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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(15」

2021-04-22 09:13:34 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(15」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/286(2021/4/21/水】今春は鶯(うぐいす)の当たり年なのか、緑いっぱいの散歩コースでは鶯の声をよく聞く。「声はすれども姿は見えぬ・・・」、1回だけ1分ほど目撃したが、安全保障上「身を隠す」「目立たない」習性があるようだ。


小生は「目立つ服装」が好きで、これは伊丹十三のエッセイの影響が大きい。曰く「ジャガーじゃない、英国風に“ジャギュア”と言わないとダメだね。マイカーブームで日本でも車が増えたけど、狭い道で雨の日に黒い服を着て傘も黒、これではドライバーは歩行者をよく見えないから事故を招きやすい、云々」。当時は郊外に街灯なんて便利なものはなかった。月がなければ“漆黒の闇”、手探り足探り。


なるほど「服装は目立った方がいいのだ!」と以来、特に起業してからは赤、ピンク、白のスーツを好んで着るようになった。リタイアした今では赤とオレンジの服、ちょんまげ、ヒゲ・・・ヒゲはマスクで見えないけれど、車も歩行者も避けてくれるのは有難い。触らぬバカに祟りなし? お巡りさんは寄ってくるが、今度誰何されたら「道端に倒れこむ」のはどうかなあ、なんて思うこともある。


「どうしました!?」、人だかりがしてきたら「て、て、低血糖で・・・バッグにキャラメルがあるんで・・・と、と、取ってください」なんてやると皆が面白がるかも・・・公務執行妨害になるから良い子、良いヂヂイは真似してはいけません。婦警さんを相手にしたら猥褻罪にもなるか?


ウグイス嬢は結構いるがウグイス男はあまりいない。ウグイスは鳴くのは雄で、多摩丘陵の殿森谷戸(とんもりやど)には「思い出の歌の小道」があり、実に上手にさえずる鶯がいた。♪ホーホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、キョ、キョ、キョ、ホーホケキョ・・・これを“これでもか”というくらいに長々と歌い続けており、まず五輪金メダルクラス。よほど素敵な雌を見つけたのだろうか・・・


ウグイスの雄が鳴くのは「ここはボクの縄張り、ボクが見張っているから安心して子育てできるよ」の意。新潟県ではなんと「一夫六妻」が観察されたそうだから、「容姿は問わず、来る者拒まず」みたいだ。雄は「餌を運ぶ」といった子育てには直接関与せず、ひたすら「縄張りの安全確保」に努めるのだという。


雄は「雌と子供のため」に外敵と戦う、雌は雄に守られながら子供を育てる、命を紡ぐ・・・雄は雌の仕事はできない、雌は雄の仕事はできない、人間も一緒。分かる人は分かる、分かりたくない人に分からそうとしても無理、無駄。相手にしなければそのうち消える。ホーホーホットケ。


3月頃から庭の手入れを始めたが、アレもコレもと手を広げるから、まるでサグラダ・ファミリアみたいに「完成」がない。園芸というより「庭園造り」、大工とペンキ屋になった気分だ。今日も午前中は庭いじりで、午後は菩提寺の護摩法要に出席。次期住職の修行を支援する会にいつの間にか入った感じで、何だかよく分からないが枯れ木も山の賑わいだから「ま、いいか」、願い事を書いてくれというから「中共殲滅支那解放」・・・これはちょっと場違いだから「天下平定」にした。


護摩を焚いて舞い上がる炎、佳境になったら火災報知器がピーピーピー、拍子木はカチカチカチ、お経はしきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき ピーピーピー、じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ、カチカチカチ・・・人生は爆発だあ! ああ忙しかった。


さてさて我が家に戻り「天に代わってお仕置き」の護摩法要、御託放送、悪口雑言の扇動的かつ挑発的サエズリへ。真珠湾攻撃を偶然目撃した英植民地下のビルマ植民地政府首相ウ・ソーについて、高山正之先生著「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった」からの要約、抜粋。


<ワシントンでFDRルーズベルトに面会できなかった失意のウ・ソーは西海岸に向かい、サンフランシスコから飛行艇に乗り、翌日ハワイの真珠湾に降りた。ホテルで1泊し、翌朝8時にマニラへの4泊5日の長旅が始まる。


しかし彼の飛行艇は真珠湾から西に飛ぶことはなかった。1941年12月7日午前7時49分、オアフ島北方から侵入した日本海軍の第一陣183機が真珠湾に襲いかかり、係留されていた戦艦アリゾナ以下、米太平洋艦隊を正確な雷撃で沈めていった。第二陣の163機も真珠湾周辺のヒッカム飛行場などに殺到して迎撃する米軍機を次々叩き落していった。


この時ウ・ソーは、自分たちがかしずきタキン(ご主人様)とあがめてきた白人たちが、自分たちと同じ肌の色をした日本人に攻撃され、青ざめて逃げ惑うのを確かに見た。英史家ルイス・アレンは「植民地に独立の機会があるとするならば、一滴の石油も、一粒のコメも取れなくなった時と、まずあり得ないが、白人が裸足で逃げ出すような大異変が起きた時」と豪語していたが、ウ・ソーは「白人が裸足で逃げ出す大異変」を目撃したと思った。


