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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

泉弘志「労働価値計算による剰余価値率推計への若干の批判について」『剰余価値率の実証研究』法律文化社,1992年

2016-10-10 11:28:43 | 8.産業連関分析とその応用
泉弘志「労働価値計算による剰余価値率推計への若干の批判について」『剰余価値率の実証研究』法律文化社,1992年

 本稿は,剰余価値率推計の価値レベルでの試算(泉方式)を行った筆者が,この試算に対する批判に反論したものである。
筆者の試算に対する批判は,山田喜志夫,山田貢,岩崎俊夫によって行われた。山田喜志夫は論文「産業連関論の検討」『統計学』(7号,1958年11月)で,レオンチェフ体系が労働価値説を前提としているCameronの見解をただした箇所が,筆者の見解と間接的に関わるとしている。山田(喜)はCameron批判のなか産業連関表の投入係数を使った連立方程式を解くことがスミスのドグマに通ずると批判している(野澤正徳「静学的産業連関論と再生産表式(1)『経済論叢』[98巻6号,1966年]にも同様の指摘がある-要約者)。この指摘は,泉方式の価値計算と密接に関わる。

 筆者はこの指摘が誤りであると述べている。その理由の第一は,スミスのドグマは社会生産物を考えるときには,個別資本の観点に立って考えるときとは異なり,C(不変資本)部分は解消してv+mだけから構成されると考えるという見解であるが,投入係数とか逆行列係数は付加価値が存在するにはそれと一定の比例関係でCが必ず存在することを積極的に示しているからである。第二の理由は,Cとv+m が加算可能なのは両者の同質性が前提とされているからであり,両者の同質性を主張することがスミスのドグマではないからである。第三の理由は,労働価値計算の方法ではその年の労働量(≒新価値)と投入係数とで生産物価値が決まることになっており,C部分についてはその生産手段を実際に生産するのに必要であった労働量によって決まることになっていないが,このこともスミスのドグマとは無関係だからである。

 筆者は次に山田(貢)「剰余価値率・利潤率[コメント]」『統計学』(30号,1976年8月)における「『価値レベルでの剰余価値率』という概念は存在しない」という見解,また「労働力の価値を労働時間で測りうるか」『統計学』(34号,1978年)における「不変資本に投下されている労働量は計算できない」という見解に反論を加えている。山田の主張は,どのような労働も同等な人間労働として同じ時間には同じ価値を生み出すのが大前提なので,労働力の価値が同じであれば,剰余価値率は社会的平均労働に関してどの産業部門でも,どの企業規模でも同等である,すなわち生産された剰余価値の率は同じであるというものである。この山田(貢)見解について筆者は,①現実には産業部門別にかなりの労働時間の差があり,この労働時間に応じて価値が生産されているはずなので,労働力価値が等しいと仮定すると,産業部門別,企業規模別で剰余価値率に差が出てくる,②現実には労働力価値(労働力の再生産のために使われている生活手段の価値)には産業部門間,企業規模間で大きな差がある,③現実に産業部門間,企業規模間で労働時間と労働力価値との間に比例関係はなく,かえって労働時間が長い部門に低賃金が見られる,と反論している。また国民的剰余価値率に関する山田(貢)の見解,すなわち労働力の価格と区別した意味で労働力の価値そのものを測ることができない以上,価値レベルの剰余価値率という概念は存在しないという考えに対しては,科学的経済学の概念で具体的数量的に把握できない概念はいくらでもあるのだから,剰余価値率についてもそれが現時点の統計資料で測定できないからと言って「価値レベルの剰余価値率という概念は存在しない」というべきではない,筆者は置塩信雄による方法にしたがって試算を初め,少しずつ改善して近似計算の精度を高めていきたいという意向の表明を行っている。

 「不変資本に投下されている労働量は計算できない」という山田(貢)の見解は,3点にしぼられる。第一は,固定資本の価値計算の技術的可能性に関してで,その過去への遡及計算の不可能性である。筆者はこの点については,泉方式でのこの部分の労働価値計算は現在の平均的条件で再生産するためにどれだけの労働時間が必要なのかということなので問題にならない,と指摘している。第二は,労働時間と交換価値がイコールなのかという理論問題である。筆者はマルクスにしたがって商品の価値は社会的必要労働で決定される,山田のこの問題提起は生産価格や市場価格が価値からどのように乖離するかということで,価値そのものが変化するということではない,と応酬している。第三は,一円当り直接,間接労働時間を計算する方法が貨幣の本質からいって可能なのかどうかと問うて,「結局,1円当り価値(労働時間)の変化というのは金の価値の変化をしめすことになる」としているが,筆者によればそうではなく単位当たりの直接,間接労働時間を計算したのであると,言明している。筆者はこの他,7点にわたる山田(貢)の疑問に逐一具体的に検討をくわえ,自説の確認,反論を行っている。

