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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

近昭夫「計量経済学における統計的方法の適用-その問題点をめぐって-」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

2016-10-17 20:10:16 | 4-3.統計学史(英米派)
近昭夫「計量経済学における統計的方法の適用-その問題点をめぐって-」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

 筆者はこの論文の課題を, 1930年代から50年代にかけての計量経済学の確立期に, 計量経済学における統計的方法の適用をめぐってどのような問題が提示され, またそれがどのように処理されていったかを, 計量経済学の成立以来の主要な研究動向にそって跡づけることとしている。以下に筆者の論点整理を, 要約的に紹介する。

 計量経済学は, 1920年代におけるアメリカの統計的経済学をその実証面で継承し, 方法論として批判的に克服することによって, 1930年代に確立した。その直接的契機として, 1930年12月にフリッシュ, フィッシャーの呼びかけで計量経済学会が創設されたこと, 1933年1月にA.コールズの援助で同学会の機関誌Econometricaが発刊されたことが想起されるべきである。この頃の計量経済学研究は, 統計的需要曲線・供給曲線の導出, それにもとづく需要弾力性の算出が中心であった。このなかで, 統計的方法を形式的に多用すると大きな誤謬が生じてくるという問題が浮上した。難問の一つは, ムーア, シュルツのやり方で需要あるいは供給に関する統計的法則をもとめても, 意味ある曲線が得られないことであり(E.J.ワーキング), もう一つは統計データへの適合度を高めるためにあてはめる曲線の方程式の変数を増やしても, それらの間に高い相関関係があると虚偽の関係式が得られてしまう, いわゆる多重共線性に関する問題である(フリッシュ)。

 1940年代に入ると, 計量経済学の中心課題は, 相互に依存しあう連立方程式の体系として構成されたモデルのパラメータを同時に推定する方法に移った。確率論に基礎をおく統計学研究の成果がそこに取り込まれた。しかし, そこにクローズアップしてきたのは, 多数の変数, 方程式からなるモデルの作成において方程式が特定できず, パラメータが適切に推定されないという問題であった。いわゆる識別の問題である。筆者はこの識別, パラメータの同時推定法の研究を, ホーヴェルモの研究などで確認している。

 次いで, 筆者は相互依存型のモデルをつくり, そのパラメータを同時推定する方法を忌避し, 経済の動態の経過分析に重きをおいたウォルドのいわゆる逐次方程式モデル研究を紹介している。

 1950年代以降は, 40年代の諸研究が理論的・数学的に整理されるとともに(計量経済学的モデル・ビルディング, 識別, パラメータの推定と検定, 連立方程式体系のパラメータを推定するための種々の方法の提示など), それらの研究の成果の現実経済分析への応用が精力的に進められた(需要関数, 消費関数の研究, 大型のマクロ計量モデルの構築[クライン, ゴールドバーガー])など。

 以上, 筆者の整理では, アメリカにおける計量経済学の展開は統計的方法の適用によって生じた問題点の解決の試みに他ならない(計量経済学においては, 統計学が最も大きな役割を果たしていると, 筆者が強調する所以である(p.142)。そのさい問題解決の仕方は, 現実経済の分析に多くの非現実的な仮定をおいて, 問題をもっぱら数学的・技術的に処理することに向けられた。具体的に言えば, 確率論的図式とそれにもとづく統計的推論の導入のさいには, 時系列の各項が独立であるとする非現実的な仮定が要請され, 手許にある時系列データは存在することが可能と考えられる無限の場合の一つの偶然的な発現とみなされた。また, パラメータの統計的推定を可能にするために方程式に誤差項を付加することが必要とされ(これ自体が恣意的な試みである), その誤差項が正規分布することなどがアプリオリに仮定された。
さらに, 識別の問題を解決するために, 一定の変数を無視したり, 内生変数と考えられていたものが外生変数, 先決変数に変えられたりした。関連して, 逐次方程式モデルでも, 因果関係の方向が主観的に一方向的なものと措定された。「モデルの作成も, たんに経済理論を数学的に表現するというのではなく, その際に統計的処理の可能性も同時に考慮して「芸術的」に行わなければならないことになったのである。現実の経済が研究の方法を想定するというのではなく, 統計的方法・統計的推論が可能となるように現実を解釈し, 現実の経済のうえに多くの非現実的な諸仮定を設定して, 数学的・統計的に処理するというやり方がとられることになったのである。したがって, 計量経済学的分析の結果は, 必然的に非現実的なものにならざるをえなくなる」(p.168)。

成島辰巳「ジェヴォンスの経済分析における統計的方法」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

2016-10-17 20:08:42 | 4-3.統計学史(英米派)
成島辰巳「ジェヴォンスの経済分析における統計的方法」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

