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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

近昭夫「『ノモグラフィア的科学』と『イデオグラフィア的科学』-A.A.チュプロフにおける統計学と統計的方法の意義-」『法経研究』(静岡大学)第16巻第2号,1967年

2016-10-17 21:31:13 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
近昭夫「『ノモグラフィア的科学』と『イデオグラフィア的科学』-A.A.チュプロフにおける統計学と統計的方法の意義-」『法経研究』(静岡大学)第16巻第2号,1967年(「『ノモグラフィア的科学』と『イデオグラフィア的科学』-統計学と統計的方法をめぐって-」『チュプロフの統計理論』産業統計研究社,1987年)

 チュプロフ(1874‐1926)は20世紀のロシアの代表的な統計学者であり,レキシスやボルトケヴィッチ以来の大陸数理統計学派に属する統計学者である。

 そのチュプロフは,確率論にもとづく統計系列の安定性に関する研究方法に,とくに統計方法の論理的意義を確定することに関心をもっていた。依拠したのはレキシスの統計学で,彼は「ケトレー主義」による統計的合法則性の宿命論的解釈に異議をとなえたが,社会現象に規則性があるという点に同意し,統計系列に安定性を確率論的に測定する方法に関心をよせた。それまでのドイツとロシアの統計学は社会現象を対象とする科学と考えられていたが,チュプロフはそれを科学研究一般のなかに位置づけ,統計および統計学の科学方法論的意義を明らかにしようとした。なおチュプロフにあっては,統計学と統計方法とは分けて考えられ,前者は集団そのものに関しての知識の体系,後者はそれにもとづいて集団の安定性を媒介し,因果的連関の研究を目的とする方法と考えられた。チュプロフの関心にあったのは後者の統計的方法であり,集団-統計的方法-安定性の論理的関連を把握することがメインテーマであった。

 チュプロフがこのテーマを考察するためにもとめた方法論的基礎は,ヴィンデルバント,リッケルトの科学方法論であった。その核心は科学を「法則定立的」な「自然科学」と「個性記述的」な「歴史科学」とへの区分であった。チュプロフは基本的にこの考え方に立脚しながら,「歴史科学的」に考えられてきた統計的方法が自然科学にもとり入れられている事態に直面し,それだけでは不十分として,「法則定立的科学」と「個性記述的科学」,統計的方法と統計的集団,統計的安定性のそれぞれの関連を検討するに至る。この問題を解くために提起されたのが「ノモグラフィア的科学」と「イデオグラフィア的科学」の主張であった。

 筆者はチュプロフの見解を4点に要約する。

 (1)チュプロフは,リッケルト同様,認識の客体が無限に多様で複雑であり,これに対し人間の認識能力が有限であるので,正確な認識ができないとする。われわれの科学的認識は現実の「単純化」「図式化」「様式化」に帰着する。そして,これらが科学理論的位置にすわり,科学の理論的分類のための基礎を与える。この観点からみると,科学は「一般的なもの」に関する科学と「個別的なもの」「単一的なもの」に関する科学とに分けることができる。チュプロフは前者を「ノモグラフィア的科学」,後者を「イデオグラフィア的科学」と呼ぶ。

 (2)「ノモグラフィア的科学」は「一般的なもの」に関する科学であり,それは「世界の無限性」を一般的諸概念の形成によって把握することを目的とする。すなわち,このことは世界の細目,個別的詳細を捨象し,一般化し,現実を単純化することで,「いつでもどこでも」妥当する諸現象間の因果的連関,法則を探求することである。しかし,科学的認識は一般的な法則のそれだけでは不十分で,その理由は「実際生活上の関心」と「理論的思惟上の関心」から説明できる。結局,「ノモグラフィア的科学」と「イデオグラフィア的科学」とは相補的である。