最後に筆者は岩崎俊夫「産業連関表の対象反映性」『経済論集』(北海学園大学)(30巻4号,1983年3月)における泉方式批判をとりあげている。この論稿での岩崎による批判の論点は,第一に価値,剰余価値という直接に可測できないカテゴリーの数量的認識がたとえ試算としても不可能なのではないか,ましてや信頼性,正確性という点で疑問の多い産業連関表にもとづいてそれを行おうとするのは無理ではないか,第二に理想的平均を前提とした「資本論」の論理次元の基礎範疇の国家独占資本主義段階(再生産全体にわたり歪曲,不均衡を常態とする)の論理次元での転化についての理論的考察がないままに,経済現象の表象整理にすぎない連関表を使って価値レベルの剰余価値率の計算を行おうとしているが,それはできない相談であるという内容のものである。

 岩崎は一連の論稿(すなわち「産業連関表にもとづく剰余価値率計算と社会的必要労働量による価値量規定命題-泉方式の理論的検討-」『経済論集』(北海学園大学)(36巻3号,1989年1月),「剰余価値率の統計計算と市場価値論次元の社会的必要労働量-泉方式の意義と問題点-」『経済論集』(北海学園大学)(37巻4号,1990年3月),「価値レベル剰余価値率計算の泉方式について-投下労働計算としての意義・価値計算としての限界」『統計学』(59号,1990年9月)によって泉方式について真正面からとりあげ,論じている。 

岩崎による批判は,泉方式が労働量計算であり,価値計算ではないことを価値形態論の論理や市場価値論の論理を使って主張しているのが特徴である。岩崎は,泉方式が価値生産物の労働時間への換算で「流動化している労働の形」を採用し,労働力価値の労働時間への換算で「対象化された労働の形」をとり,この点で整合性がないこと,推計している労働力価値は労働力の再生産に使われている生活手段の価値であるが,真の労働力価値は労働力の再生産に必要な生活手段の価値であること,現代資本主義のもとでは価値範疇は商品論,生産価格論の論理次元と別様の規定を受けるにもかかわらず,泉方式がその点を考慮していないこと,関連してこの方式が現代資本主義の再生産構造について誤解(長期的にみると均衡状態を想定できるとの理解)を前提に成り立っているのではないか,というものである。

 これらの批判に対し筆者は,労働計算に独自の意味があることを確認したうえで,労働計算と価値計算,価値量の測定・分析とがどういう関係になっているのかが重要であること,労働計算がどういう場合に価値計算の近似計算として意味をもち,さらに労働量を基礎にしてどういうデータがあれば価値量の測定になるのかを考察することこそが重要である,と述べている。また筆者は,マルクスの価値形態論では過去に取引された商品にどれだけの社会的労働が投下されていたかの認知を問題としていない,社会的必要労働の量は過去の一定期間に関して社会全体について取引された商品の量と労働の量に関する統計資料が整備されれば計算できる,市場価値論次元でも社会的必要労働量は現存の平均的な生産諸条件のもとで必要な労働量で決定されるという量的規定性は変更されない,価値生産物の労働時間への換算における「流動化している労働の形」の採用と,労働力価値の労働時間への換算における「対象化された労働の形」の採用との間に不整合性は存在しない,剰余価値率計算の分母にある労働力価値は労働力の再生産に使われている生活手段の価値である,価値とか社会的必要労働という概念の理解に理想的平均を前提する必要はない,価値方程式の係数を求めるためのデータとして産業連関表を利用することに関して,そのことと需給一致の均衡状態を前提とするかどうかは関係ない,と縷々述べている。

 要するに筆者は近似計算としての価値計算にこだわり,この価値計算を現存の平均的な生産諸条件のもとで決定される社会的必要労働量の測定として行うが,この測定が産業連関表を使って可能とするわけである。これに対し,岩崎は剰余価値率計算の泉方式が労働時間還元法であり,それだけでこの方式の意義づけとして十分であり,それを価値(レベル)の計算としなければならない経済学的根拠が弱い,と述べているのである。

