雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(5」
“シーチン”修一 2.0
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/119(2020/6/7/日】多摩川の東京側土手を自転車で遡上、数年ぶりに京王線鉄橋の先の是政橋まで行ってきた。土手もグランドも結構な人出、マスクしているのは10%ほど。
炎天下にマスクして運動をしたら倒れそうだし、マラソン大会の人もサッカー/野球少年も「マスク or ノーマスク・・・それが問題だ。いずれにしても炎天下ならウイルスも死ぬかもしれないし、マスクして熱中症で倒れるよりはいいか」という判断なのだろう。
引き籠もりはもう沢山、もうウンザリ、おれは外に出て大きく呼吸したいんだ!という気持ち、分かるなあ。2~3か月の拘束生活から釈放され、自由っていいなあ、ああおれもノビノビ自由を爆発させるんだ、となるのは人情だ。
ストレス発散はまるでパンデミック、ノー密から濃密へと時代の風は吹き、来春あたりはベビーブームになったりして。
米国では禁欲昂じて暴動、なんだか数年に一度の大祭みたいだ。店舗が破壊、略奪されても保険でカバーできるのか、被害者の嘆きや苦情は聞こえてこない。ロス暴動の時は中華系や韓国系の店舗オーナーが暴徒に発砲していたが、今回はそんなささやかな抵抗はあったのかどうか。
警官に押さえつけられて死んだ人は犯罪容疑者として拘束されそうになり、抵抗したため制圧されたのだろうが、その件はほとんど報道されていないのは面妖だ。米国マスコミの多くが民主党支持、反トランプで、事件を大統領戦に利用しているためなのか。
小生が警察官なら頭にくるがなあ・・・ダーティハリー、マッドマックス、日本人は諸君を信頼している、前科者の俺も熱烈支持者だ!
真珠湾攻撃の罠にはまった日本としては「米国暴動はなんか胡散臭そう」と思うのが普通だろうが、のう、同志諸君・・・
米国民主党は共産主義信奉者が多いというか、いまだに米国の共産主義思想は「一党独裁は個人独裁になるからダメ」と思うものの「金持ちを抑え込んで貧しい人に手厚い福祉を」というアカの常套手段、バラマキ政策を踏襲しているように見える。「共産主義じゃない、社会主義と呼べ!」だと。
荷風散人に言わせれば「女郎と娼妓、女給と淫売に違いはあるか?」となるだろう。
そもそも多くの動物同様に人間は生まれ育ちが違えば人生もいろいろだ。上中下の家柄に生まれ育てばそれなりの人生で、今も昔も下流から上流に遡上するのは簡単ではない。「苦学力行して名を成した」人はいるけれど、それは千人万人に稀だからこそ語り継がれているのであり、一種の「奇跡の人」である。
上の人が下に落ちるには三代百年かかる(ずるずる堕落していく)、下の人が上に昇るには三代百年かかる(努力を積み重ねていく。爺さんが汗水流して起業し、それを見て育った親父が大きくし、孫も踏ん張る。一般的にはそうはならずに苦労知らずの孫が潰すのだが)。
飛行機だって引力に逆らって離陸するのには凄まじいエネルギーがいる。貧乏人から一代で財閥トップにのし上がるなんてほとんど奇跡だ(二代目三代目で消えることも多い)。
百歳翁の作家、物集高量(もずめ たかかず)は「人間は生まれ育ちが肝心。砂漠のど真ん中で生まれたら、努力でどうにかなるものではない」とキリスト教聖職者に説教していた。真実はそんなものだろう。
昨日、多摩丘陵を散歩中、初めて神木山等覚院観音堂を“発見”参拝、以下の教えに触れた。
<西欧は電気、自動車、船、飛行機(修一:原爆、武器、テレビ、スマホ)などを発明し、世の中を便利にし、発展させた。一方、東洋は「合掌」を発明して相手を敬った。
東南アジアへ行くと、ごく自然に挨拶に合掌が交わされる。理屈ではない。合掌の右手は智慧、左手は慈悲。相手を仏様と思いながら丁寧に合わせてお辞儀する。両手を合わせたら喧嘩もできない、思い上がりの気持ちも静まる>
なるほど、合掌して頭を下げる――これは戦争(暴動)する姿勢ではないよなー、仏教を駆逐した国やキリスト教国はもめごとや流血、戦争が多く、仏教を大事にした国(日本、タイ、ミャンマー、スリランカ、ベトナム)は比較的穏やかだ。「民度が違う」? そう、違うよなあ。
中共は今もチベット仏教を弾圧し続けている(漢族は蓄財蓄妾美酒美食教、お題目は「ゼニズラゼニガスベテズラ」)。1980年頃に上海の「古刹」を見に行ったが、人民はただの古い建物を見物するだけ、まったく信仰や宗教とは無縁の存在、まさに「魂なき空虚な薄汚い建物」を「何なんだ、これ」と見ているだけ、その姿に小生は「何なんだ、これ」とショックを受けたものである。
習近平のバイブル「毛沢東選集」には数千万人が餓死した原因は「天災」とされ、無謀な「大躍進」政策は伏せられているはずだ。上島武・前大阪経済大学教授の講演「ソ連はなぜ崩壊したか」も中共では誰一人として読んだこともないだろう。以下要約の続き。( )内は修一。