 W.S.ジェヴォンス(1835-1882)は有名な経済学者であるが, 統計研究者でもあり, 経済学の機能的・実証的分野でも多くの業績を残したことを知らしめてくれたのがこの論文である。

 この分野で, 今日まで残されているジェヴォンスの業績には, 物価指数の計算への幾何平均の採用, 半対数表(変化の割合を正確に表現できる)の活用, 季節変動の時系列解析, 経済恐慌の周期を太陽黒点のそれと結び付けた実証研究, など多方面にまたがっている。筆者はこうした業績の数々を, 次のように要約している, 「ジェヴォンスが経済学の研究を始めた当時, 経済現象の統計的研究はやっと始まったばかりであった。彼は多くの問題を, みずからの考察による新しい方法で解決しようとした。その成果が統計学上の遺産として現在もわれわれの統計的研究に役立っている。また, 経済分析による統計利用の普及に果たした役割ははかり知れないものがある」と(p.71)。

実証分野での成果はともあれ, ジェヴォンスの統計学理論はどのようなものだったのだろうか? 筆者はこの点について詳しく論じている。

 それによると, ジェヴォンスはその平均概念に対する見解では, ケトレーの平均概念の影響を受けていたことが知られている。ケトレーは平均を, 実在する平均と実在しない平均とに区別した他, あらゆる事物に偏在する重心に示される平均を実在する客観的平均と認めていた。ジェヴォンスも実在する平均と実在しない平均との区別という点で, ケトレーにならっていたものの, あらゆる事物に偏在する重心を, 実在しない平均に変質させてしまった。換言すれば, ジェヴォンスにとって, あらゆる事物に偏在する重心に示される平均は, 思考の便宜としての「仮説的」意味でしかなかった。

 これには理由があり, ジェヴォンスにあっては, 外的事物はただ相互に外在的に結び合う存在でしかなかった。事物の内在的な, 本質的連関の認識, 客観的法則の存在は, 経験主義の見地から最初から否定されていたのである。

 ジェヴォンスの統計理論のもう一つの特徴は, 確率論の「方法化」, 「便宜的方法化」である。確率論は, ジェヴォンスの科学方法論の核をなす。事物の運動は偶然にゆだねられているのだから, 人間はそれを蓋然的に知るほかはない。事物はまた相互に外在的におかれているのであって, それを捉えるには, 数学や確率を使う以外に方法はない。ジェヴォンスは, このように自然および社会現象を確率によって一元的に認識しようとしたが, それらは必ずしも確率の条件を満足させないので, ジェヴォンスがとった方法は, 確率論の成立する若干の条件を適用対象が満足するものと「仮定」し, その隘路を切り抜けることだった。確率論の「方法化」「便宜的方法化」がこれである。

 誤差法則の適用についても, 同様である。誤差法則に少なからぬ意義を認めていたジェヴォンスは, ラプラス・ケトレーの誤差法則の証明方法を受け入れ, それを物価指数論などに適用した。しかし, 誤差法則への関心の寄せ方において, ジェヴォンスとケトレーとでは相違がある。ケトレーは誤差法則にみられる分布型(正規分布)に着目した。多数個の対象に適用された誤差法則, すなわち正規分布型に現れる平均は, ケトレーにあっては真値, 実在する平均であり, 典型であり, くわえて正規分布における原因機構として, 「偶然的原因」と「不変的原因」とを峻別し, 前者を除去して後者を析出することに努力した。これに対し, ジェヴォンスは, 平均に真値はなく, ましてや実在する平均もない。原因と結果の関係は, 蓋然的継起関係, すなわち時間の前後関係程度のものとして理解された。事象の「不変的原因」は問題とされようがなかった。ジェヴォンスが物価指数論へ誤差法則を適用したとき, 彼はケトレーの設定した原因機構を, 経験主義の立場から修正して, 援用した。ここには誤差法則を「便宜的方法」ととらえる姿勢が顕著であり, そこでの関心は数理的形式の一点に集中していた。

 筆者は最後に総括している, 「ジェヴォンスの科学方法論では, 方法がすべてであった。すなわち, 「方法主義」である。この「方法主義」は受け入れられない。しかし, 一方で, ジェヴォンスはたえず新しい方法を考えつづけた, 半対数図表を考察し, また物価指数の計算に幾何平均を用いることによって物価指数論に画期的意義をもたらした」と(p.84)。

近昭夫「ユールにおける統計的方法の利用」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

2016-10-17 20:07:22 | 4-3.統計学史(英米派)
近昭夫「ユールにおける統計的方法の利用」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

