
富雄側東岸の、間近まで奈良市の住宅街が迫るような処にある、こんもりとした森の中にひっそりと鎮座します。筒粥神事が良く知られており、今年オミクロン株が蔓延するなかでも2月1日に行われたようで、その結果も簡単に掲示されていました。以前は「登弥神社」と書かれました。
【ご祭神】
東の社殿に高皇産霊神、誉田別命、西の社殿に神皇産霊神、登美饒速日命、天児屋根命がお祀りされています。
・こじんまりした境内
【鎮座地、比定、発掘遺跡】
富雄川東岸のなだらかな丘陵に鎮座し、「延喜式」神名帳にのる小社・登弥神社に比定されています。富雄川が奈良市西部から生駒市東部にかけて形成する谷を富雄谷と呼び、このあたりは奈良時代は「登美郷」、「和名類聚抄」には「鳥貝(見?)郷」、中世には「登美庄」、「鳥見庄」と記され、「延喜式」の当社の名前もこの「トミ」に由来すると、「日本の神々 大和」で土井実氏が書かれています。現在の石木町は石堂村と木島村が合併したもので、当社は古くから「木島明神」と呼ばれてきたようです。延喜式の社の所在について「大和志」「大和名所図会」は木島村にあり、と書き、各書もそれを引いていますが、「大和志料」は異説を述べています。つまり・・・・・・
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・本殿。摂末社も隣接して鎮座しています
【祭祀氏族】
佐伯有清氏編「日本古代氏族事典」によると、登美氏は、真人姓、連姓、首姓がいました。氏名は、神武天皇即位前期に、゛時の人は鵄の邑と名付けた。今、鳥見というのは訛ったものである゛と書かれ、「続日本紀」和銅七(714)年に見える登美郷(奈良県生駒市北部から奈良市西端にわたる地域)の地名に由来すると説明されます。当神社に関わるのは、連姓の登美氏と思われ、・・・・・・
【祭祀・神事】
【社殿、境内】
東西に並んで鎮座するのは、共に一間社春日造の社殿です。また・・・・・・
【伝承】
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