社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村太郎「社会調査と統計調査」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

2016-10-06 11:30:10 | 3.統計調査論
木村太郎「社会調査と統計調査-統計学の側からの社会調査論序説-」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

 社会経済に関する調査の方法を整理し体系化することは,社会経済の科学的研究にとって重要な課題である。この大きな課題と関連する第1の課題は,社会学における社会調査論がそのまま社会科学における調査論たりうるかという点の検討である。第2の課題は,社会の数量的観察結果である統計が社会経済の認識ないし観察全般のなかでいかなる位置をしめうるのか,しめるべきかを明らかにすることである。

 社会調査論は社会学において,重要な学問的テーマのひとつである。そのなかには,文章的記述(モノグラフィー),統計調査法や統計解析法が含まれる。しかし,なかにはこうした社会学における社会調査論を社会科学一般における調査論と拡大解釈するものがある。筆者はこの見解に違和感を示し,この感触を解きほぐすために,まず社会学における社会調査論の発展過程を一瞥する。

 社会学における社会調査には,social survey と social research がある。両者の区別はむずかしいが一般的に,前者は何らかの特定の社会問題について,その解決策をもとめる目的で文章的叙述を含む諸種の方法を混合して行う調査であり,後者は社会全般についてのより客観的かつ一般的知識を獲得することを目的に,方法としての一定の科学的厳密性をもつ調査方法の下に実施される調査である。

社会学における調査は元来,social surveyが主流であった。それらの調査(ル・プレー「ヨーロッパの労働者」[1879年],チャールズ・ブース「ロンドン市民の生活と労働」[1892年],ローントリー「貧困―都市社会の研究」[1899年]など)は調査方法として論理的方法的整合性をもたず,科学性を欠いていた。しかし,当時においても,現在も,それらは生々しい現実を浮き彫りにし,そこにおける問題性を具体的に提起した点で,歴史的調査として評価されている。

 これに対し,social researchはsocial surveyにみられた非科学性について方法論的反省のもとに,1920年代以後,社会調査方法論という独自の形をとって登場する。チュ―ピン「現地作業と社会調査」(1920年),ボガーダス「新社会調査」(1926年),パルマー「社会学における現地研究」(1928年),ランドバーグ「社会調査」(1929年),ヤング「科学的踏査と社会調査」(1939年)などである。social researchは統計的方法を積極的に取り込むことでsocial surveyに欠けていた客観性を確保し,これを事例調査法と峻別して2つの方法的系列として確立した。

当初,統計的方法は全数調査として考えられ,社会の全体的観測こそが観察の客観性と一般的認識を担保するものとみなされたが,しだいにその困難性が現実のものとなると標本調査法が着目され,この標本調査がエクステンシブな方法,事例調査がインテンシブな方法として科学的社会調査の主要な方法的系統となる。

以上の整理を行ったうえで,筆者は科学的調査論が要請するものが調査の客観性であり,諸結果の意味の一般化であるにもかかわらず,その多くの論者が方法(標本調査論など)によって社会的事実を一般化しうるという誤った考え方に立脚していると主張する。くわえて,一部にある調査主義的傾向について,その傾向は調査が客観的,具体的事実認識にとどまるにすぎないものを,そこから一般化や法則認識まで引き出し得るとする誤解が生み出されている。
筆者によれば,こうした誤解は社会学的調査論がよってたつ社会学という学問の性格に由来するとみて,それに関する議論の一部を紹介している。要は社会学が対象とするものは,人間の相互作用と相互関係が織りなす組織としての社会,あるいは個人の行為,意志,習慣などによる個人的契機で結合した集合としての社会である(歴史的,物質的諸関係の総体としての社会ではない)。このように限られた社会的局面が対象である限り,そこから導出される結論は社会の歴史的発展法則の究明とは次元が異なり,そうであるかぎりこの科学の課題は理論的研究の過程を抜きに,社会の直接的観察である社会調査だけで達成されるという結論にならざるをえない。

 それでは統計学の立場から社会調査に言及すると,どのような回答が出てくるのであろうか。この立場で社会調査論を展望した人物に,古くはG.v.マイヤーがいる(マイヤーには,その体系的著作として『統計学と社会学』がある)。マイヤーは社会学が社会に関する客観的観察に立脚しなければならないとし,その役割を担う統計学を「精密社会学」とした。彼は社会を人間の構成体と考え,社会の科学的研究がこの構成体の諸要素の全面的な観察,すなわち悉皆大量観察によって基礎づけられるとした。