 K.ピアソン門下のひとりで, それまで主として生物現象に使われていた数理統計学の手法を社会・経済現象に関する統計分析に適用した統計学者に, G.U.ユール(1871-1951)がいる。本稿はそのG.U.ユールの研究成果を紹介し, これを批判的に論じたものである。

 G.U.ユールの業績は多方面にわたるが, ここで取り上げられているのは, 1890年代の救貧問題に関する統計研究, 1920年代のいわゆるナンセンス相関に関するもの, そして人口現象へのロジスティック曲線のあてはめ, 太陽黒点の観測データを材料とした攪乱的時系列解析である。

 ユールは1895年から1899年にかけて, 救貧問題に関する論文を著している。切掛けは, チャールズ・ブースの研究に対する疑問だった。ブースは1894年に, 当時の政府統計を利用して, 救貧問題のなかでも最大の問題である老人の救貧を詳細に分析して導き出した。ユールは, それらの結論のなかの「院外で救助を与えられる割合は, 救貧全体のパーセンテージに対して一般的関係をもたない」という指摘に反論し, そのさいの資料分析に相関係数, 回帰方程式を用いた。その結果, ユールが到達した一つの結論は, 「全体的な救貧の律と院外救済とは正の相関をしている。すなわち, 前者の高い平均値には後者の高い平均値が対応する」というブースの指摘と異なる事実の発見だった(ここで, ユールは相関計数の意味する内容に留保をつけ, また相関係数は因果関係を示すものではない, としている)。

 統計学の分野では, 1900年代に入って, 相関計算の試みが次々となされた。これらの試みのなかから, 次第に「ニセの相関」という問題が浮上した。「ニセの相関」とは, 2つの統計系列間に本来何の関係もないのに, 相関係数を行うと高い値を示すという問題である。ユールは階差法を用いて, 「ニセの相関」が避けられないことを明らかにした。また, ユールはその後, この問題を「無意味な相関」の問題として再度, とりあげた。「無意味な相関」とは, 2つの変化する系列の相関係数の値が非常に高く, 標準誤差の公式にてらしても「有意である」との判定がでても, そこには何の実体的意味がないという問題である。ユールはその原因を「法本抽出のゆれ」であると考えた。「ニセの相関」「ナンセンス相関」について, これらを自覚的に問題視し, こうした問題がなぜ出てくるのかを真摯に考察しようとしたことは, 高く評価されてしかるべきである。しかし, ユールは, ここでも問題の処理の仕方が形式的な考察の域から出ることができず, 考察のプロセスは数学的問題におきかえられた。「ニセの相関」「 ナンセンス相関」を避けるには, 指標の選択を当該の現象に関する理論的考察で基礎づける必要がある。ユールはついにそこに目をむけることがなかった。

 最後にユールによる人口現象ロジスティック曲線のあてはめ(この曲線を最初に定式化したのはベルギーの数学者フェルフュルスト), 太陽黒点の観測データを材料とした攪乱的時系列解析が紹介されている。筆者によれば, ユールはこれらの研究(攪乱的系列の周期分析)でも階差相関の考え方を応用し, また攪乱的時系列の問題(とくに時系列の周期性)で三角関数を用いた処理を行うなど, 問題の数学的・形式的処理に終始した。問題なのは, そこにトレンド除去の経済的意味の考察, 人口増加法則の社会的・経済的諸条件の具体的分析がないことである。

 全体として, ユールの統計研究が経済学的研究に統計的方法を導入し, その後の時系列解析論の展開への橋渡しとなったことは事実であるが(たとえば攪乱的誤差あるいはショックの累積が周期的波動を形成することを明らかにしたとして[スルツキー・ユール効果], その定差方程式の活用の仕方とともにR.フリッシュが注目), 諸研究そのものの経済学的, 学術的貢献にみるべきものはなかった。これが, 筆者の結論である。

横本宏「ボーレーの統計思想」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

2016-10-17 20:06:06 | 4-3.統計学史(英米派)
横本宏「ボーレーの統計思想」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

 本稿は20世紀初頭のイギリスで, G.U.ユールとともに, 統計学分野の大御所だったA.L.ボーレーの統計思想の内容を解説し, その意義を示したものである。ボーレーと言えば, 「統計学とは平均の学」であるという箴言で有名である。そのボーレーは, 数理統計学者だったが, ただそれだけにとどまらなかった。しかし, フィッシャー以降の数理統計学の隆盛は, ボーレーの統計理論を不当に貶めることとなった。筆者には, その思いがあり, ボーレーを今日においても正当に評価すべきであることを, 暗に訴えているように受けとめた。

