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何かあれば安倍批判☆

2017-06-20 13:27:24 | マスコミの捏造・印象操作

加計学園問題共謀罪成立を受けて、野党やマスコミの安倍総理個人や安倍政権に対しての批判がすさまじくなっていますね!

 

加計学園問題では、獣医学部の新設が、50年間の間、申請があったのにもかかわらず、認可されなかったという歴史がありました。おそらくどこかの組織からの圧力に同調し、認可する権限のある管轄の文科省が、認めなかったんでしょうね!

 

 

そこで、獣医学部新設を拒んでいた岩盤規制に、矢を放ったのが第二次安倍政権だったんですね。やっぱり・・拒んでいた側からすれば、おもしろくもないし反対しますよね! 岩盤規制をぶち壊す側と阻止する側では、意見や反対する話などあると思いますが、本来、両方の意見を聞いて公平に論議しなければいけないのに、現在の日本では、野党もマスコミも何かすれば安倍批判ばかりで、それ見たことかと、あれは、安倍が悪いと、これも安倍が悪いと一方的に悪い方に誘導してるように見えます! 例の前川前事務次官の発言も、今では、あの人は、いい人みたいになっていますが、本当なのでしょうか?

 売春の温床になっている出会い系バーに数千円の入場料を払って、お気に入りの女の子を選んで通ってたなんて、普通で考えると・・・OUTですよね!」

 

当然、別な立場から見た意見も聞いてから判断すべきです!

関西方面の方は、ご存知の方が多いと思いますが、全国放送は、していないと聞きますので関西方面以外の方もどうぞご覧ください!関西地方限定のテレビ番組で「そこまで言って委員会NP]の6月18日放送番組です。各省庁の元官僚さんたちを呼んで、加計問題や文科省や前川氏の発言について議論していました。違う視点からの話があったり、そこに在籍していたOBならではの興味を惹く話がたくさんありました(^^♪

 

そこまで言って委員会NP 2017年6月18日

 

結論として、安倍さんは、数年前から問題になっている、鳥インフルエンザや、家畜の口蹄疫の被害を少なくする為に、小型動物の獣医さんではなくて、家畜や酪農の動物の知識を持った人材を増やすために、人材を育成する獣医学部の新設を今までは、認められず阻止されていたので、国家戦略特区(http://www.kantei.go.jp/jp/headline/kokkasenryaku_tokku2013.html)を利用して、実現しようとしていたんだと思います。

 

安倍政権のあら捜しをしている、野党やマスコミにすれば、政府主導の国家戦略特区の事業の岩盤規制にカザ穴をあけて作る学校の理事長が安倍総理の知人だったから、これ見よがしに、これは絶対に便宜を図ったんだと・・・確証も取れていない時から、問題を大きくしようと騒いでいたんだと思います。なにせ批判ばかりですから!

 

それと、少し前のことですが、共謀罪の国会審議の投票の時に、多数決で勝てないのがわかっているので、投票を邪魔するつもり・・・?で牛歩で時間稼ぎをして、あまりにも幼稚じみた行為に、議長が時間を切ったら、タイムオーバーで福島瑞穂や森裕子ら3人が無投票扱いになりました

こんなことを日本の重要な国会でするとは、日本の恥さらしですよね!もし、小学校や中学校の決め事の投票で、生徒が自分に分がないとわかって、牛歩をして注意したら、「国会議員もしていたよ!」と言われたらなんて言い返せばいいか困ります

 

福島みずほ 牛歩戦術で無効票 → 逆ギレ

これは、日本人本来の考え方ではない様な気がします!よく日本世代の台湾の方は、50年に及ぶ日本の統治のおかげで日本国精神を学んで本当に良かったと言ってくれています。26年間の統治では、身につかなかったのでしょうか?

