Produce&Climbing

音楽、ビデオなどの制作状況、登山/お散歩、泉自然公園の状況

3.11明日で4年 02

2015年03月10日 | SNS

震災翌日からここの現場。 地震とその液状化により、給水も排水も機能を失われた。 排水管や枡は液状化の砂で詰まっていた。トイレは使えなくなった。これを仮復旧させることが第一の仕事であった。

五月の連休 福島へ行った。 千葉から海岸沿いを茨城、福島へ、、そして磐越道、会津若松へ。 悲惨な現場をたくさん見た。 会津若松 とてもきれいな街だった。

 鶴ヶ城から撮影

Yちゃんの笑顔にも会えた。 一安心!

猪苗代湖からの磐梯山 あー登山がしたい、、、

テレビやラジオの呼びかけで、観光客が急激に増えました。 お店の方々は大変喜んでいました。 今はどうなのか?

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3.11 明日で4年 01

2015年03月10日 | SNS

3.11 明日で4年になる。

なんといっても原発事故の問題が復興のあしかせ、エネルギー問題を進展させてこなかった政治的な問題も大きいと感じている。 このような事態にもかかわらず、エネルギー革命の進展は、ごくわずかである。20年以上遅れている。 第一原発も設計ミスであったことも明白だ。

この4年を振り返ってみる

カメラを持っていたにもかかわらず、2枚しか撮っていなかった。 2011年3月11日、仕事は通常通り行い、帰宅(マイカー通勤) ガソリンが底をついていたので、きがきではなかった。千葉県市川市から八街市の自宅へ向かう途中 大きな煙が見えたので、撮った。 場所は市川市 高谷。 多分コスモ石油の製油所の爆発であろうと思う。

千葉港辺り、反対車線は液状化、駐車場の車は、砂に阻まれ、動かせない。 この先に営業中のガソリンスタンドがあり、そこで満タンにした。これで、1週間以上、通勤することができた。

自宅に帰ったものの、3日間 停電。とにかく知り合いが心配だった。知り合いでない人も心配だった。何もできない。電気が通じ、ネットを開いた。悲惨な今の状況と、対処する人とのやりとりがあった。自分は千葉にいるので何もできない。

そういえば、Yちゃん 福島だった。電話をした。 学生時代の名簿を引っ張り出して、住所を調べた。 被災していた。

とにかく何かしようと、Yちゃんに、寄せ書きポスターを創ることにして、みんなにかいてもらった。

Yちゃんは第7回の100キロウオークのリポーターをしてもらったのである。 当時女子大生。

寄せ書きポスターを印刷してもらい、みんなに配布、Yちゃんのところにも送った。

Yちゃんは会津若松だったので、津波や原発事故からは免れていたが、避難者がつめかけ仕事が重くなっていた。 被災現場に行きたかった、Yちゃんの顔もみたくなった。

とにかく、行かなくちゃと思い、5月の連休に行った。

 それまでは、仕事も大変だった。 市川市、浦安市の現場で働いた。

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