筆者によれば,マイヤーにおいて統計調査論は即社会調査論である。社会の観察を社会学における観察体系として定立させようと試みるマイヤーは当然,基礎となる社会集団概念の形成でも社会学のそれを受容する。ただ,マイヤーの社会的集団概念には,既存の社会学的なそれから脱皮している側面がある。それはマイヤーが社会の「分泌物」である人間の行為や事件,そして諸結果を社会集団とみなしていることである(既存の社会学はそれを「集団」とは考えない)。社会的物質的生産物の全てが集団的形態をとる保証はない。それにもかかわらず,マイヤーはこの種の社会的物質的生産物を統計調査の対象として問題としている。彼の統計調査論が社会調査論でありながら,社会学的社会調査論の枠をこえるとする根拠はここにある。

 マイヤーによって体系化された統計調査論,その基礎である社会集団概念はその後のドイツ社会統計学派によって(変質をみせながらも)継承される。変質の内容は,社会的物質的諸部分への傾斜である。この過程は統計学の,そして統計調査の数量的観察法としての自立化の過程であると同時に,統計調査論の社会調査論的視野の後退である。しかし,統計調査が数量的観察法として純化されても,それ自体が一個の独立した社会の直接的観察過程であるかぎり,後者を捉える方法全般の体系と無縁ではない。

この問題を自覚的に調査論のなかに取り上げたのは,蜷川虎三である。その特徴の第一は,筆者の要約によれば,社会調査論の一般的対象であった社会集団概念が,社会学的意味でも,マイヤー的意味でも後退し,専ら統計調査の対象として,数量的観察の対象としてしか現れていない。第二は,社会調査法の系統を量的調査法と質的調査法との2つの系統に分解したことである。社会調査法のこの両極分解は,統計調査の数量的調査としての純化をともなっている。
筆者は最後に「要約」として,社会科学的社会調査論のあるべき体系の基本的方向を示唆している。社会科学的社会調査は,社会全体の悉皆調査によって行われるべきである。社会のこの全体的調査は,数量的観察によって果たされる。ここから脱落する質的側面に関する観察は部分的な観察や調査(実態調査)によって補完されなければならない。この部分調査は一部調査(事例調査)と混同されてはならない。この種の調査は社会の構成要素の個別的な観察にすぎず,本来的意味における社会の部分的調査の代わりにはならない。統計に対する補完的認識資料として必要なのは,本来的部分調査=実態調査である。この部分的実態調査の多くは,個人的研究家や研究者集団の調査能力に依存せざるをえないが,政府行政諸機関が積極的に実施してもよいのではなかろうか。戦前には現にこの種の部分的実態調査が,行政機関によってしばしば行われ,価値ある実績を残したが,戦後その関心は専ら標本調査だけに限られてしまった。アメリカ的社会調査論の悪影響のひとつである。

濱砂敬郎「統計環境の分析視角-統計調査とプライバシー-」『経済学研究』第55巻第4・5号,1990年 

2016-10-06 11:28:17 | 3.統計調査論
濱砂敬郎「統計環境の分析視角-統計調査とプライバシー-」『経済学研究』第55巻第4・5号,1990年(『統計調査環境の実証的研究』産業統計研究社,1990年) 

本稿は『統計調査環境の実証的研究』(産業統計研究社)の分析視角を示す位置にあるが,内容はほとんど,マーティン・バルマー編『統計調査とプライバシー』(梓出版社,1980年)(原題:Censuses, Surveys and Privacy,1979)所収のいくつかの論文の要約である。しかし,筆者はそこから,統計調査とプライバシー問題を考察する視座を定め,統計環境の分析視角を確定することを意図しているようである。
『統計調査環境の実証的研究』の全体は,4部18章から成る。筆者はそのうちプライバシー問題に関する以下の10本の論文を検討の素材としている。

