小川雅弘「階層別計量モデルの意義と限界」『統計学』第44号,1983年3月
この論稿が執筆された少し前の頃から,日本資本主義の民主的改革がクローズアップされた。その基本性格は,(1)大多数の国民の生活の安定・向上,(2)上と下からの独占資本の規制とコントロール,(3)資本主義の基本的仕組みには手をつけない条件のもとでの改革,という3点に集約される。その運動形態は企業,産業,地域,その他の各戦線における対案提示運動を総括する運動であり,各社会層で異なる施策(階層別政策)を結集する運動である。階層別政策が必要なのは,第一に民主的改革が労働者,中小企業など特定の階層の向上を目的とするからであり,第二にそれが各種の支出性向と利潤要求の制御策としての意味をもつからである。
政策決定には,その効果の評価が重要である。その理由は,民主的政府でも種々の制約をうけるので,その制約のなかでよりよい政策手段の組み合わせを政策評価に基づいておこなわなければならず,経済内部の諸連関によって政策が当初の意図どおりの効果をもつかを明らかにしなければならず,階層別を意図しない政策でもその各階層への影響を評価しなければならず,民主的改革の道を独占資本本位の道と政策効果を対比する必要があるからである。
これらの政策効果の分析は単純な予測ではなく,政策の含意を担保するために行われる。またそれは本質的諸連関,長期的法則のみならず,現象的な段階での諸関係にも基づかなければならない。さらにそれは,単独の数値の記述に留まらず。諸現象間の関係にも配慮しなければならない。
このような現象関係を考慮に入れた政策提示および効果分析には,計量モデル(連立あるいは単一の方程式,数理統計的手法によるパラメータの推定,シミュレーション)の利用が不可欠であり,ある程度の意義を期待できる。その理由は第一に,政策効果分析は具体的であるべきで,そのためには数量的評価が必要だからである。第二に,諸現象は多岐的に円環的連関しているからである。数量的関係と多岐的円環的連関の抽象の必要性は,複数の方程式体系すなわち連立方程式の利用を要請する。
連立方程式の作成では,捨象される質と捨象されない質とがある。この過程は一方では質的差異をもつ個別の存在の異質性は捨象され,特定の要因へと等質化されるが,他方で企業,家計,政府等の各経済主体の機能の差は温存される。ただし,連立方程式が質を反映できるといっても,現実を正しく反映していることとは別である。質的諸連関と内的運動に基づく運動を方程式に表される限りでの量的関係としてのみ反映し,質的関連はもとより質的転換=構造変化,線形近似の場合の非線形の動きなどをとらえることはできない。
連立方程式に以上のような限界があってもその作成の要請があるのは,この手法がシミュレーションによる政策効果分析に一定の意義をもつからである。シミュレーションに期待されるのは,予測ではない。反映すべき諸関係を考慮した限りでの政策効果の測定である。連立方程式が示す関係は粗くとも経済現象の量的反映が民主的改革には不可欠である。
筆者の考察は次に,最小二乗法などの確率論を用いたパラメータの推定に移る。認識は能動的過程であるから,それは仮説やモデルの構成をとおして実現する。モデルの作成にあたっては,重要因を抽象し,そうでないものを捨象しなければならない。全ての現象は諸々の要因の結果として存在する。原因と結果は相互連鎖している。相対的に内的因果は必然的因果で,そうでない相対的因果は偶然的因果である。
必然的因果も偶然的因果も,それぞれ量的関係として表出する。これらのうち偶然的因果では平均的にみて,量的影響は小さい。方程式のなかでこの要因を処理する方法が必要になる場合,その確率論的な処理が許される。各種の最小二乗法や最尤法の利用は,確率論の手法により小要因を誤差項とみなして処理する数理的手続きである。確率論的処理方法は,全ての未知を未知のまま放置するのではなく,抽象された要因間の関係の大きさをパラメータや決定係数等として経験的に示すという点で,認識の前進を進めるものである。
民主的改革の政策目標・政策体系の設定の際に,他の種々の調査・研究とともに計量モデルに政策効果分析がもとめられる。計量モデルは,その際に必要とされる限りでの諸関係を反映していれば,政策決定のための研究過程全体の一部として階級矛盾を部分的に反映したモデルになりうる。
