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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

芳賀寛「国民経済バランス論における部門連関バランス研究」[初出「部門連関バランス研究に関する一考察」『経済学年誌』第23号,1986年]

2016-10-17 21:46:55 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
芳賀寛「国民経済バランス論における部門連関バランス研究」[初出「部門連関バランス研究に関する一考察」『経済学年誌』第23号,1986年](『経済分析と統計利用-産業連関論および所得分布論とその適用をめぐって-』梓出版社,1995年)

 表記のテーマは日本の社会統計学の分野で,クローズアップされた時期があった。このテーマは若干,社会主義経済論(ソ連経済論)と,あるいは産業連関論批判とクロスする部分もあったので,その分野での研究者も巻き込んで見解の応酬があった。関連する論稿が量的にどれだけ公にされたかは,本稿の末尾に一覧されている「バランス論関連邦語(訳)文献(1942~85年)」をみればわかる。

 筆者は本稿でこれらの資料をさばきながら,部門連関バランス(分析)に焦点を絞り,そこでの主要論点と論点をめぐる研究者の見解の相違をタイプ分けしてサーベイを行っている。構成は以下のとおり。「国民経済バランス(論)小史-部門連関バランスをめぐる経過-」「部門連関バランスの概要と問題点」「部門連関バランス研究の検討」。メインは最後の節で,その前の2つの節は,いわばそのための予備的考察である。

 最初に,国民経済バランスとは何かが紹介されている。国民経済バランスは,旧ソ連で社会主義経済の計画化を目的に作成されていた経済循環表である。マルクスの再生産論がベースにあり,ソ連中央統計局が1926年に作成した「1923/24年ソ連邦国民経済バランスがその最初のものである。社会主義諸国ではこれにならいMPS(Material Products System)という国民経済計算が歴史的に作成され,資本主義諸国のそれであるSNA(System of National Accouts)と長く併存していた。筆者の関心は,1950年代後半から国民経済バランスの系譜に登場した部門連関バランスにある。このバランスは,資本主義諸国で作成されていた産業連関バランスと内容的にも形式的にも酷似していたが,日本の社会統計学の分野ではそれ以前から蓄積されていた産業連関分析の批判的研究の延長上で,この部門連関バランスの評価が行われた。

 筆者はある意味で馴染みの薄いこの部門連関バランスの構成とそれをもとにした部門連関バランス分析を丁寧に解説している。前者に関しては,「各象限の内容」「生産活動の範囲」「部門分類の基準」「価格評価,輸入の扱い,企業内取引の扱い」「特徴と問題点・限界」に分けての叙述である。マルクスの再生産論が前提となっているので,第一象限が物的生産部門で構成されていること,国民所得の再分配の表示の仕方で議論があったものの,その表示は無理であること,固定フォンドの再生産表示が困難であること,連関分析の必要性のために部門分類基準がアクティビティベースになっていること,などの指摘がある。後者の部門連関分析に関しては,それがいわゆる産業連関分析と同じであることの確認がなされている。もっとも,部門連関バランスでは,第一象限の部門が物的生産部門であること,労働手段の補填額が第二象限で示されているので,そのことによる違いが出てくる。

 さて,本題の部門連関バランス研究の検討では,国民経済バランスの研究動向が時期を画して紹介されている。筆者の整理では,第一期は部門連関バランス研究が登場する1960年前後まで,第二期は部門連関バランス研究が展開される1960年代,第三期は1970年以降である。第一期は,マルクス再生産論と国民経済バランス体系との関連が中心論点であった。第二期は,国民経済バランス研究の対象が部門連関バランスに集中した。第三期は,研究の関心は主としてMPSおよび資金循環の表示方法に向かった。

 筆者はここからさらに論点を絞りこんで,部門連関バランス(分析)の評価に入っている。そのさい,論者を3つのタイプに分けている。部門連関バランスの計画化への適用を支持するグループ(横倉弘行,盛田常夫),適用に対して否定的なグループ(長屋政勝,岩崎俊夫),適用が一定の留保条件つきで可能とするグループ(野澤正徳)である。   

