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妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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芸能人・有名人の結婚パターンに関する一考察?

2004-12-17 13:33:53 | Weblog
芸能人や有名人の結婚やその後の活動パターンについて
考えてみました。

1大物どおしの結婚でその後も活躍・・・ペギー葉山・根上淳夫妻、高嶋忠夫・寿美花代夫妻
 などがこれか?現在は少ないような気がする。

2大物どおしの結婚でありながら、妻は家庭に入るパターン・・・北原三枝がこれか。
 山口百恵はここか9にはいるか難しい。スケールは違うが竹中直人も悩ましいところである。

3一応芸能人ではあるもの旦那のほうが知名度が低く、ひもであるみたいに言われ叩かれる
 パターン・・・田中美佐子の旦那のように結婚を機にブレークする場合もあれば、
 松阪慶子の亭主のように悲惨な運命をたどる場合もある。

4ある時期おしどり夫婦として両方芸能界で活躍しながら、その後離婚してしまう「小柳ルミ子」
 パターン。これは3の一種か?これに限らずとにかく芸能人は離婚が多い。

5旦那や息子がぐれてしまい、本人のイメージが崩壊する三田佳子型。
 松原のぶえなどもこれか。これは本当に救われないという気がする。

6結婚するあるいは彼氏がいると発表しても信じてもらえず、かえってイメージが悪くなる西田ひ かる型。引田天功などもそれか。

7結婚していることをひた隠しにするジャイアント馬場パターン。
 これとは関係ないがアントニオ猪木の最初の結婚相手はアメリカ人で娘もいたはず。
 どちらかが割りと早くに死んだといううわさを聞いたが、確かめていない。石井苗子は、
 たしか結婚(離婚暦?)を一時隠し、マスコミにばれたにもかかわらず、それを知らなかった
 男性との間でトラブルに。たしか、彼女には子供もいて、健康状態がよくないと思ったが、これ も確認できていない。

8実はこの人たちは夫婦だったのかと知って驚くパターン
 中野重治(プロレタリア作家)・原泉(老け役ばかりやっていた女優)夫妻がこれに当たる。

9内助の功でだんなをたてて夫婦円満、しかも旦那が出世する「あげまん」パターン・・・木内み どりや鈴木杏樹など小数に限られ、これはかなり難しい。

10とにかく最低としかいいようがない泥沼離婚や結婚自体が意味のないほど結婚離婚を繰り返す パターン。これは枚挙にいとまがない。
 泉ピン子や市毛良枝もそんな感じの離婚だった。後者のパターンとしてはご存知エリザベス・テ イラーや、ディックミネなど。石野真子も3回ぐらい結婚し、それ以外にも色々うわさがある。
 ため息しか出ない。五月みどりもこれか。

11すでにある程度の富や名声を得ていながら、さらなる富を求めるシンデレラ・コンプレックス 型結婚。
 野球選手と女子アナの結婚もこれか。女子アナはそれほどでもないから違うかもしれない。
 ジャクリーン・オナシスのように生涯お姫様一直線の人もあれば、同じジャクリーヌでも
 ジャクリーヌ・デュプレのようにあまりに悲しい現実がまっている場合もある。
 最近の例では、後藤久美子や中村江里子、などがこれか。
  
無論結婚のパターンはさまざまでこれだけあげても全てのパターンを網羅しているかは分からないし、これらのいくつかを組み合わせた結婚も多いだろう。しかしいずれにせよ、芸能人はどうも自分のプライバシーを切り売りしているような場合が多いように見受けられる。
ジャイアント馬場の晩年のカリスマ的人気というのは、元子さんの存在を隠すことで彼女を守り通したというところにあるような気がする。もっともプロレス会場で自分は何度となくあの人を見ていたが。いずれにせよ、有名人は大変だなどと思ってしまう。。。結婚してもよほど収入などがつりあってないとボロクソいわれ、結婚しなけりゃそれも叩かれる。というわけで、一般人と結婚する場合、素性を明かさなかったり、肩書きだけで実名を明かさなかったりするのであるが、その後写真や実名を公表する場合もあり大変な気を使わねばならないことあるようだ。