 (3)「イデオグラフィア的科学」の内容を形成する「イデオグラフィア的知識」は,「個別的なもの」に関する知識で,われわれにとって最も関心のあるそれである(「ことごとく」の知識ではない)。統計的関心から言えば,それは「集団」である。「集団」を研究する統計学は,「イデオグラフィア的科学」に属する。それでは,チュプロフのいう「集団」とは何か。それは「永続性」のあるものであるが,個々の個別的なものが現実に一つの全体を形成している必要はなく,それらが相互作用をしたり,同種的であったり類似的である必要はない。注目されなければならないのは,「集団」の安定性である。

 (4)「ノモグラフィア的科学」と「イデオグラフィア的科学」の関係は,後者の基礎に前者が横たわっているというものである(両者は優劣関係ではない)。従来,科学の理論では,因果的側面が重視され,「個別的なもの」,とくに「集団」に関する知識は軽んぜられてきたが,社会科学のみならず自然科学でもそれが大きな役割を果たしているときには,その理解は通用しない。そして統計学と統計的方法の関係について言うと,両者は「統計的関心」に,つまり「集団」に関わる。しかし,統計学は現実を個別的に記述するものであり(「集団」の記述),統計的方法は「集団」を媒介に現実の因果的関係を解明する。「集団」は統計学にとっては「自己目的」であるが,統計的方法にとっては「目的のための手段」である。換言すれば,チュプロフにとって,統計学は「イデオグラフィア的科学」に属し,統計的方法は「ノモグラフィア的科学」と「イデオグラフィア的科学」を仲介する位置にある。

 筆者はチュプロフの見解の基本的特徴を次のようにまとめ,それぞれにコメントをつけている。①現実を認識できない混沌と理解していること。 チュプロフは,このことによって不可知論的認識論から出発している。②科学的認識を一つの統一的過程とみないで,「一般的なもの」と「個別的なもの」という2つの異なった過程に分けている。チュプロフにあっては科学とは主観が対象に働きかけ,主観の「観点」で科学が分類されている。③「一般的なもの」に関する知識は「単純化」「図式化」と考えられ,およそ因果的連関,法則を把握しようという姿勢はない。④「イデオグラフィア的科学」は時間的および空間的規定を受けた「個別的なもの」に関する科学であるものの,結局「集団」に帰する科学とされ,さらに同じ「集団」に関する科学も,上記に示した統計学と統計的方法とに分離される。集団の客観的特性は問題とされず,集団は主体の抱く関心によって構成されるだけである。⑤「ノモグラフィア的科学」と「イデオグラフィア的科学」とは同等の意義をもつとされ,統計的方法が両者を結ぶ環と考えられている。その狙いは,科学の一般的方法としての統計的方法を諸科学に導入することを合理化し,論理的に基礎づけることである。要するにチュプロフの見解は,統計的方法を新カント派哲学によって基礎づけ,それを科学的に合理化し,確証する試みであった。しかし,新カント派に全面的に依拠しない側面をもっていたことも事実であり,「一般的なもの」に関する科学と「個別的なもの」に関する科学とを統一的に理解しようとする契機ももっていた。

是永純弘「統計的合法則性についての一考察-N.K.ドゥルジーニンの見解について-」『経済志林』30巻4号, 1962年

2016-10-17 21:30:04 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
是永純弘「統計的合法則性についての一考察-N.K.ドゥルジーニンの見解について-」『経済志林』30巻4号, 1962年

 この論文の目的は, 旧ソ連の代表的統計学者だったN.K.ドゥルジーニンの統計理論を, 社会科学的法則認識において統計的法則の定立が占める位置と役割に関する問題点を考察する点に重きをおいて, 検討することに定められている。いくつか, 補足すると, まずドゥルジーニンは, 社会科学方法論説(統計学の対象を社会科学の研究方法論とみる立場)に立脚する統計学者である。筆者もそのように理解しているが, 理論の内容を点検すると, 普遍科学方法論説(統計学の対象を自然および社会の諸現象の研究方法とみる立場)に傾きかねない兆候がみられる, としている(現にその後, ドゥルジーニンはそのように傾斜していく)。次に, 統計的法則とは何かについてであるが, それは多数事例を集めて一団としてその数量的性質を明らかにする統計的研究によって得た結果である。