 これらの見解の相違を見極めるポイントは2つある。一つ目のポイントは,部門連関バランスの性格規定との関わりで,部門連関バランス論がマルクス再生産論の具体化であるかどうかの評価である。横倉はそれに賛意を示し,前者が現実性をもった理論であるとする。これに対し,長屋,岩崎はこうした評価に懐疑的である。野澤は部門連関バランスが国民経済バランスの補助的計画用具の位置にとどまると述べている。

 もう一つのポイントは産業連関分析(部門連関バランス分析)との関係で,部門連関バランスが資本主義経済の計画作成,あるいは社会主義経済の計画化に適用可能かという,いわば経済体制との関わりでその有効性を判断する視点である。横倉,盛田は,資本の無政府性的競争を前提とする資本主義経済では部門連関バランスと同型(大枠として)の産業連関分析に,その有効性を保証するものはないが,社会主義経済のもとでは有効であるとする。長屋,岩崎は,経済体制を問わず,このような数理的手法の現実的根拠はないと考える。野澤は連関分析の手法を導入して作成される部門連関バランスにはいくつかの限界をもつものの,社会主義的計画化のもとでは一定の意義を有する重要な手法とみなす。

 諸説の特徴を整理した,筆者は部門連関バランスがマルクス再生産表式の具体化とみなしえないが(p.63),前者は再生産の基本的諸要素の反映という点で産業連関表より若干改善されていること(p.67),こうした評価を踏まえて,連関分析(部門連関バランス分析)において「質的規定の段階的組み入れ」と「分析目的の設定(明確化)」(経済過程のどのような側面について,どの点を立証しているのか,その実証でどのような理論を形成し,あるいは検証しようとしているのか-野澤)を加えて,従来の検討方法を展開する必要がある,と結論付けている(p.73)。著者の姿勢は部門連関バランス論と直接対峙するのではなく,「行司」のように諸説を分類し捌いている。この点やや物足りなさが残る。

岩崎俊夫「数理科学的経済分析と計画法の方法論的特質-モデル・システム・計画化-」『科学の方法と社会認識(実践的唯物論の方法と視角[上])』汐文社,1979年

2016-10-17 21:43:36 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
岩崎俊夫「数理科学的経済分析と計画法の方法論的特質-モデル・システム・計画化-」『科学の方法と社会認識(実践的唯物論の方法と視角[上])』汐文社,1979年(『統計的経済分析・経済計算の方法と課題』八朔社,2003年,所収)

 全体の構成(目次)は,以下のとおりである。
Ⅰ 数理科学的方法重視の客観的基礎
 1.数理科学的方法の地位と役割/ 2.国民経済の構造変化と情報理論的接近法
Ⅱ 部門連関バランスの「精密性」
 1.数学的論理形式の過大評価/2.部門連関バランス論の問題点
Ⅲ 最適計画法の「科学性」「客観性」
 1.カントロヴィッチの最適計画法/2.客観的必然的評価概念の検討
Ⅳ 最適経済機能システム論の「システム的接近法」
 1.社会主義経済論のシステム的接近法の導入/2.最適経済機能システム論の方法論的難点

 以上の目次からわかるように,本稿の課題は1960年前後から台頭した旧ソ連の数理派と呼ばれた研究者たちによって主導された理論の方法論的検討である。数理科学的方法を用いれば,理論が精密になり,科学的になり,客観的になるという見解に対する批判が,その内容である。具体的には部門連関バランス論,最適計画論などが取り上げられている。

 筆者は最初に,旧ソ連で数理科学的方法がどのように位置づけられてきたかを整理している。ここでは数理科学的方法に対して1920年代,30年代に既に関心が寄せられたとの紹介の後,1960年前後からその傾向が定着したこと,当初はこの方法が経済学や計画論の補助的手段(トゥール)と位置づけられたのが,次第にその主要な方法として評価されるにいたったことが指摘されている。この傾向は部門連関バランス論,最適計画論はもとより,システム論,モデル論,サイバネティックス,情報理論への期待の高揚に反映された。