ハワイ以西は戦争状態に入った。彼は来た道を逆にたどってニューヨークからロンドン経由でポルトガルのリスボンに飛んだ。リスボンで飛行機を待つ間、彼は一人でこっそり日本公使館を訪ねた。外務省飯倉公館にその翌日の日付、昭和17(1942)年1月1日付の東郷外務大臣宛ての文書が残っている。


発信人は在リスボン千葉公使で、「12月31日ビルマ首相ウ・ソーがハワイから引き返し、帰国の途次に公使館を訪問」と伝えた上で、ビルマ首相から日本政府への申し出が以下に綴られている。


「今やシンガポールの命運旦夕に迫りビルマ独立のための挙兵には絶好の機会と認められる。日本がビルマの独立尊重を確約すればビルマは満洲国の如く日本の指導下に立つ国として日本人とともに英国勢力の駆逐に当たる。日本の必要とする資源は悉(ことごと)く提供する用意あり」


満洲の新京、奉天は日本の進出で秩序が確立され、都市暖房が普及し、工業生産は隣の支那を凌いでいた。英国が持ち込み、漢族が拡散させた麻薬禍も、満洲では政府主導で消されつつあることを数年前に日本を訪問したウ・ソーは聞いていた。ウ・ソーは日本を通してビルマに明るい将来を見ていた。


彼はリスボンから1月2日にアフリカ経由で中東ハイファに向かった。しかしハイファに付いた1月12日、ウ・ソーは機内の乗り込んできた英軍兵士に引きずり降ろされた。逮捕容疑は宗主国英国に対する反逆罪だった>(つづく)
・・・・・・・・・・・・・・
永遠の友も永遠の敵もいない、と言うけれど、今回の菅首相とバイデンの会談に拍手しているのは保守系新聞では産経の黒瀬悦也記者(トランプ大嫌い、民主党大好きみたい)くらいではないか。血を流すこと、熱戦を恐れていたら、国内統制&世界制覇のために熱戦を求めている中共への抑止力になるわけがない。ヒトラー・ドイツは欧米の警戒心がフランスに向いていた隙間を狙って開戦した。ヒトラー・ナチスへの警戒心が欧州では薄かったのだ。


習近平・中共は世界制覇が目標で、それを成し遂げれば毛沢東と並ぶどころか毛沢東を超える覇者として世界史に永遠に刻まれる。習近平は父親のために故郷の陝西省富平県に「習仲勲陵園」を造った。なんと2660万平米、東京ドーム569個分! 皇居の総面積は東京ドーム25個分だから23倍、JR山手線の内側は東京ドーム1347個分だからその半分が親父の墓! 史上空前、多分世界最大だろう。習仲勲の巨大な座像が周囲を睥睨している。


もちろん習近平も隣に坐像を創って眠ることにしているだろうが・・・「地元住民を立ち退かせて巨大な公園として整備した趙楽際は2017年に発足した第2期習近平政権で政治局常務委員、党内序列6位に出世している。紀元前3世紀の秦の始皇帝と21世紀の習仲勲・・・同じ巨大墓所でも、始皇帝の墓と兵馬俑は壮大な歴史のロマンだが、習仲勲の墓は現在の中国政治のアダ花だ」(安田峰俊「さいはての中国」)。


聖地だから今は外国人=蛮族は立入禁止、爆発されないためだろう。来月の護摩法要では「怨敵退散」でいくか。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(14」

2021-04-20 08:01:26 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(14」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/286(2021/4/19/月】古い本の間から新聞の切り抜きが出てきた。読売新聞の橋本五郎氏のコラム(2005/12/18)で、坂本多加雄・学習院大教授に触れている。


<3年前に亡くなった坂本教授が自国の歴史を描く作法について書いている。愛国心は、単に日本の美質を並べることから生まれるのではない。過去に生きた人々の様々な苦難や幸福や不幸、それに対処した精神の構えに対する「共感」の中から生まれるのではないか。


「歴史教科書の根底には、こうした意味での『共感』、過去に生きた自国の人々への『節度ある愛』とでも表現すべき感情が流れていなければならない」


「節度ある愛」とはなんという上手い表現だろうか>


敗戦後の日本の左巻きの連中には「節度ある愛」ではなく「節度ない憎悪」ばかりで、米国GHQとその犬(寄らば大樹のコラボレーショニスト、事大主義者、迎合者、太鼓持ち、転向者、売国奴、裏切者、リベラルを装うアカ)による国民洗脳教育も50年以上も経れば効き目が落ちてくるから、それではなかなか支持を得ることは難しくなる。(反共居士の小生は「節度ない憎悪&罵倒」だな)


今日たまたまスーパーのレジ脇で「文藝春秋」5月号を見かけたが、随分薄くなってオーラが消えていた。バブルの頃は「満広です」、つまり今月号は広告ページが完売しました、次号にお願いします、なんて出版界では夢のようなことを「文藝春秋」はやっていたという噂だったから、栄枯盛衰、諸行無常、盛者必滅・・・それにしてもレジ脇でスキンケアの本と並んでいたのはシュールだった。半藤一利、保阪正康は草葉の陰で苦笑しているか。


あっ、保阪はん、まだ生きてはる!? 堪忍や、穴があったら入りたい。<小林よしのりは、「戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観になっている」として、保阪の歴史観を「蛸壺史観」と評している>(WIKI)、上手いこと言うなあ。吾輩も「ヒッキー史観」にならぬよう気を付けねば・・・手遅れ?