・「社会調査へのプライバシーの影響」(M.バルマー[ロンドン大学])/・「現代産業社会におけるプライバシー」(E.シルズ[シカゴ大学])/・「人口センサスとプライバシー(序)」(M.バルマー)/・「イギリスにおけるセンサスの秘匿性」(C.ハキム[ロンドン雇用局])/・「1920年以来の議会とイギリスセンサス」(M.バルマー)/・「プライバシーの侵害-合衆国センサスの場合」(C.トイバー[ジョージタウン大学])/・「プライバシー保護と合衆国センサス」(W.ピーターセン[オハイオ州立大学])/・「センサスの実施とプライバシー論議」(D.R.コープ[所属の記載なし])/・「数量的社会調査における公衆の信頼の維持」(M.バルマー)/・「統計・調査データの濫用防止」(連合王国データ保護委員会)

冒頭に1970年頃から顕著になったセンサスとプライバシー保護に関する紛争ないし社会問題化(イギリス1971年,1976年センサス,オランダの1981年国勢調査の中止,西ドイツ1983年国勢調査の中止と87年再調査など)が紹介され,統計調査環境における事態の深刻化の指摘とともに,当該問題の緊急性への言及がある。

筆者はまず,センサス統計の秘密保護問題を最も包括的に論じているC.ハキム論文(「イギリスにおけるセンサスの秘匿性」)に注目している。ハキムはこの論文のなかで,センサス統計の秘密保護問題を「センサスの秘密性:原則と法律」「秘密性:実務的定義と政策」「センサスの秘密性にたいする国民の態度」「当面の課題」に分けて議論を展開している。ハキムは論文のなかで,センサスの秘密性は最初から(1801年)確立されていたのではなく,暗黙の前提として出発していたが,その後,徐々に意識化され,1920年センサス法で調査個票の統計目的利用,行政目的のための秘匿名個人データの譲渡禁止,守秘義務違反に対する細密な罰則規定および申告義務規定が確定した,と述べている。しかし,センサス統計の秘密保護と申告義務とが,プライバシー問題との関連で本格的に社会的論議の的となったのは1970年代に入ってからである。さらにハキムによれば,統計調査の秘密保護措置に関する大きな変化の契機になったのは1961年センサスへの自動データ処理技術の導入からである,と言う。センサスの実査過程の分析では,いわゆる「顔見知り調査員問題」,回収されたセンサス個票の保管問題,コンピュータ化されたセンサス・ファイルの保全とアクセスの管理に関わる問題,統計作成過程の最終局面でのデータの安全性確保の問題状況と国民の間にひろまっているデータ保護に対する不安について,手際よく整理されている。

『統計調査環境の実証的研究』にはまた「統計・調査データの濫用防止」(連合王国データ保護委員会)の章で,『データ保護委員会報告書』から統計および統計と行政に触れた箇所(章)の抜粋がある。また,C.トイバーは「プライバシーの侵害-合衆国センサスの場合」で,プライバシーへの侵害を,センサス記録の秘密性および質問への回答の国民への要請との関連で考察し,合衆国での統計活動に関する基本法規と,人口センサスにおける秘密保護の状況を具体的に紹介している。トイバー論文には,統計調査を存続させるための統計主体の熱意,プライバシー問題に対する危機感,個人のプライバシー権と統計活動の公共性の緊張関係が表出しているが,そこに問題の現代性が確認できても,1970年センサスにおける調査項目の採否が例示されるだけであると,筆者はコメントしている。

 次に筆者は,ハキム,バルマーによって,統計政策の将来の発展に決定的要因になるのが「国民の態度」と指摘されたことに注目している。また,W.ピーターセン論文(「プライバシー保護と合衆国センサス」とR.G.コ―プ論文(「センサスの実施とプライバシー論議」)における統計調査でのプライバシー問題の描写と分析に関心をよせている。なかでもハキムが統計調査におけるプライバシー問題がデータ保護問題だけでなく,統計情報の公共性に関する矛盾と無関係でないと指摘していること,調査個票のために新しい技術的組織的措置(独立の審査機関,情報の独占に対する情報の平等原則実現のための政策)を提唱していることを評価している。
この他,バルマーの調査項目の適切性に関する論議,ピーターセンによるプライバシーへの関心が合衆国センサスの内容に対して与えうる影響の考察(センサスに対する国民の正確な理解と,それにもとづく政府との信頼関係の確立の必要性),コープによるセンサス実施とプライバシー論議の社会学的考察(データ保護装置の考案に集中する技術的研究の限界性)の要約,紹介がある。