もっとも一般人の結婚でもかなり色々と気を使うであろう。

自分はその気苦労がないことだけはある意味幸せだと思っている。


追記。いわゆる逆玉を忘れていたが、これは3であろうか。三浦友和はやはり逆玉か。

そう言えば、数年前青江三奈の主人と称するものの騒動があった。

追記2
高樹沙耶とかいう女優さんは、中西圭三と離婚したあとハワイ在住のダイバーのような人と一諸に暮らしていたがお互いのことをパートナーと呼び合っていたそうだ。これはいわゆる内縁に当たる関係で結婚ではないが、こういう生活のあり方もないわけではない。

ちょっとの間壁紙をいじってみます

2004-12-17 02:08:30 | Weblog
結構きれいに思えたので。。。ちょくちょく変えて
また戻してみたいと思います。
内容とふさわしくないし、字も見にくいのですが、
左側の絵はきれいですね。

これを観てるだけでほっとするような。。。

今日は中味なくてすいません。

その方がよかったりして。。。

人工の尾ひれをつけてまで水族館に利用されるイルカの悲劇?

2004-12-16 16:20:09 | Weblog
沖縄の水族館でイルカが奇病にかかり、尻尾を切断せざるをえなくなったそうだ。そこへ人工の尾ひれをつけて泳げるようになったのだが、動きやすい尾ひれを作るまで試行錯誤が繰り返され、また東大の研究室に持ち込まれて作られた結果いい人工の尾ひれができて泳ぎ、飛びまわれるようになったという話がCBSのビデオで紹介されている。

いい尾ひれが作られたということは決して悪いことではないのだが、水族館という環境は本当にイルカにとっていい環境なのだろうか。人間にとっての監獄、もしくは強制労働所のようなものではありはしないだろうか。イルカは喜んでいるかのように見えるといったところで、あくまで推測である。それはいいシッポをつけてもらえればうれしいかもしれないが、奇病にかかったこと自体、水族館にいたことと関係なしとはいえないだろう。

一部の人間の経済的な利益や功名心のために、病気をした後でも水族館でショーをさせられるイルカ。イルカの本当の気持ちは分からないが、自分などはイルカは海にいるのが一番にいいはずと思う。

大体沖縄にそもそも水族館など必要あるだろうか。要するに公共事業の一種であり自然破壊の一種のような気さえする。

研究者の人たちはそういうことは考えたことはあるのだろうか。それとも一笑に付されるだろうか。自分にはそういう人たちの気持ちが分からない。イルカを可愛がっているふうを装いながら利用しているとしか思えない。

某野党は子供の写真をビラに使うのはやめてください!

2004-12-15 13:27:24 | Weblog
以前与党のある大物政治家が公共事業に関して「道を作れば子供もそこを通るのだから、決して無駄ではない」ということを言っていた。これは討論番組で子供たちに借金を残すのはけしからんので無駄な公共事業はやめよ、といわれたときの反応であった。

なるほど、と思うと同時に子供たちは果たしてその公共事業に賛成するだろうかという疑問がわいた。今現在ほとんど十分な説明が行われないままにいろいろな公共事業が行われたり、公共の施設が売却されたりしている現状で有権者でさえ蚊帳の外に置かれ、自分の意思は何年に一度かの選挙でしかない。さらに現在の有権者の口をふさぐために、未来のまだ存在すらしていない人間を持ち出して「子供たちのために」というのは、非常におかしなやり方だと思う。

「子供たちのために」という言い方をされるとなかなか反論はしにくい。非常に曖昧模糊とした霧に包まれるような気分になってしまう。

教育に関する議論でもそうだ。ある野党は、教育の問題は文部科学省が悪いという言い方をして、権限を地方に移せという。本当にそんなことで教育の問題がなくなると思っているのか。正直この程度の議論しかできない野党を支持してしまう国民にも問題があるのではないかという気がして仕方がない。自分はあまり偉そうなことはいえないが、具体的な政策を分かりやすく国民に伝えるのが政治家の役割ではないのか。

