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東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

フンザの旅 2019年 8月 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

2019年11月13日 | ヒマラヤ

8月8日
パスー〜クンジュラブ峠〜ボリイレク

本日はパキスタンでの最後の目標後である中国国境のクンジュラブ峠を目指す。この道路は20年の歳月を掛けて1978年に完成した道路だが、この工事で中国人35名、パキスタン人400名近い作業員が亡くなっている。さらに5年前にこれも中国の資金で大改修工事が完成し、更に2年前には山体崩落で突然出来たアッパード湖の迂回トンネルが完成した。
これによって中国のカシュガルからイスラマバード手前のハヴェリアン迄1300kmの道路が完全整備され、これによってフンザへのアクセスは格段に向上し、今では多くの外国人がやってきてフンザの観光地化に拍車が掛かっている。(陸路の場合はギルギットまで1泊2日 20時間 飛行機の場合はギルギットまで1時間程)
パスーを出発して車で4時間程走ると国境の村のスストに到着したが、着いてみるとそこは中国国境を越えてくる大型トラックの大きなステーション基地となっていおり、バザールが出来てホテルやレストランが並ぶ村とは名ばかりの大きな町だった。
スストから先は景観が変わって険悪な深い谷底を這うように走る道となり、よくぞこんな危ない所に道路を造ったものだと感心するような道が続く。深い渓谷を更に1時間半程走ると視界が開け、ヘアピンカーブの道路を辿って高度を上げるとやがてチベット高原の景色となる。
峠の上り坂の斜面には、30〜40cm位はあるマーモットがあらこちらで草を喰み、実に自然豊かな光景が広がる平和な光景だった。
峠の手前の池塘の周りにはには高山植物が咲き乱れ美しく、中でも黄色いケシの花が印象的だった。中国国境のクンジュラブ峠(4,735m)には多くの中国人観光客がやって来て賑わっていたが、時差の関係でパキスタン側は我々3名とガイドのみで対照的だった。
帰路はスストで昼食の後パスーを通過して昨日ブッキングしたボリレイクホテルに到着し、ホテルのバルコニーでウルタルの壁と美しい湖を眺めながらゆったりとした時間を過ごした。

8月9日
ボリイレイク〜ウルメット〜ギルギット

早朝にホテルを出発してフンザ川に沿ってカラコロムハイウェーを下って行き、途中で左岸に渡るとウルタル2峰上部が見えてきて写真に収める。長谷川パーティーのアタックルートはセラック帯から正面のリッジを攻略しようとした様で、何時になく朝9時にスタートした結果遅すぎて大きな雪崩に巻き込まれ様だ。遅れて出発したナジールさんは時間が遅すぎると反対したが2人は突き進んでしまった。
その後、カリマバードから1時間ほど下ったウルメットのレストランで昼食としたが、真正面に聳える落差5400mもあるのラカポシ北面が我々を圧倒し、氷河から流れ落ちる水の冷気で椅子に座ると心地良く、食事の後に休憩時間を2時間伸ばしてゆっくり寛ぐ。
その後、車を2時間程走らせると空港そばのギルギットのホテルに到着する。ギルギットのバザール内で剥がれた靴のソールを修理し、他にやる事もないのでホテル内でスマホをいじって時間を過ごす。しかし相変わらずwifiは不安定で中々繋がらずイライラする。
なお、現在はギルギットから国境を越えてタシュクルガンまでのバスの定期便が有るそうだが、イスラム過激派の侵入を警戒して国境~タシュクルガンまでは警戒が厳しい模様。1週間前にパキスタン側から入ったガイドの話によると、国境からタシュクルガンまでの2時間は一切止まることは許されず、厳しい検問が有るようで面白くないと言っていた。

8月10日
ギルギット〜イスラマバード

ギルギット発午前の第2便は予定通り離陸してイスラマバード空港に到着したが、着いて直後から激しい雨が降り出してギリギリセーフのラッキーなフライトだった。実際その後2日間は天候不良で飛行機は飛ばず欠航が続いた。
空港に出迎えに来た車でナジールEXPの事務所を訪れ、スルタンカーンさんを交えてのお茶タイム。ホテルに入ってからはゆったりした時間を過ごし、遅い昼食の後色んな店を覗き込んでみたが特に買いたい物は見当たらなかった。

8月11日
イスラマバード 滞在

市内の大きなモスクを見学して高台へ。仙台ならば青葉城を想像させる見晴らしの良い場所。その後、ホテル近くのバザールでお土産用のマンゴーを買い求め、夜は豪華なチャイニーズレストランでナジールさんを混じえての会食となった。
長谷川恒男、森田勝、広島三郎とのやり取りを聞くと大変興味深い話しが時間いっぱい続いた。パキスタンでは国民的英雄であるナジールさんだが、日本人登山家を高く評価していて、大の親日家で有ると共に日本人的なマインドを持った気さくな人だった。(奥さんは日本人で新潟の六日町在住)

8月12日
イスラマバード〜北京〜羽田

出発の便は20時イスラマバード発の為の、ホテルでは何もすることが無くダラダラと過ごす。昨夜はイスラムのお祭りで街は夕方から朝方まで大騒ぎで煩かったが、熱い日中の街の中は殆ど人影はなく閑散としており、おまけに3日間の休日が続くので店は全てクローズ。
買い求めたマンゴーとドライフルーツをバッグに詰め込むと結構な重さで、調子に乗って買い過ぎたと後で後悔。飛行機は約1時間遅れでイスラマバードを離陸し、予想外だったが一旦真逆の南部カラチまで飛んでからイスラマバード方面に戻り、後はノンストップで北上しカシュガル付近経由で北京に到着した。

イスラマバード発〜カラチ〜北京行 
イスラマバード発 20時50分
カラチ着 22時50分
カラチ発 23時50分

8月13日
北京着  9時55分(北京時間)9時間45分
北京発  12時50分 13日
羽田着  17時50分(日本時間)6時間

 

 山の名を忘れてしまいました。

シスパーレの山頂部。

 カラコルムハイウェイは中国にとって重要な輸出輸送ルートであり、一帯一路計画に則った戦略的な軍事道路。いざとなったら多量の戦車が国境を超えて南進するだろう。

 今や国境の村というイメージなど全く無い中国のトラックターミナル基地。

 

 険悪な谷底を見事に掘削して完成した道路だが、多くの作業員の犠牲に上に成り立っている。

 険悪な谷底を見事に掘削して完成した道路だが、多くの作業員の犠牲に上に成り立っている。

途中のゲートは国立公園の入園料(一人¥800也)を取られる。

 パキスタンのトレッキングパミッションで登れる国境付近の山。6200m位か。ルートは右から廻り込んで裏側から登頂する。

 日本ではなじみの薄い動物であるがヒマラヤに生息する。中国人でさえ捉えても食べないそうだ。食べても余程まずいのだろう。

 ヒマラヤの天空をドライブするこのコースは完全舗装で実に快適。

 4600m付近の穏やかな光景。

 この様な高地で群生する花は少ないのでは?

 小ぶりだがこれはケシの花。

 日本でも見かけるような花だが不明。

 40分ほど散策しながらカメラで撮りまくる。

 峠の国境にパキスタンの兵士が常駐しているがリラックスした雰囲気。

 パキスタンが世界に誇る「世界最高所のATM」。何が何でも世界一の名を欲しがる理由もよく分かる。

 パキスタンが世界に誇るATM。パキスタン人が記念に自分の口座から現金を引き出す人もいるようだ。 

 

国境を超えてタシュクルガンからカシュガルを目指すお客もいるが、現在はパキスタンからイスラム過激派の流入を警戒した中国政府の警戒は厳しい。

 中国国境までは300m程歩く。

 のんびりして気さくな感じのパキスタン側だが中国側の兵士はピリピリして煩い。

 スストまで戻っての昼食のためレストランへ。

 鶏肉は新鮮で日本のブロイラー等とは違って美味しい。

 後ろのバックヤードには在庫が・・・。

 早朝にボリレイクホテルのベランダからウルタル2峰の東面を撮影。

 一見ルートになりそうな雪稜だがおそらくその先には大きなギャップが有るのだろう。

 今のフンザは杏の収穫期。生でも美味しいが自然乾燥でドライフルーツにしても美味しい。

 2年前に完成下ばかりのホテルは小綺麗で設備も立派。

 お馴染みのレディスフィンガーとフンザピーク。

 お馴染みのレディスフィンガーとフンザピーク。

 故郷のフンザで暮らすガイドのお母さんと娘夫婦。

 長谷川パーティーによるウルタル2峰のアタックルート。中央のセラック帯を越えて上部岸壁を目指したが、セラッックの崩壊による雪崩によってBC近くまで流された模様

 ウルメットのレストランから見上げるラカポシ北面の様子。レストランから標高差5400mの高度差はエベレストBCから山頂までの高度差を遥かに凌ぐ。

 氷河から下る冷気が心地良く中々離れがたいレストラン。

 2時間程くつろいだが贅沢な空間と時間を満喫。

 ギルギットに入ると豊富な野菜や果物に驚く。

 迷惑なお客はご覧の通りお引取り願う。

 悪天候が迫っていたがギリギリセーフでギルギットを離陸

 アルコール類は皆無。つまらないので写真を1枚。

 パキスタンが誇る世界で5番目の規模を誇るイスラマバードのモスク。残念だが金を出したのはサウジアラビアでモスクも皇太子の名前が刻まれている。

 モスクにお祈りに訪れた若夫婦とお子さん。パキスタンでは医療制度が不備で、病気の子供を連れて訪れた様です。

 

No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー ⇔ No11 バルトロ氷河TR 備忘録


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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フンザの旅 2019年 8月 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