 結局,統計調査のプライバシー研究では,プライバシー権と統計調査の必要性の二律背反的問題をどうさばくかが問題となるが,筆者はこの問題に関するE.シルズの論文(「現代産業社会におけるプライバシー」)を要約して本稿を閉じている。シルズの考察は,筆者によれば,プライバシー意識そのものが資本主義社会の歴史的産物であり,近代市民社会の私的意識的形態に他ならず,それが今日の私的所有意識現代社会の市民の基本的権利として法律に結実するとともに,プライバシーそのものも,保護される市民の法律的権利として公認されるという指摘にまで及んでいる。シルズの見解から学ぶことができるのは,プライバシー問題の深層性である。これを指針とすることによって,統計実践に「市民の公共的な存在と私的存在の対立と緊張」という問題が日本では政府の統計活動に対する批判的評価として,西ドイツでは現代的な統計法と統計制度の構築へと総括されていったことを窺い知ることができる。

大屋祐雪「統計調査票について」『経済論集』(北海学園大学)第36巻第3号,1989年

2016-10-06 11:27:01 | 3.統計調査論
大屋祐雪「統計調査票について」『経済論集』(北海学園大学)第36巻第3号,1989年,(『統計情報論』九州大学出版会,1995年)

 多くの統計調査には,統計調査票が活用される。信頼にたる,正確な統計を得ることができるかどうかは,調査票の設計とその運用の如何にかかっている。本稿は統計的認識過程で調査票が果たす役割とその意義について論じたものである。以下,筆者の叙述にそくし,その説明を引きながら,本稿のまとめに代えさせていただく。

 統計は,社会についての総体情報である。あるいは統計は,統計的総体(統計集団)の構成要素である統計単位を手掛かりとする手続きによってのみ得られる情報である。統計単位情報の獲得には,調査票の考案・作成(統計家の頭脳労働による計画思考という課業)とそれによる統計単位からの個別情報の取得と記録(多数の調査員による組織的な記録という課業)と言う2つの課業が必要である。また,統計単位情報による全体像の形成も同じように2つの課業からなる。すなわち,個別単位情報が個別データとして振り分けられる理論的,概念的枠の考案,そして統計的表章形式の構想ならびに結果表の設計と獲得された単位情報の結果表への総括,整理である。統計による社会認識過程は,調査票によって媒介された,理論的模像から統計的総体に変容した社会現象へのプロセスに他ならない。

 それでは調査票を設計するとは,どういうことなのか。筆者はそれを調査事項の決め方と調査事項の配列とに分け,経験豊かな2人の統計実務家(伊藤廣一と藤田峯三)の叙述を,このことの説明の代わりにあてている。問題は統計実務家が語る調査票作成の具体的作業が,どのような統計的な認識論的意味をもつかである。この点を論じるにあたって,筆者は調査票を次のように再定義する。すなわち,調査票は,社会的個体の属性を統計単位の標識特性ないし標識特性値として確認し,それらを統計単位情報として結果表に分類,集計,表章する,そのためだけの記録様式である,と(p.98)。ここから統計家は調査計画の際に,一方では統計単位となる社会的個体の諸属性を脳裏におき,他方では統計的総体の表章形式となる各様式の結果表を他方の極におく。

社会的認識の統計的変容は,調査票の設計段階で始まることがまず確認され,ここから統計的総体,統計単位,調査事項,集計事項,結果表のそれぞれの意味と諸関係が浮き彫りにされていく。これらのいずれの場合にも,問題はそれらの理論的概念的次元と実際の調査票作成の次元との対比で考察される。問題意識は常に社会的個体の属性を統計的表章に写像するさいの技術的,社会的制約を考察することの重要性にある。多様な社会的属性の捨象,質問内容と回答項目の形式,分類における「割り切り」,調査票の大きさ,申告方式の形,用語や概念の使い方などが細かく具体的に説明されている。とくに質問内容と回答項目の形式,分類における「割り切り」では,国勢調査の調査票が例にとりあげられ,わかりやすい。