 筆者は次いで上記の指摘を,具体的に部門連関バランス=社会的再生産の数理経済モデル論,カントロヴィッチの最適計画法,最適経済機能システム論を詳細に紹介するなかで確認している。「部門連関バランス=社会的再生産の数理経済モデル論」は資本主義諸国における国民経済計算の構成要素である産業連関分析に形式的には同型のものであるが,旧ソ連ではこれをマルクスの再生産表式で基礎づけ,概念と用語,部門分類,解釈について産業連関分析との差異性が強調された。しかし,筆者はそのような強調が粉飾であり,実際にはその「再生産表式からの数学的形式的演繹は,現実の複雑な経済過程を経済諸量の量的依存関係に還元することを意味する。数理科学的方法によって経済法則を論証し,経済学的命題をひきだそうとする試みは,使用される手法はいかに現代数学の成果をふまえて精密になろうとも,理論を数学的形式主義的に特徴づけるだけでなく,ひいては経済過程,再生産過程を数量的依存関係においてのみ把握する立場,すなわち経済の均衡論的解釈に道をひらくことになった」(165頁)。

 「カントロヴィッチの最適計画法」は,既存経済資源の適正配分,生産技術的方法の適正配置を目的とする。より具体的には,ある一定の限られた生産資源を所与とし,産出される生産物の数量と品目構成(アソースメント)を計画課題とし,そこに成立する実現可能な資源の配分計画からもっとも効率的な計画を選択する方法である。もともとローカルな純粋に技術的な経済問題を解決する手段にすぎなかった数理科学的方法が,国民経済的規模での計画手法に適用されていく過程で,数理科学的方法の適用領域の限界にたいする配慮が後景に退き,その対極で数理科学的方法にもとづく論理を経済の論理に優越させていく姿勢がそこに垣間見ることができる。カントロヴィッチはさらにこの論理を拡大し,客観的必然的評価という概念をもちだす。この概念は先験的評価,つまり所与の資源配分の問題とは無関係に恣意的に設定される生産物評価を否定する概念で,そこには当時のソ連経済にみられた生産計画と独立に設定される価格体系に対する批判が込められていた。しかし,客観的必然的評価が真の意味での客観性をもつには,この評価を導出する線形モデルの客観性が問われなければならない。この観点からみると,客観的必然的評価概念はいくつかの難点をもつ。客観的必然的評価の設定が最適計画法の考案の過程で開発した解決乗数法と矛盾なく整合的に国民経済レベルの計画に適用できるかとの問題意識のもとに生み出されたこと,またその評価が所与の計画課題を効率的に達成する生産諸要素の配分指標であり,生産諸要素のあいだに成立する一種の相対評価であることなどである。

 カントロヴィッチはさらに,最適計画法における解決乗数の発見という計算上のプロセスがある意味で市場価格の変動過程に酷似すると述べ,この過程と客観的な価値法則との親近性を展望する。最適計画論の論理的帰結として示されたのは,最適計画の双対問題に由来する客観的必然的評価指標が各生産企業の経済活動にとって経済的刺激の効果をもつだけでなく,同時にもし各企業がこの評価にしたがって自らの収益を最大にするように行動すれば,国民経済的規模での労働支出の最小化をも実現するというものであった。それはまさに夢のような構想ではあったが,内容的に検討すると極めて現実的根拠の薄弱なモデルであった。