2019年11月10日 | ヒマラヤ

7月7日
今日はカラコロムハイウエィを北上し、中国国境のクンジュラブ峠(4733m)を目指してカリマバードを出発。途中に寄り道してフンザ川対岸のナガール村まで行くと、ウルタル2峰の山頂付近のアタックルートの概要が伺え、長谷川恒男パーティーの辿ったルートを推測してみた。雲で中々見えなかったレディースフィンガーとフンザピークも良く見える。
カラコロムハイウェイに戻って北上すると突然立派なトンネルを通過し、そこを抜けると大規模な三体崩壊で出来た自然のダムのアッタバード湖が現われた。ダムの底には集落が埋没して20名が亡くなったそうだが、エメラルドブルーの美しい湖が出来て今や一大観光地に変わってしまった。
周りには建設中のホテルが数棟あって急激な観光地かが進んでおり、今後はパキスタンを代表するリゾート地開発が進み、さらに多くの外国人旅行者がやって来るだろう。今や「不老長寿の里」というフレーズは言葉だけになりそうだ。
勤勉なフンザ人は良く働き粗食にも耐えて長寿を全うしたが、今や車社会で歩くこともなくチキンやマトンを主としたハイカロリーの食事で腹はビア樽状態傾向とか。90~100歳と言われた長寿の里は今や平均寿命65歳らしい。
ガイドがパスー村の手前にお勧めの湖が有るとの事で訪れて見ると、坂道を15分程上がった先に突然緑のオアシスと綺麗に澄んだ湖が現れて、荒々しい岩と砂の無機質な世界から雰囲気は一変する。
ボリレイク(塩の湖)と呼ばれる湖の周りには建ったばかりのホテルが2軒有り、大きな方のホテルで昼食を取ってみたが食事も美味しく気に入ってしまい、パスーで2泊の予定をキャンセルして帰路の1泊をこのボリレイクホテル泊に変更した。
昼食後にはさらに細い道を車で30分ほど先に進み、その先から歩いてパスー氷河見学の散策となる。往復1時間半ほどのショートコースのハイキングだが、終点の小さな丘からは広大なパスー氷河の奥にパスーピーク (7478m)を見渡すことが出来る。パスー氷河はカラコルムでは珍しく氷が露出した白く綺麗な氷河だった。
ボリレイクからカラコロムハイウェイに戻って1時間程車を走らせるとそこは質素なパスー村で、村はずれの道路沿いのホテルに到着すると、ホテル目の前の6000m級の針峰群に我々は圧倒される。夕日を浴びるその姿を狙って思わず数多くのシャッターを切ったが、刻々と変化するその姿は日本では見る事の出来ない荘厳な世界だった。この光景を見るだけでもこのホテルに泊まる価値が有る。

カラコロムハィウェイから見るウルタル1峰(7329m)と2峰(7388m)。

さらにカラコロムハイウェイを北上するとウルタル2峰
の頂上付近がよく見える。右の急峻なリッジが日本山岳会東海支部の初登ルート。中央は第2登した日本隊(カトマンズクラブ)のルート。

カリマバードの対岸のナガール村から見るレディスフィンガー(5985m)とフンザピーク(6270m)。

ナガール村の奥にはゴールデンピラー(スパンテイック)がよく見える。

古代シルクロードの交通の要所だったフンザの面影が残っている。

フンザピーク(左)とウルタル1峰(右)

ウルタル2峰の南面

2年前に中国の資金で掘られたアッタバード湖のトンネル

中国の目的は国境を越えてイスラマバード~カラチ~イランに南進するための軍事道路。

この下に集落が埋まっているが山体崩落は今でも続いている様です。

深いところでは深さが100mあるらしい。

新築中のホテルや観光客用の貸テントなどが多い。トンネルが出来る前には船でトラックも運ばれていたが、慣れない仕事で転覆事故が多発していた模様。 

 朝のカラコロムハイウェイは車が少なく、朝の直線なら90キロ位で飛ばして行く。

 パスー方面から見るウルタル2峰東面の下部。

 ボリレークからシスパーレ(右)を見る。

 平出・中島パーティーは右の壁を抜けて雪稜を辿って山頂に立った。下降は右側の初登ルートの尾根を3~4日かけて下った。

 ボリレイクの小高い丘に登ると6000mクラスの針峰群が見える。地元のクライマーが挑んだが山頂には達しなかった模様。

 2年前にできたばかりのホテルの周りは素晴らしいロケーション。まだ派手な観光地化が進まず静かな雰囲気がお気に入り。

 この湖の水源は地下水で珍しく水が澄んでいる。上の緑のラインは氷河から引いた水路で村中を潤している。

 岩と氷の荒涼とした山とオアシスのような緑と湖の対比が生える。

パキスタン人も泳ぐとは意外。多分、南部ラホール方面から避暑にやって来る金持ちの観光客か?

 カラコロムハイウェイ沿いのパスー村手前の光景。居間は麦の収穫期で女性が畑仕事をやっているが男の姿はない。

 山が崩壊してアッパード湖が出来た際この村のそばまで水が上がってきたらしい。

 ポプラの木とシスパーレ。左はウルタル2峰の東面。

 こじんまりとしたホテルだが小奇麗で内装やトイレなどは立派な設備だった。

 ガイドの車でボリレイクから細い道を30分程進み、パスー氷河がよく見える丘を目指す。

 最奥に見える山はかつて日本・パキスタン合同隊が初登頂したパスーピーク。カラコルムでは珍しく氷河は白くてき綺麗。

 往復1時間半程のショートコースハイキングで家族連れの姿もチラホラ。

 パスーピークの初登ルートは左側の氷河かららしい。

 頭だけ突き出たシスパーレ。

 パスー村の顔とも言えそうな6000mクラスの針峰群。西遊記に出てくる光景はこの辺りか?

 先に見える緑の土地がパスー村。今や中国国境を越えて運ばれる大型トラックが頻繁に行き来する。

 荒々しい山と空のコントラストが印象的。

 カラコロムハイウェイ沿いのホテルに到着してみると目の前はこの光景。

 刻々と変化する光景を見ていると時間を忘れる。

 夕暮れ時の光景。こんな素晴らしい世界だがギャラリーは我々3人のお客と1人のガイドのみ。

 夕方に静かで質素なパスー村を散策。素朴な建物だが村人の教育水準は高く就学率はパキスタンでもトップレベル。多くの人材が海外で活躍しているらしい。

 モスクだけは大変立派。近くには最近日本の支援でできた学校が立っている。

 女性の写真を撮るのは中々難しいのだが意外とあっさりOK

 村の各戸の庭には杏やサクランボやリンゴが栽培されている。リンゴはドライフルーツ以外に翌年の春まで生食保存される。

 広い敷地のゆったりした環境が中々で、ホテルは綺麗で食事は今まで最高の味で大変満足。

 中央がオーナーで兄弟2人でやっている。食事の際には常にそばにいて細かい気づかいが素晴らしい。

 動画 ① ボリレイクの丘からウルタル2峰北面

No8 カリマバード滞在の3日間 ⇔ No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

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バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

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フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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フンザの旅 2019年 8月 No8 カリマバード滞在の3日間

2019年11月08日 | ヒマラヤ

8月4日 カリマバード ホテル泊

今日はベイグさん最後のガイドの日で、予定通りフンザ王国の古城跡バルティットフォートの見学に出かける。850年の歴史を誇った王国は1945年パキスタンに編入されて姿を消したが、その子孫は今でもカリマバードに住居を構え代は続いている。
古城はホテルから坂道を歩いて30分くらいの距離だが、訪れてみるとヨーロッパ人以外に南部ラホール方面のパキスタン人が多い様で、避暑のため訪れる家族連れや若い女性の姿が多いのは意外だった。帰りに道の途中のフンザ料理専門の小さな店に立ち寄り、地元のチーズを使ったスープやチャパティ料理や蜂蜜を使ったパンケーキなど、フンザの素朴で風土色が良く出ていて美味しかった。
ガイドのベイグさんはこの後休む事無くナンガパルバット方面のガイドの仕事が待っている様で、ここで素晴らしいアテンドをしてくれたベイグさんにはお礼を述べてお別れとした。

8月5日
カリマバード ホテル泊

ホテルはカリマバードの中腹に立つフンザの谷筋を見下ろす景勝の位置にあり、頭上にはかつて長谷川恒夫さんが情熱を掛けて挑んだウルタル2峰(7388m)が聳える。
朝食の後ガイドのランクルに乗ってフンザ上部にあるドゥイカルの丘(2850m)に向かうと、そこは素晴らしい展望台となっており、対岸の山並みには抜きんでた高さとさと美しさを誇るラカポシ(7788m)。
左の山並みの後ろには白く輝くディラン(7266m)の山頂部が伺え、さらに左奥には山頂から垂直に切れ落ちるゴールデンピラー(スパンテーク峰 7027m)が見える。さらに後ろを振り返ると人差し指を天につき立てたような形状のレディースフィンガー(5985m)とフンザピーク(6270m)が見える。
思わず何枚もシャッターを切ってしまうのだが、カラコルムの高峰に守られたフンザ谷の美しく雄大な光景を目にすると、何か現実感を失ってしまいそうな世界が広がる。
その後カリマバードに戻り、フンザ谷を隔てフンザ王国とて対立していたナガール王国との防御の為の古城アルティットフォートを見物し、いったんホテルに戻った後に長谷川メモリアルスクールを訪れる。
故長谷川恒夫の遺言を受け継いだ奥様の直美さんや、多くの日本人の支援者によって設立された学校だが、建物は立派で施設も充実して現在では初等教育から英語での教育に力が注がれ、今や学生の数は800人を超すフンザではNo1の有名校になっている。

8月6日
カリマバード ホテル泊

今日はカリマバード観光の最終日となるが、ウルタルの展望台へ往復3時間のハイキング(途中まで車使用)となった。村の狹い道路を最後迄の車で上がり、そこからアプリコットのなるが畑の急な路を上がると視界が広がり、展望台から繋がる水路(工事中)上り詰め、後は水路に沿って水平に歩いてゆくと頂上に辿り着く。
裏側に回り込むとウルタルBCに行く下の水路が見えるが、2年前のガスの噴出に依る大崩落で谷が塞がり通行は困難な状態となり、また上部のウルタルBC付近の緑の大地も岩石で埋まって見る影もない模様。
現在反対側の右岸からダイナマイトで発破しながら新たな水路工事をやっていて、これが繋がれば再びウルタルBC迄スムーズに行けるかも知れない。(来年の夏の予定らしい)
午後になってからお土産屋を物色して目ぼしいものを探すが、お土産になりそうなものは余りなくお決まりの乾燥フルーツ購入となる。ホテル裏側のドライフルーツ店の主人は日本に何度か来ている様で、長野に果樹栽培の実習生で来日しのか多くの日本人の山岳関係の友人がいる様だった。結局店で話が弾んで3人でまとめ買いをする羽目になってしまい、残っているパキスタンルピーの大半を使ってしまった。

 

 早朝のカリマバードのホテルのベランダからウルタル1峰(左) 2峰(右)を仰ぐ。

 ホテルから10分ほど上がった丘より見るウルタル1峰(7329m)

 ウルタール・サールは、パキスタン・カラコルム山脈バツーラ山群に属する10kmにわたる山群の総称。ボイオハグル・デュアナシールとも呼ばれる1峰、2峰からなる。

 ウルタルサールの反対側にはフンザ川を隔ててディラン峰(7,257M)の山頂が姿を現す。

 フンザの谷の対岸には秀麗なラカポシ(7788m)が鎮座する。

 緑豊かなフンザはこの時期はあんずの収穫期。

 パキスタンに編入されて姿を消したフンザ王朝のバルティットフォート。現在は外壁の改修修業中。

 有名なガイドでサービス精神が有って人気者。

 バルティットフォートの屋上より見るウルタル1峰方面。往復3時間ほどの歩きで右のウルタルの展望台に至る。

 バルティットフォートの最上階から。

 日本人旅行者の間では「風の谷のナウシカ」の「風の谷」のモデルとなったと言われてきたが真偽のほどは不明。

 かつてはフンザワインが密かに造られていたようだが、厳しく禁止されて今は手に入らない。

 ディラン峰(7,257m。日本人にも馴染み深いこの山を世に知らしめたのは、1965年京都府岳連カラコルム登山隊にドクターとして参加した北杜夫の小説「白きたおやかな峰」