我にも正義、彼にも正義、とかく正義は厄介だ。正義は≒私益≒党益≒国益でもあるから、戦争は「汚い手を使おうが勝てばいい、勝った奴が正義」となりやすい。正々堂々と戦い、勝者を讃え、敗者に敬意を表し・・・というスポーツやゲームではないから、結局は「バランス・オブ・パワー、勢力均衡」しか戦争抑止力はないようだ。隙間を作ると中共のように好戦的、侵略的な勢力が台頭し、いつの間にか秩序を棄損、覇者を目指すようになる。残念ながら「戦争と平和はあざなえる縄の如し」か。


前回、「真珠湾攻撃を偶然目撃したのが、英植民地下のビルマの政治家ウー・ソオ(ミスター・ソオの意)だった」と書いたが、小生の同期が「産経のゴロツキ記者」と嫌っていた高山正之先生が「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった」に、ウー・ソオ=ウ・ソーについて書いていたので要約、抜粋する。


<日露戦争の日本勝利により植民地の人々は「アジア人でも白人に勝てる」という思いを抱き、ナショナリズムが高揚して(1930年代の)独立運動になったという見方がある。しかし惨敗した。英史家ルイス・アレンは「植民地に独立の機会があるとするならば、一滴の石油も、一粒のコメも取れなくなった時」と評した。さらに「まずあり得ないが、もう一つの可能性は宗主国が裸足で逃げ出すような大異変が起きた時」とも。


ビルマで英国に反旗を翻したサヤサンの裁判で弁護人を務めたウ・ソーは「もう一つの可能性」を信ずるほど空想家ではなかった。彼は政界に転向し、政争の末に植民地政府首相に就任した。ウ・ソーは1941年11月にロンドンを訪ねている。「英国のために多くのビルマ兵を戦場に送る、だから戦後は独立を与えて欲しい」というのが目的だった。


その思いを英国滞在中「タイムズ」に寄稿している。「ビルマが知りたいのは、我々は世界の自由のために多くの国々とともに戦っているが、それはビルマの自由のためでもあるのか、ということだ」。ウ・ソーは英植民地相エイメリーに会い、首相のチャーチルにも会った。


チャーチルはビルマ首相の要求を突っぱねた。インド赴任経験もある彼は「白人は有色人種を導く神聖な使命を持つ」(J.R.キプリング*)と心から信じる白人優越主義者だった。ガンジーがニューデリーの総督府をサンダルで訪ねた時は「有色人種が女王陛下の建物を汚す」と目一杯の罵倒を並べた。


(*英国の作家。英国植民地インド生まれ。代表作に小説「ジャングル・ブック」など。1907年にノーベル文学賞受賞。キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり、「1984」で今人気のジョージ・オーウェルはキプリングを「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだとか。以上WIKIなど)


植民地は国ごと奴隷にするシステムだ。表向きは保護国にして有色人種に政府を持たせるが、自治権や明るい将来などあるわけもなかった。チャーチルはウ・ソーに会った後、英植民地相エイメリーに「彼らに必要なのは独立ではなく鞭だ」と語っている。


次いでウ・ソーは11月下旬、大西洋を渡ってFDRルーズベルトに会いに行った。FDRはその少し前に英戦艦プリンスオブウェールズの艦上で「いかなる国民も自分の政府を選ぶ権利を持ち、奪われた主権は回復されるべきだ」とする大西洋憲章*を発表していた。


(*1941年8月14日に発表されたルーズベルトとチャーチルの共同宣言で、第2次世界大戦後の世界平和回復のための基本原則を定めたもの)


ビルマはまさに主権を奪われ、さらに英植民地のインドの下に組み込まれる屈辱を受けていた。ルーズベルトならビルマの痛みを分かってもらえるとウ・ソーは信じていた。白人と戦って勝てないなら、彼らの良識にすがって奴隷状態を脱するしかない。


しかしルーズベルトはウ・ソーに会う気もなかった。その理由を側近に「大西洋憲章は有色人種のためのものではない。ドイツに主権を奪われた東欧白人国家について述べたものだ」と語っている。FDRの心を忖度すれば、日本を含めて有色人種が白人と対等のつもりでいることがむしろ腹立たしかった。


それにFDRはこの時期、やたら忙しかった。ハル・ノートを突き付けられた日本がやっと動き出したのだ。在ワシントンの日本大使館には頻繁に暗号電報が入電していた。天地をひっくり返す事態が出来する。その準備に忙しかった>(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
腹黒いのは白人のみならずウジャウジャいるが、堂々と威嚇脅迫する中共は「脅せば黙る支那民族」と「脅しには反発する世界の民」の違いが分かっていないのか、腹黒さ、狡猾さに欠けている面はある。戦後の米国はあちこちの戦争紛争に介入したが、ほとんど失敗したのは中共同様に新興国ゆえに「腹黒さ」「深謀遠慮」が不足しているためかもしれない。独立宣言のように「戦時にあっては敵、平時にあっては友」という具合には現実は動かない。


今朝の産経の古森義久先生の「対等な日米同盟を阻むもの」は面白かった。米国の論者が「日本の台頭を絶対許さないために押し付けた米国製憲法のために日本は動けない、どうにかしてくれ」と困っているとか。それなら米国はこう宣言すべきだ。