 最後に,ソ連中央数理経済研究所のフェドレンコによって提唱された最適経済機能システム論が検討の俎上にあがっている。この理論は対象を部分と全体との有機的連関においてとらえるシステム的接近法に依拠し,社会主義経済制度を垂直的連関(中央計画機関-部門-企業合同-企業)と水平的連関(企業合同間,企業間の連関)との交錯する多段階的システムととらえ,このシステムのなかに経済資源の稀少性を前提に社会的有用性を最大の最大化をはかる最適経済機能システムをいかに構築するかを課題とする。さらにこの理論は社会主義経済を自動制御システムとしてとらえ,そこに内在する調整機構(商品=貨幣メカニズムの利用)をとおして生産物の需給調整が社会の構成員の好みと欲望を機敏に連続的に的確にとらえることができるとし,既存資源の効率的配分,各経済諸機関の利害関係をならし,社会構成員の物質的文化的欲望を充足させることができるとした。

 最適経済機能システム論は計画化のプロセスを上級の計画諸機関と下級生産単位との反復的調整としてとらえ,旧来の最適計画論の延長線上で経済諸資源と生産物価格が最適計画に内在する客観的必然的評価にもとづいて設定されなければならないとするなど,ただちに是認できない内容を有するが,これらの難点はその理論がシステム的接近法(システム分析,サイバネティックスなど)に依拠し,方法先行のもとで経済学や計画論の内容が与えられたことに由来する。

 筆者は次のように結論を与えている。一般にシステム分析,サイバネティックスは他の数理科学的方法と同様に,純粋思惟の産物ではなく経済学および計画論を含めた社会科学,さらに自然科学や工学などの個別諸科学の研究成果に多くを負うている。したがってシステム分析やサイバネティックスが逆に経済学と計画論にとって補完的な知識を提供することは十分にありうる。とはいえ,この方法の意義と有効性の基準は,それらが経済現象の本質あるいは総則の認識に具体的にどれだけ寄与するかにあるので,このことから離れてそれらの方法が経済学と計画論の基軸に座り,具体的対象の研究に代替することはありえない,と。

 筆者は末尾で数理科学的方法がその適用領域をわきまえて使用されるならば,十分な有効性を発揮する可能性を認めながら,この手法を過大評価した理論が法則を解明し,経済分析に重点をおいた従来の経済学を「記述的統計学」としてしりぞけ,それに代わる「構成的経済学」を標榜するにいたった経緯に懸念を表明している。

濱砂敬郎「現代ソビエト数理統計方法論の一形態-H.K.ドゥルジーニンの統計的方法論について-」『統計学』(経済統計研究会)34号, 1978年3月

2016-10-17 21:42:27 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
濱砂敬郎「現代ソビエト数理統計方法論の一形態-H.K.ドゥルジーニンの統計的方法論について-」『統計学』(経済統計研究会)34号, 1978年3月

 この論文はドゥルジーニンの統計理論の特徴づけを行うことで, 当時のソ連経済での数理統計学の問題点を考察することを目的としている。ドゥルジーニンと言えば, 戦後のソ連統計学論争で統計学=社会科学方法論説の立場をとった統計学の大御所として知られる。そのドゥルジーニンが, 1955年, 1966年, 1971年にそれぞれ発表した論文, 著作をたどり, 普遍科学方法論説に, すなわち数理統計学の受容に傾斜していったことが, 確認されている。ドゥルジーニンの所説を理解するために使われた直接的資料は, 次のとおりである。≪Ленин по статистике≫1955;近昭夫「統計学の哲学的諸問題について」『北大経済学』9号, 1966年;≪Математическая статистика в экономике≫1971。

 筆者は, 1955年時点のドゥルジーニンが, 表向きには, 統計学=社会科学方法論説の立場を踏襲しているかのように主張しながら, しかしそれとは異なる実質科学説的な統計的方法および統計学観の芽生えがあることに着目している。筆者はこの点を, 統計学の対象に同質的な集団現象を予定し, 現象的な合法則性をもとめる一般化指標論の志向があること, 計画実践を意識した社会主義的統計論の志向があることのなかに読み取っている。