 人差し指をつき立てたようなその形状から「レディースフィンガー」の異名をとる。 1995年に山野井1995年に山野井泰史、長尾妙子、中垣大作の3人で未踏の正面ウォールを攻略し登頂に成功

 朝日に染まるラカポシの北東面。

 

 フンザ川沿いのカラコロムハイウェーを北上すると中国国境のクンジュラブ峠に至る。

 フンザ川の下流方向はギルギットに至るカラコロムハイウェーが続いている。

 世界中の観光客がやって来るフンザの谷。

 中央がディランの北稜と思われる。意外とクレバス帯が行く手を阻んでいるように思われる。

 ラカポシは8000mの山に劣らない気品と風格がある。今年の7月に南面の新ルートより平出・中島パーティーが登頂に成功している。

 スパンティック峰(7027m)の北面が垂直に切れ落ちたゴールデンピラー。まだ第2登されていない様です。

 中央の青いテント近くまで登るとウルタルBC方面がうかがえる。

 あんずの木の畑を上り詰めると見事な視界が広がる。

 天空を散歩する様にこの水路を辿って行くと間もなく終点

 今日もダイナマイトで岩盤を吹き飛ばして水路を先に延ばしていた。来年に道が通じればウルタルBCまで安心して歩けるだろう。

 右下の道の先はガスの噴出で岩雪崩が起きて歩けなくなった。

 フンザ谷の対岸で敵対するナガール王国からの防御のため造られた城のアルテットフォート。

岩を削って建てたアルティット城はかなり古い。

 フンザの王様の護衛になるためには若い頃にこの岩のてっぺんに立たなければならないらしい。間違えば200m下のフンザ川へダイビング。

 

 カリマバードの丘からバルティットフォートを見下ろす。

 すっかり観光客になり切る。

 フンザ料理の店でランチ。素朴なチーズを使ったメニューが特徴。

 最近のメニューはヨーロッパナイズされたのだろう。

 カリマバードのハセガワメモリアルスクールへ行ってみる

 建物は長谷川恒夫の意思を受け継いだ真美夫人と多くの日本人支援者の手により建てられた。

 フンザはパキスタンの中でも最も就学率が高く優秀な人材が育っている。パソコン機器も置いてあるらしい。

 何時まで眺めても飽きる事のないラカポシ。

 レディースフィンガー(左)とフンザピーク(右)。

 長谷川隊ウルタル2峰の上部ルートは中央の雪田から右上してリッジ通しに山頂を狙った模様。大きな雪崩に遭遇して2人がBC近くまで流れ遭難した。

 ピンポン玉くらいのオリーブの実は食べ頃。

動画 ① カリマバードの丘からフンザの谷展望

動画 ② 展望台よりディラン&ゴールデンピラー

動画 ③ ウルタル展望台からフンザ谷~ラカポシ~ディラン

 

No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード ⇔ No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

 

バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録


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バルトロ氷河トレッキング 2019年 8月 No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

2019年11月05日 | ヒマラヤ

8月1日
アスコーレ〜スカルド
アスコーレ発 6時15分
スカルド着 15時 (8時間45分)

アスコーレをランクルで早朝に出発して間もなく、昨日の高温による雪解けによる増水の為路肩が流され、道路が寸断されて車が12台ほど立ち往生してしまう。重機もなければスコップ・ツルハシさえもなく、皆で岩と石を手で運んで積み重ねて道路を復旧する迄1時間半。
更に1時間走ると今度は乗っている車のトラブル(4WDが効かない)で、ドライバーはなんと後部車輪のシャフトをばらし始めるが、大したもので部品の歯車を交換して1時間半後にスタートした。パキスタン人は良くやるな・・・。
車の修理には1時間半を要してしまい、予定時間を3時間程オーバーして8時間45分後スカルドに到着した。

7月2日
スカルド ステイ

予定ではスカルドステイが2日の予定だったが、この埃っぽく特に見るべき物も無いスカルドの街に愛想をつかし、1日繰り上げて楽しそうなカリマバードに移動しステイとする。
散々砂埃まみれになった衣類やディパックを洗濯し、体も頭も洗って気分を一新してフンザに向けて気分を切り替えた。

7月3日
スカルド〜カリマバード 移動
スカルド発 7時20分
カラコルムハイウェイ着 18時30分
カリマバード着 20時30分 (13時間10分)

スカルドを出発して広大なインダス川の右岸を下って行くと、次第に谷は深く険悪な様相になって道は荒れてくる。
ギルギット方面に入るとそこら中が道路拡張工事で、大型の重機ブレーカーを使って砕き、バケット&ユンボでそれをどける作業がほぼ全区間に渡って行われている。
パキスタン政府によって3年後にはカラコルムハイウェイからスカルドまで拡張整備を完成させる予定。
しかし工事のやり方はかなり荒っぽく、多くの車が通行中にもかかわらずダイナマイトで岩盤を吹き飛ばし、重機で路上の岩を除去してインダス川に落とす。
結局途中5ヶ所で足止めをくらいカリマバードに着いたの13時間後だった。砂塵の舞うスカルドロードは予想外の悪路で2度と通りたく無い道だが、後5年も経ってみるとこれも良き思い出になるだろう。

 パキスタンの山岳部ではランクルの40が1/3 70が2/3が主役で活躍している。

 ジープというよりトラック・バスに近い改造がなされてこれが最強の車。

 前日の気温上昇で山の雪解け水が流れて道路の路肩が崩壊

 車12台が立ち往生して復旧作業になるが有るのはおもちゃの様なスコップ一丁のみ。

 全て手作業で復旧して1時間半後にランクルが通過。

 今度は乗っていたランクルの4WDが効かなくなる故障。

 おもちゃの様なジャッキで持ち上げてシャフト周りをチェック。

 バラして歯車を2個交換すると車は動く。

 パキスタンのドライバーは整備士を兼ねないと商売にならないらしい。

 スカルド~ギルギット方面に向かう道は全区間で拡張工事中で車は中々進まない。

 車を止めるとダイナマイトで岩盤を爆破して重機で片づける。

 落石を食らった車のフロントガラスはサランラップを貼ってOK。

 中国製のトラックだろうが最近は日野・いすゞが目立つ。

 スカルド街道の途中にあるヤギのスープで有名な店でランチ。美味い。

 道路の片側はこんな具合で車の通行なんかは二の次。本当に3年でスカルドまでの道路は完成するのか?

 1時間半も待たされると諦めるしか無い。

 道路の片側を見上げると岩が落ちてきそうで落ち着かない

 パキスタンの道路を作っても傷んだら治すという文化がなさそうでそのまま放置。

 パキスタンのトラック野郎の面々。

 こんな光景はごく普通。パキスタンでのトヨタは最強です

 ドライバー同士でド派手さを競って最後はこうなる。

 一体何を積んで走っているのか?

 アスコーレからスカルドに向かう道路は緊張する。

 トンネルでもほったほうが良いと思うがそれが出来ない。

 動画 ① パキスタン山岳部で圧倒的な存在感のランクル 40&70

動画 ② パキスタン山岳部で圧倒的な存在感のランクル 40&70 02

動画 ③ パキスタン山岳部で圧倒的な存在感のランクル 40&70 03

 

No6 コンコルディア〜アスコーレ  No8 カリマバード滞在の3日間


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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バルトロ氷河トレッキング  2019年 7月 No6 コンコルディア〜アスコーレ

2019年11月01日 | ヒマラヤ

7月26日
コンコルディア〜ゴレ
気温 3〜13℃
天候 曇りのち雨
コンコルディア発 6時17分
ゴレⅡ着 13時7分 (6時間50分)

朝起きてみると予報通りK2、ブロードピーク、ガッシャブルム4峰は上半分が雲で覆われ、バルトロカンリも山頂こそ見えるが周辺は雲で覆われ悪天候の兆しは顕著だった。
この天候ではゴンドゴロラ峠の急峻な雪壁は視界が効かずルートミスし易く、仮に峠に立てても下りでは視界が効かない中、気温が高めで落石が飛んで来ても逃げられまい。恐らくこれではレスキューもポーターも出動しないだろう。
ここ迄考えるとここでやっと踏ん切りが付き、むしろ14日間連続した好天に我々は感謝せねばなるまい。
ゴレⅡに向かって出発するとしばらくして小雨模様となり、雨具を着て降って行くと次第に雨足が強くなり、ゴレⅡに付いた頃には本格的な雨となる。しかし、夕方になると青空が顔を出し、正面には美しくかつ荘厳なマッシャブルムの北面が姿を表した。ガッシャブルム4峰の西壁には雪が付いて白くなっていた。

7月27日
ゴレⅡ〜ウルドゥカス
気温 3〜15℃
天候 曇りのち雨
ゴレⅡ発 6時30分
ウルドゥカス着 13時30分(7時間)

今日の朝も雲がたれ込めて山頂方面は雲に覆われ、何となく穂高連峰を見ている様で全く迫力が無い。我々は散々写真も取り後は降るだけだが、コンコルディア方面に今から向かうパーティーの皆様方はご愁傷様です。
昨日同様に昼過ぎから小雨がちらつき、テントサイトにつく頃には本格的な雨となり、夕方になると上がるというパターン。
お陰で砂塵と馬糞の舞う街道は地面が湿って空気が綺麗になり、適度な気温で歩く分には快適な環境で決して悪くはない。
衛星電話によると今後6日間は悪天候の予報の為、往来するトレッキングパーティーやポーターは少ない。
しかし、アーミーのロバによる燃料輸送の隊列だけはやたらと多い。話を聞いてみると、インド国境付近の冬季間キャンプに常駐する為の灯油や軽油を夏に輸送しているらしい。

7月28日
ウルドゥカス〜コボルテ
気温 5〜21℃
天候 雨から曇り
ウルドゥカス発 6時17分
コボルテ着 10時35分

今日は4時間行程で楽なはずだが、朝から小雨がチラついてモチベーションは下がるのみ。雨具上下で歩いていると今度は暑くなって脱ぐ。
途中には落石の危険地帯が2個所程有り、ノンストップで通過するのもちょっと辛い。
ウルドカスに着いてみると、今から下山する登山隊と、今からコンコルディアを目指すトレッキングループで賑わっていた。今日は早く着いたので体力回復の為、午後は殆ど寝て過ごした。