野党が何かというと選挙期間中に教育や食の安全といった、いわば政治の側では直接扱うのが難しい問題を取り上げるのは、防衛や安全保障といった、それこそ国の根幹にかかわるだけでなく今まさに議論すべきことに関して議論すれば「負ける」という意識があるからではないかとまで思ってしまう。

ある野党がよく自宅のポストにビラを入れてくるが、その一つには子供の写真が大きく使われている。ふくれっつらの顔である。私は思う。「親の顔がみたい」と。この子は大きくなって自分の顔がそこに使われたことをどう思うであろうか。自分ならはっきりいっていい気はしないだろう。

それともそういうことに疑問を抱かないように育てるということであろうか。それとも、そのビラは外注で、どこかの子供タレントを使っているので、中味とは関係ないということであろうか。野党のビラがどこも似たようなものになるのもそのためか。

イメージはたしかに大切かも知れないが、それは政治家自身の言葉によってなされるべきであり、関係ない子供を使うのは自分には非常に印象が悪い。かりに子供タレントでも親はそれを許しているのであろうか。政治家も親も子供を利用するのはできるだけやめるべきではないか。

東大院生や助手の不毛な研究?

2004-12-13 23:47:26 | Weblog
今日は読売新聞に超高層マンションの建設ラッシュの話しが出ていた。住み心地に関して不便なところも書かれていたのだが、その中で東大(東京大学・以下も同じ)の助手の人がアンケートのようなものをまとめていて、たしかその内容が子供が友達ができにくいといった内容であった。

そしてTraining Journalとかいう雑誌を見たら、題名の一部に「エリート」とあった「論文?」があったのでちょっと見てみると、東大の医学部の中にバスケット・ボール部があって、そこのコーチをしている人の感想のようなものが書かれていたが、その論文の意義が分からなかった。練習中にある部員を叱責したら、ある部員からメールが来て、「自分たちはある意味挫折を知らないのであまり怒らないでください」といった内容のものだったということなどが書かれていた。エリートは失敗を恐れる、とか、エリートは型にはまった練習が好きだ、といった趣旨であったが何でこんなことをわざわざ雑誌で書く必要があるのか理解に苦しむ。

東大の助手や院生というのはこの程度の世間話で済むことをデータを取ったり先行論文を引用したりしながら文章を書き、マスコミに売っているのだろうか。私は上にあげた記事のどちらも手元にないので必ずしも正確ではないかもしれないし、その道の専門家ではないが、あまりに不毛な研究のように思えて仕方がない。

これで奨学金を得たり、研究費を得、さらには就職をする(助手の方はしてるともいえるであろうが)のであれば、あまりに情けないような気がする。もちろん住環境やスポーツ心理学?などは重要な分野かもしれないが、それだけに不毛な研究に対する厳しい眼が指導教官にもマスコミにも必要だと思うのだが。。。



国士舘大学サッカー部は廃部、私学助成もやめよ

2004-12-11 23:37:30 | Weblog
今回の事件のあと加害者は全く反省していないようだし、大学側もあまり厳しい処置を検討しているようでもないようだ。
もう厳しい措置しかないのでは。似たような事件も次々に明るみに出ていることだし。

すいませんが、今日同趣旨のブログを何べん送ってもなぜかトップに表示されなかったので、もう一度送ります。前のブログも読んでもらえると助かります。

志村けんの家になぜ警察は駆けつけなかったのか?

