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雀庵の「開戦前夜/3 文武両道、備えなければ亡国へ」

2022-01-06 15:52:37 | 日記
雀庵の「開戦前夜/3 文武両道、備えなければ亡国へ」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/414(2022/1/6/木】小生が出版業界に入った1975年頃、書籍の出版点数(年間)は2万点で、「多過ぎる、悪貨は良貨を駆逐する、良書が悪書に追放される!」と学術書や古典など良書系の出版人は不安視していた。「良書」の定義はないが、「一時的なブームではなく、数十年、時には数百年以上読み継がれる本」あたりだろう。初版3000部売るのに3年かかったとかいう本は珍しくない。


書店は「売ってナンボ」の世界だから売れる本を棚に並べる。良書でも売れない本はどんどん返品され、結果的に書店は娯楽系やノウハウ系の本ばかりが目立つようになる。


出版年鑑、出版指標年表によると、書籍出版点数は2013年8万2589点がピークで、以降はマイナス成長の連続で2019年は7万1903点へ。かつては2万点でも多過ぎたのに8万、7万はまるでパンデミックのよう、それでも50年後どころか10年後にも読まれているようなロングセラー本はほとんどないだろう。


書籍の売上は1996年の1兆931億円からずーっと下り坂。2020年は6661億円で半減に近い。出版点数が多くても、特に教養・学問系の本は返品率80%なんていう惨状が常態化しているだろう。


「これって文化か? 民度が向上したのか?」なんて野暮なことは言いたくないが、ベストセラーを追いかけてもオツムの肥やしにはならない。スマホをいじくっていないで、たまにはロングセラー本や超ロングセラーの古典なんぞにも触れた方がいいと思うが・・・余計なお世話か。新聞購読者も年々減っているから「良質な活字文化」は衰退する一方だろう。


<平成十七年法律第九十一号 文字・活字文化振興法
(目的)第一条 この法律は、文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、文字・活字文化の振興に関する必要な事項を定めることにより、我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り、もって知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする>


ひどい文章、まるで官僚の書いた法律文書そのもの・・・これが「活字文化」の見本なら小生は嫌だなあ。まずは隗=公文書より始めよ。


老生の天職というか趣味は「中共殲滅」だが、並行して「読書」「作文」「散歩」「庭いじり」も好きだ。その時々で何かに興味を覚えると「どうなんだろう」とネットで調べたり関連した本を読むことが多い。ネットの場合は情報収集が安直、便利すぎて「身につかない」感じがする。カップ麺と本物との違いみたいで、何となく重厚さがない、軽薄短小の趣。


毎晩、読書しながら眠りにつくが、脳みそはその本の続きみたいなことを思考しているようで、「ああ、なるほど、そういうことか(そうすればいいのか)」と解を見つけることも結構多い。時々メモを取ることもある。


こんな事を思うのは元旦の産経に「文藝春秋」の気になる広告があったからだ。同社の月刊誌「諸君!」は小生が2003年あたりからアカ思想を除染する上で大いに有効だったが、2009年に廃刊になりがっかりした。部数が伸び悩んだかららしいが、それでも5万部ほどの実売部数はあったのだし、続けようと腹をくくればできたはずなのだ。


儲からなくても「いつか青空」を信じて大事に書籍・雑誌を育てる・・・多くの出版社はそれを矜持に耐え難きを耐えて踏ん張っているのではないか。戦前の山本実彦が起こした「改造」のような“売らんかな主義”と文藝春秋は似ているような気がする。小生はそういうのは嫌だなあと思う。


永井荷風の日記「断腸亭日乗」を読むと荷風は文藝春秋の創業者、菊池寛を蛇蝎の如く嫌っている。文士あがりの菊池は「文士のタニマチは出版社である、誰のお陰でメシが食えるのか、よーく考えろ」という人のようで、聖人君子ではなかった。親分肌というかガサツというか、カネをばらまけば人は付いて来るという、成り上がり者の思考が強かったようである。金持ちながら「はかない美」が大好きな荷風とは肌が合わない。


<昭和4年(1929)3月27日の日記から。
「三月二十七日細雨糠の如し、雨中の梅花更に佳なり、大窪詩仏の年譜を編む。晡時(午後四時頃)中洲に徃く、帰途人形町にて偶然お歌に会ふ。市川団次郎待合の勘定百円ばかりを支払はざるにより、催促のため辯護士を伴ひ明治座楽屋に赴きし帰りなりと云ふ。銀座通藻波に飰す、春雨夜に入りて猶歇まず、風また加はる、お歌自働車を倩うて帰る。


是日偶然文藝春秋と称する雑誌を見る、余の事に関する記事あり、余の名声と富貴とを羨み陋劣なる文字を連ねて人身攻撃をなせるなり。文藝春秋は菊池寛の編輯するものなれば彼の記事も思ふに菊池の執筆せしものなるべし」


昭和11年(1936)7月2日。
「七月初二。雨ふりてはまた歇む。文藝春秋社活版刷の手紙にて、同社賞金授与に関し推選すべき出版物の事を問来れり。同社は昭和四年四月その雑誌文藝春秋の誌上に於て、甚しく余が事を誹謗したり。然るに今日突然手紙にて同社営業の一部とも云ふべき事を問合せ来る。何の意なるや解すべからず。文藝春秋の余に対する誹謗の文には左の如きものあり。