 1966年時点では, ドゥルジーニンは統計理論の方法論的基礎として統計的法則論と大数法則論を展開した。筆者はこれをもって, ドゥルジーニンの数理的方法論の骨格が出来上がったと見ている。この理論では大数観察の原理としての大数法則の普遍的性格が指摘され, 社会主義計画経済における大数法則を適用することの意義が述べられ, 数理統計学の意義が意識的強調された。筆者の整理によれば, 大数法則はドゥルジーニンにあっては, 統計指標を獲得する統計的方法の観点から, 計画経済の均衡的性格を捉えなおした操作概念であり, それによって統計法則に「兆候」する原因機構の発現が擬制化された形態である。大数法則は計画指標と統計指標とに操作技術的な結合原理を与えるものに他ならない, さらにドゥルジーニンは自らの統計法則論に大数法則を位置づけることを試み, 統計学の2つの課題(記述-比較的課題と分析的課題)をあげ, 後者による統計学は客観的現実の諸合法則性を理論的に把握し, 経験的合法則性を確認する統計的方法論であり, その対象は事実・要因の総体=大量的諸現象であるとした。

 1971年時点になると, ドゥルジーニンは自らの統計方法論を数理統計方法論として一層明確にするようになる。筆者はその点をドゥルジーニンの統計学教科書『経済における数理統計学』で確認している。この教科書では, 統計的方法の対象は偶然的な変動を運動様式とする同質的な集団現象であること, 大数法則については1966年の見解をとりつつ, 計画経済の条件下でのその作用が現象の恒常的な均衡と交互作用をとると考えられ, 生産性指標などの安定性を種々のデータによって示すことができると主張されているようである。

 最後に筆者はドゥルジーニンの統計的方法論の眼目が, 社会科学のための統計方法論ではなく, 経済計画や経済管理の実践に適用される数理統計方法論を, ソ連統計学の現代的形態と押さえ, そのことに含まれるいくつかの問題点(大数法則の社会主義社会における適用可能性, 統計および統計利用の歴史的規定性が後景に退くこと)を指摘しようとしたことにあると述べ, 稿を閉じている。

内海庫一郎「統計学の学問的性格」『社会統計学の基本問題』北大図書刊行会,1975年

2016-10-17 21:40:38 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
内海庫一郎「統計学の学問的性格」『社会統計学の基本問題』北大図書刊行会,1975年

 2節からなり,それぞれに「ソヴェト統計学論争」「オストロヴィチャノフ報告とわれわれの評価」という見出しがついていることからわかるように,1950年代前半に旧ソ連で展開された統計学論争を題材に,標題にある統計学の学問的性格がどのようなものかを論じたのが本論文である。筆者は最初に本論文の課題を2点でおさえている。一つはソヴェト統計学論争の紹介で,これをとりあげるのはそれが統計学の学問的性格を直接対象にした大がかりな論争であったからである。もう一つは,筆者の主張を明らかにするために,マイヤー,チチェク,蜷川虎三,戸坂潤の見解を回顧する,とある。

 ソヴェト統計学論争の紹介といっても論点は多岐にわたることが予想されるとして,筆者は結論をあらかじめ要約している。「ソヴェト統計学論争は,従来ソ連統計学界で支配的だった英米派流の数理統計学=普遍科学に対する批判を行い,確率論と大数法則を基礎とせぬ,唯物弁証法と唯物史観を基礎とした社会科学的統計学の独立性を確認した。しかし,それは社会科学の方法論の一つとして統計学を基礎づけたものではなく,社会現象の具体的数量的側面を研究する独自の社会科学としてそれを位置づけたものであった。そのことが,逆に社会科学,特に政治経済学とは「独立」な数学的研究のソ連における流行の途をひらく結果をもたらした。わたくしは,統計学を社会科学の研究方法論(認識過程の理論)の一つとして位置づける見解をとり,統計学=独立科学説に反対し,統計方法を対象及び認識過程の一法則に照らして,研究することが必要であると考える」(p.3)。