2004-12-09 14:59:33 | Weblog
志村けんの家に泥棒が入ったが、警備会社が現場に着くまで30分もかかったという。下水道の工事があって行くのが遅れたというが、この言い訳は納得できるものであろうか。以前から思っていたのだが、こういう話しを聞くと警備会社というのははたして意味があるのであろうかとまで思ってしまう。犬もほえなったそうだが、自分はいつも怖そうな犬の散歩に悩まされているのでこれもまたちょっと信じられないような話だ。

そういえば、あるお笑いタレントが短い期間に何度もスリにあったことがあったがそのとき「それはウソだ」見たいなことを言った人もいた。

今回の志村けんの話はうそではないが、「うそであってほしいような話し」である。もちろん泥棒が入ったということ自体、あってほしくないことではあるが、警備会社が駆けつけるまで30分もかかったというのがなんとも情けない。警備会社というのは最近急成長している業界の一つと思われるが、これではほとんど責任を果たしていないと言われても仕方がないであろう。そもそも警報装置がなったのにそれで、警察が来なかったというのもおかしな話しで警報装置も意味がないと思ってしまう。

警備会社の契約内容についてはよく知らないのであるが、ガラスが割られて警報装置がなった時点で自動的に警察に通報されないのであろうか?また警備会社というのは都内にどれぐらいの社員が待機しているのであろうか。全く疑問だらけであるが、もしガラスが割られた時点で警報装置がなり、近所の人も警備会社も警察に通報していれば、そして警察も車や自転車さらに走るという全ての手段を使って現場に駆けつけていれば犯人を捕まえることができたかもしれない。

しかも志村けんの家に泥棒が入る前には近所で小額ながら泥棒の被害にあった家もあるらしいので、このように泥棒のはしごができるのでは全くおかしな世の中で、何らかの抜本的な対策が取られなければならないはずだ。これは何も今に始まった話しではなくて、例の石原東京都知事の差別発言のときにマスコミはその差別だけを取り上げて難詰したが、実際これだけ東京に泥棒が多いとマスコミも都知事も警察も一体なにをやっているのかという気がしてしまう。

自分は泥棒されるより泥棒をするほうに近い経済状態いやそれ以下であるが、実際にものを取られること以上に、現場に出くわして殺されることのほうがコワイ。以前ある寮で中国語と思しき言葉を話す人たちが目の前で廊下にある机などを持っていったことがあったがこわくて何も言えなかった。

志村けんは泥棒に「働けよ」というメッセージを送っていてそのメッセージは今の自分にとってもきつく響く言葉だが、警察や警備会社の方々にももっとしっかり仕事をしていただきたいと思うのは自分だけであろうか?

都内某ホテルの「ヨン様プラン」と民放Tの不思議な関係?

2004-12-07 15:35:51 | Weblog
 ヨン様ブームの様子をテレビでみたが、それにしてもすごいと思った。自分は韓国で日本の文化が受け入れられて、日本の作曲家が韓国でさきにブームになってから日本に逆輸入されたなどという話しを聞くと隔世の感を禁じえない。ヨン様ブームについてもそのような感を抱く。日本は平和でお金がある国でいいなと思ったりもする。ただこのブームにはマスコミによる煽りのようなものも感じざるをえない。元来ブームというのはそういうものだし、ヨン様に関してもすでに似たようなことを書かれている人もいるかもしれない。あくまで推測に過ぎないが自分なりに感じたことを以下に書きたい。

 まずこのヨン様ブームに関して特に力を入れて報道しているのがT(略号)という民放の局だというのがまず不自然な感じがする。他の局でもある程度伝えているが、Tは特に力を入れている。なぜNHKでなくTなのか。私の記憶が正しければTではヨン様が帰る道中車の中からわざわざ窓を開けて手を振る映像を流してたが、そういう映像がとれたのはその局だけだと言っていた。しかしヨン様はなぜその車がマスコミの車だと分かったのだろう?全く打ち合わせもなしにこんなことができるだろうか。なんだかおかしい。全く何の車だか分からずにこんなことするはずはないよね。

 なんだかおかしいと言い出せばきりがなくて、夜中の三時にフアンの人の前に現れて一人一人サイン、それも名前を入れてというのも、そのサインの一つを番組で見せていたのがどうも腑に落ちない。そして昨日にはヨン様が泊まったホテルの「ヨン様プラン」について説明していたがますます私の猜疑心は深まった。ヨン様が使った食器で食事ができるかもという話はなんだか本人が聞いたらいやではないだろうか。ホテルのサイトを見てみると、一応そのプランについての説明は見つかったが、それほど目立つ感じではなかった。そしてシングルもスィートも通常の値段より安いみたいである。そして他にもいろいろプランがあって、みんな安いのである。