 さて, そのドゥルジーニンは, 統計的規則性を社会科学方法論説の立場からどのように理解していたのであろうか。要約すれば, ドゥルジーニンの統計的規則性の理解は, それを現象的規則性として, 経験的性格のものととらえ, 社会科学的研究における認識の一段階と位置づけた。統計的合法則性は現象の表面にみられる規則性にすぎず, それだけで単独にはその本質・因果性を明らかにしうるものではない, のである。この範囲で, ドゥルジーニンは当時多数派だった統計学の対象を社会現象とみる実体科学説と一線を画し, そうした理解に批判的姿勢をとった。この限りで, ドゥルジーニンの所説は正当なものだったといえるだろう。

 しかし, 問題はそこから始まる。ドゥルジーニンの難点は, 統計的合法則性の客観性について, 自然科学的な統計法則(たとえば物理的統計法則)と社会科学的なそれとの区別を見失い, 両者を大数法則にもとづいて位置づけることになり, 結局は, 社会科学的法則認識における統計的材料加工の意義(本質的現象の摘出)を見出しえない法則論にとどまったことにあった。物理的統計法則の発現の仕方は, 社会科学における大量観察の結果としての統計的法則のそれとは異なる。物理学的実験では観察する回数が多数回であるかどうかは, そこで把握された法則が統計的法則であるかどうかとはかかわりがない。回数の多少よりもその一回的な確度が重要である。認識された法則が客観的統計法則であるのは, そこに適用された方法が統計的方法だったからではないにもかかわらず, ドゥルジーニンにあっては「統計的法則という場合の統計的とは, 実はこの研究方法が統計的だということ(集団観察法だということ)を指す」ことになってしまっている。換言すれば, 「十分に多数回の観測を行う」ことと, 「偶然性を大量においてとらえる」ことは同じことではない。大量観察と大数観察とは別の事柄である。

 以上を要約して, 筆者は「ドゥルジーニンは, 統計的方法の原理を大数法則のうちに見出す限りにおいて, 統計的認識の結果が社会科学における法則的認識の材料たりうるために, この認識の結果が社会科学における法則的認識の材料たりうるために, この認識がとるべき方法構造の現実を積極的に与えることができなかった」とし, さらに統計的合法則性の実質的意味をということの重要性の指摘と例示をおこない, それらから導き出された教訓として「・・・統計解析(加工)の終点に統計的法則を設定し, それから先の理論的分析=本質的因果関係の発見への道を閉ざす如き統計加工論に反対する」との主張で結論とし, 本稿を閉じている。

山田耕之介「ソヴェト経済学における最近の数理形式主義について」『立教経済学研究』第13巻第4号,1960年2月

2016-10-17 21:26:44 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
山田耕之介「ソヴェト経済学における最近の数理形式主義について」『立教経済学研究』第13巻第4号,1960年2月

 ソ連では1954年3月に,統計学に関する科学会議が開催された。その後,1957年に新たに全連邦統計学者会議がもたれた。この間,統計学の数理形式主義がかなり進行した。筆者はこの傾向の問題点を本稿で考察している。

 54年会議は統計学に関する決議を与えて閉幕したが,この決議にはいくつかの難点があった。筆者の整理によれば,それらは第一に統計学の理論的基礎が史的唯物論とマルクス・レーニン主義の経済学とした点で,これは独立の科学である統計学が他の独立の科学を基礎におくという奇妙な関係の承認になること,第二に統計学が独自の対象を大量的社会現象の量的側面とするという規定が消極的なそれで,経済学との境界が曖昧であること,第三に決議が数理的形式主義の論駁に性急のあまり,他の独創的な諸見解を十分考慮していないこと,であった。遠からず,次の論争が生まれてくる可能性があったが,それが現実となった。事実,54年会議後,経済学の研究活動が経済現象の質的側面の研究から量的側面のそれへの移行を要請する動きがあった。そのことは,当時のレニングラード大学経済学部の研究計画にも確認することができる。また,この動きは企業規模の生産計画はもとより,国民経済規模のバランス論でも顕著であった。