そのうえで調査票には,「逆順」「割り切り」「限界」の3原則が働いているという(p.106)。「逆順」とは,統計的社会認識ということから言うと「統計単位」→「調査事項」→「集計事項」→「結果表」という統計家の計画思考の流れによって調査票が設計されるのではなく,統計的総体の表章体系である統計表の表頭,表側に配される全ての集計事項がまず調査事項としてあげて調査票が設計されることである(p.99)。「割り切り」とは,多様な現実を前提としながら分類を行わなければならないとすると,ボーダーラインの事象,不特定事象,複合多義的な事象に振り回されるので,どこかで割り切って,調査票の回答に落としこむ設計がもとめられることである(p.105)。「限界」とは被調査者に回答をもとめるときには,めんどうくさがり,あきっぽい回答者(限界)の心証にあわせて,調査事項を選択し,回答選択肢を用意する方法である。(p.106)

 要するに調査票には,①社会的個体や事象の多様な特性のうち,標識化が可能なものしか採りあげることができないこと,②そのうち,調査目的に照らして必要不可欠な特性のみが限定的に調査事項に選ばれること,③集計や表章の経費面から逆順の原則にしたがって,事項数や項目数が制約されること,④それにはまたスペース面からの量的制約があること,さらに,⑤調査事項や調査項目の内容決定には限界原則からの質的,社会制約があること,が銘記されなければならない(pp.107‐108)。

調査票を媒介とした統計的認識は現実の調査対象の極めて限定的,形式的,常識的な性格の情報でしかないが,逆に統計的単位情報の拡大再生的機能をもたせることになる。したがって,統計は存在たる対象に規定されて成立したものであるにもかかわらず,統計的認識の世界では統計が存在を規定するかのような倒錯が当たり前になる契機もでてくる。調査票にとりあげられなかった対象の諸属性が,あたかも統計の上では現象そのものに初めからそのような特徴がなかったかのような取り扱いを受ける。筆者はこれを評して,統計情報の経験批判論的性格と呼んでいる(p.108)。

横本宏「精神衛生実態調査が残したもの」広田伊蘇夫・暉峻淑子『調査と人権』現代書館,1987年

2016-10-06 11:25:38 | 3.統計調査論
横本宏「精神衛生実態調査が残したもの」広田伊蘇夫・暉峻淑子『調査と人権』現代書館,1987年

1983年,厚生省(当時)は精神衛生実態調査を実施した。実施以前から反対運動があったが,厚生省はそれを無視して調査を強行した。調査は10年おきに行われていたもので,83年調査以前の73年調査でも聞き込み調査という方法が人権侵害として批判され,患者三人の自殺者まで出たいわくつきの調査であった。

83年調査の内容は,リストアップされた全国の精神神経科病院(834医療施設)に,通院,入院している全患者に一連番号を振り男女別・年齢別を記入した調査票を厚生省に提出させ,厚生省はそこから100分の1の抽出を行って,その患者に関する30項目におよぶ調査を行うというものである。調査票に記入するのは主治医である。患者に秘密裏に記入を行い,厚生省に調査票を提出する。該当する精神疾患名は360の診断名には,成績不良,喘息,怠学,登校拒否,同性愛,非行,未熟な人格,無断欠勤,問題行為,夜尿症などが含まれていたという。患者のカルテから事務員がその病名に当たるものをリストアップするというものであった。

反対運動は広範に広まったが,厚生省は強行実施した。しかし,10都府県では中止された。これでは調査の体を成していない。集計しても,それは意味のない数字である。しかし,驚いたことに調査結果は1985年3月に突然公表された。翌4月1日には,この調査の担当課長が岡山県へ異動,同課の責任者も変更となる異例の人事が行われた。

 この調査が患者の人権を無視したひどい調査であることは,一目瞭然である。筆者は怒りをこの調査の不当性を主張しているが,この論稿では次の3点を論じている。第一はこの調査の集計結果の意味である。第二はこの調査が統計史上に汚点を残すものであったことの理由である。第三はこの歴史にのこる不当な調査が,統計調査の在り方,あるいは統計調査に何を問うたかである。