 つまりテレビを使って自分たちの「格安プラン」を宣伝していたわけだ。しかしそういうプランは色々付加価値をつけるわけだから本当は値段が上がるはずではないか?芝居でもコンサートでも本でもCDでもどんどん値下げして売っている。いわゆるツアーというのもそうだし、色々な会員になると送られてくるカタログはそういうのばっかりだ。つまり格安で売る企画会社の一つが旅行会社であるわけだが、旅行会社にそれでもうけさせるのもばからしいので、ホテルが自分で理屈をつけて値下げしているということなのだろうか。しかしホテルが自らの値段を下げるというのはこれまでにもやってきているのだが、それをごまかすのにヨン様が利用されているような気がするのは残念。本人はそれで何か報償をもらっているのかもしれない。つまりそれも仕事ということか。
いずれにせよ自然にそういう流れになったように見せかけようとしているようで、見ている方はあまりいい気分にはなれない。

 もちろんそれにも広告会社とかいろんなとこが絡んでいるかもしれないがとにかく世の中のからくりが少し見えたような気がする。とにかく今からクリスマス・正月にいたるまでシングルからスィートまで予約を受け付けているんだから。。。そういえばヨン様がこのホテルへ越したのは混乱を避けるためだったっけ?なぜフアンは引越し先分かったのだろう。週刊誌には追っかけの人の写真も載せてたけど肖像権の問題はないだろうか?悪いことをしているわけではなくても、あれは本人の許可が必要な写真ではないかな。とにかく疑問だらけだ。。。

なおこの文はいつものように少し後で補足しました。
またするかもしれません。

百円寿司とネットの微妙な関係?

2004-12-06 14:05:50 | Weblog
 もう20年ほど前だったろうか、ある隠れ家的名店のようなすし屋で聞いた話しであるが、すし屋の名店というのは百円寿司に脅威を感じないそうである。要するに客層が違うということであるが、百円寿司のようなものが広まるとかえって、本物志向が高まり自分たちも潤うというようなことであった。その店がそれほどの名店かということはさておきこの話は首肯できるものだと思っていた。

 今現在も言うまでもなくグルメ・ブームでむしろ高級店が大衆化しつつあるやにも思われる。もちろん高級な店でも庶民的な店でも儲かるところもあれば大変なところもあるであろうが、高級な寿司屋もたくさんあるし、百円寿司もたくさんあれば、デパートで買える寿司も多様になってきていると思われる。

 これと同じようなことが、「情報」ということにもいえるのではないかという気が最近ますますしている。かつてわれわれは情報を得る手段としてはテレビであったり新聞であったり、本であったりしたものだ。しかし最近はネットが情報を得る手段としてかなり比重が高まってきたことは言うまでもない。しかし、少なくとも本に関する限り、毎年出版される本の数はあいかわらず無限に近い。

 新聞や週刊誌などはある程度ネットに喰われている部分もあるかもしれないが、当初一部で言われていたように、ネットの発達によって紙の消費量が減るというような未来予測は見事に裏切られているようである。

 よくネットの情報は価値がないとか表面的だということが言われる。しかしそれは必ずしも当てはまらない。本にも色々あるように、ネットの情報にも色々ある。そういうことを言う人はあまりネットを見ないで言っているのではないだろうか。ネットでなければ表現できないことはないかもしれないが、ネットでは実にたくさんの人のさまざまな意見を聞くことができるのは絶対的な利点であると思っている。

 最近自分のお気に入りは爆発しそうないきおいである。これほど一生懸命ブログを更新されている方が多いことに驚いてもいる。自分も自分で書いている量には驚いているが、できるだけ多くの人により深く訴えかけられるブログを作りたいと思っている。