7月29日
コボルテ〜パイユ
気温 10〜32℃
天候 曇りのち晴れ
コボルテ発 6時30分
パイユ着 2時10分 7時間40分

昨日食欲不振と倦怠感で沈んでいた自分だが、ベイグさんに貰った3種類の薬を飲んだら一夜で回復。流石、経験と実績のなせる技と感心。
コボルテを出発するとやがて左岸トラバース地点を通過するが、ここはバルトロ街道で最も危険な落石多発地帯。約500m位の落石地帯をノンストップかつ早足で通過すると、途中2箇所で3〜5cm位の石が飛んで来て逃げるようにして走り去る。
先週は1頭のロバが当たってしまい、今シーズンは3頭が死んでいて、女性一人が亡くなっているらしい。
危険地帯を通過すると今度は色々な花が咲き誇り、この岩と砂だけの荒涼とした世界に一時の休息を与えてくれる。
コンコルディア方面は雪が降って降っている様で、ここから見るトラゴンド山群やカテドラル山群の山頂も雲に覆われて山頂は覗えず、辛うじてトランドタワーのピークだけ姿を現している。
ようやくパイユのキャンプサイトが見えてきたが、1時間位と思ったら2時間掛かってもたどり着かず、バルトロ氷河の大きさをいやでも実感させられる。
なお、温暖化で氷河は毎年後退していると思ったら、ガイドのベイグさんによると氷河の末端はパイユに向かって前進しているとは意外だった。どうやら高温で氷が緩んで崩壊が進み、その押出で氷河の末端が伸びている様だった。

7月30日
パイユ〜ジョラ
気温 15〜30℃
天候 曇りのち晴れ
パイユ発 6時20分
ジョラ着 16時45分 (10時間25分)

本日の行程は最も長く、往路は気温38℃と熱射病寸前と思える日で12時間を要する日となったコースだ。
朝は曇りがちでやや風も吹いて歩きやすいが、晴れてくると気温が上昇して次第に負担が掛かってスピードが落ちる。
遠くには雲を被って天に突き刺す様なk2南面の山頂が望めるが、これがバルトロ巨峰群との最後の別れとなる。
実に雄大で両岸が岸壁帯となった谷の道は比較的平坦な緩い下り道だが、連日の疲れが頂点に達したのか後続の足取りは重く、30分毎の休憩を入れて前進するが苦しそうだ。
ジョラに着いてみると今からコンコルディアを目指すグループで混雑し、中国人やヨーロッパや日本のS社のグループの姿が見られた。

7月31日
ジョラ〜アスコーレ
気温 20〜40℃
天候 晴れ
ジョラ発 6時20分
アスコーレ着 15時10分

ジョラをスタートして20分位で吊橋を渡り、今度は対岸を逆方向に戻って右岸沿いの路を進む。かなりの迂回になるが、吊橋を掛けられる箇所はここしか無いので仕方がない。
早朝涼しい時に距離を稼ぐ作線だったが、次第にブレーキが掛かってペースが落ち、次第に気温は上昇して40℃に達する。
行けども中々届かない砂漠地帯の辛い歩きを続けるが、熱中症の恐れも出てきて心配になってガイドのベイグさんには先行してもらい、迎えのジープの手配を頼んで前進。
ようやく届いたアスコーレでは冷たいコーラを思わずがぶ飲みし、着いてからポーターへのチップを支払い記念撮影。中々気の良いメンバーで我々も助かった。

 コンコルディアのキッチンテントで。

 biarghedl pks 2峰 (6781m)の北面。

 クレバスの闇はかなり深そうだ

 パキスタン陸軍がバルトロ氷河の環境破壊を深刻化さえている張本人。

 コンコルディアからゴレⅡを目指して往路を引き返す。

 雨雲が近づいてガッシャブルム峰も雲の隠れる。

 広いモレーンを歩いているとこんなモニュメントも。

 ポーターは規定で一人25Kgとなっているが、力が有ればもっと稼げるのだろう。

 パキスタンに入ってから初めての雨の日。

 石や岩の5~10cm位下はブルーアイスの氷河。

 後ろはパキスタン陸軍の貨物中継所。

迷路のような箇所も有ってガイドに頼ることも多い。

 ポーター意外にポーターの食料・生活用具を運ぶポーターが必要。

 パキスタン陸軍燃料を輸送するロバの隊列。

 迷いやすいコースの目印。

 ガイドのベイグさん(左)とサブガイドのザヒさん(右)

 標高4200m地点。

 

 

 

 標高4000mを切るとようやく緑が・・。

 右のタワーがウリビアホータワー(6109m?)

 コルポツェ(3940m)まで下って来る。

 この先左の斜面は落石の集中するバルトロ街道で最も緊張する場所。

 やはり温暖化が進んでいるような気がする。

 うっかりしてこのブルーアイスでウイスキーを飲むのを忘れていた。

 この間の危険地帯は500m程速足で通過する。3~5cm程の石が飛んできて気が抜けない。

 

 

 

 バラの花の一種らしいがヤギはトゲも一緒に食べてしまう

 

 

 

 ようやく長かったモレーンに別れを告げて少しホットする

 バルトロ氷河の末端は温暖化のため後退していると思ったらむしろ伸びているらしい。(溶けて崩壊した氷河が押し出されているという)

 雨が作り出した自然の造形美。

 終点のアスコーレに至るつり橋の下は激流が走る。

 工事中のつり橋を渡る。

 パイユ~ジョラに至る断崖に刻まれた道。ここが崩壊すると丸1~2日を要する高巻きとなるらしい。

ロバも階段を登らされてさぞかし迷惑だろう。

 動画 ① パイユからの帰り

 動画 ② アスコーレの吊り橋 

 

No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア ⇔ No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

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バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月  No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

2019年10月30日 | ヒマラヤ

 7月22日

コンコルディア 休養日
4691m
気温 0〜15℃
天候 晴天
pm 84

今日の休養日は晴天に恵まれて素晴らしい撮影日和。目の前東側は頭上にそびえ立つブロードピーク、G4の巨峰群とこれを凌駕する抜きんでた高さのk2、南東方面には白く輝くようなバルトロカンリが鎮座する。バルトロ氷河が究極のトレッキングと言われる理由はここに有り、世界屈指のヒマラヤ山岳景観と言っても誰の異論はあるまい。しかも、6日間は連続した晴天続きで、こんなに恵まれた我々の様なトレッカーも数は少なだろう。
大枚をはたいてやってきたバルトロ氷河だが、殆どが曇りや曇天だったりしてk2の姿を見る事もなく、体調不良でスタートして4日目でギブアップなど言う不運な人も珍しくない。
コンコルディアでは気温も低くモレーン下が氷の為か、あの鬱陶しい砂塵から開放されて空気も奇麗だ。
寝たり食ったりの繰り返しで、やる事と言えば同じ写真の時間を替えたり露出を替えて何枚も同じアングルで画像に収める事だけ。
しかし、3人共PMの数値は何れも平均値を超えており、この先高度障害で悩む事は無さそうなのは幸い。
とにかくこの3つの巨峰を目の前にすると、外界の雑念から完全に離脱した別の世界に入った様に思える。

7月23日
コンコルディア〜ブロードピークBC
7時15分 コンコルディア発
14時3分 ブロードピークBC着(6時間45分) 
5000m
気温 0〜28℃
天候 晴天
pm 78

朝は意外と気温0℃までましか下がらず、今日の行程は少し余裕の為7時15分出発となった。力のあるメンバーで有れば1日でK2BC入も可能だろうが、我々の調子は押して知るべしで安全策を取ってブロードピークBC入1泊となった。
他の中国グループや日本人を交えた国際グループはゴンドラ越えを決めた様だが、それぞれ30〜50代位の元気な連中で我々とは力の差は明らか。
昨日、断腸の思いでゴンドラゴロラ越えを断念したものの、まだ内心はまだ断ち切れない思いだった。
今日のコースはモレーン上をK2を目指して歩くが、距離と時間の感覚が狂っているので中々着かない。
不覚にも休憩時に途中で自分のメガネをモレーン上に置き忘れてしまい、30分位戻って探したが徒労に終わった。スペアのメガネは持参すべきだった。
辿り着いたブロードピークBCは小高い場所に有り、右岸にはブロードピーク西面のブロック雪崩が飛び込んでくる来そうな、迫力満点のテントサイトで撮影にも良いポイントだった。
夕食後にべイグさんに計画を変更を要求し、K2滞在は取り止めて明日はここからk2日帰り往復とした。

7月24日
ブロードピークBC〜k2BC往復
ブロードピークBC発 7時10分
メモリアル
k2BC着 11時30分
5135m
ブロードピークBC着 15時 7時間50分
気温 0〜15℃
天候 晴れ
pm 85

ブロードピークBCは風も余り吹かず、朝の気温も0℃で過ごしやすかった。体調も次第に高所に慣れて来たのか、朝食のお粥とオムレツ、パンケーキが今までなく進んだ。
ただ、ランチで出て来るビスケットやチーズは結構いけるが、硬くて何ともならない乾燥フルーツは勘弁してもらいたい。特別にフライドポテトをボイルしただけのポテトをオーダーした。
k2BCに向かうトレッキングパーティーは流石に少なく、K2アタックを諦めた登山隊のハイポーターやポーターが降りて来る。
K2BCへのコースをブロードピーク西壁の真下を進んで行くと、氷河の先の正面の岩壁帯の下にメモリアルポイントが有る。急な坂を30m程上がると今までk2やブロードピークで亡くなった多くのアルピニストのレリーフで埋め尽くされていた。
その中には、昨年の7月22日に亡くなった北日本海外登山研究隊の故渡辺隊員のレリーフも有り、メンバー3人で手を合わせて頂きました。合掌。
ここからK2BCまでは30分くらいの距離で、着いてみると2隊のテント群が有って、一つはあのセブンサミット隊、もう一つはヨーロッパの混成隊の模様。本日、セブンサミット隊は5人のシェルパがボトルネックから先をラッセルし、首まであるという急峻な雪壁を攻略し、5名が登頂してフィックスを張った模様。
BCにはセブンサミットオーナーのダワ氏がいて、明日は19名のアッタッカーが山頂を目指す予定の模様。
このネパール人オーナーのダワ氏は体格の良いまだ40代後半位の人だが、k2公募登山隊は今回が14回目で、ヘリを2機所有する羽振りの良い人物らしい。今回は総勢38名という規模なので儲けの方も相当なのだろう。まあ、貧乏人には無縁の人です。