ボーレーが並の数理統計学者でなかったことは(筆者は異例の数理統計学者であったと書いている), 彼が統計を「社会的生産物」としてとらえ, つねに統計の正確性, 精度を, 自然の測定値とは異なった観点から問題としている点にある。ボーレーが生涯にわたって関心を持ち続けた問題は, 人口, 産業, 貿易, 景気変動などの国民経済にかかわるもの, あるいは物価, 賃金, 生計費, 貧困といった人々の生活状態そのものだった。統計調査の分野では必要なデータが欠けている場合に, それを得る簡便な方法として標本調査は必要であるとして, そのための理論的基礎付けに努力した。

 筆者は以上のようなボーレー統計理論を念頭に, 彼の果たした業績の理解に入っていく。ボーレーは統計の正確性, 精度をつねに意識していた。確率論的な誤差論ではエッジワースに依拠していた。このエッジワース=ボーレーの誤差論は, ピアソン流の度数法則の研究とは異なり, ラプラス, ガウスの流れ, 誤差法則の研究の流れをくむ。また, 価格指数論では主観価値説をベースに顕著な功績をなしたが, その理論は貨幣効用の変動の測定ではいわゆる限界値論ではなく, 一つの値でその変動を測るという, いわゆる近似値論を提唱した。近似値論の指数論では, 消費面での貨幣購買力の変化の測定を問題とせざるをえないが, そのための具体的データを家計調査にもとめた。こうした研究をボーレーハリーンとともに進め, 彼らの研究は後の家計調査研究, 消費関数論, 計量モデルにおける誤差項の研究の礎となった。

ボーレーの統計学に対する考え方, 統計思想は, 名著と言われる Elements of Statistics(1901) に明らかである。先に示した「統計学とは平均の学」という言葉も, この著作にある。筆者はこの著作によりながらボーレーの統計学に対する考え方を丁寧に紹介しているが, 要約するとボーレーにあっては, 統計学は方法科学であり, 普遍的方法科学であるとしているものの, 統計の間接経験性の指摘, 統計調査論の意義の承認という点で, 独自の了解をもっていた(ドイツのマイヤーにつながる一面, 同時にピアソン流の科学観の否定)。

ところで, 今日, ボーレーの統計学に対する評価は, それほど高くない。筆者はその理由を, フィッシャー革命を抜きに考えられないとしている。すなわち, ボーレーが数学利用を限定的にしか認めなかったこと, 平均値を重視しながらも科学の目的を平均値の獲得にあるとする立場から遠かったこと, 統計的方法を諸科学の補助的手段としてしかみていなかったことがその理由とされている。記述統計学の範囲にとどまっていたボーレーは, 統計学の分野で記述統計学に対する評価が低下するとともに, 評価されなくなったわけである。筆者はしかしそうした理解だけでは不満足であるとし, ボーレー評価の低下の真の理由は, その統計学が記述統計学=生物統計学との通念とも相容れなかったからではないかと考え, もしそうであるならば評価の低下は不名誉なことではなく, 逆であると結論づけている。

筆者は最後にこの了解にたち, 当時のイギリスで隆盛をきわめた生物測定学派の独特の科学観, 方法観をおさらいしている(ピアソンのマッハ主義)。生物測定学派はゴールトンの「祖先形質遺伝の法則」によって代表される。今日, この「祖先形質遺伝の法則」は, メンデルの研究によって否定されている(当初はメンデルの研究が無視されていた)。生物測定学派は, データの数理的要約だけから誤った遺伝学説を(個体分析をせず, 遺伝子という要因を発見できなかった)導出し, 喧伝した。 しかも, それがメンデルの研究の再評価によって否定されると(遺伝学が科学として実質的な内容と体系を備えるようになったのは, この再評価以降), メンデル学説に媚びながらその延命策に腐心した。この論争からまったく自由だったボーレーは, 生物統計学を起源とする英米系の数理統計学, あるいは推測統計学の展開に影響されることなく, 独自の統計学を貫いた。

 この論文は, ボーレーの統計学, 統計思想を既存の価値基準にとらわれず, その内容に即して再評価し, あえて言えば, 復権させたところに意義がある。

岩井浩「相関と回帰の統計理論」高崎禎夫・長屋政勝編『統計的方法の生成と展開(経済学と数理統計学Ⅰ)』産業統計研究社, 1982年3月

2016-10-17 20:04:58 | 4-3.統計学史(英米派)
岩井浩「相関と回帰の統計理論」高崎禎夫・長屋政勝編『統計的方法の生成と展開(経済学と数理統計学Ⅰ)』産業統計研究社, 1982年3月