 筆者はソヴェト統計学論争の紹介に先立ち,まず旧ロ時代および戦前のソヴェト統計を概観している。旧ロ時代の統計学では「範疇計算」を主張したジュラフスキーとレーニンの哲学,社会科学の思想,とくに「グループ分け」を基礎とした平均論について,それらが重要であると指摘されている。また革命後は,英米数理統計学が支配的だったことも指摘されている。他にボヤルスキー,ヤムストレムスキーによって主張された「統計学死滅論」,シュミットによる数理統計学的傾向に対する批判の業績,さらに大数法則の意義を強調し,数理統計学的立場を擁護したネムチーノフの紹介がある。

 次いで戦後のソヴェト統計学の概観が示され,そこではネムチーノフ,クレイニンらの修正数理統計学派の統計学の吟味がなされている。その理論の特徴は,大数法則の重要性の強調,補正平均の理論,レーニン・スターリン的な統計表の見方,統計解析の新方法の受容,チェビシェフの多項式の評価,とされている。

 以上を踏まえて,筆者はソヴェト統計学論争の本格的検討を,「1948年からの論争(第一期)」「1954年の論争(第二期)」に分けて行っている。第一期は1948年の無署名巻頭論文「統計学の分野における理論的活動を高めよ」から49年のコズロフ論文まで,「形式主義的=数学的偏向」の批判期である。批判の対象となったのはネムチーノフ『農業統計とその一般理論的基礎』とゴスプラン公認のクレイニン『統計学教科書』であった。無署名論文で指摘されたのは次の5点である。①政策課題の解決に必要な統計の諸問題に対するソ連統計学の立ち遅れの反省,②立ち遅れの原因の究明,③「形式主義的=数学的偏向」の原型としてのブルジョア的統計理論とその実践=ブルジョア統計の弁護論的性質の批判の指摘,④マルクス・レーニンの教義,ソヴェト統計の歴史的普遍化の必要の指摘,⑤旧ロ統計および統計学の業績の再評価の指摘。社会科学的統計学派と数理統計学派との対立が明確になったこと,統計学の実践からの立ち遅れの解決が喫緊の課題であるとの認識が形成されたことが,第一期の論争の成果であった。

 この論争は,コズロフの「統計学におけるブルジョア的客観主義と形式主義に反対して」(『経済学の諸問題』第4号)で総括された。この論文の主要内容は,立ち遅れの原因としての「形式主義的=数学的偏向」の批判,マルクス・レーニンの古典にあらわれた統計加工の経験の理論的一般化の問題であったが,これらをさらに細かくとりあげると,(1)一般理論統計学の否認と社会統計学の独立の確認,(2)理論的分析が統計的分析の基礎前提になるとの主張,(3)統計方法の適用が対象の過程の性格によって規定されるとの主張,(4)孤立的標識による形式的分析の批判,(5)現実を数学的図式と比較するという研究操作の批判,(6)確率論適用の吟味の諸論点からなる。

 コズロフのこの総括の前に,筆者は生物学の分野で展開されたルイセンコ論争(環境因子が形質の変化を引き起こし,その獲得形質が遺伝するというトロフィム・ルイセンコの学説に関する論争。及びそれに伴ったソビエト連邦における反遺伝学キャンペーン。メンデルの遺伝学をブルジョア科学として糾弾した)を,かなりのスペースをあてて紹介している。この論争ではネムチーノフが実質科学(生物学)に対する統計学の優位を主張し,ルイセンコがこれに偶然論哲学への反駁の形で応え,後にネムチーノフが自己批判した。筆者はルイセンコの「科学は偶然性の敵」とする見解に同意していない。またネムチーノフの自己批判が不徹底であったことは後に明らかになる)。もっとも現在,ルイセンコ学説を支持する研究者はいない。旧ソ連でも,この学説は否定された。