ちょっとまた長々とこ難しい話ですが『春琴抄』におけるイメージ論について

2004-12-05 01:52:59 | Weblog
『春琴抄』を読んでいて感じたことの一つは松本清張の「或る『小倉日記』伝」に似ているということであった。それは、この小説を書いている作者本人がその小説の中で、その作品の執筆の経緯を明らかにしているということであるが、これは小説技法の上でそれほど珍しいこととは言えないだろう。しかしそれを自然に行うのは難しいように思われる。

特にこの二つの作品においては執筆のきっかけとなった小冊子あるいは日記について書くことが、小説の一部となるわけで、その小冊子がどういうものであるのかを書くこと自体がかなり難しい部分もある。ためしに新潮文庫版で8ページの最初の6行ほど(「伝によると」の前まで)を読んでほしい。ここでは「検校」(けんぎょう)という言葉が何度も出てくるのであるが、もうこれだけでちょっと自分などは参ってしまう。

ただこうした文章を経て初めて作者谷崎自身の春琴に対する視点と言うものが獲得されてくるのであり、このような作業の後に小冊子が描く春琴ではなく、作者谷崎の春琴に対する視線というものが生まれてくるように思われる。9ページには春琴の37歳の頃の写真のなかの彼女の風貌が描かれる。

ここで谷崎が長々と春琴の風貌を書いていることには理由がある。その理由は10ページの段落の終わりの4行ほど、「検校がこの世で最後に見た」から始まって「作り上げていたであろうか」で終わる部分に明らかになっているように思われる。つまりここで谷崎がやっていることは一種のイメージ論であって、これは大変奥行きの深い問題であるが、考えようによってはここで谷崎は写真で見ることのできる春琴の美しさをあえて言葉という全く違うメディアに置き換えようとしているのではないだろうか。あるいは写真によって伝えられる美しさを言葉によって伝わる美しさが超えられるかという実験をしているのかもしれない。そして言葉によって女性の美しさが伝わるのであれば、眼の不自由な人にとっての視力に代わる役割を言葉がなしうるかもしれない。

つまりわれわれはその写真を見ていないわけだからある種われわれも眼の不自由な人と同じ立場に立って谷崎の言葉によって春琴のイメージを作り上げていると言うことになる。
当たり前のことであるがこの作品に限らず小説と言うものはそのように言葉によってイメージを作り上げてゆくものであるということがいえるが、そのことを写真を見てその風貌を言葉で記すと言うことにより明確にしているということがいえるのではないだろうか。


魁皇についてかいたら送れなくて一度ぱぁ~になった。

2004-11-28 23:58:46 | Weblog
 今日は九州場所の千秋楽で結びの大一番は魁皇コールが起こるなど実に興奮し感動したが、魁皇が勝ったにもかかわらず、会議が招集されないってそれじゃ魁皇がかわいそ過ぎません?本人のインタビューなどからするときっと今場所のというか一生横綱昇進あきらめていたろうに、また押尾川審判部長に希望を持たされて、結局今日勝ったのに、昇進できないのはつらすぎる。押尾川も控えめな言い方ではあったけど、理事長が13勝2敗の条件だしてるのに、それに対する異論をいってしかもすぐ引き下がるんじゃ魁皇もちょっともてあそばれたみたいでかわいそうだよ。

 全く話は変わるが、このブログはもっと長文のはずでした。無料とはいえアクセスしづらくてぱぁ~は困るよ。コメントをあきらめた方もいるし、大変失礼だよ。Gooの根も出ないなんちゃって。




押尾川審判部長

まさに恐るべし19歳

2004-11-24 18:41:35 | Weblog
今日も白鵬が勝った。19歳での金星はすごい。この人はなんとなく旭冨士に似てると思ったが、むしろそのすんだ表情は双葉山を髣髴とさせるものすらある。とにかく落ち着いていて貫禄を感じさせ、横綱を破っても特に興奮した様子もなく恐ろしいとしか言いようがない。