 全ソ連邦統計学者会議は,こうした背景のもとに,1957年6月4日から8日まで,モスクワで開催された。この会議は,ソ連で初めて投入産出表(部門連関バランスのこと)が登場したことで知られている。会議には中央および地方の統計・計画機関などから650名以上が参加した。議題は3本あり,第一議題は工業と建設業の管理組織改善に対する統計学の実践的・科学的任務に関する問題,第二議題は1959年1月の国勢調査計画に関する問題,第三議題は国民経済報告バランスの基本的方法論に関する問題,であった。本稿では,これらのうち第一と第三の議題に関した議論が,とくに後者に重きがおかれて,とりあげられている。

 第一の議題に関しては,計算と統計の中央集権化,統計活動の機械化,政府の統計機関における経済研究の改善,統計学の方法論的研究の改善,統計活動における人材の養成の5部からなる決議が紹介されている。「統計学の方法論的研究の改善」には,54年会議が統計学の創造的発展に寄与した意義が強調されながら,なお多くの欠陥があるとして,具体的研究方向の指示がある。それらは①産業部門の分類,②地域指数の作成問題,③工業および資本形成の発展指標の地域間比較のための方法論的基礎,④地域間および共和国間の関係研究に関連した工業および建設業における専門化と協力関係の統計的研究,⑤投資効率の計算に関連した価格形成,収益性,蓄積水準の研究,⑥企業の生産能力決定の方法論,⑦物材報告バランス構成の統一的方法論,⑧サンプリングおよびグループ分けの利用問題,などである。

 第三の議題をめぐる討論は,国民経済計画化の新しい力点の所在をめぐってなされた。ここでは中央統計局国民経済バランス部長ヴェ・ア.ソーボリの報告が紹介されている。ソーボリは報告のなかで,国民経済バランス総括表を含めた11の付表をもつ7個のバランスを討議案として提出した。重要なのは,この討論で投入産出表(分析)の評価,位置づけが初めて議論されたことである。ソーボリはその報告で投入産出表を国民経済バランス体系のなかの「社会的生産物の生産,消費,蓄積のバランス」の付表として示した。「社会的生産物の生産,消費,蓄積のバランス」に対しては,ペトロフ(ゴスプラン科学=研究経済研究所),エイデリマン(中央統計局),カーツ(ゴスプラン科学=研究経済研究所)などの見解が紹介されている。ソーボリ自身の投入産出分析に対する態度は全面的支持ではなく,条件付きであった。しかし,ネムチーノフ,リフシッツは,投入産出分析の積極的利用を主張した。関連して旅客運輸が生産的労働であるか,価格の価値からの乖離度を決められるか,生産物価値をどのように算定するかなどの論点が議論された。

 会議での議論を契機に,数理派は投入産出分析(部門連関バランス分析のこと)に関心をよせ,その利用を推奨した。数理派の意図は,経済分析に数学利用が妥当であることの再提起にあった。筆者は科学アカデミー会員のネムチーノフの論文(「ソビエト経済科学の現代的課題」),モスクワ財政研究所のマスロフの論文(「経済計算における数学の利用について」)に代表させて,数理派の主張を吟味している。

 ネムチーノフは経済学者が社会についての技師であるとし,生産の技術および工業技術の研究と接触を失ってはならない,と述べた。この点を前置きに,数学利用の有効性が主張された。社会主義社会では多数のさまざまな計画や経済の計算にもとづいて運営されているから,数学的方法の意義が各段にたかまるというわけである。課題の第一は,あらゆる消費対象,労働対象および労働手段の社会的価値の決定である。これは国民経済を科学的に管理する環である。課題の第二は,個々の標準量(たとえば物材補給ノルマ)の決定である。ここでは,現代数学の方法(例えばマトリックス代数)の利用が考えられると言う。他方,マスロフは,数学利用と経済モデルの利用の2つの論点を明示して議論展開した。マスロフはまず,マルクスが科学の完成条件を数学の利用度にみていたと述べ,次いで,経済学における数学利用が経済モデルの構成によって果たされる,と主張した。