「日本の皆さん、日本国憲法は米国が1週間であちこちから引用して作った当座の即席憲法です、当時の日本は占領下で国家主権はありませんでした、それをごり押しして日本国憲法をMade in Japanとして米国が強制したものです。ですから国際法違反であり、無効です。どうか主権国家として本当の日本国憲法を創ってください。それで一緒に中共を潰しましょう」


本当の日本国憲法を創る・・・できるのか? 「国会で米国製憲法を24時直前に廃棄し、0時になったら即座に大日本帝国憲法に戻し、再び即座に暫定新憲法に移行する。暫定新憲法は国民の議論を重ね、3年後に国民投票にかけて改めるべきは改め、正式な憲法とする」――アクロバットみたいだが、これが一番スムーズではないか。「憲法改正」なんてそもそもできない仕組みになっているのだから、非常時には非常時のやり方で突破するしかない。米国からの独立戦争とか令和維新、その気概が必要だ。


戦争のできない国・民族は消滅する、戦争で勝った、頑張った国・民族は生き残る。臥薪嘗胆の時代は終わった。中共包囲戦でアジアの安定、世界の安心を進めるべし、世界は日の出を待っている。
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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(13」

2021-04-18 09:34:30 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(13」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/286(2021/4/17/土】前回、美しい文章表現について触れたが、ここ20~30年ほど、日本語は随分、汚くなってきた感じがする。2、3年前に税理士から確定申告で必要だからと言われて「個人番号カード」を作ったが、世間では去年あたりから「マイナンバーカード」と言うようになり、「えっ、それってもしかしたら個人番号カードのこと?」とちょっと面食らった。


英語ではShow me your "my number card"って言うのかなあ。Show me your ID card(personal number card、 individual number card)とかの方がいいと思うけれど。国内でなぜ「個人番号カード」をあえて「マイナンバーカード」と言うのか、全然分からない。


日本語が汚染されたのは外来語(モドキ)の爆発的な拡大によると言ってもよいだろう。国立国語研究所が数年前にまとめたところでは「ア」だけでも、


アーカイブ/archive、アイデンティティー/identity、アイドリングストップ/和製語、アウトソーシング/out sourcing、アカウンタビリティー/accountability、アクションプログラム/action program、アクセシビリティー/accessibility、アクセス/access、アジェンダ/agenda、アセスメント/assessment、アナリスト/analyst、アミューズメント/amusement、アメニティー/amenity


日本語にできないわけではなく、「アーカイブ」なら保存記録、記録、資料、史料、記録保存館、公文書館、文書館、資料館、史料館・・・で十分だ。


今朝の産経のインタビュー記事を見て、「ナンカナー、あと10年20年で美しい日本語は消滅するのじゃないか」とげんなり、こんな風にカタカナのオンパレードだった。


<マーケティング、SNSネーティブ、スマートフォン、コミュニケーション、キーワード、アンケート、オンラインインタビュー、カテゴリー、コスパ、リスクヘッジ、スキル、キャラ、SDGs、ボランティア、アカウント、コミュニティ、コロナ、イノベーション、リフレッシュ、バージョンアップ・・・>


ハーイ、歓迎来到地球! ユーは何人よ、ジャパニーズみたいだけど。ミルキーウェイの遠くからタイムスリップしてきたの? ユーのジャパニーズ・ランゲージ、日本語、too old! 1980年頃みたい。大体ね、ネイティブの日本語、100年前の2030年頃に消えたよ、ミーは冷凍保存で寝ていたからちょっとだけ覚えているけど・・・今ね、地球語ばっかりで日本語話せる人、とってもレアね。地球語ソフトとIDカードはあそこのカウンターでもらえるよ、習近平主席語録付きだけど。持ってないとソイレントグリーンに送られるからね、グッドラック、旅途愉快・・・


夏彦翁曰く「言語とは国家なり、国家とは言語なり」。言語は文化、文明、歴史だ。それを棄損していけば「無機的な、からっぽな国になる」(三島由紀夫)。It's too late, baby, now it's too late とならないために、我らは何をなすべきか、 that is the question。


「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」の続き。


<1941年12月になった。ハワイ真珠湾米海軍基地の総責任者・キンメル提督は、ある異変に困惑していた。日本の連合艦隊がコールサイン(艦船の識別信号)を急遽変えたという。「バカな、コールサインは先月変えたばかりではないか」。それまで半年以上の間隔で変更されるのが常だったから、わずか1か月での変更は異例だった。


もう一つ気がかりなことがあった。11月16日以降、2週間にわたって日本の空母機動部隊の所在地がつかめないのだ。艦船が洋上を動いていれば、通常は必ず無線でのやり取りが生じる。そこでコールサインの方向と位置を探知すれば所在地を割り出すことができる。しかし、日本の空母機動部隊には無線を発した痕跡がない。異常なことだった。


艦船の修理などで港湾基地のドックに入っていて通信をしないということもあり得るが・・・事実、情報部は「連合艦隊は呉もしくは佐世保にいる」という判断を下していた。しかし、キンメルはどうしても楽観的になれなかった。あまりにも静かすぎる、どこに空母は消えたのか・・・


異変はワシントンで日本の暗号「パープル」の解読に当たる米諜報部門スタッフも察知していた。11月28日、ハル・ノートが手交された2日後の暗号電には次のような記述があった。