今日は他に豊桜と春日王の一番がなかなかいい勝負であった。「おう、おう」という声とともに突っ張りあう姿は自分が10歳の頃だったか確か蔵前で見たあの富士桜・麒麟児戦(でよかったのかな)を思い出した。あの取り組みは天覧相撲だったはず。高見盛はとりなおしたものの負けた。魁皇はやや危ない感じだったが何とか勝った。ちなみに麒麟児はゲストだったが相変わらずさわやかな語り口で解説の元・朝汐とは対照的だった。

それにしても今日も客が少ないのはどういうことか。もうこのことも今に始まったことではないのだから客を少しでも集めるために料金を安くするなどあらゆる努力が必要なのではないか。極端な話しだが、学校などに働きかけてどんどん安くで子供でも入れるなど、あらゆる努力をすべきだ。幕内でもこれだけしか客が入っていないというのは恥ずかしいと思う感覚がもはや関係者にはないのだろうか。

行司もアナウンサーもまた大混乱?の高見盛・露鵬戦!

2004-11-23 22:54:48 | Weblog
今日も相撲の話題になる。高見盛・露鵬の一番がまた館内を沸かせた。高見盛が寄っていった時点で露鵬の足がでたのが、自分の砂嵐テレビでも見れた。そこで審判の手が上がったのだが、なんと露鵬が反撃に出て高見盛を投げたのだったかなんだったか、とにかく高見盛が負けて、行司も露鵬に軍配をと思いきや、審判の一人が行司に話しかけ、行事が高見盛に軍配を。憮然とする露鵬、きょとんとする高見盛。

アナウンサーは「これは審判が話し合いをもって説明すべきだ」というようなことを言った。それぞれの力士が支度部屋に帰ってその表情を伝えた頃だったろうか、アナウンサーがまたおかしなことを言った。「失礼しました。軍配は最初から西の高見盛に上がっていました」???

わけが分からない。分からないことがいくつも重なって何が何やら分からない。。。おそらくはアナウンサーもそのような事態に陥ったのではないか。それはたぶんどっかから訂正するように言われたということなのだろう。こういうときこそ、アナウンサーは冷静に事態を説明すべきではないか。そこで私が説明すると。。。

まず露鵬の足が出た時点で審判が手を挙げていたのである。その時点で審判の判断が優先され取り組みは終わることになるのだが、この行司さんはなんと、露鵬の足が出た事はおろか審判の手が上がったことにも気づかなかったのだ。だから、取り組みをとめなかった。審判はそのことに気づき、このままでは露鵬に軍配が上がってしまうと思ったので、行事を呼んで、高見盛の勝ちにするよう説明したのだ。

だから、最初から高見盛に軍配は上がっていたというのは正しいのだけれど、やや説明不足なのだ。審判が行司を呼んだ時点でこのアナウンサーはたぶん私と同じように露鵬に軍配が上がっていたと思ったのだね。たぶん。であればその軍配を行司を読んだだけで訂正させるのは手続き上おかしいことになる。ちゃんと協議にかけて行司差し違えということにしなければならない。

ところが実際には行司が軍配を上げる前に高見盛の勝ちを審判が行司に告げたわけだからこれは協議の必要もないということになる。

わかっていただけたでしょうか。家は砂嵐テレビしかありませんしビデオも録画できないしネットでも調べていないので間違ってたら教えてください。以下は余談。。。

今日の解説は舞の海。この人はゲストの時はずいぶん細かい話をして、ずいぶん勉強になると思ったものだが、今日は魁皇・白鵬戦に関して「支度部屋で聞いてるかもしれない」ということで、詳しい分析を避けていた。意外な感じ。なおゲストは元・寺尾(現在の名前は変換が難しい)だったが、この人は昔から顔も声もお父さんに似ていたが今日は本当に声がお父さんにそっくりになったと思った。

それにしても19歳の白鵬は恐怖の19歳。今日はじめて知ったが本当に末恐ろしい。他に朝赤龍の一番を終わり近くから見たが、長い大一番になったようだ。