 次いで,筆者は1950年2月に中央統計局の実務家たちによって開催された「統計学の理論的基礎に関する会議」と1954年3月に科学アカデミー,中央統計局,最高教育省の共同主催による「統計学の諸問題に関する科学会議」での論争を検討している。オストロヴィチャノフが最終報告というかたちでまとめを行った。論者の主張は,およそ3つの考え方に集約された。(1)「統計学」=普遍科学=数理統計学説,(2)社会科学的統計学で「統計学=実体社会科学説」,(3)同じく社会科学的統計学で「統計学=社会科学方法論説」の3つである。(1)について,筆者はネムチーノフ,ピーサレフを代表的論者としてとりあげ,その主張の内容を解説している。(2)ではコズロフ的形態=社会数量側面科学説が解説されている。この派のなかに入るが,チェルメンスキー[=中央統計局]的形態=現象形態分析説が特別に取り上げられている点が興味深い(このグループは一方で統計学=実体科学説を支持しながら,他方で統計学と他の実体諸科学との区別では統計学の方法的特性を強調した)。(3)ではドルジーニン的形態=社会科学方法論説の説明がある。それぞれかなり詳しい紹介である。第一期の論争と比較すると,統計学の課題,対象,大数法則の位置づけ,経済学との関係など,具体的な議論展開になっていたことが注目される。

 節をあらためて,筆者は「オストロヴィチャノフ報告」を解説し,評価をあたえている。オストロヴィチャノフ報告は,先のコズロフの見解(統計学=実質社会科学)の延長線上にある。それは,統計学の対象,理論的基礎,統計学と経済学との関係,方法の点で,同一だからである。留意すべきは,数理統計学の位置づけに関して,社会経済関係の分析でのその役割は限定的だが,独立の科学としての生存権が保証されたことである。後者の評価が与えられたことで,その後のこの国の数理統計学とその応用の可能性に道が開かれた。

 最後に筆者は,ソ連での統計学論争が東独の統計学会に影響を及ぼした経緯,アメリカ統計学界,日本の統計学界での反応について,また統計学の学問的性格に関するドイツ社会統計学者,蜷川虎三,戸坂潤による見解に言及して擱筆している。

近昭夫「A.A.チュプロフの統計学理論」『統計学』(経済統計研究会)第22号,1970年9月

2016-10-17 21:39:25 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
近昭夫「A.A.チュプロフの統計学理論」『統計学』(経済統計研究会)第22号,1970年9月

筆者には,A.A.チュプロフに関する次のような論文がある。「『ノモグラフィア的科学』と『イデオグラフィア的科学』-A.A.チュプロフにおける統計学と統計的方法の意義-」(1967年),「A.A.チュプロフにおける帰納法と『統計的方法』」(1968年),「A.A.チュプロフの大数法則論について」(1968年),「時系列の安定性に関するA.A.チュプロフの見解について」(1969年),「A.A.チュプロフの相関理論について」(1970年)。本論稿は,それらを総括する位置にある。

 大陸派の数理統計学を牽引したチュプロフ(1874‐1926)の統計理論を検討したのが本論文である。主要論点が最初に示されている。
(1) イギリスの数理統計学のように直接,数学的方法の技術的な諸問題をとりあげるのではなく,統計学あるいは統計的方法とは何かという問題の考察から出発した。
(2) 統計的方法の特質を帰納法との対比で明らかにした。
(3) 統計的方法の論理的基礎である大数法則の意義を問うた。
(4) 統計的方法の適用による統計系列の安定性研究の意義を考察した。
(5) 相関論の体系構築を晩年に行った。

 チュプロフは,ヴィンデルバント,リッケルト流の学問分類を自身の研究の基礎に置いた。認識の対象である世界は多様で複雑であるが,人間の認識能力は有限である。したがって,人間の認識は現実の「単純化」「図式化」に帰着する。どのように対象としての世界を「単純化」「図式化」するかに応じて,科学は「普遍的なもの」に関する科学と「個別的なもの」に関する科学とに分けることができる。チュプロフは前者を「ノモグラフィア的科学」,後者を「イデオグラフィア的科学」と呼んだ。