筆者はこの他,1982年の全国総会でのシンポジウム「数理的手法の政策樹立や分析における有効性をめぐって-特にI.O.表分析の有効性について-」(土居英二「生活関連公共投資と雇用効果-産業連関分析による試算-」;泉弘志「産業連関表による労働生産性・剰余価値率の国際比較」;岩崎俊夫「産業連関分析の有効性再考」)での議論の紹介,検討を行っているが,ここでは省略する。

泉弘志「剰余価値率の産業別・企業規模別考察(第4章)」『剰余価値率の実証研究』法律文化社, 1992年

2016-10-10 11:26:34 | 8.産業連関分析とその応用
泉弘志「剰余価値率の産業別・企業規模別考察(第4章)」『剰余価値率の実証研究』法律文化社, 1992年

 本稿では, 価値レベルの剰余価値率の試算が産業別, 企業規模別で行われている。まず産業別の剰余価値率の計算であるが, その方法は次の手続きをふむ。使用する統計は「毎月勤労統計調査」。この統計から, 「生産労働者の1人あたり平均年間労働時間」「生産労働者1人あたり平均年間賃金」をもとめる。「必要労働時間」は, 後者に「労働者が購入する財貨サービス1万円あたりを供給するのに必要な物的分野労働量の平均値」を乗じてもとめる。「剰余労働時間」は, 先にもとめた年間労働時間から必要労働時間を差し引いてもとめる。「剰余労働時間」を「必要労働時間」で除すと, 産業別剰余価値率が得られる。

 筆者の結果分析によると, 剰余価値率は産業ごとでかなり異なる(1970年:繊維製品製造業273.2%, 繊維工業186.8%, 電気・ガス・水道13.4%, 鉄鋼業39.5%, 石油石炭製品製造業41.2%)。「法人企業統計」を基礎資料とした価格レベルの剰余価値率と比較すると, 非常に大きな違いがある(電気・ガス・水道は価値レベルの推計では13.4%だったが, 価格レベルのそれでは実に443.1%など)。筆者はこの理由を, この部門の利潤総額に他部門の労働者から移転した剰余価値が入っているから, と説明する。

 企業規模別剰余価値率については, 「大企業性産業と中小企業性産業の比較」と「同一産業内における大企業と中小企業の比較」とで, 試算している。
前者では, 「工業統計表-産業編」で産業部門細分類表別にみて, 従業員規模300人以上の事業所から90%以上の製品が出荷されている産業を大企業性産業, 従業員規模300人未満の事業所から90%以上の製品が出荷されている産業を中小企業性産業とし, 「企業規模別剰余価値率」が上記の産業別剰余価値率推計に準じた方法で計算されている。
後者ではまず, 同一産業内での大企業と中小企業での労働生産性を計算し, その値に従って各々の規模で生産される個別的価値量を社会的価値量に換算する手続きがとられる。これには「工業統計表」を利用するケースと「労働生産性統計」を利用するケースとが考えられるという。この手続きを経て, 剰余価値率がやはり上記の産業別剰余価値率推計に準じた方法で計算されている。

 これらの推計結果を分析すると, 次のようである。「大企業性産業と中小企業性産業の比較」では, (1)大企業性産業の剰余価額率はかなり高いのに, その剰余価値率はそれほど高くない。(2)逆に, 中小企業性産業では, 剰余価値率は非常に高いが, 剰余価額率はそれほど高くない産業がかなり多い。(3)中小企業性産業には剰余価値率も剰余価額率も両方とも高い産業も多く存在する。(4)中小企業性産業には高賃金, 低剰余価値率の産業もまれに存在する。(5)大企業性産業にも集積回路製造業のように, 低賃金, 高い剰余価値率の産業も存在する。

「同一産業内における大企業と中小企業の比較」では, 大企業のほうが中小企業よりも剰余価値率が, 一般的に高い。しかし, この指標
が大企業労働者, 中小企業労働者の搾取の程度を示す唯一の指標ではない。個別的剰余価値率(労働者が生産した個別的価値―必要労働)/必要労働)によると, 明らかに中小企業のほうが大企業よりも剰余価値率が高い。
 筆者はこのように価値レベルの剰余価値率計算を提唱し, 実際にその近似計算を行っているが, その試みは従来の価格レベルのそれに対するアンチテーゼである。この論文で筆者は, 価値レベルの剰余価値率計算に入る前に, 従来の価格レベルの剰余価値率計算を批判的に紹介し, 価格レベルの資料だけでは産業別あるいは企業規模別の剰余価値率は計算できない, 産業部門別の剰余価値率にあまり差がないという主張も根拠がない, と述べている。