「緊急の場合、および国際関係断絶の場合、海外向けラジオ放送に次の警報を加える。日米関係切迫=東の風、雨。日ソ関係切迫=北の風、曇。日英関係切迫=西の風、晴。この警報は天気予報の形で挿入し、2回繰り返される。メッセージを聞いたら、暗合関連資料等をすべて破棄されたい。これは完全な極秘事項である」


12月初め、ワシントン大使館内の海軍武官室に東京の軍令部から暗号電報が届いた。「米国戦艦の所在、改めて報告すべし」。危険を冒して調べると、世界最大の軍港ノーフォークには戦艦はなく、フィラデルフィアの海軍工廠には建造中の新鋭戦艦があるだけだった。主力艦隊のほとんどは真珠湾にあると推測された。


やがて、ある日の午後、あの天気予報が聞こえてきた。「東の風、雨」。その日のうちに暗号機が破壊され、暗合書が大使館の中庭で燃やされた。


12月7日午前7時55分、ハワイ・オアフ島の空に無数の機影が横切り、真珠湾に吸い込まれるように滑り落ちていった。米国との戦争が始まった。真珠湾攻撃のニュースは瞬く間に世界を駆け巡った>(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
日露戦争(1904~05)で勝利した日本はアジア人国家として唯一の列強となり、世界中の植民地で宗主国の収奪横暴に苦しめられてきた人々に勇気を与え、白人支配に対する反発に火をつけた。日本はアジアの民の“希望の星”となったが、白人宗主国にとっては憎悪の対象になっていった。


敗戦国ロシア国内は混乱し、ロシア革命へとつながっていく。アジアでは1930年代に独立運動が盛んになっていく。日本が火をつけたのだから、英米仏蘭など白人宗主国にとって日本は絶対許せない、根絶すべき「日本コロナウィルス」として恐れられ、憎まれたのは当たり前だ。


真珠湾攻撃の頃、日本は欧米列強から「体力、思考力が劣るサル、裏でドイツが操っている人種」と見られていた。日の丸印のゼロ戦の攻撃機を操縦しているのはドイツ人ではなく日本人だと知って、ハワイの人々、米国民、白人世界は大ショックを受け、呆然とした。有難いことに以来、日本人はサルから進化して「毒蛇」として認識されるようになったのだ。


同志諸君、ミャンマー(旧ビルマ)の情勢、大いに気になるよなあ、この真珠湾攻撃を偶然目撃したのが、英植民地下のビルマの政治家ウー・ソオ(ミスター・ソオ)だった。以下、WIKIによる。


<1920年代末に英領インドビルマ州の立法参事会(植民地議会)の議員となり、1938年に愛国党を結成し、トゥーリヤ紙の編集主幹としても政治的影響力を拡大させた。1935年に日本を訪問し、政財界や軍と接触を図り、訪問記『日本案内』を出版している。


1939年、インドから分離した英領領ビルマ植民地自治政府のバー・モウ政権を攻撃、それに代ったウー・プ政権に入閣したが、1940年、ウー・プの不信任案を通過させ、自らが植民地政府首相となった。


ビルマをカナダ、オーストラリアなどと同等の英連邦王国(ドミニオン、英連邦所属の英国王を元首とする独立国)とすべく、欧州での大戦勃発を交渉の好機として1941年9月にロンドンへ渡るが、チャーチル首相以下の反応は鈍いものだった。


そこで米国に渡ってFDRローズヴェルト大統領に協力を要請するも、対英関係の悪化を懸念してすげなく断られ、カナダ政府も同様であった。太平洋を横断してオーストラリア、ニュージーランド両政府に働きかけようと、飛行艇便でシンガポールに向かったが、給油のためハワイに到着したのが1941年12月7日であった。


真珠湾攻撃直後の日本の威力を垣間見て、サンフランシスコ経由でニューヨークから中立国であったポルトガルのリスボンへ12月29日に到着する。ここで、リスボン日本公使館へ、対日協力とビルマ独立政府の樹立支援を申し出た。


日本公使館は東京の外務省へ暗号電文を送ったが、米国海軍により全てが解読され、ウー・ソオの行動は英国政府(チャーチル)へ通達された。


ビルマへの帰国便の飛行機から、パレスティナで1942年1月12日に拘束された。利敵行為で裁判を行う場合、証拠として日本の暗号電文の解読能力を開示せねばならず、戦争の遂行に影響を与えかねないとの判断から、極秘にウガンダへ抑留された(植民地首相職は1月19日解任)>


こんな史実、小生は齢70にして初めて知った。ビルマについては中学の時に「ビルマの竪琴」を読んだだけで「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」という言葉だけが印象に残っている。同志諸君、「イッショニ、ニッポンヘカエロウ」!
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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(12」

2021-04-17 09:53:58 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(12」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/285(2021/4/16/金】いろいろな人の文章表現を目にして「上手いなあ」と感動したり、「どうもしっくりしないなあ」、「それはないだろう」と思ったりする。内容以前に「日本語の表現」としての美醜が気になるようになったのは多分、加齢≒保守化が影響しているのだろう。