 相関法は古典確率論とケトレーの統計的研究に遡るが, 1870年代にダーウィンの甥であるF.ゴールトンによって進化と遺伝の問題の統計的研究から生み出され, その後K.ピアソンによって数学的意匠を整えた。さらに, 1910年代に入ると, スチューデント, R.A.フィッシャーが相関係数, 回帰係数の確率誤差の研究をつうじて推測統計学の諸概念と方法を体系化した。本稿の課題はその相関法の学説史的プロセスを意識しながら, その方法の基本的仕組み, 適用分野の可能性を考察し, 方法論的意味を明らかにすることに定められている。

 筆者がまずゴールトンの著作, 論文をとりあげて, 彼が考案した相関法の基礎概念と方法を紹介している(「人間における遺伝の典型的法則」(1877), 「イギリス協会人類部門での会長挨拶」(1885), 「相関関係とその測定」(1887), 『天性遺伝』(1888)。筆者がゴールトンによる相関法の研究を紹介したのは, そこで今日の相関・回帰の基本的概念と形態の原理がそこに示されていたからである(負の相関の概念, 多変数相関の考え方はみられないものの)(p.226)。

 次に登場するのは, K.ピアソンである。ピアソンは論文「回帰, 遺伝と雑婚繁殖」(1896)でゴールトンの統計研究を評価した。ピアソンの業績は, ゴールトンの後継者として, 生物測定学を体系化し, 相関法についてもその数学的精緻化を実現したことである。筆者はピアソンの正規相関法の基本的概念と方法, また非正規相関の一般化の試みを紹介している。
関連して, 筆者はその推定法の問題点を検討している。ピアソンの推定論の特徴は, 標本が非常に大きい大標本が前提にあり, したがって標本分布に正規分布を想定できた。ピアソン自身, この当時, 母集団と標本, 標本分布, したがって標本によって母数を指定する考え方を等閑視していた。しかし, ピアソンの確率誤差は, 標本が小さい場合には使えない。また標本が大きくとも, 母集団の相関係数が1に近い値をとると, 利用できない。標本分布は非正規分布の形をとるからである。標本が非正規分布をなす小標本の推定法を開発したのはスチューデントとR.A.フィッシャーである。スチューデントは, 論文「平均の確率誤差」「相関係数の確率誤差」(いずれも1908年)で正規母集団から確率的に抽出された標本に関する分布関数を, また正規母集団から抽出した標本相関係数の分布を経験的に推定した。フィッシャーはスチューデントの問題提起を正面から受け止め, 論文「無限大母集団からの標本の相関係数値の度数分布」(1915), 「小標本から抽出された相関係数の確率誤差について」(1921), 「回帰公式の適合度と回帰係数の分布」(1922)で, 相関係数, 回帰係数の有意性検定と推定の方法として体系化した。

 相関法を社会経済研究に積極的に導入したのはユールである(ユールに先立っては, H.ボインティング, エッジワースがいる)。ユールは1890年代後半に, 救貧法下のイギリスの貧困問題に相関法の適用を試みた他, 種々の社会経済現象間の実証的研究にこの方法を応用した。ユールの相関法は, 比較する変数間の度数分布の型を捨象し, 最小二乗法を使って変数ごとの平均点に直線をあてはめ, 二本の回帰式をもとめ, これら2つの回帰方程式の傾きを回帰係数とし, その回帰係数の幾何平均をもって単一の相関の指標としての相関係数をもとめるものである。また, 記憶しておかなければないのは, ユールがニセの相関, 無意味な相関についての論文も公表していることであり, そこに示されているように無批判的な相関法の信奉者でなかったことである。

 筆者は最後に, L.ホグベンの所説も援用して, 相関法の意義と限界についてまとめている。相関法は一つの数理的技術で, 相互外在的にそれぞれ変化する2つの量の間に平均的対応関係が一応存在するか否かを測定する経験的手段である。対応の平均的強度を測るにすぎない。現象間の内在的連関を測るものではないので, 無意味な相関の事例が往々におきる。「社会科学における現象の諸連関の研究においては, まずその諸連関の理論的分析(人間の思惟の抽象力)が必要であり, 諸連関の量的分析のための一つの数理的分析法として相関, 回帰分析法は, 現象間の量的諸連関の平均的対応関係の一つの要約・記述の方法としての意義をもつにすぎない」のである(p.257)。こうした認識方法をピアソンが編み出した背景には, 彼が経験主義的観念論者であり, 科学的法則が思惟の節約を目的とした現象および現象間の諸連関の単なる経験的要約とし, 内在的・本質的実在としての合法則性が認識しえないものと考えていた事情があったのである。