンは,論理的には無作為抽出法に傾斜しながら,経験的に有為抽出法の役割を無視しえなかった。そのジェンセンは代表法的視点にたって有為抽出法に対する問題意識を次の3点に要約し,そこに多くの限界があることを逐一明らかにしている。

(1)有意抽出における抽出の単位を,社会集団の構成単位ではなく,地域やグループに求め
られていること。(2)この地域やグループの群から代表的な地域やグループを選出するが,この選出のためにはその代表性を示す特定の標識に関する要約値が予め知られていなければならないこと。(3)代表性をもった特定標識に関する要約値にもとづいて代表的地域やグループが選出されるが,この代表的グループは基準とした特定標識について代表的であるだけではなく,その他の標識に関する要約値にもとづいても代表的とみなしうること。
 キエールによる代表法的構想とその後のジェンセンらによる議論の継承の軌跡をたどることで明らかになったことは,一部抽出調査の方法の問題にはそれが有意か無作為かという形で提起される論理的道筋を含み,そこでは一部抽出の問題が全体に対する標本誤差の問題に収斂されてしまうので,一方では無作為抽出法登場の地ならしとなり,他方では諸他の一部調査の場を縮小させることとなったということである。以上の事柄との関連で,筆者は地域的一部調査(地域内全数調査)の事例として,日本での農業調査の調査方法の変更問題,すなわち代表法的視点にたった多段無作為抽出法から類型的地域的一部調査への転換に言及している。この代表法的視点から類型的地域的一部調査への転換は,一部調査に対する要求が全数的統計調査結果の形式的な近似値獲得ではなく,まさに多様な集団性の実態的把握であることによって余儀なくされたものであった(昭和53年の農業報告書,参照)。

 以上の考察を経て,筆者は冒頭に掲げた一部調査論の分類を再掲し,若干のコメントを付している。分類方法の提示そのものが目的なのではなく,そこから出発して一部調査論の内容をその実際的領域に拡大して展開することが重要なのである。現代統計学において一部調査の方法として最大の重きがおかれている確率論的無差別抽出は,複雑な集団性をもつ対象にそのまま適用できず,そのため多段無作為抽出や層別無作為抽出などの等質化の措置が事後的に講じられ,有意的方法をある程度取り入れざるをえないのが現実である。確率論的無差別抽出の適用が可能な領域は,集団性が単純なもので,全数的統計調査にたよれない場合に,限定的に採用されるべきである。