山本夏彦翁は、江戸時代の言葉は明治まで生きていたが、ロシア革命の影響を受けた大正デモクラシーで棄損されたと書いていた。曰く「一度なったら、ならぬ昔には戻れない」。「よくって?」「いいわよ」「ご発展ね」「いやだわ」・・・いずれも大正時代に普及した女言葉で、「自由恋愛」もその一つだという。


「自由」は「好きにやればいい」ということだが、その時代の「社会規範の範囲で」というのが前提になっているはずだ。慣習や法律から逸脱すると概ね軽佻浮薄とか無謀、乱暴、邪道と批判されたりするから、「流行には末尾でくっついていればいい」。慌てず騒がず、観察し、されど遅れ過ぎない、ということ。いい智慧だ。


小生は“青春のハシカ”で流行に乗って御用になって以来、「流行は自分が創るもので、踊らされるのはまっぴらだ」と思うようになったが、パリジェンヌのファッションを見て「さすがだ」と感動した。似たような服装を見かけないのだ。創意工夫で自分らしさ、違いを出している。日本のお嬢さまは今年の春も「個性より同調」のような・・・


最近、小生が感動した文章表現から。


俳優・寺田農(みのり)氏の書評。「テレビの急速な普及で、人は全てを映像に頼り、視覚化されたものにしか興味を持たなくなる」(産経4/10)。TV、漫画、映画、映像・・・それは表現の一方法だが、感性、感情を専ら刺激するようで、小生の求める理性、知性の肥しにはなりそうもない。


日大教授・先崎彰容氏の書評。「(学生運動や連合赤軍の内ゲバ、リンチに触れ)小林秀雄は言う。『思想が人にとり憑いて、獣性を発揮し、自己の人格を破壊する。それなら人間を生き続けさせているのは、獣性を洞察し、それに悲しみながら耐え、それを馴致しようとする間断ない努力だろうか』。その通りだと江藤淳は答える。人間とは、マイナスをゼロに戻す努力を続ける営みそのものであると。私たちに必要なのは『情報』ではない、血肉となる『言葉』なのだ」(産経4/11)。


今の小生は、「情報」を拾い集めて行動を促す「言葉」にする、まるでアジテーターみたいだ。ヒトラー・ナチスの支持率は45%ほどだったが、支持者はヒトラーのアジに酔いしれ、反対者は報復を恐れて沈黙した。今のドイツを見るとヒトラーのような「ドイツの栄光に幸あれ」の左巻きが勢いを増しているようである(川口マーン惠美氏「メルケルの仮面 なぜドイツは左傾化したのか」産経4/11)。


中共、ロシアという確信犯的な独裁国家と、ドイツ、トルコのような独裁志向国家が世界のガラガラポンを狙っているよう。


太平の眠りを覚ますにはアジテーターが不可欠だ。FDRルーズベルトは日本を真珠湾攻撃に誘い込む、日本を“逆アジテーター”にする、という実に上手いやり方で避戦的な米国民を参戦へ導いた。大学院レベルの戦略だったとは言えるが、裏で糸を引いた大学教授がいたような・・・


ということで、「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」の続き。


<1941年11月25日正午、米国は最高軍事会議で日米暫定協定案について協議、当面の戦争回避を決めた。その午後、米陸軍長官スティムソンが執務室に戻ると、陸軍情報部(G‐2)の報告が上がっていた。「日本軍5個師団が山東、山西の両省から上海に集結。10~30隻の輸送船に分乗し、大挙して台湾沖を南下している。行き先はインドシナ半島、仏印と見られる」


この情報の出処は英国情報部で、11月21日、現地の諜報工作員からロンドンに送られ、次いでワシントンのG‐2に転電されていた。また、フィリピンの英国出先機関から真珠湾の陸軍情報部にも送られていた。すべての情報の源は英国だった。


スティムソンはルーズベルトに「船団の数は30~50隻」と急報した。実際の数は、日本の防衛省防衛研究所が旧陸軍史料を発掘したところ16隻だった。英国情報部からの情報がルーズベルトに伝わるまでに架空の数字が積み上がっていった。


スティムソンの報告を聞いたルーズベルトは興奮し、怒り狂った。「その報告は全ての状況を変えてしまうものだ。全面休戦、全面撤退の交渉を続ける一方で、インドシナに新たな軍隊を送り込むとは。日本の悪意の証拠ではないか」


同じ頃、英国チャーチルからルーズベルトに至急電が届いた。「本件(米日の暫定協定案)については米国に決定権がある。ただ気になるのは(同案で苦境に立たされる)蒋介石である。もし中国が崩壊すれば英米の共通の脅威は著しく増大する」


11月26日午後5時、ハル・ノートが野村吉三郎大使に提示された。当初予定していた暫定協定案が手渡されることはなかった。同日、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に集結していた空母機動部隊は真珠湾に向けて出撃した。


翌27日、野村はルーズベルトと最後の会談に臨み、ハル・ノートの撤回を求めて必死の説得が行われた。野村「米国の提案は日本国民の希望を奪うものです」、ルーズベルト「失望したのは私たちも同じだ。私たちはすでに南部仏印進駐に冷や水を浴びせられている。今度は2回目だ」、野村「何とか打開の道を・・・」、これにルーズベルトは沈黙をもって応えた。