7月25日
ブロードピークBC〜コンコルディア
ブロードピークBC発 7時17分
コンコルディア着 12時8分
気温 0〜24℃
天候 晴れ〜曇り
pm 87

今日はブロードピークBCからコンコルディアに戻るだけだが、下りのやたらと広い氷河は中々着かない。10時頃から溶け始めた氷河を歩くと楽だが、途中にはボブスレーコースの様な急速な水路があり、慣れたはずのガイドもたまに道を失う。
ついうっかり落ちると真っ暗なトンネルに吸い込まれ、溺死する前に心臓麻痺でサヨナラと言う感じだ。
コンコルディアには昼に着いてしまったので急遽協議を行い、自分一人が別行動でゴンドゴロラ峠を越え、残り2人はアスコーレに引き返すとの案で合意を見て早速準備に取り掛かったが、その2時間後にナジールEXマネジャーのスルタンカーン氏から衛星電話が入り、明日の午後から天候が悪くなり、峠越えの日の27日は雪となる予報。雪崩の恐れが有るとポーターも集まらず、コースも地元レスキューによってクローズになるので諦めざるを得ない。
昨日出発したグループはラッキーとだったが、このコースの成否はは天候のタイミングとグループの足並みに掛かっている訳で、好条件が揃わないと峠越えは難しい様だ。
その後2隊のk2隊は、セブンサミット&ヨーロッパ混成隊が22名(内サポート5名)が登頂したが、滑落で行方不明が1名と凍傷を負ってヘリでスカルドにピックアップが1名。昨年は悪天候で登頂者ゼロだったが、今年は22名とエベレストには遥かに及ばないものの、K2も商業登山が当たり前になった様で少し残念。なお、この公募隊の場合K2の登頂にはお一人様 800万は下らないだろう。

 コンコルディアすぐ側の6256m峰。

 コンコルディアで凧揚げ。2年前、カンチェンジェンガのBCでも上げている。

 左がブロードピークの南峰(8051m) 右はガッシャブルム4峰(7952m)

 BCから近いブロードピークは氷河から標高差3360mの巨峰。

 左からブロードピーク北峰(8006m) 中央峰(8035m) 南峰(8053m)

 ノーマルルートの西壁上部は左の雪壁から南峰に立つ。

 エンジェルピーク(6858m)とK2(8611m)

 

 左のスカイラインは早稲田大学隊(大谷氏)がナジールさんと初登攀した南西陵。

 今シーズンは8隊が挑んで7隊がボトルネック上部の急峻な雪壁を攻略できず敗退。最後に残ったセブンサミットのシェルパ5人が突破して登頂してフィックスロープを張った。

 ノーマルルートとはいえ下部の南東陵は傾斜がきつく困難

 ガイドのベイグさん。3週間後、日本のA社のアテンドで再びバルトロに入るそうな。

 氷河上にどんと座っている6379m峰。

 意外とコンコルディアから先のK2ベースキャンプを目指す人はなく静かで良い。

 ブロードピークBC手前。西壁の直下のキャンプサイトなので迫力がある。

 前衛峰に守られた白く美しいチョゴリザ 花嫁の峰(7668m)がようやく姿を現す。

 ブロードピークの西壁。バナナリッジと呼ばれる中央のルートから右の南峰に登頂する。

 コンコルディアまでの混雑から解放された静かなブロードピーク。

 上部のセラックが崩壊したら我々のキャンプサイトまで飛んできそうな臨場感がある。 

 無名峰 6379m

 チョゴリザ(7,665 m)。ヘルマンブールが単独で初登頂したが、下山時に雪庇を踏み抜いて消息を絶った。。

 チョゴリザ(7,665 m)。カラコロムの山とは思えないような穏やかな山容。

 ブロードピークの中央峰(左)と南峰(右)。

 南峰へのルートは右に巻いて登るらしい。

 K2と言えばこの構図。2年前山頂から単独でスキー滑降した人は正気とは思えない。

 コンコルディアまではもう少し。

 スキルブルム (7350m) 広島三郎隊長の隊が初登頂後にBCで雪崩に会い7名が亡くなった。雪崩は予想外に対岸のエンジェルピークから襲ってきた。

 

 K2基部に小さく見える所がBC。

 K2BC付近から見るスキャンカンリ(7357m)。学習院大学隊が初登。

 1995年7月20日 - 戸高雅史、北村俊之、服部徹の3人がアルパインスタイルで北峰~中央峰~主峰の縦走に成功。

 ブロードピークはガッシャブルム1峰 2峰に次いで登頂者が多い。

 いったい何人のレリーフが有るのか?

 2018年7月22日 北日本登山研究会隊で登頂後滑落して亡くなった故渡辺康二郎さんに合掌。

 

 最後まで粘ってボトルネックをとっぱしてK2に登頂したセブンサミット隊BCのテント。

 総勢38名のセブンサミット隊。

 中央の人物がセブンサミットのネパール人オーナーのダワ氏。

 キッチンボーイは実によく働く。働かないと将来のコックにはなれない。

 我々のコックのジャンさん。今回は我々の希望ですべて現地食で通したが、すし・天ぷら・蕎麦・うどん・すき焼き他何でも作れる。

 コンコルディアまで付き合ってくれたポーター達とガイド2人。

 天を突くような白く美しいエンジェルピーク 6858m

 

動画 ③ ブロードピークベースキャンプ

動画 ④ K2ベースキャンプでの凧揚げ

 

No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア ⇔ No6  コンコルディア〜アスコーレ


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6  コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月  No 4 ウルドカス~コンコルディア

2019年10月26日 | ヒマラヤ

 7月20日

ウルドカス〜ゴレⅡ
ウルドカス発 6時5分
標高 4240m
ゴレ着 14時5分(8時間)
気温 12〜20度
天気 快晴
pm 87

本日も朝からの晴天が続き、氷河上のトレッキングは余り大きなアップダウンも無く、特に朝は気温12℃とやや寒さを感じる位で心地よい。
処々氷が剥き出しで溶けた奇麗な水が流れているが、必ず馬糞まみれなのでつい飲んだらご想像の通り。
やがて、左岸方面の頭上にマッシャブルム峰の山頂が日差しに輝く様に姿を表し、一気にバルトロ氷河の巨大なスケール感を感じさせられる。
東方向に前進して行くとガッシャブルム4峰、ガッシャブルム2峰とブロードピークの頭が姿を表し、ようやくバルトロ氷河の核心部に近づいた様だ。
ただ、意外と鬱陶しいのはアーミー(パキスタン陸軍)のヘリの往来の多さで、カラコロムのはずが日本の山にいる様で我々トレッカーにとっては邪魔な感じ。
ゴレⅡに着いてみるとまたヘリが飛んで来て、日本のS社の体調不良の日本人トレッカー1名をピックアップしていった。アスコーレでも同じパーティーのお客さんが同じく戻っており、公募のパーティは意外と体調不良やトラブルが多いようだ。
今季はブロードピーク、G1、G2には大量の登頂者があった様だが、K2を目指したパーティはボトルネック上部にはこの冬に降った多量の雪が残っていて殆どの隊は諦めて降りてきた。また、毎年のようにK2に挑んでいる単独の日本人はABCで断念した様です。

7月21日
ゴレ2〜コンコルディア
ゴレⅡ発 6時
標高 4423m
コンコルディア着 13時50分(7時間50分)
標高 4691m
気温 ー5〜17℃
天候 晴天
pm 87 

ゴレⅡのキャンプサイトの朝はマイナ5℃で、地面の水は氷っていて灼熱の地から冬の世界へ突然突入する。冬山用のウェアーへ切り替えるのだが、昼前になると厳しい日差しが指してきて調子が狂ってしまう。
ただ、気温は上がっても氷河の中は涼しく、比較的アップダウンも少なく、道も踏みならされて歩きやすい。
出発して1時間も歩くと壮大でピラミダルなマッシャブルムの北東面が姿を現すと、周りを圧倒する迫力と秀麗な山容に目を奪われる。未だに初登頂以来バリエーションルートで数パーティーしか山頂に立っていないが、その秀麗さに似合わず困難でかつデンジャラスな山だ。
3人ともパルキシオメーターの数値は平均以上で、心配された高度順化はクリアーされた様だ。
次第にガッシャブルム4峰の西壁が近づき、ブロードピークの西面も近づいてその巨大さと迫力に圧倒される。
コンコルディアに到着してみると、先行したポーターがk2、ブロードピーク、ガッシャブルム4峰に囲まれたベストポイントを確保してくれ、明日の休養日には最高の撮影場所を確保してくれて感謝。
ランチタイム後にガイドのベイグさんと今後の予定を検討した結果、当初の計画を大幅に修正して目標をk2ベースキャンプ一本に絞ることで合意。
残念ながら我々のペースではゴンドゴロラ峠超えとG1,G2ベースキャンプ行きは困難でと判断し、余裕を持ってk2ベースキャンプステイに目標変更となった。
なお、ゴンドゴロラ峠までの急斜面には多量の積雪がある様で、殆どのパーティーは諦めてアスコーレへ戻って行った。

7月22日
コンコルディア 休養日
気温 0〜15℃
天候 晴天
pm 87

 

 ガッシャブルム4峰が姿を現したが、右側にガッシャブルム2峰の山頂が見える。

 ゴレⅡキャンプサイト付近からマッシャブルム峰方面を振り返る。

 左のムスターグタワーに至る氷河を通過して暫く歩くとようやくコンコルディアに至る。

 人気集中のバルトロ氷河トレッキングは年間200パーディを超えると言われている。

 1977年の日本山岳会隊(重広恒夫隊長)によるルートは、この北稜から北西壁を経由して登頂。13回もの雪崩に遭遇して奇跡の登頂と言われた。

 上部の北西壁も困難かつ危険なルート。

 ヒマラヤひだが美しいマッシャブルムの支稜。

 カテドラル山群。山野井さんも正面から登ったらしい。

 ゴレⅡの対岸にそそり立つbiarchedl Pks 6810m 北面。

 マッシャブルムはどこから見ても美しさと気品がある。

 ゴレⅡから先のコンコルディアがようやく視野に入る。

 biarchedl Pks 6810m 北面。 

 日本人トレッカー1名が高所順応の不調によりヘリでスカルドへ。

 広大なコンコルディアには多くのトレッカーがやって来る

 余り心地が良いので1枚。

 ガッシャブルム4峰の山頂には何時も雲が掛かっている。

 ガッシャブルム4峰西壁。右の後ろに見えるのがガッシャブルム2峰 8035m)

 ガッシャブルムグループの無名峰。

 氷河の奥に位置するムスターグタワー 7350m。

 怪峰と言われる特異な山容に目を奪われる。

 1956年にイギリス隊のジョン・ハートッグ、ジョン・ハーリンらにより西面の北西稜から初登頂。ネパールヒマラヤの怪峰がジャヌーならカラコラムの怪峰はこれ。異様な形状で屹立し多くのクライマーの憧れとなった。

 ゴレⅡからコンコルディアを目指す。

 

 左からブロードピーク 8,047m ガッシャブルム4峰 7952m。

 コンコルディア付近の無名峰。

 東京大学が初登したバルトロカンリ1峰 7274m 。インドとの国境(実効支配地)に位置し,この両側に両国の軍隊のキャンプがあるらしい。

 バルトロカンリの右に位置するアイスドーム 7150m。

カミソリの刃のような鋭い稜線が天を衝く。

 ガッシャブルム4峰右側の6980mピーク。

 氷河からそそり立つブロードピークの山頂は高度差3360m。圧倒的な迫力と存在感。

 カラコロムの盟主K2はブロードピークさえも圧倒される巨大な独立峰で存在感がすごい。

 バルトロカンリ1峰は東京大学山岳部が1963年に初登頂。カラコロム山脈では珍しい白く穏やかな山容の山。

 ガッシャブルム4峰の西壁7952m。山野井さんは7000mまで到達するものの、悪天候により敗退。
1985年に挑んだククチカも西壁を完登するものの登頂に至らず撤退している。

 コンコルディアから見るブロードピーク(8051m)の南面。左の北峰 中央峰 南峰を縦走した日本人クライマーがいる。戸高雅史さん 1995年ブロードピーク峰縦走

 コンコルディアから見るニュークリスタルピーク(6252m)?