岩崎俊夫「産業連関表にもとづく剰余価値率計算の問題点-泉方式の検討-」『経済論集』(北海学園大学)第36巻第4号,1989年(『統計的経済分析・経済計算の方法と課題』八朔社,2003年,所収)

2016-10-10 11:24:34 | 8.産業連関分析とその応用
岩崎俊夫「産業連関表にもとづく剰余価値率計算の問題点-泉方式の検討-」『経済論集』(北海学園大学)第36巻第4号,1989年(『統計的経済分析・経済計算の方法と課題』八朔社,2003年,所収)

 泉弘志による産業連関表を利用した剰余価値率計算(以下,泉方式と略)を批判的に検討した論稿。筆者は冒頭で本稿がとりあげる2つの論点を掲げている。第一は価値量あるいは社会的必要労働時間を測定できるかという問題、第二は連関表を用いて生産手段に投下させた価値を含めた生産物価値量を推計できるかという問題である。

 構成は,以下のとおりである。Ⅰ.剰余価値率計算の泉方式(1.泉方式の意義と問題点,2.近似計算の意味するもの),Ⅱ.社会的必要労働と価値量規定(1.社会的必要労働量の計測可能性,2.社会的必要労働時間と異種労働の還元)
剰余価値率計算の泉方式は,次のように定式化される。

■物的剰余価値率=(物的財貨に対象化された新価値-物的財貨生産分野の労働力の再生産のために使われた物的財貨の量)/(物的財貨生産分野の労働力の再生産のために使われた物的財貨の量)

 この式のなかの,「物的財貨に対象化された新価値」は,物的生産部門の財貨を生産する労働者の年間平均労働時間として与えられる。「物的財貨生産分野の労働力の再生産のために使われた物的財貨の量」は,「毎月勤労統計調査」などからこれらの部門の年間賃金を推計し,これらの賃金によって購入された財貨・サービスの価値を連関表の家計消費支出を参照してもとめ,そこから財貨・サービスのそれぞれの生産に必要とされた労働量を計算する。後者の推計は,労働時間に還元された諸生産物の価値を確定する作業であるが,この部分は生産物1単位に直接対象化されている労働時間が計算されなければならないので,まず国民経済レベルでそれぞれの財貨の生産に必要な労働時間をもとめ,それをそれぞれの財貨の総産出額で除すことでもとめる。物的生産部門別に生産される財貨に投下されている労働量には,これらの財貨に直接投下された生きた労働の支出の他に,生産手段や原材料に投下された過去労働の支出も含まれるので,両者を含んだ投下労働量が連立方程式の解としてもとめられなければならない。

 この式に入る具体的統計数値は,それぞれ「労働力調査」「就業構造基本調査」「国富調査」「国勢調査」の政府統計をもとに,適宜,技術的な工夫が施されてもとめられる。   

 筆者は泉方式の特徴と意義を次のように要約している。
(1)泉方式は連関表を中心とした政府統計を使って剰余価値率計算を試みたもので,自身が表明しているように置塩信雄の経済理論がその基礎にある。
(2)統計利用論の見地からみると,この方式は政府統計の批判的利用である。連関表あるいは連関分析の限界,制約を考慮しつつ,この統計と手法のもつ積極面,意義を承認し,可能な限り経済分析に役立てるというのが,そこにみられる姿勢である。
(3)泉方式ではある特定の時点の特定の投入係数があればよく,通常の連関分析と異なるのでその固有の難点としてしばしば強調される投入係数の固定性,不変性の問題は回避されている。   