 筆者はネムチーノフ,マスロフのこのような主張が誤っていること(経済成長の経済法則をひとつの定差法方程式であらわすことにみられる計量経済学に対する過大評価)を逐一指摘し,最後に次のように結論付ける。「・・・ソ連邦において経済学が指導的役割をはたすためには,量的研究についても強化されねばならないことはいうまでもない。そして,その場合にこれまでの質的研究がさらにいちだん深められることがなによりも大切である。なぜなら,方法は対象の性格によって第一義的に規定されるからである」と。(p.290)

大橋隆憲「統計学=社会科学方法論説の擁護-ドゥルジーニン批判の吟味-」『経済学研究』(北海道大学)第12号,1957年

2016-10-17 21:24:02 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
大橋隆憲「統計学=社会科学方法論説の擁護-ドゥルジーニン批判の吟味-」『経済学研究』(北海道大学)第12号,1957年

 筆者は,統計学=社会科学方法論説に立脚して統計学を構想している。ところで,ソ連の統計学論争は,統計学=実質科学説で討論に終止符をうった。筆者はこの統計学論争帰結後の,この国における経過と展開を吟味し,統計学=社会科学方法論説の正当性の主張を本稿の課題としている。
 社会科学方法論説の立場にたつ筆者は,当然のことながら,実質科学説を承認しないが,そのポイントは結局,実質科学説では統計学と経済学との関係が不明確であることにつきるとしている。筆者はしたがってドゥルジーニンの説に親近感をよせているが,かといってその説に全幅の信頼をよせているわけではない。こうした点が,本稿の論点になっている。

 ドゥルジーニン説は要約すると次のようである。(1)統計学は社会科学である。(2)統計学の基礎は史的唯物論と経済学にある。(ここまでは実質科学説と同じである)。両者の違いは,対象の質と量との関係の見方である。ドゥルジーニンは,理論的・経済学的一般化と具体的統計資料研究の有機的結合=統一を主張する。質と量とを区分することはできない。また,他の科学によって確定された法則の「描写」=記述だけを目的とする独立の科学の存在は認められない。統計学は独立の科学ではなく,方法科学である。

 筆者はこのドゥルジーニンの見解を紹介した後,それに対する批判,そしてドゥルジーニンの反批判を詳細に検討している。ドゥルジーニン見解を批判する者の論点は,(1)統計学=社会科学方法論説が普遍科学方法論説の変形にすぎない,(2) 統計学=社会科学方法論説は具体的な社会経済的内容を抹消している,(3) 統計学=社会科学方法論説は統計方法を唯物弁証法に置きかえていることである。これらに対し,ドゥルジーニンは逐一反批判をし,筆者はそれらを丁寧に解説しているが,紙幅の都合でその要約は割愛する。(pp.53-54には,筆者の意見として反論が掲げられている)

 さらに筆者は,ホルンジー,チェルメンスキーによるドゥルジーニン見解批判を紹介している。重点はチェルメンスキーによる批判である。批判のポイントは次のとおりである。(1)社会科学方法論説は統計資料の位置づけを過小評価している。チェルメンスキーは逆に統計結果である統計資料を統計学の中核に据えるべきと述べている。統計学は,統計資料によって社会現象を研究する学問である,というわけである。チェルメンスキーは,統計学の内容豊富な特質を列挙している。事実分析への関与,現象の標識の決定と研究,経済的諸現象の型への表現付与などである。筆者はこれらを評価して,統計学=社会科学方法論説が継承しなければならないものであると述べている。しかし,筆者は,だからと言って,方法の成立基盤=適用対象(社会集団)を重視することは,統計学を実質社会科学に昇格させねばならないことを意味しないということを急いで付けくわえている。