計量モデルの方法論的諸問題を以上のように整理して,筆者は「日本経済の社会階層別計量モデルの作成」(『経済論叢』第130巻第5・6号,1983年1・2月)でとりあげた階層別モデルの内容を紹介している。モデルの第一の特徴は,「生産=需要+在庫変動(意図した在庫投資)」とみなす需要モデルになっていることである。意図しない在庫変動,すなわち短期的予測の誤りは捨象されている。それよりも要求利潤=要求価格を満たす需要,すなわち有効需要の不足による遊休設備の存在,換言すれば資本家の生産決定態度は資本主義における不均衡と捉えられている(関連して,デフレータが行動方程式として内生化されていることも指摘されている)。
次に階層モデルは所得に分析が絞られ,流通,財政を通じた追加的収奪が考慮されている。階層別モデルで捉えられている階層別の所得分配は,資本主義分析で欠かせない。所得を中心としたモデルの利用は,他の分析による補完を受けることによって国民生活全般に関わる研究の一環となりうる。さらに,このモデルにはいくつかの不均衡が反映されている。遊休設備,利潤と賃金の拮抗,失業をとらえた方程式がその表現である。
筆者は進んでモデルの主な外生変数とその根拠を説明している。政策変数として位置づけられた外生変数(政府消費,政府投資,各種租税,公定歩合,政府から家計への移転)である。これらは最終的には政策主体によって決定され,政策効果分析が民主的改革から要請されているので,財政・金融政策を変化させたときの効果を調べることには一定の意義をもつし,政策変数の値をシミュレーションの際に決定するときには諸制約が考慮されることになっている。
方程式の形についての根拠,シミュレーションの目的と成果についての詳しい説明がある。自身が作成したモデルにそっての説明なので,予想される疑義も織り込んで,非常に詳しく記されている。関心のある人は直接参照するのがよい。
最後に,計量モデルが全てというのではなく,種々の分析で補完されるべきと繰り返し主張されている。民主的改革という主張の可否の検討とその理論的展開は,モデルによる政策分析とともに経済学的研究に依拠しなければならないこと,モデルの外生変数の選択の際には具体的な経済の連関の研究,政策的要請の分析を待たなければならないこと,説明変数の選択は確率論的手法のみならず経済学的根拠がなければならないこと,シミュレーションでは実態分析が必要なこと(政策手段の決定,政策変数の動かし方,外生変数の値の決め方),基礎資料の改善が独自に追及されるべきこと,以上である。
この論稿が執筆された少し前の頃から,日本資本主義の民主的改革がクローズアップされた。その基本性格は,(1)大多数の国民の生活の安定・向上,(2)上と下からの独占資本の規制とコントロール,(3)資本主義の基本的仕組みには手をつけない条件のもとでの改革,という3点に集約される。その運動形態は企業,産業,地域,その他の各戦線における対案提示運動を総括する運動であり,各社会層で異なる施策(階層別政策)を結集する運動である。階層別政策が必要なのは,第一に民主的改革が労働者,中小企業など特定の階層の向上を目的とするからであり,第二にそれが各種の支出性向と利潤要求の制御策としての意味をもつからである。
政策決定には,その効果の評価が重要である。その理由は,民主的政府でも種々の制約をうけるので,その制約のなかでよりよい政策手段の組み合わせを政策評価に基づいておこなわなければならず,経済内部の諸連関によって政策が当初の意図どおりの効果をもつかを明らかにしなければならず,階層別を意図しない政策でもその各階層への影響を評価しなければならず,民主的改革の道を独占資本本位の道と政策効果を対比する必要があるからである。
これらの政策効果の分析は単純な予測ではなく,政策の含意を担保するために行われる。またそれは本質的諸連関,長期的法則のみならず,現象的な段階での諸関係にも基づかなければならない。さらにそれは,単独の数値の記述に留まらず。諸現象間の関係にも配慮しなければならない。
このような現象関係を考慮に入れた政策提示および効果分析には,計量モデル(連立あるいは単一の方程式,数理統計的手法によるパラメータの推定,シミュレーション)の利用が不可欠であり,ある程度の意義を期待できる。その理由は第一に,政策効果分析は具体的であるべきで,そのためには数量的評価が必要だからである。第二に,諸現象は多岐的に円環的連関しているからである。数量的関係と多岐的円環的連関の抽象の必要性は,複数の方程式体系すなわち連立方程式の利用を要請する。