 83年調査は,確率標本調査であることを銘打って行われた。標本調査である以上,無作為調査でなければならない。しかし,厚生省はあの手この手を使って調査票の回収にやっきになったが,回収率は極めて低かった(筆者は30-40%と推定している)。厚生省は回収率が低くとも,調査票の絶対数は大きいから統計調査として意義があると強弁した。厚生省のこの説明に,時の行政管理庁も同調した。しかし,調査論の原則から言えば,回収率を高めるために作為を施した標本調査はすでに標本調査ではない。回収された調査票を集計しても,そこに多少の意味があるとすれば,それは事例調査として,である。

 筆者はこの調査に,調査する側の差別と無責任があるとみている。調査内容のひどさは上記のとおりである。被調査者が「精神障害者」だから主治医が代わって調査票に,しかも患者の了解なく記入するという調査は,被調査者の意志をふみにじった差別的調査以外のなにものでもない。そのような調査が10年ごとに,反対運動を無視し「予算消化」を名目に,あとは野となれ山となれ式で実施されたのでは,統計の意義を国民の間に広く根づかせようと努力している人にとっては,きわめて不本意である。なぜならこの手の調査が,差別と組織的無責任のもとに行われれば,それは統計調査に対する国民の不信を募らせるだけで,結果的に統計環境の悪化を助長するからである。被調査者に反感をもたれる調査は,やってはいけない。

この調査を契機に筆者は,「被調査者のための統計学」を提唱している。今日の支配的統計学である数理統計学は,確率論にもとづいた数字データの数学的に解析,処理を課題とし,統計そのものをどのように集めるか,またその信頼性・正確性に関心がない。統計をそのもの,統計をいかに作るかを「統計利用者のための統計学」を再編したのが蜷川統計学である。筆者はこの蜷川統計学をさらに進めて,「被調査者のための統計学」が必要ではないかと述べている。

 関連して最後に6点の言及がある。
第一は,統計の一般的意義をもう一度問い直すことである。被調査者の立場から,調査されることにどのような意義があるかを,具体的に明らかにする必要がある。
第二に統計調査論を広い視野から再検討することである。それは被調査者が自分の情報を自己決定するという問題を,視野にいれた調査論である。
第三はプライバシーの保護,個人情報の保護に対する関心を社会全体で高めることの必要性である。
第四は指定統計調査の見直しである。指定統計が無原則的に増加している実状をあらためるとともに,指定統計以外の統計調査については,調査への協力が任意であることを徹底することである(指定統計という用語は,2007年全部改訂の現行統計法でなくなった)。
第五にそうした様々な統計調査から得られる個人情報の集中・集積を絶対にしないことである。
第六に政府情報の公開である。主権者たる国民に対して情報公開を拒否する政府には,統計調査を行う資格はない。

濱砂敬郎「統計学における統計環境論の意義(第10章)」『統計調査環境の実証的研究』産業統計研究社,1990年

2016-10-06 11:23:29 | 3.統計調査論
濱砂敬郎「統計学における統計環境論の意義(第10章)」『統計調査環境の実証的研究』産業統計研究社,1990年(「統計学の今後の課題」『統計学(社会科学としての統計学・第2集』) [経済統計学会]第49・50合併号,1986年8月)

 統計環境論を研究テーマに掲げ,成果をだしていた筆者がその研究スタンスに立脚して統計学の課題を展望した論稿。
内容は社会科学としての統計学の動向をおさえ(「1.社会科学的な統計学の動向」),統計環境の悪化という事態に直面している統計学が果たすべき役割(「2.統計環境問題と統計研究」),統計作成論の課題の確認(「3. 統計作成論の課題」),統計利用論の可能性の検討(「4.統計利用論」)である。

社会科学としての統計学の動向把握では,その内実の多様化を具体的に,是永・広田・野村・大屋編『統計学』(産業統計研究社,1984年)と内海・上杉・三潴編『統計学』(有斐閣,1966年)の構成の対比で確認している。筆者によれば,前者の特徴を後者のそれと対比して列挙するとまず,是永・広田・野村・大屋編『統計学』では研究の視野が統計作成,統計および統計利用の全ての領域に広がったことである。これは社会的な統計実践の理論的考察の成果である。第二に,統計作成論で主体的,機能的,操作的な統計調査方法論研究とともに,政府の統計調査と統計制度を客観的に分析する姿勢が明確になり,研究の視野に統計環境問題を展望する統計活動論が統計学研究の基本的領域に定着したことである。第三に,統計の信頼性,正確性を理解・吟味する課題が統計的認識の科学性を問う批判統計論志向から,主体的,機能的な統計利用の実践と言う応用科学的志向から解明されるようになったことである。