 他に(2)社会科学方法論説は,社会生活における客観的合法則性を否認していること,(3)未決な問題(「統計指標の本質」の問題)を課題から外していること,すなわち対象規定を捨象した統計方法過程になっていることに対する批判が紹介されている。

さらにプロシコ見解の吟味がある。プロシコは,統計学=実質科学説に与しない。彼自身は統計学=統計的計算の理論を主張している。この見解は,概略,次のようなものである。統計学の対象は社会的労働の特別の形態として分離独立した統計的計算過程―社会認識を目的とする人間の組織的活動過程である。プロシコの見解を整理した後に,筆者は次のように述べている。少し長い引用になるが,重要なので書き留めておく。「プロシコにみられるような,統計学の対象を『社会的労働の特別な形態として歴史的に分離独立した統計的計算過程』『歴史的に特殊な形態をもつに至った人間の実践的活動・機構』とする考え方は,たしかに経済活動や行政活動とは質的に目的を異にする統計的認識活動を,統計学の独自の対象領域に指定したように見える。しかし,その活動も結局は認識対象の知的反映活動にほかならないから,認識対象側からの規定性を捨象した活動形態のみに着目するならば,方法の技術過程の分析論または制度論にとどまらざるをえない。問題は,統計方法論をこのように活動形態論にとどめるか,それとも,統計方法の基礎規定としての社会集団論から統計方法論をうち立てるか,にある。私見によれば,ドゥルジーニンやプロシコのごとき規定の仕方では前者にとどまらざるをえないと考える。いわゆる旧来のドイツ統計学書は一般に,社会集団論につづいて,集団観察過程を(1)統計調査(調査主体,調査機関,調査客体,調査方法,調査票,調査票の運用・機関・方法),(2)整理加工(分類,集計,比較,平均,比率,系列,各種の表示法)にわかって説くが,社会集団論の欠如したプロシコの考え方では,その論理構造から当然に,わずかにこの方法の技術・機構を扱うにとどまらざるをえない。/これに対し,同じく統計学の対象を『統計方法』とする見地に立つも,統計方法過程を規定するものとしてのその内容的契機たる統計方法の成立基盤=適用対象を重視する考え方は,統計結果=統計指標・統計数値・統計資料・一般化指標(統計法則)の問題を統計学の中心課題とすることになろう。この見地をとったにしても,統計対象たるいわゆる社会集団過程は,他の実質社会科学の対象に他ならないから,統計学を実質的意味での独立の社会科学と主張することは困難である。統計学は,社会科学方法論の従属的な一つの特殊形態として位置づけるよりほかない。私はこの意味の統計学=社会科学方法論の見地をとる」(p.48)。

 以上を踏まえて筆者は,統計学,統計方法,統計について,自説を以下のように要約している。
(1) 統計学の研究対象は統計方法である。
(2) 統計方法とは,社会認識の目的の下に,統計対象を統計結果として捉える過程の方法的諸規定の特殊な結合形態である。統計方法は統計対象と統計目的によって規定される。
(3) 統計対象(統計方法の成立基盤である統計方法の適用対象)は社会集団の運動過程(社会集団過程または社会集団現象と略称)である。
(4) 統計目的(統計方法の適用目的)は,社会の具体的・数量的目的という以上に,一般的に規定することは困難である。けだし,統計主体のおかれている立場と条件によってその課題は異なるからである。
(5) 統計結果(統計方法の適用結果)は一般に統計と呼ばれる。統計はその生産過程たる統計方法過程の段階経過によって加工度と性格を異にする。しかし,社会集団過程を数量的に反映するかぎりにおいて,いずれも統計である。統計は社会認識の手段・用具である。しかし,統計結果が統計対象と無関係に,単なる数値として,ひとり歩きしうる必然性があり,社会認識を誤らせることになりかねない。

