【今こそ知りたい幕末明治】(73)西郷菊次郎と新納家の縁 - 産経ニュース https://t.co/aIQoZW8uLK @Sankei_newsさんから
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2018年9月7日
奄美大島の恩人であった新納久修(読み)にいろひさなが)は、いくつかの名を持つ。薩摩藩遣英使節団の引率、視察役の一人として鹿児島出国の際は石垣鋭之助。
wikipedia
新納 中三(にいろ ちゅうぞう/なかぞう)は、江戸時代末期(幕末)の武士。薩摩藩家老。通称の刑部でも知られる。字は久脩。諱が中三。維新後、七等判事、奄美大島島司。
明治4年(1871年)の廃藩置県で薩摩藩消滅後に退職するが、明治9年(1876年)に七等判事として新政府に出仕。その後また一時期退職したが、明治18年(1885年)奄美大島島司となり、特産品である黒糖の流通改革に従事。負債に苦しむ島民のために尽力したが、翌年に突然免官された。これは黒糖流通を独占していた鹿児島県商人による画策といわれる。しかしその後も中三は島民から救世の恩人と敬慕された。
明治22年(1889年)、没。享年58。
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(勝海舟が)えげれすにわたってろんどん大学というところで学んだちいうのは、
長州五傑(長州ファイブ)1863年 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)のことだろう。主にユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)
西郷は「えっ、そいは本当でございもすか」と驚くが、薩摩藩遣英使節団というのもある。鹿児島中央駅前正面の「若き薩摩の群像」
3名の視察係(新納中三・五代友厚・松木弘安)と15名の留学生(薩摩藩第一次英国留学生)に通訳1名の計19人で1865年に渡英した。(長州ファイブに対して薩摩スチューデントともいわれる)
このうち新納中三は、明治18年(1885年)奄美大島島司となり、黒糖の流通改革に従事。負債に苦しむ島民のために尽力したことは、島の歴史ではよく知られている)
1フクギの実が生っている今
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2018年9月5日
2同断面
3雄花 初夏の頃
4同雌花
フクギは雌雄異株で、雄花3が花ごと落ちるのに対し、雌花4は、五枚のはなびらが散り落ち、中央の緑色の子房が残り生長し実になり種子になる。
防風林・防潮林として植栽
奄美方言は「火事場木」クヮジバギ。緑の壁で隣家への延焼を防ぐ。 pic.twitter.com/mXaNtyMDvT
写真2~4は、過去記事からコピペしました。