社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

岩井浩「相関と回帰の統計理論」高崎禎夫・長屋政勝編『統計的方法の生成と展開(経済学と数理統計学Ⅰ)』産業統計研究社, 1982年3月

2016-10-17 20:04:58 | 4-3.統計学史(英米派)
岩井浩「相関と回帰の統計理論」高崎禎夫・長屋政勝編『統計的方法の生成と展開(経済学と数理統計学Ⅰ)』産業統計研究社, 1982年3月

 相関法は古典確率論とケトレーの統計的研究に遡るが, 1870年代にダーウィンの甥であるF.ゴールトンによって進化と遺伝の問題の統計的研究から生み出され, その後K.ピアソンによって数学的意匠を整えた。さらに, 1910年代に入ると, スチューデント, R.A.フィッシャーが相関係数, 回帰係数の確率誤差の研究をつうじて推測統計学の諸概念と方法を体系化した。本稿の課題はその相関法の学説史的プロセスを意識しながら, その方法の基本的仕組み, 適用分野の可能性を考察し, 方法論的意味を明らかにすることに定められている。

 筆者がまずゴールトンの著作, 論文をとりあげて, 彼が考案した相関法の基礎概念と方法を紹介している(「人間における遺伝の典型的法則」(1877), 「イギリス協会人類部門での会長挨拶」(1885), 「相関関係とその測定」(1887), 『天性遺伝』(1888)。筆者がゴールトンによる相関法の研究を紹介したのは, そこで今日の相関・回帰の基本的概念と形態の原理がそこに示されていたからである(負の相関の概念, 多変数相関の考え方はみられないものの)(p.226)。

 次に登場するのは, K.ピアソンである。ピアソンは論文「回帰, 遺伝と雑婚繁殖」(1896)でゴールトンの統計研究を評価した。ピアソンの業績は, ゴールトンの後継者として, 生物測定学を体系化し, 相関法についてもその数学的精緻化を実現したことである。筆者はピアソンの正規相関法の基本的概念と方法, また非正規相関の一般化の試みを紹介している。
関連して, 筆者はその推定法の問題点を検討している。ピアソンの推定論の特徴は, 標本が非常に大きい大標本が前提にあり, したがって標本分布に正規分布を想定できた。ピアソン自身, この当時, 母集団と標本, 標本分布, したがって標本によって母数を指定する考え方を等閑視していた。しかし, ピアソンの確率誤差は, 標本が小さい場合には使えない。また標本が大きくとも, 母集団の相関係数が1に近い値をとると, 利用できない。標本分布は非正規分布の形をとるからである。標本が非正規分布をなす小標本の推定法を開発したのはスチューデントとR.A.フィッシャーである。スチューデントは, 論文「平均の確率誤差」「相関係数の確率誤差」(いずれも1908年)で正規母集団から確率的に抽出された標本に関する分布関数を, また正規母集団から抽出した標本相関係数の分布を経験的に推定した。フィッシャーはスチューデントの問題提起を正面から受け止め, 論文「無限大母集団からの標本の相関係数値の度数分布」(1915), 「小標本から抽出された相関係数の確率誤差について」(1921), 「回帰公式の適合度と回帰係数の分布」(1922)で, 相関係数, 回帰係数の有意性検定と推定の方法として体系化した。

 相関法を社会経済研究に積極的に導入したのはユールである(ユールに先立っては, H.ボインティング, エッジワースがいる)。ユールは1890年代後半に, 救貧法下のイギリスの貧困問題に相関法の適用を試みた他, 種々の社会経済現象間の実証的研究にこの方法を応用した。ユールの相関法は, 比較する変数間の度数分布の型を捨象し, 最小二乗法を使って変数ごとの平均点に直線をあてはめ, 二本の回帰式をもとめ, これら2つの回帰方程式の傾きを回帰係数とし, その回帰係数の幾何平均をもって単一の相関の指標としての相関係数をもとめるものである。また, 記憶しておかなければないのは, ユールがニセの相関, 無意味な相関についての論文も公表していることであり, そこに示されているように無批判的な相関法の信奉者でなかったことである。

 筆者は最後に, L.ホグベンの所説も援用して, 相関法の意義と限界についてまとめている。相関法は一つの数理的技術で, 相互外在的にそれぞれ変化する2つの量の間に平均的対応関係が一応存在するか否かを測定する経験的手段である。対応の平均的強度を測るにすぎない。現象間の内在的連関を測るものではないので, 無意味な相関の事例が往々におきる。「社会科学における現象の諸連関の研究においては, まずその諸連関の理論的分析(人間の思惟の抽象力)が必要であり, 諸連関の量的分析のための一つの数理的分析法として相関, 回帰分析法は, 現象間の量的諸連関の平均的対応関係の一つの要約・記述の方法としての意義をもつにすぎない」のである(p.257)。こうした認識方法をピアソンが編み出した背景には, 彼が経験主義的観念論者であり, 科学的法則が思惟の節約を目的とした現象および現象間の諸連関の単なる経験的要約とし, 内在的・本質的実在としての合法則性が認識しえないものと考えていた事情があったのである。

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