台湾といえば、今日、桜の花出版の「日本人はとても素敵だった」著者:楊 素秋(よう そしゅう)を完読しました。

 是非、いつも戦前・戦中の日本のことを悪く思っている人や言っている人に読んでいただきたいですね(^^♪

もう一つは、その前に完読した、「汝、二つの故郷に殉ず」著者:門田隆将です。

台湾で、その命日が「正義と勇気の日」に制定された日本人がいた・・。日本と台湾の絆を表す「英雄」が歩んだ苦難と感動の物語。

1895年、ひとりの若者が台湾を目指して故郷・熊本をあとにした。台湾の治安維持と発展に尽くすためである。やがて台湾女性と家庭を築いた彼は、のちに「英雄」と呼ばれる男の子をもうけた。しかし、戦後の台湾の悲劇は、一家を動乱に巻き込んでいく。日本と台湾の“絆”を表わす「5代120年」にわたる壮大な一族の物語。

「私には大和魂の血が流れている」「台湾人、万歳!」。台湾最大の悲劇となった1947年の「二二八事件」で、そう叫んで、永遠の眠りについた英雄がいた。坂井徳章弁護士(台湾名・湯徳章)である。父親は日本人、母親は台湾人で、生まれながらにして日本と台湾の“絆”を表わす人物である。父を早くに亡くした徳章は、貧困の中、辛酸を舐めながら勉学に励み、ついに当時の最難関国家試験である高等文官司法科と行政科の試験に両方合格する。

帝都・東京から故郷・台南へ帰り、台湾人の人権確立のために活動する中、徳章は国民党政府の「二二八事件」弾圧から台南市民を救うために奔走する。自らの身を犠牲にしながら、多くの市民を助けた徳章は、50年後に忽然と“復活”する。苦難の道を歩んだ台湾と、なぜ今も台湾人が日本と日本人をこれほど愛してくれているのか、その根源を解き明かした感動の歴史ノンフィクション。

 

面白いのがもう一つ!

1950年6月25日に始まった朝鮮戦争に、アメリカの要請により掃海作業に参加した元日本兵たちのお話です。1945年8月15日に連合軍に敗れ、終戦を迎えた日本に対して、アメリカ自ら日本軍の解除したのにかかわらず、日本軍の力が必要になり、慌てて警察予備隊なる組織を集めて、朝鮮半島の機雷除去の掃海作業を行った物語です。

 内容は、朝鮮戦争に「参戦」した日本人たちの真実

1950年6月に北朝鮮による韓国への侵攻で勃発した朝鮮戦争――北朝鮮軍が敷設した機雷を除去するため、朝鮮半島沖に出動した日本人がいた。当時、海上保安庁に所属の「日本特別掃海隊」。旧海軍軍人を中心とする約1200人の掃海隊員によって掃海作業は進められ、47隻の船舶が出港した。


戦時下にある朝鮮水域での掃海作業は戦闘行為に当たり、日本が掃海部隊を派遣することは憲法に抵触する。しかし、主権回復前であった日本としては、米国の要請を断ることは難しい――そうした背景のもと掃海隊は時の首相、吉田茂によって、いわば隠密に組織された「秘密の部隊」だった。


掃海作業では、掃海艇の一隻が機雷に接触して沈没、死者1人、18人が負傷。しかし、そうした被害にもかかわらず、日本特別掃海隊の存在は長らく秘され、派遣された隊員たちの「生の声」はなかなか表に出ることはなかった。

朝鮮戦争の休戦協定が締結されてから60年の節目となった今年。著者は、高齢者となった元隊員の生の声をできるだけ多く掬うなかで、自分たちに課せられた任務を誠実に遂行しようとする責任感に溢れた姿と、仲間同士の固い絆を発見していく。という話です。

 

 掃海任務中、朝鮮半島の元山の近くの沿岸で、早朝、そばにいた韓国軍の船から、日本海軍式体操の掛け声が「いち にい、いち にい」と聞こえて来るではありませんか!「なんで、日本軍は解体されたのに・・?」そこで韓国軍兵士3人に聞いてみると、「やっぱりこの日本式が一番いいですね!」というではありませんか!と言う所が面白かったです(#^.^#)

 

マスコミや厄介な隣国の話に惑わされずに、本当の史実を知って、日本人としての自信を持って頂ければうれしいですね

 

最後に、加計問題や森友問題で中国と北朝鮮の脅威を忘れてはいけませんね!

それでは、この辺で失礼します。  Have a nice day!