 他方,問題点,疑問点はいくつかある。筆者はそれを7点にわたって指摘している。箇条書で列挙すると,次のとおりである。
(1)その計算は社会的必要労働時間を測定したものなのか,それとも単なる部門別の投入労働時間を測定したものなのか。
(2)基軸概念である社会的必要労働時間は,「資本論」のいわゆるそれなのか。
(3)社会的必要労働時間の計測可能性が前提とされて実際の計算が進められているが,その理論的前提は問い直されるべきではないか。
(4)労働力の価値は「労働力の再生産のために使われた物的財貨の価値」とされているが,そもそも後者の測定は可能なのか。両者は何ゆえに等置されるのであろうか。
(5)生産手段に含まれる価値の測定が泉方式のように,「国富調査」で公表されるストック額をそれぞれの耐用年数で割ったもので除したものを,さらに各部門の生産額で割ったもので代用してよいのか。
(6)不均衡を常態とする国家独占資本主義段階の剰余価値率計算が,需給均衡を前提とした連関表の利用で済ませてよいのか。
(7)計算の近似性が強調されているが,近似を近似たらしめている諸要素の検討が十分になされているか。

 筆者はこのように問題点,疑問点をあげ,以下でこれらのうち第1番目から第3番目まで,そして第7番目の諸点にポイントをしぼって検討している。

 剰余価値率計算の泉方式は,価値レベルの計算を予定している。価値レベルの計算を究極的に追及しているが,既存の統計資料の制約から近似計算にならざるをえないが,条件が整えば価値計算に限りなく近づくという見通しで計算を進めている。
ここで重要なのは,商品価値が社会的必要労働量(時間)で決まるという命題である。この命題が価値計算の根拠となっている。筆者はこの問題に関連して,次の諸点を強調している。第一に,社会的必要労働時間は価値の内在的尺度であるが,それは価値の実体となる労働の性格規定として言明されるもので,社会的必要労働時間を測定することで(真の意味でのこの概念の測定ではなく,泉方式では投入労働時間)価値を測定したことになっている。第二に,労働生産物への社会的必要労働量の投入量は,複雑労働の単純労働への還元問題を含めて(泉の初期の論稿ではこの問題を解決すべき課題として意識していたが,その後,果たされていない[というよりできないと言うべきであろう]),市場での商品交換過程を経て,価値として現れるというのが前提であり,個々の生産物に投入された労働量を社会的必要労働と見做す(この生産物が市場で販売されたという事実だけを根拠に)のは早計である。第三に,上記の諸点と関連するが,私的労働の社会的労働への転化は価値関係を媒介としなければ,社会的必要労働時間の把握も価値という物的形態を媒介にしなければ認識しえない(現実的にも理論的にも)。価値量はもちろん,社会的必要労働量も人為的計算で測ることは不可能であり,結局,価値の外在的尺度としての貨幣に,したがって価格に依拠して把握せざるをえない。   

 筆者は泉方式に対して,結論として次の評価を与えている。すなわち,泉方式は投下労働にもとづく剰余価値率計算である。あるいは,剰余価値率計算の労働時間還元法である。価値レベルの剰余価値率計算とは言えない。このように評価したところで,泉方式の意義は何ら損なわれるものではない。むしろ,上記のように評価することで,この方法の意義は明確になる。
 泉の方法は既存の統計で価値レベルの剰余価値率計算(近似計算)を行うことが大前提としてあり,その前提からマルクス経済学の諸カテゴリーと辻褄をつけようとした,いわば理論と実証との関係を逆転させた議論展開となったために,多くの矛盾,齟齬をきたすことになった。筆者が強調したかったのは,この点である。

木下滋「産業連関分析による公共投資の効果測定の意義と限界」『現代の階級構成と所得分配』(大橋隆憲先生追悼論文集)有斐閣,1984年9月

2016-10-10 11:22:25 | 8.産業連関分析とその応用
木下滋「産業連関分析による公共投資の効果測定の意義と限界」『現代の階級構成と所得分配』(大橋隆憲先生追悼論文集)有斐閣,1984年9月

筆者は産業連関分析を利用して公共投資の波及効果測定した論文をいくつか公表した。なかでも宮本憲一,保母武彦,土居英二と筆者が共同で執筆した『エコノミスト』誌上の論文に対しては,公共投資を産業基盤重視型と生活基盤重視型とに分け,両者の生産,雇用に対する効果を産業連関分析で計算したものである。この論文は,福祉を重視するのはよいが,それでは生産や雇用が伸びないのではないかという議論に対し,公共投資の二つの型の効果を測定し,生活基盤重視型のほうが効果が大きいと反論した内容のものである。この論文に対し,この計算が公共投資を有効需要創出という狭い視点からのみ評価している,この計算の限定的前提を容認してもなお用地費を考慮していない点で欠陥がある,さらにこの計算を産業の生産額の配分や雇用について検討するのは良いが,全産業を括って生産誘発効果を云々するのは意味がないとの批判があった。本稿は,この批判に対する反論である。