 こうした研究動向をふまえ,統計学=「統計現象の社会科学的考察説」に以下の論点をあげている。(1)統計利用論では,現代資本主義国家の行財政活動における統計利用の諸形態を,その論理的構造と具体的形態について,全面的に明らかにすること,(2)統計論では政府統計体系の「認識技術構造と歴史的社会的被規定性」を把握すること,(3)政府統計作成論では政府の統計調査体系の方法的技術的性格と政治的経済的要因を明らかにすること。

筆者は次に,統計環境論の基本論点を示している。統計学では科学的統計利用論構築の必要性,あるいはまた統計調査の歴史的社会的性格が蜷川虎三以来つとに指摘されてきたが,旧来の統計方法論研究にあっては,統計調査のこの性格は統計的認識が成立するための外在的制約条件としてのみ捉えられていた。しかし,この問題を本質的に議論するとなると,すなわち統計環境問題を研究対象として設定すると,この問題を従来のようにあつかうのでは本質論議にならない。そこで「視座の転換」が必要となる。近時問題となっている統計調査におけるプライバシー問題は,この課題にふさわしい統計研究の新たな思考方式を要請している。

 社会統計学は,世界的にプライバシー問題に直面し,統計調査のあらゆる面で基本的変革をせまられている。(1.調査目的・利用目的の公共性原則の明示,2.プライバシー保護の観点にたった調査項目と調査方法の選択,3.調査方法・手続きの基本的変更,4.調査標識と個人別標識の分離,5.調査個票譲渡の管理強化,6.統計組織の「遮蔽化」原則の徹底)。課題は山積しており,統計機構の行政からの自立性,「公共財」としての政府統計の承認などをふまえた統計論,統計体系論の構築が問われている。

その際に課題となるのは,筆者によれば,次のとおりである。(1)統計対象である社会現象総体と統計的組織の相互関連性,および相互関連性を規定する統計調査の「認識論的技術構造」と統計主体の社会的立場・関心,および統計主体と統計客体の社会的関係を理論的具体的に把握すること,(2)統計調査間の相互関係を方法的技術的組織性と歴史的制度的被規定性について明らかにすること,(3)政府統計の現代的形態である総合加工統計,国民経済計算,景気指標と社会指標の作成様式と利用形態,および統計調査体系との相互作用を歴史的論理的に分析すること,(4)主要統計と部門統計群について,政府の社会経済政策体系と対応関係を理論的に分析すること,(5)以上にもとづき統計作成論と統計利用論を総括する統計体系論を構築すること。

 筆者は最後に,統計利用論構築の必要性と困難性に関し,問題提起を行っている。プライバシーの新しい権利規定=「個人情報にかんする自己決定権」は,統計調査の公共目的的性格との間にしばしば軋轢をもたらす。両者の関係の検討,あるいはまた政府的統計利用の公共性そのものは現代統計学の対象になりうる。この他にも社会的実践過程である統計利用,とりわけ政府的統計利用の社会科学的考察に関しては,その具体的考察が必要である。ただし,こうした統計利用は種々の行財政過程に組み込まれ,一義的な議論が困難である。しかもこれら統計利用は,統計活動とみなしにくく,それぞれの領域における具体的活動と認識されるのが常であるので,注意が必要である。

 さらに統計量過程では,統計利用主体の政治目的の主導性は,統計実践の方向,内容,性格を規定する。この点は,行財政過程での個別的な統計利用の場合にはもとより,政府による経済分析・予測および計画・決定資料の利用の場合にはなおさら顕著である。先進資本主義諸国の経済計画をみるとそのことは明瞭であり,筆者が究明した西ドイツ連保政府の経済予測の方法体系の分析では,政府の計画機能が私企業や民間団体の経済予測と異なる目的機能と方法構成をとることが明らかになった。

 こうした統計利用の政府的様式に関する研究は,重要でありながら,ほとんどなされていない。統計利用論は統計学の未開拓部門であり,統計利用の現代的諸形態の全体的理論的解明は,統計学の社会科学的性格を問う試金石である。