――今日荷風の如き生活をしてゐる事は幸福な事でも又許すべき事でもない。かくの如く社会に対して冷笑を抱いてゐ、社会に対して正義感を燃焼させないとしたなら当然社会は彼を葬ってもいゝ。
――今日かくの如き社会に於て財産を唯一の楯として勝手に振舞ふといふ事ハ許すべからざる卑怯である。


昭和12年(1937)『墨東奇譚』から。
「ここにおいてわたくしの憂慮するところは、この町の附近、もしくは東武電車の中などで、文学者と新聞記者とに出会わぬようにする事だけである。この他の人達には何処で会おうと、後をつけられようと、一向に差閊(さしつかえ)はない・・・


ただ独(ひとり)恐るべきは操觚の士である。十余年前銀座の表通に頻にカフエーが出来はじめた頃、ここに酔を買った事から、新聞という新聞は挙(こぞ)ってわたくしを筆誅した。


昭和四年の四月『文藝春秋』という雑誌は、世に「生存させて置いてはならない」人間としてわたくしを攻撃した。その文中には「処女誘拐」というが如き文字をも使用した所を見るとわたくしを陥れて犯法の罪人たらしめようとしたものかも知れない。彼らはわたくしが夜窃(ひそか)に墨水をわたって東に遊ぶ事を探知したなら、更に何事を企図するか測りがたい。これ真に恐るべきである」>(引用:東京さまよい記「永井荷風と菊池寛」2016/5/8)


文藝春秋は傲慢不遜の俺さま主義の伝統があるのか。競馬じゃあるまいし“売らんかな”見え見えの芥川賞や直木賞。出版社は黒子、縁の下の力持ちになり、表には作家やライターを出した方がいい・・・ここまで書いて寝床に入って加瀬英明先生の「日本と台湾」を読んでいたら「諸君!」のことが出ていた。引用する。


<私は1960年代から、中国が日本と相容れない専制国家であり、3000年にわたるおぞましい政治文化によってつくられており、警戒しなければならないと説いてきた。田中内閣によって日中国交正常化(1972年9月)が強行された時には、雑誌「諸君!」などの紙面を借りて反対し、朝日新聞を始めとするマスコミが安酒に酔ったように日中国交正常化を煽ったことを批判した。その翌年に宮崎正弘氏が著書「新聞批判入門」の中で、


「田中首相が訪中した時の大新聞の『秋晴れ 北京友好の旗高く』とか『拍手の中しっかりといま握手 とけ合う心 熱烈歓迎』といった見出しを見ていると、日本、ナチス・ドイツ、イタリアの間に三国同盟が結ばれた後に、松岡ミッションがベルリンの目抜き通りをパレードした時の新聞の熱狂的な見出しのように思えて仕方がない」


と揶揄した。あの時も新聞はヒトラーのドイツに憧れて世論を煽り立てた。(今は)毛沢東が新しいヒトラーとして祭り上げられた。


私は田中首相が北京空港に降り立った時の朝日新聞の熱に浮かされた病人の譫言(うわごと)のような記事に唖然とした。この朝日の特派員は朝から酒でもあおっていたのだろうかと疑った。


「[北京25日=西村特派員]その時の重く、鋭い静寂を、何と表現したらいいのだろう。広大な北京空港に、いっさいの音を失ったような静けさがおちてきた。1972年9月25日午前11時40分、赤いじゅうたんを敷いた飛行機のタラップを、黒い服の田中首相がわずかに体を左右に振りながら降りてきた。まぶしそうに空を見上げ、きっと口を横に一文字に結んで、周首相の前に進んだ。
これは夢なのか、いや夢ではない。今、間違いなく日中両国首相の手が、かたく握られたのである・・・


実際には、その時間は一分にも満たなかったはずであった。記者団の群れにまじった欧米記者たちの無遠慮な声もしていたかもしれない。しかし、その時間は、もっと長く感じられた。何の物音もしなかったと思う。40年も続きに続いた痛恨の時間の流れは、このときついにとまった。その長い歳月の間に流れた日中両国民の血が涙が、溢れる陽光の中を陽炎のようにのぼっていく――ふとめまいに誘われそうな瞬間のなかでそんな気がした」


この記事に対して当時、私は次のように記した。
「新聞記者は、どのような状況にあっても、めまいを起こしてはならない。しっかりして欲しい。それに、日本であれ外国であれ、記者たちはいつも『無遠慮な声』を出しているものではないだろうか」>


「諸君!」にテーマを戻すと、文藝春秋社内の左右対立で廃刊にされたという見方もあるようだ。同社は今年、文藝春秋100周年記念事業をするそうだが、月刊文藝春秋1月号のメニューを見ると70翁の小生から見ても壮大かつ無意味、陳腐、時代遅れのテーマばっかり。80歳前後の団塊世代だって関心を寄せないだろう。


今は日本、台湾などアジア太平洋諸国が中露など強権独裁国家に侵略されかねない戦後最大の未曽有の危機にある。時代の「今」を切り取れない「バックミラー雑誌」を誰が読むのか。勇気を持って自ら変身しなければ月刊文藝春秋は年内で廃刊になるだろう。
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