お茶の歴史(中編)

2015-04-13 10:17:15 | 全京よもや話
桜の季節もだんだん終わりになってきました今日このごろです。

お茶の世界は闘茶から殿中のお茶(書院茶)に変わっていきます。

では殿中のお茶とはどういう事かと言うと


侘び茶の場合は、ひとつのお部屋で点てるのが侘び茶である。

とこらが殿中の場合はお客の前で点てないで、隣の部屋で点てて点てだしで出してくる。

書院茶はあくまで点てだしである。茶たて処ろで点てて、お広間へもってくる。



室町中期になって村田珠光が足利義政に取り入り又一休や能阿弥らとも付き合いし能・連歌・禅の精神的な要素を深く取り入れわび茶を追求していった。



湯を注いで飲むのを煎茶

粉にして湯を混ぜて飲むのを抹茶(世界一古いインスタントと言うべきでしょうかね?)
  

ところで茶臼と石臼とはどう違うでしょうか。


日本の文化で欠かせなかったのが粉である。粉にして団子とかうどんにして食べた。

話は変わりますが奈良東大寺に行きますと、少し離れたところに天平時代から残っている転害門があります。

テガイとは石臼のことである。最近まで門の中に大きな石臼がありました。



石臼ではお茶を挽くことができない。石臼は花崗岩を使っていて、茶臼は最も良質な玄武岩を使っています。

硬い石で黄緑の色に輝いたものすごく綺麗な、抹茶の色をもっともっと深く沈めた色をしている。

このような石は宇治の炭山から天ヶ瀬にかけて出る。

従って石臼で茶を挽いた場合荒挽きしか出来ない。

抹茶にする茶の葉は碾茶(てんちゃ)という。碾茶を茶臼に入れて挽くと抹茶になる。茶臼ができる以前の中国では何で挽いていたのでしょうか。

石臼では石が弱いから無理で、石は硬いものでなければならない。


茶臼ができるまでは碾(碾茶の碾です)で挽いていました。
     


ここで皆さん茶臼と聞いて何を感じますかな?


ここから次回にします











御室の桜

2015-04-13 08:59:32 | 全京よもや話
4月11日御室の桜を見に行ってきました。

敬老乗車証で地下鉄、市バス乗り放題やから楽チンだな!

石田駅から北大路駅まで行った。下鴨高木町に用事があったから先に済ませてきた。

北大路駅から御室まで市バスで行こうと思うとむつかしいですね。

結局北大路から白梅町まで行き、嵐電に乗ってお室駅まで行っった。

まあ!!人の多いこと。人に酔っちゃいました。

無事に仁和寺まで来ました。桜を見るのに500円いります。


         御室桜

丁度満開でした。

御室の桜はなぜ低いのでしょうね。

説にはいろいろあるようですが、面白いのはこのお寺は宇多天皇が作ったお寺で、高貴なお寺でご座います。

よく門跡寺院と言われますお寺がありますね。

これは代々宮様いわゆる門と言うのは宮様のことです。

従って宮様の跡と言う事ですよね。

と言う事で門跡寺院は天皇家が継いでいたお寺ということです。

そう言うことから桜も天皇の目線より高くなると失礼やから、低く抑えたのかなと思う。はぁはははーーーー!!