ハル・ノートは最後まで日米交渉の妥結を信じていたワシントンの日本大使館の人々に大きな衝撃を与えた。野村大使とともに戦争回避に奔走した海軍武官・横山一郎が東京に送った暗号電報にはこう記されている。「交渉断絶、情勢は絶望」>(つづく)
・・・・・・・・・・・
「ハル・ノート」はちゃぶ台返しの宣戦布告である。外交とか交渉は基本的に妥協を目指すものだが、「交渉は打ちきりだ、戦場で決めようぜ」という啖呵に他ならない。強い者が劣る者を「問答無用、とっとと失せろ」と突き放すものだ。ネットによると――


<ハル・ノートは、1941年11月に日米交渉の最終段階で、米国務長官コーデル・ハルが日本側に提案した外交文書。その内容は、中国と仏領インドシナからの撤退や、アメリカが支援していた蒋介石率いる国民政府への支持など、アジアの情勢を満洲事変以前の状態に戻すように、日本に要求するものだった。日本はこれを米国の最後通牒とみなし、12月1日に日米開戦を決定した>


ハル・ノートの存在は、戦後の極東国際軍事裁判を通して国際社会に知られるようになったが、「こんな無礼千万な外交文書を突き付けられたら、どんな小国でも命懸けで戦うしかない」という声が上がったという。


歴史は勝者が創る、とは言え、人の口に戸は立てられないから時がたてば「いや、実は・・・」と百家争鳴になる。占領者、強者に擦り寄る人もずいぶん多く、コラボレーショニストというそうだ。寄らば大樹の迎合主義者。


外国企業に乗っ取られたらまるで我が世の春とばかりに両手もみもみで擦り寄る奴っているよなあ、それで大出世したり。幇間、イヌ、ポチ、男メカケ・・・GHQの威光を借りて日本人を二級国民のように見下す奴・・・昔米国、今中共、ダンナは変われどメカケはメカケ・・・「習近平主席万歳、2F先生万歳!」なんていうクズはウジャウジャ。


人間、「存在は意識を決定する」から、昨日の敵は今日の友、と変身するのは世の習い。己を見ても米国クリントン政権から飴玉貰ったら「米国は結構いいところあるじゃん」と反米から親米へ。なにせ3歳までGIに「ギブミ・チョコレッ!」とおねだりしていたから・・・


三つ子の魂百までも、この際だからと「クリントンゆかりの地を訪ねる」なんてツアーを研究したが、勝海舟を真似ると「さすがの俺もまいったぜ」、粉飾しようもないつまらない男だった、JFKもスケベで有名だったが・・・神輿に担がれただけのような象徴大統領制、これは米民主党の伝統の「民主」のようだ。


米ソ対立=ソ連包囲網はソ連を自壊に導いたが、中米をガチンコさせて中共を孤立化、自壊させる・・・プーチン・ロシアは自国圏だってかなり怪しくなってきたから、まさか人口が10倍の14億の中共のメシだけだって面倒見切れやしない。スターリン後のソ連末期はソ連圏諸国の造反が相次いだが、狡猾なプーチンは強い中共は望んでいまい。対中支援は「生かさず殺さず」でいくだろう。


我ら日欧アジアが「中米ガチンコ」を煽れば中共は自壊、米国は疲弊して、日欧アジアが世界秩序をリードする新しい時代になる、その可能性は十分ある。中共に偏っていた世界の投資は、アジアにどんどんシフトしているが、中共崩壊後はアジアが急成長する時代になる。その中に日本の成長もあるだろう。
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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(11」

2021-04-15 10:38:38 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(11」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/284(2021/4/15/木】やりたいことはいっぱいある。日本に生まれながら古典芸能のイロハも知らない、というのは大いに後ろめたい。まずは新宿末広亭に通って落語、講談、浪曲、漫才、漫談あたりは知りたい。次は歌舞伎、浄瑠璃、能楽(能・狂言)あたり。


道遥かなり。考えただけでぐったりする。付き添いがいないとドースルコトモ I can not・・・元気なうちから古典芸能に触れていれば良かったのにと思うけれど、優先順位は仕事、酒、女・・・子育てもあるから古典芸能どころじゃなかった。


かくして跛行老人になってから「古典芸能を・・・」と焦ったところで♪ほんに切ない溜息ばかり いくら泣いても帰らない いくら泣いても後の祭りよ。せめて古典落語だけでも知りたいが・・・まずは付き添い人、つまり同志を確保しなければならない。ドウシよう。


同志は50前後のインテリ女、明るい性格、美形、寡婦、口数少ない、ちょっとイケる口。入場料、交通費、夕食代は小生が持つ・・・だから優しくケアして・・・あ、そんな風にされたらボク・・・


「奥さんが怖いんでしょ、イ・ク・ジ・ナ・シ・・・」なんてことになりそうで、ボク、♪困っちゃうなあー こわいよーなー・・・


君子危うきに近寄らず、か。大体、都合のいい、しかも美形で性格のいい女なんぞいるわけない。何回も騙されたくせに、そんなことも学ばない、俺はバカだ、でも・・・女神はきっといるんだ・・・「老いらくの 恋は怖るる 何もなし」、男のサガ、ビョーキ、ボケだな。かくして古典芸能学習も不倫体験も構想段階で頓挫してしまうという情けなさ。ああ、無情。