 

 今年はボトルネックから上部の斜面が首までのラッセルだったらしい。7隊が敗退して最後に残ったセブンサミット隊の5人のシェルパが突破して山頂に立った。
2年前に山頂からスキーで滑り降りた動画があったが、よくぞ単独で生還できたものだと驚いた。ドローンを使った動画も素晴らしかった。

 K2のノーマルルートとはいえ南東陵は急峻で厳しい。

 コンコルディアでは到着後1日の休養。

 
 
 
 

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録


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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月 No.3 パイユ〜コボルツェ

2019年10月24日 | ヒマラヤ

17月18日

パイユ発 6時

標高 3785m
コボルツェ着 15時5分 (9時間5分)

気温 18〜28度
快晴
pm 84

朝食を済ませるとキッチンテントが即畳まれてすぐ出発で、バルトロ川の右岸を1時間15分程歩いて行くと氷河の先端に到着する。この先は広大な氷河上のモレーン歩きとなり、20〜50mのアップダウンがこの先延々と続いて果てしない旅が続く。
暫くするとパイユピークの次にトランゴ山群とカテドラル山群が姿を表し、その後ブロードピークの西面の全貌が現れる。
一時、k2の山頂も見えたが雪煙の上がった山頂は強風の様で、昨日、セヴンサミット隊が首までの猛ラッセルの末シェルパ5名が登頂した様だが、後に続いたヨーロッパ混成隊を含めた第2次アタック隊はどうなったのか。
相変わらずロバの隊列が往来してうるさい位だが、ロバの中には途中の渡渉に失敗して溺れそうになったりで、ロバ使いのオッサンも意外と楽では無い。因みにこ迄の3日間でロバの行き倒れが3頭あった。
モレーンの中だと午前中気温が25℃位まで下がって歩きやすいが、午後の陽ざしの強さは何ともならず体に堪える。

7月19日
コボルツェ〜ウルドカス

気温 12〜42℃
曇り 午後から快晴
コポルツェ発 6時10分
標高 3994m
ウルドカス着 10時5分(3時間55分)
標高 4240m 
pm  87

本日は4時間の行程で標高4240mのウルドカスを目指す楽勝の日で、朝は涼しく体調も良く歩きも快調。しかし、余りにも多いロバの糞と蠅の多さには閉口物で、乾燥した粉塵となって肺に吸い込まれているのは間違いない。特に、パキスタン陸軍の燃料(中国・インドの国境付近の冬季間駐留キャンプの燃料)輸送量は膨大だ。タンクは使い捨てなのかそこら中に空き缶が散乱しており、ガイドのベイグさんはバルトロの環境破壊の元凶はパキスタン陸軍だと言っていた。
後続メンバーの1人はガイドに荷物を担いでもらい、ようやくペースが上がって来たが今一つ本調子ではない。左岸に掛かる氷河を2ヶ所通過すると、小高い丘に緑が散在するウルドカスに到着する。
キャンプサイトから見える光景は実に素晴らしく、パイユピーク、ウリビアフォー、グレートトランゴやトランゴタワー、カテドラル山群が対座する。
残念ながら珍しく天候は下り気味の為薄曇りで、絵に書いた様な青空と白い雪や大岸壁のコントラスト有るショットを狙うのは難しい。しかし、テントサイトで気持ちよく過していると気温は急上昇し、午後2時頃の温度計は42度を指していた。
夕方になると10m離れたキッチンテント内の圧力釜が大爆発。一瞬、岩雪崩かとみんな狼狽えたが幸いテントは無人で怪我人無しで済んだ。

 キャンプ地のパイユ対岸のリリゴピーク(Liligo Peak:5,600m)

 パイユピーク (6610m) ナジールさんが登っている。ルートは左の斜面から。

 パイユ付近から見るロブサンスパイヤー

 いよいよバルトロ氷河の舌端が見えてくる。距離感と時間の感覚が麻痺する。

 慣れないモレーン歩きは結構疲れる。

 ポーター1人当たり15~25㎏の荷物。それ以外にポーターの食料・生活用具を担ぐポーターが必要。

 ロバは60~80kg程。夥しい馬糞が残るので又の名を馬糞街道とも呼ばれている。

 雪の載った右手はウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)

 コボルツェのキャンプサイトからみるカテドラル山群。

 キッチンテント(黄色)と食堂(赤い屋根)

 トランゴ山群が姿を現す。左奥がトランゴタワーの山頂。

 雪の載った右手はウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)

 ウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)

 手前がグレートトランゴ 6237m その右奥がトランゴタワー 6239m

 

 ウルドカスのキャンプサイト。

 ウルドカスのキャンプサイト。ここで隣りのテントで圧力釜の大爆発事件があった。

 1日の歩きが終わるとなぜかヌードル入りスープとスパゲッテイが出てくる。
疲れているし量も多くとても食べられないが、残りはスタッフへと流れてゆく。

 チリソース入りのナポリタンのようなもの。美味かったが、1週間も食べ続けるときつい。

 野菜は種類・量共に豊富だった。

 鶏は次々に潰されて美味いチキンカレーとなる。

 カリフラワーと鶏肉の炒め物。美味い。

 デザートはマンゴー。パキスタンのマンゴーは結構いける

No2 アスコーレ〜パイユ  No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月 No2 アスコーレ〜パイユ

2019年10月22日 | ヒマラヤ

7月15日 

アスコーレ〜ジョラ

6時15分 アスコーレ発
8時 アーミーチェックポスト
11時20分 コロフォン着 ランチタイム
15時 ジョラ着 (8時間45分)
気温 25~38℃

ガイド   ベイグさん
サブガイド ザヒさん
コック長  ジャンさん
キッチンボーイ
ポーター 25人程度
ロバ   1頭
ロバ使い 1人

トレッキングの初日はアスコーレを出発して1時間半後につり橋を渡り、アーミー(パキスタン陸軍)のチェックポスト書類にサインして先に進む。天候は晴天続きで広大な川の右岸はでかい岸壁帯が続き、朝は日差しも弱いので歩きやすく快適なスタートとなる。
コースは平坦で広く歩きやすいが、バルトロはロバによる輸送がメインの為またの名を「馬糞ロード」とも言われ、砂と岩と馬糞を踏みながらの旅が延々と続く。
しかし、10時頃を過ぎると気温は上昇して38度になり、乾燥と砂塵に慣れない我々にとってはダメージで、他2人のメンバーのスピードが落ちてきて小休止の繰り返し。
最後は吊橋を渡ってから右に大きく戻るようにして進んで行くとジョラに辿り着く。初日は高い気温と体が慣れないせいか疲れた。

7月16日
ジョラ〜パイユ

6時15分 ジョラ発
9時15分 洞窟着
11時35分 モンジュン着 ランチタイム
18時12分 パイユ着 (約 12時間)
気温   25~38℃
快晴

ジョラは常に風が吹いて砂埃っぽい場所で、うがいや鼻かみがしたくなるがそのうち慣れるだろう。1時間程歩くとバルトロ川の右岸となり、広大な谷底の周りは氷河を頂いた5〜6000m位の無名峰が迫ってくる。
バルトロ街道の処々にはローズピンクのバラ科の花が咲き誇り、無機質で殺風景な光景の中で心が休まる。
モンジュンでランチタイムを取り、朝食時に作っておいたトースト(オムレツ&ジャム)をぱくついてお腹を満たすが余り進まない。渡されたビスケットとナッツには手が出ない。
午後からさらに日差しが強くなって38度に上昇し、次第にペースダウンして休みが多くなる。日中の行動時には水2リッター位は必要。
途中でブロードピークBCから降ってきたハイポーターに会うと、昨年のK2北日本登山隊の時のサッミターで、今回はブロードピークに登頂した模様。
街道を歩いているとひっきりなしにポーターやロバと行き違うのだが、その途中には息絶えたロバ2頭や骨になった物など珍しくは無い。
昨日もそうだが8時間も歩いているとペースは更に落ちて、予定10時間の予定が12時間かかってようやくパイユに到着。
特に、後続2人のペースは次第に落ちてゆき、熱射病寸前の状態でようやくキャンプサイトに到着した。60歳代後半になると思いの外ハードな歩きだった。

7月17日 パイユ滞在(規則による休養日) 3600m
6時30分起床
気温 23〜38℃
天候 快晴
pm  85、5(パルキシオメーター数値)

トレッキングの規則により今日はパイユで1日の滞在。この先は氷河の上を歩く旅となるので、日陰で風よけになる様な樹木は無い為貴重な存在。大きな樹木が有って日差しを遮り、豊富な水に恵まれてシャワー用の洗面台も有って過ごしやすい。
砂埃だらけになった衣類を洗濯し、全身を綺麗にすると体調もリフレッシュして回復する様で、コックの作ったナポリタンとヤギのレバー炒めがやけに旨く感じる。このヤギはアスコーレからご同行頂いた2匹で、皆さん美味しく胃袋の中に収めさせて頂いた。おまけにに元気な鶏1羽も例外なくメンバーとスタッフの胃袋へ。
テントサイトからはグレートトランゴやカテドラル山群がよく見えて、コンコルディアから降りてくるTRパーティーが降りてきて賑わう。どのパーティーもゴンドラゴロラ峠の通過は天候不良で断念している様だが、先週多量に降った雪が残っている事と下降時の落石が原因。
毎年、各国のトレッキングパーティーの数は違う様だが、今年は中国人が多く次いでヨーロッパ各国という状況で昨年結構いたらしい韓国人は皆無だった。

 

