杉森滉一「統計調査論」『統計学』第49・50合併号,1986年
『統計学』第30号(1976年)以降の統計調査論の動向をサーヴェイした論稿。「調査理論」
「調査形態論」「調査実体論・調査批判」「統計調査と社会調査」の4つの論点に分かれている。
「調査理論」では大屋調査論と木村(太郎)調査論の要約がある。大屋理論は,統計学=社会科学方法論説が社会活動としての統計調査の究明を行わなかったことへのアンチテーゼであった。大屋の問題提起については,その「反映・模写」論に賛成しない研究者もこれを受け入れた。以来,いくつかの教科書は統計制度・機構を統計調査の一部として扱うようになった。大屋はその後,「視座」の二元論として自説を拡張した。大屋理論の批判者は,統計調査を「認識活動」であるとともに,「社会活動」でもあるとし,そのような再把握を行って大屋調査論を部分的に取り入れたが,大屋自身の考える二面性は「歴史的社会的活動」と「抽象的一般的活動」であり,両者の間には根本的な相異がよこたわっている,と批判的である。
木村太郎は,①統計には社会集団をあらわしていないものがあり(統計調査の対象は「観察単位手段[社会集団一般ではない]),②統計調査の結果でないものもあるとし(測量・記録・推計などの方法による結果は統計でありうる),通説的な統計規定を批判した。木村の所説では,まず統計「生産」があり,それがとるひとつとして統計調査がある。また,統計「生産」が統計調査という形態をとった場合も,選ばれる観察単位は理論的に可能ないくつかのうちの歴史的現実的な一つである。統計「生産」の形態や観察単位は,時々の歴史的社会的なあり方から決定される。木村調査論の特徴は,統計調査の成立と構造とを歴史的社会的に問題にしているところにある。
「調査形態論」では,標本調査,一部調査,典型調査にかかわる論議が紹介されている。標本調査論の理解の根本は,確率概念の解釈にある。木村和範,吉田忠は度数的な解釈をし,木下滋はフィッシャー的解釈をとり,関弥三郎は有限母集団からの任意抽出確率を古典的定義で理解する。母集団,標本誤差,標本調査法の意義づけで,理解は微妙に異なる。
吉田は標本調査特有の誤差が標本誤差だけでないことを指摘した(正確性,信頼性の問題)。趣旨は標本調査論の視野を広げるべきということにあり,この調査を社会的過程においてみるということである。
木村太郎は,変化の測定や他との比較のために,同一のかつ実体の明らかな対象を連続して調査される統計が必要とされる場合が多いことに着目し,それが一部調査(間接調査)によって担われるとした。このアイデアから木村は一部調査を「直接」「間接」「地域」「典型」の4種に分けて考察した。筆者は,この木村案が一部調査を新たな観点から照射するものと評価している。木村はまた,従来の典型調査論が典型的個体研究の意義を強調しすぎたために,統計生産との関わりにおいて典型と典型調査を論じる点で不十分であったと指摘し,統計生産における典型を規定した。例として特定のいくつかの木材価格で木材一般の価格とするケースがあげられている。個体詳査とは別の意味の典型である。吉田は個体詳査としての典型調査を事例的実態調査のひとつとしてとりあげ,事例の代表性がとくに追及された場合としてとらえる。
この時期には,統計調査の実状把握を試みる研究が増えた。テーマとしては,政府統計についての中央省庁担当者とのインタビュー(法政大学日本統計研究所),被調査者と調査員の実態に関する調査(大屋祐雪を代表とする作業グループ),障害者調査と人権(大橋隆憲,横本宏),プライバシー問題と西ドイツの国調中止問題(濱砂敬郎)がある。
筆者が最後の論点として掲げるのは,統計調査と社会調査(事例的実態調査)との比較,あるいは両者の関係に関する研究である。木村太郎は社会現象を調査する総括的方法論としての調査論を社会調査論と統計調査論との統合によって果たそうとし,アメリカ社会学の調査論を読みこみ,G.v.Mayer のアイデアと蜷川虎三の所説を継承して,社会全体の数量的側面は統計調査でとらえ,社会各部分の質的側面は社会調査で捉えるべきものとした(相互補完的)。
吉田は統計調査と社会調査とを,それらの過程と結果に関して比較対照し,木村見解と大筋で一致した。しかし,吉田はそれらの関係を,相互前提的とみた。吉田の独創性は,①統計調査の社会活動としての側面を積極的に考慮したこと,②この側面が社会的認識方法の一形態としての統計調査にどのように活かされているかという問題意識で統計調査論を再検討したこと,③この再検討された統計調査論を基準に,社会調査の過程と結果の特殊性を分析したことである。
筆者は「結び」で,この時期の統計調査論がその社会的側面に注目するようになり,議論が詳しく,精密になったことを歓迎している。また,調査論が調査の実態にそくして究明されるべきことを提案している。統計調査は社会過程と認識過程の二側面をもつが,筆者は両者の関係の考察が統計調査論の社会的側面の実体的研究のなかで追及されなければならない,と述べている。さらに,統計調査と社会調査論との関係をより緻密に考えていくこと,社会調査論の一部と考えられている諸問題を統計調査論の一部として展開することを展望し,筆者の結論としている。