連立方程式の作成では,捨象される質と捨象されない質とがある。この過程は一方では質的差異をもつ個別の存在の異質性は捨象され,特定の要因へと等質化されるが,他方で企業,家計,政府等の各経済主体の機能の差は温存される。ただし,連立方程式が質を反映できるといっても,現実を正しく反映していることとは別である。質的諸連関と内的運動に基づく運動を方程式に表される限りでの量的関係としてのみ反映し,質的関連はもとより質的転換=構造変化,線形近似の場合の非線形の動きなどをとらえることはできない。
連立方程式に以上のような限界があってもその作成の要請があるのは,この手法がシミュレーションによる政策効果分析に一定の意義をもつからである。シミュレーションに期待されるのは,予測ではない。反映すべき諸関係を考慮した限りでの政策効果の測定である。連立方程式が示す関係は粗くとも経済現象の量的反映が民主的改革には不可欠である。
筆者の考察は次に,最小二乗法などの確率論を用いたパラメータの推定に移る。認識は能動的過程であるから,それは仮説やモデルの構成をとおして実現する。モデルの作成にあたっては,重要因を抽象し,そうでないものを捨象しなければならない。全ての現象は諸々の要因の結果として存在する。原因と結果は相互連鎖している。相対的に内的因果は必然的因果で,そうでない相対的因果は偶然的因果である。
必然的因果も偶然的因果も,それぞれ量的関係として表出する。これらのうち偶然的因果では平均的にみて,量的影響は小さい。方程式のなかでこの要因を処理する方法が必要になる場合,その確率論的な処理が許される。各種の最小二乗法や最尤法の利用は,確率論の手法により小要因を誤差項とみなして処理する数理的手続きである。確率論的処理方法は,全ての未知を未知のまま放置するのではなく,抽象された要因間の関係の大きさをパラメータや決定係数等として経験的に示すという点で,認識の前進を進めるものである。
民主的改革の政策目標・政策体系の設定の際に,他の種々の調査・研究とともに計量モデルに政策効果分析がもとめられる。計量モデルは,その際に必要とされる限りでの諸関係を反映していれば,政策決定のための研究過程全体の一部として階級矛盾を部分的に反映したモデルになりうる。
計量モデルの方法論的諸問題を以上のように整理して,筆者は「日本経済の社会階層別計量モデルの作成」(『経済論叢』第130巻第5・6号,1983年1・2月)でとりあげた階層別モデルの内容を紹介している。モデルの第一の特徴は,「生産=需要+在庫変動(意図した在庫投資)」とみなす需要モデルになっていることである。意図しない在庫変動,すなわち短期的予測の誤りは捨象されている。それよりも要求利潤=要求価格を満たす需要,すなわち有効需要の不足による遊休設備の存在,換言すれば資本家の生産決定態度は資本主義における不均衡と捉えられている(関連して,デフレータが行動方程式として内生化されていることも指摘されている)。
次に階層モデルは所得に分析が絞られ,流通,財政を通じた追加的収奪が考慮されている。階層別モデルで捉えられている階層別の所得分配は,資本主義分析で欠かせない。所得を中心としたモデルの利用は,他の分析による補完を受けることによって国民生活全般に関わる研究の一環となりうる。さらに,このモデルにはいくつかの不均衡が反映されている。遊休設備,利潤と賃金の拮抗,失業をとらえた方程式がその表現である。
筆者は進んでモデルの主な外生変数とその根拠を説明している。政策変数として位置づけられた外生変数(政府消費,政府投資,各種租税,公定歩合,政府から家計への移転)である。これらは最終的には政策主体によって決定され,政策効果分析が民主的改革から要請されているので,財政・金融政策を変化させたときの効果を調べることには一定の意義をもつし,政策変数の値をシミュレーションの際に決定するときには諸制約が考慮されることになっている。
方程式の形についての根拠,シミュレーションの目的と成果についての詳しい説明がある。自身が作成したモデルにそっての説明なので,予想される疑義も織り込んで,非常に詳しく記されている。関心のある人は直接参照するのがよい。
最後に,計量モデルが全てというのではなく,種々の分析で補完されるべきと繰り返し主張されている。民主的改革という主張の可否の検討とその理論的展開は,モデルによる政策分析とともに経済学的研究に依拠しなければならないこと,モデルの外生変数の選択の際には具体的な経済の連関の研究,政策的要請の分析を待たなければならないこと,説明変数の選択は確率論的手法のみならず経済学的根拠がなければならないこと,シミュレーションでは実態分析が必要なこと(政策手段の決定,政策変数の動かし方,外生変数の値の決め方),基礎資料の改善が独自に追及されるべきこと,以上である。