 後段は,統計学会議以後の統計学教科書についての論議の批判的吟味である。具体的には,ドゥルジーニンの『統計学講義』(1955),それに対するコズロフの批判,そしてストルリミン等の『統計学』(1956)をとりあげ,それらを検討するなかで私見を表明している。その際,検討の主要論点は,(1)統計対象たる「社会的集団現象」とは何か,(2)特殊な方法であるとする「統計方法」とは何か,(3)統計結果とされる統計の正体(統計指標,統計数値,統計資料,一般化統計指標,統計法則,統計的経済法則),(4)統計学の内容と体系とくに経済学との関係,である。

 ドゥルジーニンは,統計学=社会科学方法論説に属する統計学者で,その限りでは筆者と同じ立場である。筆者によれば,ドゥルジーニンは統計学=実質科学の結論を出した統計学会議後も,相変わらず自説をまげていない。この点が評価されている。しかし,いくつか疑問を呈している。まず統計学の対象規定が,きわめて貧弱であることである。対象そのものについての内容に関する理論(社会集団論)がまるでない。筆者はここにドゥルジーニンが単なる方法過程の分析論ないし数理手続論へ転落しかねない要素をみている。また,統計方法では,その中身をみると数理統計学のそれと異ならないと指摘している。統計結果に関しては,方法論説で一貫し,統計法則を統計学から完全に追放している。統計学と経済学との関係について言えば,統計学=実質科学説に反対し,両者を切り離して考えている。

 実質科学説に立脚するコズロフは,ドゥルジーニンの『統計学講義』の理論水準に不満足であることを表明した。それは統計学をどう考えるかの方法論の相違によるが,主張のポイントのみ示せば,ドゥルジーニンのテキストが「初歩的教程」にすぎないこと,統計対象論を強化し,それが統計学の主要内容になるべきであること,などである。

筆者は次にストルミリンの『統計学』に関して,点検している。このテキストでは最初に統計学の定義が与えられている。統計学の会議の定義そのものではないが,それにそくしつつ若干の修正が加えられている。統計対象は,集団的社会現象と明記されている。関連して大数法則の統計学における副次的役割を強く承認している。そして統計学は,社会現象の量的側面を質的側面と切り離しがたい結びつきにおいて研究する,としている。統計方法に関しては,その他のテキストと大同小異であるが,統計対象の理論的分析操作が統計方法の外に設定され,統計方法の対象ではなく,統計学のそれに転移させられ,結果的に統計方法論には,統計観察以下の外見的にとらえうる操作形態のみが示されるにとどまる。統計結果は,統計指標とその内容である統計数値(統計資料)とで説明されている。そのうえで構成的統計系列とともに,一般化統計指標について注意を喚起している。後者は社会現象の発展の具体的合法則性の表示形式と位置づけられている。

 統計学と経済学との関係は,両者の対象は同一であるものの,相違は対象の質的区分にあるのではなく,むしろ研究の仕方に,すなわち具体・抽象の程度・段階の差にあるとしている。これは統計学に対象の量的側面と具体的統計方法を,経済学に対象の質的側面と抽象的分析方法を割り当てた統計学会議の決定と比べると曖昧になっているが,統計学の実質科学性を強調しない姿勢の反映である。

「むすび」で筆者は,統計学=社会科学方法論説の見地が(1)経済学との質的差別を明確にしうる点で理論的整合性を確保しえ,(2)社会集団過程の具体的数量的認識過程を明確にすることで,現実反省性を確保でき,(3)社会認識の有力な実際的および理論的用具の提供により,実践指導性を確保しうるとして,具体的に経済統計論の構成を以下のように提示している。
*統計方法の意義と限界
(1) 統計学者の経済学的問題意識の検討
(2) 各派経済学者における統計資料と統計的方法の検討
(3) 日本における経済統計論の発展・現状・課題
(4) 戦後独占資本の状態と政策の研究における統計資料と統計方法の検討
(5) 戦後労働者階級の状態と運動の研究における統計資料と統計方法の検討
(6) 日本資本主義の運動法則の研究における統計資料と統計方法の検討

