大和村 村営公園 フォレストポリス(地図) 水辺の広場
これも、ヒカンザクラの一種なのだろうか、花びらが一枚づつ、ひらひらと遠くへ
というのは、奄美ではめずらしいかも。
「風よりさきに 来ても見るべ」きだった。
駐車場を下ったところに田畑佐文仁開田跡(福元用水路)がある。
工事は1720年に着手
用水路には、2つの隧道(トンネル)工事の跡が手付かずに残っている。
その緻密な測量技能は、江戸時代の中期当時の一流の土木遺産といえるという。(参考にした説明板の前の緋寒桜は満開だった)
奄美の 開拓の父ともいわれる田畑佐文仁は1678年、龍郷の生まれ。
干拓の功により藩公から田畑姓を賜った。
西郷が龍郷に潜居した時寄寓した家の当主 佐運(当時は異母弟佐民が管理)は佐文仁から7代目にあたる。
ほかにも、ここ福元盆地は、さまざまな歴史を秘めた土地でもある(うんちく続く)
江戸がどうしてもなじめない、一茶はこう詠んだ。
みかぎりし 故郷の山の 桜哉
小林一茶(1763~1828)wikipedia
奥信濃の故郷柏原の桜は、江戸の桜より色濃いオオヤマザクラだった。(うんちくつづく)
つつじが咲いていた。