 内容は最初に産業連関分析による波及効果分析の意味について述べ,次いで生産誘発額あるいは生産誘発係数の意味について考察し,さらに消費(賃金)からの波及とは何か,用地費を考慮した波及効果について,最後に産業別の波及効果分析について自説を展開している。

「この計算が公共投資を有効需要創出という狭い視点からのみ評価している」という批判に対し,筆者はそのような印象を与えたことを認めながらも,意図はそこにはなく,産業向けのビッグプロジェクトを行わなければ景気は浮揚しない,生活のため福祉のための投資では不況対策にならないという見解に対するアンチテーゼだったことを主張している。公共投資の評価はその経済効果だけでなく,総合的長期的な街づくりのビジョンのもとで判断しなければならない。工事がどれだけの有効需要をもたらすかよりも,この視点こそが重要なのは言うまでもない。産業連関分析がどんなに限定された目的の計算であると強調しても,それを使って出てくる計算結果は生産誘発額でしかないから,それだけを問題にしていると言われてもいたしかたなく,筆者はそのことに拘泥しすぎたと反省しつつ,しかし連関分析は意味のない分析方法ではなく,より広い視野からの分析,モデルの構築を行い,そこに連関分析を副次的予備的に位置づけることで,この手法による公共投資の分析の限界を示さなければならない,としている。

 ところで生産誘発額は公共投資が生活基盤であろうと,産業基盤であろうと,同じ額の投資は同じ付加価値,所得を生み出すので,生産誘発額の大小で有効需要効果の高低を云々するのは誤りであるとの批判もなされた。この批判に対して,筆者は生産誘発額の合計でもって有効需要効果,あるいは景気の刺激効果を強調したことには問題があったと反省の弁を述べている。同時に,生産誘発額指標の意味を確認している。この指標の意味は種々の最終重要が各産業の生産額の構成にどのような影響を与えるのか,という産業構造の考察の一つの指標となりうる。また付加価値が各産業に配分されていく過程を近似的に反映する限りで,最終需要が各産業に与える需要効果の指標となる。また雇用効果を計算するための指標にも役立つ。最終需要が同じであれば,付加価値も同じであるという上記の指摘に関しては,その主張は輸入を無視した場合にのみ成立するのであって,輸入を導入したモデル(自給率の要因)では異なった意味をもつ。すなわち,各産業部門に付加価値がどれだけ発生かは自給率の高い,あるいは低い産業にどれだけ生産が波及するかの違いに左右されるが,生産誘発額の算定はその計算のための指標になりうる。

 生産波及は中間投入(原料)から投入係数を通じて波及することになっているが,それだけでなく労働者に支払われた賃金からも,その消費をつうじて波及する。神戸都市問題研究所などは,そうしたルートも考慮して波及計算を行っている。しかし,賃金をつうじた波及は第一波及だけの計算になっている。

筆者は1980年の公共投資の波及効果の計算を行い,もとめた雇用効果,付加価値誘発効果,生産の波及効果,付加価値・雇用効果を投資の型([Ⅰ]雇用基盤型,[Ⅱ]生活基盤型,[Ⅲ]国土保全型)の相異によって比較分析している。生産誘発額は,次の3つのタイプで計算されている。(1)公共投資による他産業への生産波及総額(投資額から用地費を控除),(2)用地費は半分だけ生産波及するとして計算した生産誘発額,(3)これらと工事費を足した総生産誘発額である。結論として示されたのは,生活基盤型の雇用効果は用地費の減殺部分にもかかわらず,国土保全型や産業基盤型に劣らないこと,しかし付加価値誘発額は用地費の減殺によって産業基盤型が優れている,ということである。

 筆者はさらに上記の投資の型ごとに,生産の間接波及効果を産業別生産額,産業別付加価値額をもとめ詳しい分析を行っている。また,30部門の産業別雇用係数と付加価値係数,公共投資の産業別波及効果を計算している。このなかで,従来の道路中心に推移した公共投資が自然を破壊してきたこと,生活基盤投資が製造業,とりわけ軽工業により多くの波及をもたらしていること,産業基盤投資がより重化学工業と鉱業(砂利,石材の採取)に波及し,結果として日本列島の自然を破壊してきたこと,用地補償費が公共投資全体の有効需要効果を(付加価値でも,雇用でも)低めてきたこと,それが生活基盤投資においてより影響が大きいこと,雇用効果では生活基盤投資が優れていること,などが具体的に数字の上で明らかにされている。