 アスコーレを早朝に出発。

 しばらく車道歩きが続く。

 朝は涼しく快適なのだが・・・。

 6000mクラスの山が現れ始める。

 階段を登らされるロバ。60~80kgの荷物。

 工事中の吊橋を渡る。向こうの3人は現地ゼネコン?の作業員。

 ちょうどバラの花が満開。

 ヤギはバラのトゲのまま花も食べる。

今がちょうど見ごろ。

 ガイドのザヒーさんは花が大好きでポーズ。

 アスコーレ~ジョラまでの初日が熱くて辛かった。

 ヒスパー氷河の入り口。水もきれいで大変気分が良い。

対岸に1日目のキャンプサイトのジョラが対岸近く見えるが中々着かない。

吊り橋を渡ると右に大きくUターンして戻るようにしてジョラに向かうが疲れる。

1日目のジョラにはもう僅か。

ジョラのキャンプ地は風が強く埃っぽい。

ジョラを出発してパイユを目指す。

 ランチタイムの後灼熱地帯を歩いてパイユを目指す。

昼頃から気温が上昇して40℃位のなる事もある。

金満中国人は金さえ有れば・・・。

 ドラゴンド山群・カテドラル山群が見えだす。

バルトロ氷河の玄関口ではパイユ峰(6610m)がお出迎え。

 2日目の歩きを終了してパイユに到着。

トイレも完備されている。

木陰に陣取って快適な2日間を過ごす。

パイユ出発前の朝食はナン・トーストにオムレツやコーンフレークなど。

ヤギ1頭は3000ルピー(¥30.000)と高価な食材。韓国・中国人は犬(200ルピー程度)がお好き。

 

 

 

動画 ジョラ~パイユの濁流

No1 イスラマバード~アスコーレ ⇔ No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録


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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月 No1 イスラマバード~アスコーレ

2019年10月16日 | ヒマラヤ

バルトロ氷河トレッキング&フンザ 

No1 イスラマバード~アスコーレ (トッレキング出発地の最終)

7月12日 11時25分 イスラマバード空港発 スカルド行き
12時35分 スカルド着
Hotel Hilview 宿泊

天候 晴れ

天候に恵まれて予定より30分遅れで空港を離陸すると飛行機は北に向かい、途中ナンガパルバットの北側を通過してから東に向かいスカルドを目指す。
天候も良く機内からは西面のディアミール壁と、ラキオトピークから山頂に至る長い稜線が目に飛び込んできて、北京からイスラマバードの便で素晴らしいヒマラヤの光景を堪能できた事に続いて見られたのは実に幸運。飛行機が飛ばずこれが陸路で2日間(約20時間)の悪路走破だったら悲劇で、これが地獄と天国の境界線とも言える。
ナジールEXPの手配したホテルは大きな川の段丘の上に位置し、実に風光明媚なポイントで食事も美味しくて素晴らしい。

13日 スカルド滞在 
11時 ブリーフィング (トレッキングPM持参で規則などの説明を受ける)

天候 晴れ

トレッキングのブリーフィングの為オフィスに顔を出した後、ポロの試合が有るというので見に行く事にする。試合は次第に白熱する様で、興奮した選手はスティックで相手を狙って大混戦。物珍しさもあるが結構面白い。
相方二人の内のKさんのメガネがイカれしまって眼鏡屋探しをするが、スカルド全体がストライキ中で店は閉まっており、ようやく探し出した眼鏡屋でフレームの交換がRs2500(¥2500)

14日 スカルド~アスコーレ
6時45分 ジープにてスカルド発

天候 晴れ

朝食を済ませるとすぐ出発してアスコーレを目指し、ダソーでランチを取ってさらに先を目指す。
ユーチューブでよく出て来る悪路はここからで、雨で流された路肩やえぐれた箇所は辛いアップダウンが続き、断崖のスレスレの路肩を越えて行く度にストレスは全開。
力のあるランクルの40や70もいまだに現役で(40年以上前の代物)、極悪路ならではの走りは力強くドライバーの腕も光っている。

12時43分 アスコーレ到着 

アスコーレからは全てテント泊となり、快適なテント場ではダイニングテントに椅子とテーブルが付いた贅沢な環境で、今までのネパールやインドでのビンボー遠征登山隊と比べれば天と地位の違いがある。
何しろ、1975年のインドヒマラヤのトリスル1峰(7210m)に西面から登頂したが、資金不足で雇ったのはコック1名のみでBC以上ではハイポーターも雇えず、帰路のキャラバンでの食料が底をついてしまい、ポーターの食料に頼って下山した記憶が有る。

アスコーレに着いて見ると日本のS社のトレッキングパーティー10名位がコンコルディアから戻っていて、天候は良かったがその前に降った雪が残っていて、G1ベース行きはキャンセルになった模様。メンバーの中の一人は日射病と食欲不振で体調を崩し、トッレキング開始4日目でギブアップしてスカルドに戻った様です。

 

ガナシーの物見遊山様サイトより

 

イスラマバードからスカルドへご一緒。

 ナンガパルバットのディアミール壁(右側)。
 
左側のラキオトピークヘ続く山稜。
 
 エアバスでスカルドに到着。
 
 45年ぶりに訪れたスカルドの町は昔の面影がない。
 
 メガネフレームを修理しにメガネ屋へ。
 
 ポロの試合はエスカレートして格闘技の様相。
 
 
 ホテルからインダス川を見る。
 
 各国の登山隊がお世話になる人気のホテル。
 
 外は35℃位でも室内は扇風機のみで快適。
 
 屋上でくつろぐと時間を忘れる。
 
 午後になるとインダス川の対岸は砂嵐がやって来る。
 
 ランクル2台に分乗してアスコーレを目指し出発。
 
スカルド~アランドゥまで 45年前には金欠でこの道で4日間の歩きを強いられた。
 
 ランクルは40と70が今でも現役。
 
 パキスタンの山岳部ではトヨタのランクル以外の車は見かけない。
 
 途中のレストランでランチタイム。
 
 アスコーレが近くなると緊張感が高まる。
 
 路肩側の席の下は深い谷底。
 
 揺れる吊り橋でも平常走行。
 
 アスコーレに到着してキャンプ生活が始まる。
 
 木陰でくつろげるアスコーレのキャンプサイト。
 
 
 カラコロムはトレッキングの初日から6000mクラスの山が登場する。
 
 

バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 
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バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

2019年10月15日 | ヒマラヤ

今回のバルトロ氷河&フンザの旅は終了し35日間ぶりの8月14日仙台に帰着したが、我々にとっては予想以上のハードなコースだった為予定通りとは行かず、ゴンドゴロラ峠越えとG1、G2ベースキャンプ入りは叶わず、威勢が良い割には結局トーンダウンしてしまった。
しかし、コンコルディア~K2ベースキャンプまでは辿り着き、その間は殆ど晴天の連続で8000mの巨峰群の姿を嫌と謂う程堪能出来た素晴らしい旅でも有った。
元々無理な計画とは内心思っていたが、16日間の砂漠地帯歩きと氷河モレーン上のテント生活は結構疲れるもので、特に真夏の時期を選択した場合は熱射病、下痢、食欲不振、高所順応の失敗など、65歳代後半の我々にとっては途中で脱落する要素は結構あった。
特に、トレッキングがスタートするアスコーレからコボルツェへの往復計6日間は日中35~42℃の灼熱乾燥砂漠地帯で、10~12時間の歩きは予想外のダメージでメンバーの足並みは乱れた。9月頃なら涼しいだろうがコンコルディア方面は雪になりやすく、ゴンドゴロラ峠越えはクローズになっているだろう。
また、慣れない氷河上のモレーン歩きは20~50m程のアップ&ダウンが無限に続き、距離と時間の感覚が麻痺してしまって疲れが溜まる。
しかし、コンコルディアに着く頃には体も慣れ、周りの巨峰群を連日見ているとエネルギーが湧いてきて、食欲も出て最適なタイミングで楽しめたのは収穫だった。
特に、写真撮りには最高の環境と天候のタイミングで、同じ画像なのに何枚も撮り続けても飽きない毎日で、写真好きの人の気持ちが初めて良く解った。
下手な写真でも数の中には当たりも有るだろうという下心で、山では初めて有り余る時間を使ってカメラをいじった。
結局、3週間のトレッキング中の雨は1日半位で、3日間位の曇りは有ったが殆どが晴天という毎日で、現地ガイドも余りないという最高の天候となりました。
ただ残念なのは、最後にパーティーを分けてゴンドゴロラ峠を一人で越えるつもりで準備していた所、2時間後にナジールEXPから衛星電話が入り、2日目からの天候悪化の予報が出て急遽中止に追い込まれてしまった事。(実際その通り)
峠越えは積雪・気温(下りの落石)の状況と天候のタイミング、そしてメンバーの足並みが揃わないと難しい様で、他のヨーロッパや中国のグループの大半もコンコルディアから引き返して行った。
結論から言うと、今でも山は現役で足腰の鍛えられた人は別だが、普通の65歳後半位の人にはある程度覚悟が必要です。実際、やたらと多い中国人やヨーロッパの連中は20~50歳台が多く、人の事は言えないが60歳を超えるトレッキング客は日本人が殆どという感じでした。
なお、我々の行動時間は全体的に長かったので、標準タイムは表示時間より10~20%程度短いと思います。

羽田空港〜イスラマバード

7月10日 13時55分 羽田空港発 中国国際航空

天候 晴れ

羽田空港で機内に預ける荷物のダッフルバッグのダイヤルキーが開かなくなったが、どうやら解錠時にダイアルセットの状況で回ってしまい、解除番号が解らなくなって困ったがそのまま羽田空港を定刻通りに出発。

17時15分 北京空港着 
18時45分 入国手続完了

空港に着いてフリーwifiを使ってみるが繋がらず、フェイスブックの投稿ができず困ってしまう。
空港は広すぎて解りにくく、入国手続のカウンターは狭いゲートで結構時間がかかる。特に、イスラマバードへの乗り継ぎカウンターは分かり難く、一番奥の狭い入り口から入ってパスポートのスキャンを行いゲートを潜り、窮屈な階段を下がって回り込むと手荷物検査カウンターが有った。
特にうるさいチェックが入りそうなリチウム電池は予め手荷物から分けておき、トレーに分けて載せて検査機のコンベアに送るとそのままパスして通過した。
ただ、手荷物検査の際誤ってタブレットをカウンターに置き忘れてしまったが、あわてて30分後取りに行ったら意外にもそこに置いてあって助かった。
乗り継ぎの為空港に22時間もソファーに寝転んで暇をつぶしたが、立派で余裕のある椅子に横になれば寝るのには意外に快適で、wifi設備と給水スタンド、トイレがすぐそばに揃ったポイントを占めればこちらのもので、下手にホテルなどに泊まるのと比べれば山屋には楽で快適で無料。
空港の施設の建物だけで長さ3キロはあると言う巨大な設備だが、人はスカスカで無駄に大きいと言う印象が残る施設で、如何にも中国様らしいと言えばその通り。

7月11日 15時37分 北京空港発

天候 晴れ

北京空港ではwifiの接続が悪くてメールが打てず、結局何もする事もなく食って寝るだけの暮らしだが、日頃の睡眠不足解消には役に立った。
飛行機に搭乗するとイスラマバードへの空路は西に向かってカシュガル方面に進み、その後進路を南の方にとってカラコロ厶山脈を越えて行く。
今回は好天に恵まれてカシュガル上空をしばらく過ぎると、機内左側からは最近日本人2人で新ルートが開かればかりのラカポシ南面(7780m)や、6〜7000mの無数の山並みが広がって目を楽しませてくれる。残念ながらK2の勇姿を俯瞰する事は出なかったが、これでも元は充分取れたので今回は満足としよう。