田沼肇「ソヴェト統計学論争の経過と意義」有澤広巳編『統計学の対象と方法-ソヴェト統計学論争の紹介と検討-』日本評論新社, 1956年

2016-10-17 21:22:53 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
田沼肇「ソヴェト統計学論争の経過と意義」有澤広巳編『統計学の対象と方法-ソヴェト統計学論争の紹介と検討-』日本評論新社, 1956年

1950年前後からそれ以降, 統計学の学問的性格をめぐって展開されたソヴェト統計学論争は二期に分かれる。第1期は1948-9年で, 火をつけたのは『計画経済』1948年第3号に掲載された無署名論文「統計の分野における理論活動を高めよ」だった。第2期は1950-54年に掲載された「中央統計局における統計学の理論的基礎に関する討論会の摘要」を契機に, 引き続き一連の論文が同誌に発表された時期である。

 第1期には, 上記論文をきっかけに3つの討論会が組織された。49年5月の科学アカデミー経済学研究所で開催された「統計の分野における理論活動の不足とその改善策」, 8月の農業科学アカデミーでのネムチーノフとルイセンコ論争, 10月に科学アカデミー経済学研究所で開かれた「経済学の分野における科学=研究活動の欠陥と任務」についての拡大学術会議が, それである。

 一連の討論のなかで, 統計学を普遍的科学であるとする立場(ボヤルスキー, ストルミリン, ウルラニス, ピサレフ, マスロフなど), その形式主義的・数学的偏向に批判的な立場(オストロヴィチャノフ, ヴァルガ, スミット, ペトロフ, スハリーフスキー, ソーボリなど)とが明確になり, 趨勢として統計学の実践からの立ち遅れ, 数理統計学を重視したネムチーノフの自己批判が確認された。(科学アカデミー経済学研究所「経済学の分野における科学=研究活動の欠陥と任務」についての拡大学術会議でのオストロヴィチャノフ報告)。コズロフの論文「統計学におけるブルジョア的客観主義と形式主義に反対して」(『経済学の諸問題』49年4月)は, この当時のソ連統計学界の主流を代表する内容のもので, そこではロシアの伝統的統計学の擁護, 統計学における形式主義的・数学的偏向に対する批判, 社会統計学の「数学化」の企てに対する批判, 形式主義的な統計的分析の誤謬の指摘がなされている。

 続いて第2期。旧ソ連の代表的な統計学に関する中央統計局の機関誌「統計通報」が1950年に発刊された。この創刊号には「中央統計局における統計学の理論的基礎に関する討論会の摘要」が掲載され, こうした討論会がこの時期に組織されたことがわかる。討論会では, 統計学を普遍的科学であるとする立場からの主張もあったが(ホルンジー, ピサレフ, ネムチーノフ[上記のように一旦は自己批判したにもかかわらず, 再度, 同じ主張を繰り返した], ラビノビッチ ), 多くの論者は統計学が社会科学であり, 普遍的科学ではない, 統計学の基礎は史的唯物論と経済学であるとするソーボリの見解に集約される立場をとった。もっとも, 独自の対象をもつ科学としての統計学を認めるこの立場にしても, 統計学と経済学との区別は明瞭でなく, 継続審議とされた。また, 統計学を普遍的科学とする立場にも, それを実体科学であるとする立場にも与しない, 統計学を方法論的な社会科学であるとするドルジーニンの見解が表明され, 以後, 影響力をもつことになる。

 以上, 筆者の要約にしたがって, 1950年代のソ連統計学界での学問論争を紹介したが, ドイツでの社会統計学派, フランクフルト学派の内部で行われた論争と比べると, いささか政治色が先行し, また古典からの引用による自説の権威づけが目立つなど, 認識論的に深められていない(ような気がする)。