 「ノモグラフィア的科学」の特質は「世界の無限性」を普遍的概念で把握すること,「いつでもどこでも」妥当する諸現象間の因果的関係を探求することである。これに対し,「イデオグラフィア的科学」は,世界の一定の時間と空間における精確な状態の記述を課題とする。「ノモグラフィア的科学」と「イデオグラフィア的科学」の関係に優劣はなく,相補的である。この際,一定の幅をもつ時間的および空間的規定によって与えられるものは「集団」である。
統計学と統計的方法に関して言えば,前者は「イデオグラフィア的科学」に属し,集団を記述することを課題とし,後者は集団を手がかりに現実の因果関係を解明することを目的とする。「集団」は統計学にとっては「自己目的」であるが,統計的方法にとっては「目的のための手段」である。

 この統計的方法は,対象の因果的関係を探求するための独自な研究法である。この点で,それは帰納法と同等である。帰納法の可能性は,原因の多義性と結果の多義性とにかかわる。帰納法は因果関係にある2つの現象について,その諸要素が全て数え上げられることが前提となる。しかし,実際の研究では,そのような事情は稀で,原因と結果との関係は,帰納の諸方法が期待するように一義的でなく,多義的である(「原因の多数性」「結果の多数性」)。「結果の多数性」は「原因の多数性」とともに確率論と密接に結びついている。研究に必要なのは「連関の緊密でない形態」「自由な連関」「緩い因果関係」であり,そこでは帰納の諸方法は役立たず,統計的方法が必要になる。その具体的例はジュラフスキーの範疇計算である。
また,統計的方法の基礎には,大数法則がある。大数法則は数学的確率とその経験的発言である統計的頻度の橋渡し役を演じる。すなわち,チュプロフにあっては,大数法則は(1)「確率の非常に小さい現象は非常に稀にしか生じない」,(2)「相対頻度のそれに対応する,確率からの偏差の確率は測定値系列の大きさが大きくなるほど小さくなる」という2つの命題の統合である。

 チュプロフの統計系列の安定性に関する研究は,大数法則論にもとづいて展開される。その際,安定性の測定法は,レキシスのそれに依拠している。レキシスは実際に観察される統計系列の変動を,当該の統計集団がある一定の確率をもつという仮定の下に理論的に計算される変動とを対比し,所与の統計系列を分類したが,チュプロフはこの発想を継承し,諸々の統計系列をその安定性の大小によって区別し,それらを規定している諸条件を確率論的図式に対比する方法をとった。(晩年には統計系列の安定性を測るレキシスの標準指数を全面的に否定した)

 最後にチュプロフの相関論を特徴づけについて。筆者はチュプロフがゴールトン,ピアソンによって作り上げられた相関法を評価しながらも,その理論的基礎づけの脆弱性を指摘し,その上で自身の統計論の体系化を試みた,としている。換言すれば,チュプロフは相関理論に関する自身の研究は,従来の研究成果である数学的諸方法を前提にして,それらに理論的根拠を与え,統一的に説明する試みである。また,もう一つの特徴は,相関測定を経験的データからのア・プリオリな諸量の探求と考えたことである。すべての経験的数字は,その基礎にあるア・プリオリな諸量の不明瞭な映像というわけである。さらにチュプロフは相関測定法の意義について,それが非数理的方法による判断の主観性,不確実性あるいは不安定性を排し,判断の精確な把握を可能にすることに求めている。

 以上のようなチュプロフの統計理論を,筆者は次のように要約している。すなわち,チュプロフの統計理論の大きな特徴は,その形式的整合性を重視したことである。その形式的整合性の支柱となったのが確率論である。チュプロフの理論の全体は,統計理論への確率論導入の合理化とその意味付けにあった。このような「確率論的世界観」の契機となったのが,因果性の理解であった。そこでは必然性や偶然性の範疇も,それらの相互作用も排除され,因果関係だけが考察の対象である。因果関係以外のものはすべて,確率論的事象として処理された。「このような統計理論への確率論導入は,統計系列の安定性に関する彼の見解に見られるように,種々の確率論的図式で対象を割り切ってしまうことに終わ」る。(p.32)