7月11日 17時10分 イスラマバード空港着
ホテル着。

天候 晴れ

空港に到着してみるとナジールEXのベイグさんが待っていて、荷物を積んでホテルへ直行してチェックイン。
バッグにつけていたダイヤルキーのNoが分からくなって困っていたが、鍵を壊してもらって一件落着。
翌日のスカルド便の為の各自荷物の重量調整を終え、免税店で購入したカナディアンドライを引っ掛けて寝たのは翌日の2時だった。

 

羽田空港から北京空港へ

中国国際航空の機内。

機内の食事は羽田発のため比較的まとも

北京空港に到着。

 やたらとでかい北京空港のシンボルとなる噴水広場。

 国内便と国際便を合わせると建物の長さは3.0kmという巨大な施設。

その割には閑散としてお客の姿は少ない。

 モバイル用の電源が完備している位置に陣取る。

 平らな椅子は横になるには好都合で意外と居心地は良い。

 イスラマバードへの乗り継ぎ時間は22時間。山屋にとっては快適な環境でホテルなど無用。

 北京からカシュガル方面に西に飛んでから南下するとカラコロム山脈が眼下に。

 6000mクラスの山だろうが山の名は不明。

 7000mクラスの秀峰が印象的。

 息を飲むような素晴らしい光景。

 イスラマバードのホテル。

No11 バルトロ氷河TR 備忘録 ⇔  No1 イスラマバード~アスコーレ


バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

  【関連サイト】 東北アルパインスキー日誌

 

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カンチェンジェンガ写真展をのぞいてみると

2018年05月17日 | ヒマラヤ

5月15日~20日まで開催されているカンチェンジェンガ写真展を覗いてみた。初日の来客数は予想以上の数で、お客さんにはトレッキングの様子や山の話などで話は弾んでいる様でした。

展示されている写真はパソコンのデスプレーで見るのと違って見栄えがする感じで、ヒマラヤの白い氷の斜面や迫力のある黒々とした急峻な岩壁、そして紺碧の空が素晴らしいコントラストとなって印象深い。臨場感があって素晴らしいヒマラヤの世界が凝縮されているように思え、こんどこそは自分もその場に立ちたいという気にもなる。

しかし、往路の後半まで山は殆ど姿を見せない染みな山歩きで、高度差1000m以上の険しい道の登下降を繰り返してようやくたどり着いた。降雪で難儀して辿り着いたBCでは素晴らしい好天が訪れたがそうですが、4週間にわたる旅は楽ではなかった様です。

右から佐々木さん 黒沢さん 高橋さん

ジャヌー北壁

カンチェンジェンガBC カンバチェン峰

カンチェンジェンガBCで凧揚げ 日本各地で凧揚げを行っている黒沢さん

可愛い女の子と子供の写真がやたらと多い黒沢さん

電力ビル1Fのグリーンプラザは人の流れが良い

トレッキング全般からカンチェンジェンガBCまでの撮影は高橋さん

トレッキング中にはいろんな交流が有るようで楽しい雰囲気

ヒマラヤに関する情報は佐々木さんから是非どうぞ

ヒマラヤ遠征やトレッキングの経験豊富な佐々木さん

 【関連サイト】 東北アルパインスキー日誌

 

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ネパールヒマラヤ カンチェンジェンガ写真展

2018年05月10日 | ヒマラヤ

かつてネパールヒマラヤの未踏峰を目指した山仲間が写真展を開く事になりました。昨年秋のトレッキングで当初自分もメンバーに入っていたが都合で参加できなかった。
ジャヌー北壁~カンチェンジェンガの北壁のBCを目指すこのコースは思いのほかハードだった様で、標高差1000m以上の登下降を繰り返して辿り着いた様子ですが、撮影は予想を超える出来で満足の山行だった様です。

2018年5月15日(火)~20日(日)
10:00~18:00 (最終日は16:00まで) 入場無料
東北電力グリーンプラザ (電力ビル1F)
プラザギャラリー NORTH
仙台市青葉区一番町3-7-1
TEL 022-225-2969

【メンバー】
高橋 茂さん 仙台山岳会OB
2年ほど前に閉店した「レストラン・カノウ」の元オーナーシェフ。黒伏山南壁ダイレクトルート開拓時の相方で、1975年のアンナプルナサウス遠征の仲間。

黒沢 順さん 仙台山想会OB
沢登り・山スキー・海外トレッキングなどの山行歴が豊富で実に多趣味な方。

佐々木和夫さん 仙台一高山岳会
仙台ジャズフェスの立役者で実行委員長を長年務めた著名な方。ネパールヒマラヤ・カラコルムに数多くの遠征・トレッキング歴があり、元ヒンカラ会議(ヒンズークシ・カラコルム会議)の主要メンバー。1975年のアンナプルナサウス遠征の仲間。

#ヒマラヤ #カンチェンジェンガ #トレッキング #ネパール

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ヒマラヤのイエティに関する嬉しいメール 2012.07.12

2012年07月12日 | ヒマラヤ


















※1975年10月 ネパールヒマラヤ アンナプルナサウス登山隊 5300m C2付近にて


自分でも最近忘れかけていましたが、「イエティ肯定派」の自分にとって懐かしくも嬉しいメールを頂戴しました。

38年も前の話で恐縮ですが、ネパールヒマラヤの7000m峰にトライした折、標高5200m付近のC2でイエティらしき足跡を見たことがあります。

暫くたってから趣味のHPにUPしましたが、イエティに関するひところのような興味は失われたようで、大した反響もなく埋もれていました。

しかし、今でも「イエティ存在の肯定者」に変わりはなく、頂戴したメールを大変興味深く読ませて頂きました。

拙HPの記録は以下の通りです。

「イエティの噂話」

http://alpaineski.sakura.ne.jp/yetei.html



以下、O様から頂いたメールを掲載させて頂きます。


イエティで検索しててHPに辿り着きました。
イエティ肯定派とのことでメールしてみようと思った次第です。


1991年のことです。
単独でインド・ネパールを3ヶ月旅してきたのですが
ネパールに入り、ふとヒマラヤを間近に感じてみたい!という衝動にかられ
トレッキングの知識もなく、旅行本の2~3ページの情報だけをたよりに
ランタンにひとりでトレッキングにいったときのことです。
(雨期も近かったのでそのルートいくトレッカーはポツポツ程度)

途中にあるリバーサイドホテルに泊まり(現在もあるかは不明?)
朝、ランタンに向かう川沿いの深い森を通り抜けるときのことでした。
すごい雰囲気の森だな~と感動しながら、まわりを見渡しながら
ふと横を見ると黄褐色の毛に全身をおおわれたゴリラよりひと回り大きい感じ(150~160cm)
2本足で立つ大型の類人猿とバッタリと遭遇しました。(10mもないくらいの距離)
その瞬間、数秒間目があったままおたがいかたまり(向こうもビックリしたのでしょう)
そしてその、類人猿は大きく飛び跳ねながら森の奥へと消えていきました。
(TVで見た猿飛サスケみたいに木の間をピョーンピョーンといった感じ)
その時はこの標高にこんなものがいるなら雪男がいてもおかしくないなぁ~
ぐらいにしか思いませんでしたが、ネットが普及し始めてふとそのときのことを思い出し
いろいろネットで調べるうちに「あれはイエティ?」と思うようになりました。

その前日にも,川沿いの斜面を歩いていると
4~5人のアメリカ系?のトレッカーとすれ違ったんですが
彼らは川の対岸の切り立った崖を双眼鏡で見てました。
なにを見てるのかな?と思いながら通り過ぎようとしたとき
その中の1人がおまえもあそこ見てみろといった感じで(英語はあまり…)
双眼鏡を手渡されて指差す断崖の上を見てみると
5~6匹の黄褐色の猿らしきものが移動していました。
(かなりの断崖絶壁の上部の木に掴まりながら移動していた)
かなり距離もあり、比較できる対象物もなかったので
はっきりとした大きさはわからないのですがけっして小型の猿ではなかったです。
ただそのときは「こいつら猿がそんなにめずらしいのか?」と思いその場を立ち去りました。

今か考えるとその時、断崖絶壁を移動している類人猿と僕が向った方向が同じ…
そして翌日イエティらしきものと遭遇した。
しかしそれらが同一のものかは???

見たという以外証拠はないのですが決して熊のたぐいのものではないのは確か。

この体験は数年前「イエティプロジェクトジャパン2008」の事務局にメールしたのですが
事務局の古山さんは「地元のシェルパ族の証言に酷似してて興味深い」とのことでした

イエティについていろいろ調べてて
根深さんが「ヒグマ」と結論づけていることは知っていましたが
(先日、本も出版されたようですが…)
証拠があるわけでもないので反論しようもないのですが
実際にそのような体験した僕にとっては残念でしょうがない。

発見!ということに至らないのは
彼らはある程度の知能をもち
人間という生物が自分たち生活を脅かす存在であることを
知っている、感じていると思ったりもします。

肯定派の坂野さんにこんなお話したいと思いメールしました。


※また、興味深いブログが残っています。

プロ登山家小西浩文氏のブログより

http://blog.livedoor.jp/ecohiro/archives/9259169.html
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イエティ捜索隊2008 

2008年08月20日 | ヒマラヤ

最近は皆さん余り興味の沸かないイエティの話ですが、今日7:00PMのNHKのニュース番組を見ていると例のイエティ捜索隊2008の隊員の皆さんが登場した。
この隊の隊長は2003年イエティ捜索隊を率いた高橋好輝氏で、今度が第3次捜索隊での映像記録を目的に、日本でヒマラヤ登山界の重鎮の八木原氏と共にし、必勝を期して望んだ遠征隊の様です。

イエティと言えば今はネパール料理店の名称位の認識しか無い様ですが、私としては未だに存在を信じる一人で、風化してしまった未知の世界への回帰を期待し、映像を突きつける事で世界への大逆襲を望む一人です。きっと存在すると信じる人間は極めて少数派でしょうが、行き掛かり上遭遇してしまった人にとっては大命題で、最後の結論を見ずして終りたくないという気持ちだと思います。

今では世界の全ての情報がキー操作一つで手に入るが、それは自分の目で確かめる事が出来ない、致命的な欠陥を持った雑多な情報でもある。
そういう意味で当事者意識のまったく無いエセ情報を排除し、今なお探検的な世界への回帰を望む方々は羨ましい一語に尽きます。

今回のスポンサーは2003年同様にA新聞・S社がメインで、グルジャヒマール南東稜への再度の探査を行い、かなり絞り込んだ戦術を展開すると想像します。
今まで世界からいろんなイエティ探検隊が入りましたが、3度まで望んだ隊はおそらく無いでしょう。 


イエティ捜索隊
http://www.everest.co.jp/yeti2003/

活動の概要
http://www.everest.co.jp/yeti2008/


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