本稿を通読すると,筆者は連関分析を利用した自身の生活基盤型投資の波及効果測定の研究成果について,動揺しているように見える。連関分析では,公共投資の有効需要効果とその高低だけが問題になっているように受け取られ,連関分析がそのような代物だと評価されかねなかったからである。筆者は連関分析の手法としての有効性を擁護しながら,最後に生活基盤型投資だったらなんでも良いわけではなく,産業基盤投資型だったならば何でも悪いわけではない,という自明のことをあえて繰り返している。重要なのは長期的・計画的な政策の実施で,それらを含んだモデルの研究が今後の課題であるとし,産業連関分析もそのなかに位置づけるべきとしているが,果たしてそれは可能だろうか。

泉弘志「労働価値計算による剰余価値率の国際比較」『経済』227号, 1983年(「剰余価値率の国際比較(第5章)」『剰余価値率の実証研究』法律文化社, 1992年)

2016-10-10 11:21:15 | 8.産業連関分析とその応用
泉弘志「労働価値計算による剰余価値率の国際比較」『経済』227号, 1983年(「剰余価値率の国際比較(第5章)」『剰余価値率の実証研究』法律文化社, 1992年)

 本稿では, 剰余価値率の国際比較がいわゆる泉方式の労働価値計算にもとづいて, 日本, アメリカ, 韓国について行われている。実際の統計を使って推計を国際比較で行うには, それぞれの国々の統計の内容, 構成が異なるので, その調整が必要であり, 多くの苦労が予想される。筆者はその点について, 最初に簡単に解説している。主要な統計は, 産業連関表である。日本と韓国の連関表は, 比較的似ていて, 調整が容易だったようである。アメリカの連関表が日韓のそれとかなり違う。前者は産業×産業で構成されているが, 後者は商品×商品という構成である。またアメリカの延長表(1975年, 1980年, 1985年)はV表, U表として作成されている。したがって, アメリカの連関表との突合せは, かなり便宜的, 暫定的な仕方に頼らざるをえなかった, とある。他に, アメリカの剰余価値率計算に関連しては, 減価償却額が記載されていない, 固定資本マトリックスの存在しない年がある, といった問題があった。韓国では固定資本マトリックスがない, などといった事態にも直面したようである。いずれにも, 次善策で対応している。

 国際比較推計のためには, 投下労働量概念をいかに確定するか, 購買力平価とインフレ―タを使った共通の貨幣単位への換算をどうするか, といった問題もある。筆者は前者については, 各国の平均投下労働量(国際的平均投下労働量を採用しない)で統一したこと, 購買力平価に関しては, 財貨部門別での調整はせず, 賃金財貨部門全体の平均を適用した, と述べている。

 推計の結果, わかったことは剰余価値率(1960­85年)の高さは, アメリカ, 日本, 韓国の順である。時系列でみると, どの国も剰余価値率は上昇している。剰余価値率が, アメリカが日本より高いというのは, 従来の推計(シャー・リフ, 上杉正一郎, 篠原三代平, 野々村一夫, 山田喜志夫, 小林良暢)がおしなべて日本の剰余価値率がアメリカより高いと結論付けていたものと異なる。筆者は, この点が一番重要とし, 労働価値計算の意義もそこにあると, 述べている。上記のような結果になったのは, 価額レベルの剰余価値率では農業部門での剰余価値の収奪部分が入ってしまうからで, それを除いた推計がなされなければならない。

 剰余価値率の高低に関わる要因は, 労働時間, 賃金額, 労働生産性で, 他に労働強度がある(労働強度は推計が困難なので捨象)。全体として, 各国とも労働時間の変化は小さく, 賃金と労働生産性の要因が大きく変化した。具体的には, 労働生産性が飛躍的に上昇し, 賃金も上昇したが労働生産性の上昇ほどではなかったので, 労働力の価値は大幅に上昇した。各国の剰余価値率の上昇は, この要因が大きく, したがって剰余価値の増大は絶対的剰余価値のそれというより, 相対的剰余価値のそれで説明できる。