仁王門はお寺の門でしょうね。
大体仁王門の中に金剛力士像を配置しています。阿形の密遮金剛、吽形の那羅延金剛を総称して金剛力士と言っています。
では何のために置いてあるかというと、さて何でしょうかね。
それはこの寺の中にはこんな強い大きな人が居るんやから、ここから先はたちの悪いものは入れないぞ。入るなら心して入らないといけませんよ。
と言うような感じでしょうかね。
しかし仁王さんを作る予算のないお寺もたくさんあると思います。そのような時には門に大きなワラジを置いている場合があります。
草鞋を置いておくと、この中にはこんな大きな草鞋をはく、すごい人が居るんだなと思うでしょうね。
また仁王門の南側に西門があります。あまり意味のないように見えますが、このあたりの下の方に御所が見えるから、
おそれおおいという意味で作ったと言われる目隠し門でしょうか。
拝観料売り場のところに轟門があったが、先日清水へ久しぶりに行った時ころっと様相が変わっていました。
そうです。解体工事のようでした。轟門ではなくおどろきでした。
とにかく工事中の為見られなかったところがありました。
例へば轟門の前にあったお手を清める場所、龍水。仏足石のようなもの。川がないのにある橋等今現在無かったので少し省きます。
では一気に本堂の方へ行きましょうか。
本堂に入る前に出世大黒さんがおられます。
まさに正面から見れば大黒さんです。しかし後ろから見れば男性の一物である。これが密教の世界で有るんですよ。
今度清水へ行かれたら一度裏側から見てくださいませ。
出世大黒さんの手前の本堂の壁に横柱が通っています。その柱には凹んだ跡のような溝が入っています。
これはここは目の悪い方がお百度参りをされます。お百度参りされる方は100本の竹のへらを持っています。
目が見えないから頼りになるのはこの柱で、へらを当ててそしてまわる。そういった名残でぐるりを巻いています。
ここでお祈りして治った人が寄贈したのが、この鉄の錫杖と下駄でしょうね。
さあ舞台に出てきましたね。
飛び降りたつもりで、、、、、、というお話が昔からありましたが、この舞台で本当に飛び降りされた方がありましたでしょうか。
いやあ!驚きました。実はあったんですよ。
京都における観音信仰の中心は清水でした。
今はほとんど観光される方が清水を訪れます。昔は信仰の人だけが集まってきました。
その信仰が崩れたらどうなるか。この高い舞台から飛び降りたらどうなるか、今までの信仰の力で助けてもらえるのか、
それとも死ぬのか確かめたい。勇気のある人は飛び降りた。
しかし当時は下は土で、木もたくさんあり木のクッションで助かった。
だが運の悪い人もありました。ここまで死まで賭けてどうなのか、助かればそれだけ信仰がある。
助からなければその時点で南方にある、補陀落浄土へ行けるという気持ちがあったんでしょうか。
大体南の方向は弥勒浄土の世界が一般的ですが、観音の浄土の世界(補陀洛)も南方と言われています。
本堂の中は次回です。1週間後か2週間後で掲載します。
乞うご期待ください。
大体仁王門の中に金剛力士像を配置しています。阿形の密遮金剛、吽形の那羅延金剛を総称して金剛力士と言っています。
では何のために置いてあるかというと、さて何でしょうかね。
それはこの寺の中にはこんな強い大きな人が居るんやから、ここから先はたちの悪いものは入れないぞ。入るなら心して入らないといけませんよ。
と言うような感じでしょうかね。
しかし仁王さんを作る予算のないお寺もたくさんあると思います。そのような時には門に大きなワラジを置いている場合があります。
草鞋を置いておくと、この中にはこんな大きな草鞋をはく、すごい人が居るんだなと思うでしょうね。
また仁王門の南側に西門があります。あまり意味のないように見えますが、このあたりの下の方に御所が見えるから、
おそれおおいという意味で作ったと言われる目隠し門でしょうか。
拝観料売り場のところに轟門があったが、先日清水へ久しぶりに行った時ころっと様相が変わっていました。
そうです。解体工事のようでした。轟門ではなくおどろきでした。
とにかく工事中の為見られなかったところがありました。
例へば轟門の前にあったお手を清める場所、龍水。仏足石のようなもの。川がないのにある橋等今現在無かったので少し省きます。
では一気に本堂の方へ行きましょうか。
本堂に入る前に出世大黒さんがおられます。
まさに正面から見れば大黒さんです。しかし後ろから見れば男性の一物である。これが密教の世界で有るんですよ。
今度清水へ行かれたら一度裏側から見てくださいませ。
出世大黒さんの手前の本堂の壁に横柱が通っています。その柱には凹んだ跡のような溝が入っています。
これはここは目の悪い方がお百度参りをされます。お百度参りされる方は100本の竹のへらを持っています。
目が見えないから頼りになるのはこの柱で、へらを当ててそしてまわる。そういった名残でぐるりを巻いています。
ここでお祈りして治った人が寄贈したのが、この鉄の錫杖と下駄でしょうね。
さあ舞台に出てきましたね。
飛び降りたつもりで、、、、、、というお話が昔からありましたが、この舞台で本当に飛び降りされた方がありましたでしょうか。
いやあ!驚きました。実はあったんですよ。
京都における観音信仰の中心は清水でした。
今はほとんど観光される方が清水を訪れます。昔は信仰の人だけが集まってきました。
その信仰が崩れたらどうなるか。この高い舞台から飛び降りたらどうなるか、今までの信仰の力で助けてもらえるのか、
それとも死ぬのか確かめたい。勇気のある人は飛び降りた。
しかし当時は下は土で、木もたくさんあり木のクッションで助かった。
だが運の悪い人もありました。ここまで死まで賭けてどうなのか、助かればそれだけ信仰がある。
助からなければその時点で南方にある、補陀落浄土へ行けるという気持ちがあったんでしょうか。
大体南の方向は弥勒浄土の世界が一般的ですが、観音の浄土の世界(補陀洛)も南方と言われています。
本堂の中は次回です。1週間後か2週間後で掲載します。
乞うご期待ください。
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