『統計学』第30号(1976年)以降の統計調査論の動向をサーヴェイした論稿。「調査理論」
「調査形態論」「調査実体論・調査批判」「統計調査と社会調査」の4つの論点に分かれている。
「調査理論」では大屋調査論と木村(太郎)調査論の要約がある。大屋理論は,統計学=社会科学方法論説が社会活動としての統計調査の究明を行わなかったことへのアンチテーゼであった。大屋の問題提起については,その「反映・模写」論に賛成しない研究者もこれを受け入れた。以来,いくつかの教科書は統計制度・機構を統計調査の一部として扱うようになった。大屋はその後,「視座」の二元論として自説を拡張した。大屋理論の批判者は,統計調査を「認識活動」であるとともに,「社会活動」でもあるとし,そのような再把握を行って大屋調査論を部分的に取り入れたが,大屋自身の考える二面性は「歴史的社会的活動」と「抽象的一般的活動」であり,両者の間には根本的な相異がよこたわっている,と批判的である。
木村太郎は,①統計には社会集団をあらわしていないものがあり(統計調査の対象は「観察単位手段[社会集団一般ではない]),②統計調査の結果でないものもあるとし(測量・記録・推計などの方法による結果は統計でありうる),通説的な統計規定を批判した。木村の所説では,まず統計「生産」があり,それがとるひとつとして統計調査がある。また,統計「生産」が統計調査という形態をとった場合も,選ばれる観察単位は理論的に可能ないくつかのうちの歴史的現実的な一つである。統計「生産」の形態や観察単位は,時々の歴史的社会的なあり方から決定される。木村調査論の特徴は,統計調査の成立と構造とを歴史的社会的に問題にしているところにある。
「調査形態論」では,標本調査,一部調査,典型調査にかかわる論議が紹介されている。標本調査論の理解の根本は,確率概念の解釈にある。木村和範,吉田忠は度数的な解釈をし,木下滋はフィッシャー的解釈をとり,関弥三郎は有限母集団からの任意抽出確率を古典的定義で理解する。母集団,標本誤差,標本調査法の意義づけで,理解は微妙に異なる。
吉田は標本調査特有の誤差が標本誤差だけでないことを指摘した(正確性,信頼性の問題)。趣旨は標本調査論の視野を広げるべきということにあり,この調査を社会的過程においてみるということである。
木村太郎は,変化の測定や他との比較のために,同一のかつ実体の明らかな対象を連続して調査される統計が必要とされる場合が多いことに着目し,それが一部調査(間接調査)によって担われるとした。このアイデアから木村は一部調査を「直接」「間接」「地域」「典型」の4種に分けて考察した。筆者は,この木村案が一部調査を新たな観点から照射するものと評価している。木村はまた,従来の典型調査論が典型的個体研究の意義を強調しすぎたために,統計生産との関わりにおいて典型と典型調査を論じる点で不十分であったと指摘し,統計生産における典型を規定した。例として特定のいくつかの木材価格で木材一般の価格とするケースがあげられている。個体詳査とは別の意味の典型である。吉田は個体詳査としての典型調査を事例的実態調査のひとつとしてとりあげ,事例の代表性がとくに追及された場合としてとらえる。
この時期には,統計調査の実状把握を試みる研究が増えた。テーマとしては,政府統計についての中央省庁担当者とのインタビュー(法政大学日本統計研究所),被調査者と調査員の実態に関する調査(大屋祐雪を代表とする作業グループ),障害者調査と人権(大橋隆憲,横本宏),プライバシー問題と西ドイツの国調中止問題(濱砂敬郎)がある。
筆者が最後の論点として掲げるのは,統計調査と社会調査(事例的実態調査)との比較,あるいは両者の関係に関する研究である。木村太郎は社会現象を調査する総括的方法論としての調査論を社会調査論と統計調査論との統合によって果たそうとし,アメリカ社会学の調査論を読みこみ,G.v.Mayer のアイデアと蜷川虎三の所説を継承して,社会全体の数量的側面は統計調査でとらえ,社会各部分の質的側面は社会調査で捉えるべきものとした(相互補完的)。
吉田は統計調査と社会調査とを,それらの過程と結果に関して比較対照し,木村見解と大筋で一致した。しかし,吉田はそれらの関係を,相互前提的とみた。吉田の独創性は,①統計調査の社会活動としての側面を積極的に考慮したこと,②この側面が社会的認識方法の一形態としての統計調査にどのように活かされているかという問題意識で統計調査論を再検討したこと,③この再検討された統計調査論を基準に,社会調査の過程と結果の特殊性を分析したことである。
筆者は「結び」で,この時期の統計調査論がその社会的側面に注目するようになり,議論が詳しく,精密になったことを歓迎している。また,調査論が調査の実態にそくして究明されるべきことを提案している。統計調査は社会過程と認識過程の二側面をもつが,筆者は両者の関係の考察が統計調査論の社会的側面の実体的研究のなかで追及されなければならない,と述べている。さらに,統計調査と社会調査論との関係をより緻密に考えていくこと,社会調査論の一部と考えられている諸問題を統計調査論の一部として展開することを展望し,筆者の結論としている。