そう言えば落語で本題に入る前に笑い話をして客をリラックスさせるのを「枕を振る」といったっけ。小生の文体というか書き方はそれを真似たことを思い出した。ちょっとしたイタズラ、前戯、ばか話で客を引き付ける・・・学校の先生もそれを真似たら生徒はやる気を起こすのではないか。産経の「論壇」も出だしで笑いを取ればずいぶんファンが増えると思う。例えば先人を真似れば、


「かせぎも抜群なら、毀誉褒貶はなはだしきことも抜群。これほど話題の多い政治家も少ない。とこう書いただけで「ふん、あんなヤツ政治家じゃねえ」という声がどこからともなく聞こえてくるほど。『憎まれっ子世にはばかる』のか、それとも『出る杭は打たれる』のか。習近平が世界の耳目を集めておりますが、女房子供に逃げられて・・・」


とか「枕を振る」と面白がって注目度が高まりはしまいか。グイッとハートをつかんだら一気呵成、一点突破全面展開。中共包囲戦、第2次大東亜解放戦争だ! 同志諸君、今度は勝とうぜ! ということで、「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」の続きでございます。


<歴史の流れが急速に変わりつつあった。あまたいるプレイヤーの中で英国チャーチルは一枚上手だった。怜悧で狡猾だった。日本の軍事的な脅威に直面することを極力避け、中国や米国を前面に押し出す。背後から糸を引くだけだが、最後に盤面を支配しているのはチャーチルだった。情報はすべて手の中にあり、駒はそろった。後は決断を下すのみだ。


英国は、日本がいよいよ開戦に踏み切る公算が高くなったと睨んで、最新鋭の大型戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」の2隻をシンガポールに急派した。英海軍は世界最強である。日本の連合艦隊を完膚なきまでに打ち破るだろう。


日本の戦争決意を示す南部仏印への兵力移動を、米国にいかに伝えるか・・・この時、世界を動かしていたのは物理的な力ではなく、情報の力だった。暗号解読やスパイを駆使して集めた情報、プロパガンダによって民衆を煽る情報、権力者の心に猜疑心を植え付けコントロールする情報・・・日本が「交渉期限」と定めた1941年11月25日、チャーチルは王手をかけた。


米陸軍長官のスティムソンは11月25日午前中、ハル国務長官、ノックス海軍長官とともに日米暫定協定案について協議、当面の戦争を回避し、時間稼ぎすることで一致し、「本日か明日のうちに日本側に提案する」ことが確認された。午後にはFDRルーズベルト、陸軍参謀総長、海軍戦争計画部長を交えて最高軍事会議が開かれた。


日本の暗号「パープル」の解読によると、日本は交渉期限を4日引き延ばしていた。日米暫定協定案の概要(当面の戦争を回避)を中国側のリークにより知っていた日本は楽観的だったかもしれない。しかし、「パープル」にはこうあった。


「この上の変更は絶対不可能にして、その後の情勢は自動的に進展するのほかなし」


海軍出身のルーズベルトが真っ先に懸念したのが日本の先制攻撃だった。「日本は奇襲攻撃で悪名高い。次の日曜日(12月1日)にも攻撃を受ける可能性がある」。そしてFDRはこう続けた。


「問題は、我々自身が過大な危険にさらされないで、最初の一弾を撃たせるような立場に日本をいかにして誘導していくべきかだ」


米国は時として謀略を辞さない。ナチス・ドイツに対しては、大西洋で露骨な挑発行為を繰り返し、“最初の一弾”を撃たせようと策謀を巡らせていた。孤立主義が米国民の支持を集め、若者を戦地に送らないと約束して大統領に当選したFDRとしては(謀略は)仕方がなかった。


日米暫定協定案はFDR自らの発案であり、この会議でも日本側に提示することを了承していた。しかし、翌26日午前中には撤回が決まった。その間に何が起こったのか?>(つづく)
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「謀略」、小生は猪突猛進だから謀略を使ったことは記憶にないが、会議では黙っていろいろな意見を聞き、会議後に上司・先輩と飲み屋で「で、この際ですから各編集部を横断する国際部を創ってAさんに部長になってもらう、空いたAさんの席は先輩が埋め、先輩の後釜は私が埋める・・・これが一番いいのではないでしょうか」と本音を伝える。


大体、2、3日後にはこの線で辞令が出るが、こんなことは日常茶飯事で「謀略」とは言えないだろう。割を食ったはずのAさんは社内のマドンナ2名、英語堪能のイケメン2名などを配下に置き、♪たちまち元気になっちゃって・・・部署のIT化を一気に進めたり、英語媒体も創刊したりして何やら“我が世の春”、ぶすっとしていたのがニコニコするようになった。


孫氏の兵法で最も評価されるのは「戦わずして(外交などで)勝つ」とか「囲師(包囲戦)には必ず闕(逃げ道を塞ぐな)」ではないか。敵を追い詰めると自軍の損害も大きく、たとえ敵は屈服しても敵意や恨みは長く残るから良策ではない、ということだろう。


FDR・民主党はありとあらゆる手で日本を追い詰め、窮鼠にし、日本を叩き潰した。敗戦後の日本は心の底で臥薪嘗胆の気概を持ち続けてきただろう。「米国は当てにならない、パクスアメリカーナの終末期だ」と英仏蘭独の欧州勢も「いざ、インド太平洋へ」と乗り込んできつつある。中共を包囲し、自壊を促す・・・中共は白旗を揚げるか、それとも打って出るか・・・そのうち動き始めるだろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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