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殺陣(tate)は突然に現れる。その1

2004年10月11日 | 天然身体芸術 <未塾>
天人のBBSの方にこんな書き込みがあった。
「…殺陣(特に殺陣の基礎から)を中心に教えて頂きたいのですが突然ですが宜しくお願いします。」
足を怪我して身体運動のWSを立ちあげようと思っていたのが、中断していた。
その名は「 未 塾(mijyuku) 」  まあ、意味は色々創造してみてほしいのだが、
特徴は、複数の身体操法を音、武道、舞で関連づけさせて、総合的に学ぶ点がユニークだ。
スポーツセンターのように様々なクラスを受講して勉強してもそれらを関連づけて…となると本人のセンスに任かされるのが通例だからだ。

このWSは地域通貨を使った学校、天人CAFE大学  の中核として始めようとしていたものだ。
今、まだ怪我は完治していない。しかし、殺陣に限らず経験者が今さら人には聞けない、基礎中の基礎を誰かに教えてほしいと願うニーズは多い。

実は基礎の基礎は扇に通じる。
ここには秘中の秘の部分が数多く存在する。
僕もそこを教える事は、本格的にやってみたいという気持ちはある。
文化として一般化していない殺陣の世界は未だ職人の世界だ。
だからその隠れた本質を保存するために教えない教育が未だ、まかり通っているのがこの世界だ。
つまり「見て学べ」と…。

業界では現場優先なのでその人を育てるより次の現場の職務をこなす事が最優先される。
だから役者は基礎を学べず、いきなり現場に放り込まれ、体験的にこなしていく羽目になるのだ。

又、地方のチャンバラ教室だと、ストレス発散がメインで身体の進化をメインにしては地道すぎて
お客さんはこない、小劇団での場合も公演でのパフォーマンスが目的だから、殺陣役者として一人前とされるノンルック(手をつけず完全即興で戦う事)は、出来るようになるはずもない。

怪我人の僕が今出来る事として、経験者の要望なら受け入れられる。
(初心者との稽古は手取り足取り見本を見せる必要がある、だから今は無理…)
さてどうする…

殺陣などのアクションは僕が17歳の時、あるアクションクラブのお芝居を見たのがきっかけだった。
中学の当時から中国拳法に縁のあった僕は当時、高校の剣道部で地獄の練習の日々を送っていた。
男子校の武道系クラブの練習は壮絶を極め、僕は何度も救急車で運ばれるほど痛めつけられていた。
(剣道なのに自衛隊と同じく組討(kumiuchi)稽古があり、竹刀で戦っていたと思うと、「組討~!」の掛け声と共に、組む、投げる、締めるを含め、寝た状態での打撃や、倒れた相手への竹刀攻撃が許されていた。武器をもった総合格闘技?)伝統的なシゴキの季節がある。毎日ヒーローと呼ばれるリンチ対象者が選ばれ、徹底的に根性を付けさせられる。

毎日、駅の階段を這って上がっていた。

そんな経験から立ち回りというものを馬鹿にしていた。
(嘘の戦いなんて簡単だ!)とタカをくくっていたのだ。
遊び半分で公開練習に参加。

そこで大きなショックを受ける。

そこには日本文化の奥深さ、何でも徹底的に様式化して道を深める日本人の美があったのだ。
それは勝つ練習と同じだけ、負けるのに練習がいるという「死の美学」だった。つづく…

JUNの日記[JUNgem]

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