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◆国民生活の向上は後回しに
問題は、このような(ソ連の低い)労働生産性、計画経済のちぐはぐのもとで、社会主義経済は本当にその目的とする国民生活の向上を達成できたかということです。
たしかに国民生活は帝政ロシアの時代や革命前後にくらべたら圧倒的に向上しました。たとえば教育水準一つをとってみても、どれだけ急速な進歩をとげたかはいうまでもないことです。
でもね、肝心カナメの消費生活を根本にして、国民生活が、着実に、絶え間なく、しかもかなりのテンポで向上し、それが国民に意識されることが大事ですね。とくに、国民に実感されることが大事です。
人間はほんとうに窮乏時代をぬけだすと、ちょっとした停滞、ちょっとした後退が耐えられない。たとえば日本でも石油危機のときに国民がどれほど右往左往したか。あれは、石油が十分にあった時代に享受した生活にちょっと穴があいただけで「恐慌状態」になったことをしめしています。
たしかに(ソ連)当局者は、国民が国民生活の向上を認識することが大事だと認識していました。だけどそれを実現する上で非常に問題がありました。さきほどからのべてきた労働生産性と計画経済という根本的な問題のほかにも、もう一つ問題がありました。
一つは重工業優先体質です。重工業を重視しなければならないということそのものは、経済の常識であります。社会主義でも資本主義でも、重工業は経済の土台です。
重工業を優先させるのはいいんですが、ここに二つの問題があります。
一つは縦割り行政と関連しまして、これを担当する部局の威信にかかわる(として)、重工業担当の大臣が軽工業担当の大臣にたいして、「お前、ひっこんでいろ」と、こういうことが国の政治でまかり通るわけです。重工業優先を固着させた。
もう一つは、重工業は当然、軍事工業と密接しているわけです。これに拍車をかけるのが軍拡競争、軍備の負担。この軍備の負担というのは「ソ連の責任じゃないよ、アメリカの責任だ」といえる。
そういえば簡単なのですが、もっと端的にいいますと、ブレジネフが「わが国にも軍産複合体がある」といっています。重工業関係の政治家のいうことは重みがあるという。
ソ連の軍事力の開発は二重の問題があったと思います。一つはアメリカの政策にたいする本当に適当な選択肢として、軍事建設がおこなわれていったかどうか。それから核開発、核兵器の増強をめぐる方針がほんとうにただしかったかどうか。
かりに、そこに問題がなかったとしても、国内的に軍需部門の官僚組織の力を党も国家の官僚組織もコントロールすることができなかったということです。(日本でも軍需予算を削減するとクーデターが起きた)
そこから何が起こったかといますと、ゴルバチョフが大統領に就任したとき、ビックリしたことがたくさんあるんです。一つは、こんなにソ連の国家財政が赤字だとは知らなかった、と。
統計上は全部黒字になっているんです。赤字の原因が軍拡競争であり、もう一つが補助金ですね。労働生産性の低さと計画経済の失敗で国有企業は赤字です。とくに農業部門は赤字です。これにたいする財政補填がものすごかった。(次回に引用つづく)
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プーチン・ロシアもソ連/スラブのくびきから離陸できないで苦しんでいる、「俺だから辛うじてロシアを維持している、俺がいなくなればロシアは解体する、世界史の『今』から消え、ロマノフ時代に戻るだろう」という危機感を持っている。あの顔はそういう顔だ。暗殺や謀略で道が拓けるなんて思ってやしない。ひたすら国民を恐れている。
習近平には銭で転ぶ1億の党員と皇帝崇拝の素朴で無知蒙昧の6億の貧乏人がいる。14億の人口の半分は習近平が天安門のお立ち台から「反革命分子を一掃せよ、第二次文化大革命を!」と号令すれば“腐敗した走資派の上海閥、共青団派”を襲撃するだろう。
集団発狂、血で血を洗うのが大好きな国民性、民族性なのだ。強い方に就くという事大主義は習近平に有利だろう。
「不純な7億が消えても何ということはない、大体わが国は人口が多すぎる、半分になってもまだ7億もいる」と習近平は毛沢東を真似て言うだろう。
プーチンも習近平も利権集団の軍隊を手名付けておかないと政争には勝てない。カネの切れ目が縁の切れ目になるが、打ち出の小槌があるわけではないから短期決戦を目指す。しかし、米欧は経済封鎖とアンチ習近平派への軍事支援で長期化を目指すだろう。
“世界の工場”はラストベルトになり、「中共の夢はトウ小平の韜光養晦(能ある鷹は爪を隠す)1990年から始まり、習近平の夜郎自大(能無し鷹は菌を隠す)2020年までのたった30年間の淡い夢だった」となるだろう。
溥儀はラストエンペラー、習近平はラストベルトとして記憶されることになる。長生きすると面白いことがいっぱいあるなあ。つづく。(2020/6/7)